望却のリセ   作:ひみっち

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第10話「渦巻く螺旋にご用心」

 

 鏡巳たちに別れを告げ、境界を抜ける。

 その先で待っていたのは、螺旋階段の途中だった。

 深紅の絨毯が敷かれた豪奢な階段。

 金糸の刺繍が縁を彩り、まるで王城の大広間へ続く道のようにも見える。

 だが、どれだけ目を凝らしても頂上は見えない。

 不思議なことに、下を見ても同じだった。

 

「お姉ちゃん、何ここ?」

「お城や宮殿の中でしょうか」

 

 二人は辺りを見回す。

 人の気配はない。

 燭台も窓も扉も。

 あるのは階段だけだった。

 ノゾミの背中では、リセが何も知らぬように寝息を立てている。

 

「上も下も果てが見えません」

「確かに、真っ暗でなーんにも見えないわね」

「このまま闇雲に進むのは効率が悪いでしょう」

「じゃあ、どうするの?」

 

 ネガイに問われ、ノゾミは少し迷った後、人差し指と中指を立てながら言った。

 

「二手に分かれます」

 

 ノゾミの提案に、ネガイは待っていましたとばかりに手を挙げた。

 

「じゃあアタシ下!」

「わかりました。私たちは上を目指します」

 

 すぐにでも駆け出しそうなネガイをノゾミが引き留める。

 

「ネガイ、これを」

「お菓子!? ありがとうお姉ちゃん!」

「今すぐ食べてはいけません」

「えー、なんで?」

「何も見つからなかった時にだけ食べてください。一瞬で私のところへ戻れます」

「便利すぎない!?」

「一日に一個しか作れない貴重品ですので、大事に食べてくださいね」

 

 

    ◇◇◇

 

 

 下層を目指すネガイは、軽い足取りで階段を降りていた。

 まだ、自分がどれほど長い時間ここを歩いているのか気付いていなかった。

 

「お菓子……いやダメダメ」

 

 ふとポケットに手を伸ばしかけて、慌てて引っ込める。

 ノゾミから渡された菓子の誘惑を振り切った。

 食い意地の張るバカな妹だとは思われたくない一心で、ネガイは足早に下へ下へと進む。

 相も変わらず、同じ景色が続いていた。

 

「リセ……ほんとに大丈夫かしら」

 

 菓子のことを頭から切り離したネガイは、リセの顔を思い浮かべる。

 人が変わったように冷徹な表情で、命乞いするエピュロを前に、何の迷いも見せなかった姿。

 それは最初に会った時に感じていた、世界の終わりを纏う雰囲気によく似ていた。

 

 リセのことを考えながら歩いていると、辺りが若干薄暗くなっていることに気付く。

 

「あれ、この階段、こんな色だっけ?」

 

 足元を見ると、深紅だったはずの絨毯が黒ずんでいた。

 一段だけではない。

 下へ続く階段の先もまた、同じように色を失っている。

 

「まあずっと同じ景色じゃあ、つまんないからね」

 

 ネガイは特に気にした様子もなく、階段を下りていく。

 階段を囲む壁に黒い染みが広がっていることには、気付いていなかった。

 

 

    ◇◇◇

 

 

 ノゾミはリセを背負いながら、階段を上へ上へと昇っていた。

 常人ならとっくに疲れ果てている距離を平然とした顔で進んでいる。

 一人ならまだしも、背中にもう一人分の重みまで載せながら。

 それは、ノゾミが常ならざる存在であることの証明だった。

 もっとも、この階段の異常さは、そのノゾミですら測りかねていた。

 

「ネガイには悪いですが、少しズルをしてしまいましょう」

 

 ノゾミは宙に円を描き、裂け目を作る。

 どういうわけか、裂け目の向こうも同じ階段だった。

 一歩踏み込もうとして、足を止めた。

 裂け目の向こうには、リセを背負う自分の背中が見えていた。

 

 ノゾミはポケットから飴玉を一つ取り出す。

 試しに裂け目へ向かって投げ込んだ。

 寸秒も経たぬうちに、ノゾミの背後に飛んでくる。

 飛んできた飴を受け止め、傷一つ付いていないことを確認する。

 しばらく眺めた後、何事もなかったかのように口へ放り込んだ。

 

 

    ◇◇◇

 

 

 階段の周囲は黒く侵食されていた。

 辛うじて、数段先に赤い絨毯が見える。

 一歩進むごとに、その絨毯の色も薄まってきていた。

 

 ネガイは階段を降り続ける。

 先ほどまでの軽口は、いつの間にか消えていた。

 

(これ、このまま階段なくなったりしないわよね……?)

