望却のリセ   作:ひみっち

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第12話「歪な愛で満たして」

 

 一行は山道を抜けていた。

 舗装は途切れ、木々の間に細い獣道のような道が続く。

 

 その先に、それはあった。

 山の中腹にぽつりと建つ、一軒の家。

 夕張寮と呼ばれていた場所は、想像していた集合住宅とはまるで違う。

 木造の古い建物。

 けれど手入れだけは行き届いていて、妙に生活の気配が濃かった。

 

「……ここ?」

 

 ネガイが寮を指差す。

 

「はい」

 

 有紗は少し誇らしげに頷いた。

 

「ここが私たちの夕張寮です。山の中ですけど、ちゃんと人も住んでますよ」

 

 リセは一度だけ周囲を見渡した。

 人の気配はしていない。

 風の音と、木々の擦れる音だけ。

 それなのに、なぜか誰かに見られているような感覚だけが残っている。

 

 ノゾミは何も言わず、家を見上げていた。

 構造を確認するような、淡い視線。

 しかしその金の瞳は、建物そのものではなく、その向こう側を見ているようだった。

 

「やばぁ♡ あの冷たい目、ちょー推しなんだけどぉ♡」

 

 視線の先で、女の影がくるりと回る。

 

「もしかしてウチ狙い? いやーん♡」

 

 自分の胸に手を当て、楽しげに身をよじる。

 その笑みは明るいのに、どこか噛み合っていない。

 

 まるで、感情の形だけを真似しているようだった。

 

「いいなぁ……ああいうの、もっと欲しいなぁ♡」

 

 

    ◇◇◇

 

 

「司さーん、末莉さーん、あれ、まだ誰も帰ってきてないですね」

 

 玄関からの声が、静かな家の中に落ちた。

 返事はない。

 山の家特有の、少しだけ湿った静寂だけが残る。

 有紗は首を傾げながらリビングへ向かう。

 

 そして、足を止めた。

 

「……え?」

 

 そこには有紗の知らない女がいた。

 リビングの中で異様に目立つ、ピンクのボブカット。

 当然のようにソファへ腰掛け、クッションを抱えてくつろいでいる。

 まるで最初からそこが自分の場所だったかのように。

 

「えっ!? 誰ですかあなた!?」