 

 思わず足元を見る。

 黒く染まった絨毯の先で、微かな赤が残っていた。

 

 やがて、暗闇と同化した階段が現れる。

 先を進んだらどうなるか、結果は容易に想像できた。

 

「どう見ても行き止まりじゃない。さっさとお菓子タイムにしましょ」

 

 ノゾミから渡された菓子の包装紙を剥がし、銀色に輝くチョコレートを取り出す。

 そのままかぶりつき、とろけるように甘い味わいを堪能した。

 

「うーん、美味しい。お姉ちゃんってお菓子作りのセンスもあるのね」

 

 この菓子がどういう過程でどのように作られているかは、知らなかった。

 しかし、姉の渡す菓子の味は確かだったので、気に留めない。

 気付けば、ネガイは菓子を食べ終えていた。

 

「……あれ? お姉ちゃん?」

 

 数秒待ってみても何も起こらず、景色は変わらない。

 

「おーい?」

 

 ネガイの声が周囲に反響する。

 

「え、ちょっと待って。お姉ちゃん、アタシ何か悪いことした?」

 

 その瞬間、はるか下方から石壁が砕けるような轟音が響いた。

 

 

    ◇◇◇

 

 

 みしりと建物が軋むような音は、ノゾミの耳にも届いていた。

 おそらく下層で何かが起きている。

 ネガイのことが気になる。

 それでも、今は引き返せない。

 

 出口を見つける方が先だと判断し、歩みを止めずに頂上を目指す。

 地鳴りにも似た音は、なおも響き続けている。

 

「リセさん、もう少しだけ我慢してください」

 

 その言葉は、リセだけでなくノゾミ自身にも向けたものだった。

 背中で眠るリセの右手が、淡く光を帯びる。

 ノゾミはそれに気付かないまま、階段を駆け上がっていく。

 

 その直後だった。

 何も見えなかった上空に、一筋の光が差し込んでいた。

 

 ノゾミは反射的に顔を上げる。

 

「あれは……」

 

 壁面に亀裂が走る。

 反響が一段と大きくなると同時に、後方から聞き覚えのある声が聞こえていた。

 

「お姉ちゃーーーん! 急いで上ってえええ!!!」

 

 ネガイが凄まじい勢いで駆け上がってくる。

 踏み抜かれた階段は黒く侵食され、暗闇に呑まれて崩れ去っていた。

 

「ネガイ、お菓子は美味しかったですか?」

「うん、甘くて最高だった……じゃない! お姉ちゃん騙したの!?」

 

 ノゾミは共に駆け上がながら、一瞬だけ考え込む。

 

「いいえ」

 

 それだけ言うと、遥か前方に向けて裂け目を用意する。

 裂け目の中は相変わらず、階段だけが続いていた。

 

「この建物での空間移動は制限されているようです」

「ええ!? まさか、出られないってこと?」

「はい、先ほどまでは」

 

 上空を指差しながら、ノゾミは淡々と告げる。

 差し込む光にネガイがようやく気付き、ひとまずの安堵を得る。

 一方で、徐々に崩れ行く階段は、なおも三人に迫っていた。

 

「あの光に向けて裂け目を作ります。建物の外なら影響を受けないはずです」

「なら、急ぎましょ。リセ、アンタも気張んなさいよ!」

 

 返事はないが、頷くような寝息があった。

 リセの右手の輝きは、誰にも気付かれることなく収まっている。

 

 

    ◇◇◇

 

 

「別の景色が見えました。裂け目に飛び込んでください!」

「オッケー」

 

 三人が飛び込むと、視界が反転した。

 裂け目の反対側は、黒に塗りつぶされて、もう何も見えなくなっていた。

 

「間一髪ってところね」

「あまりこの力を過信してはいけないようです。毎回違うところに行けるので、旅のお供としては最高なのですが」

「ランダムだったの、それ!?」

 

 騒ぐネガイを御しながら、ノゾミは手を後ろにかざして継ぎ目を閉じていく。

 完全に見えなくなる一瞬だけ、その向こう側の景色が変わる。

 

 そこには、先ほどまでと同じような螺旋階段が、何事もなかったかのごとく続いていた。

 

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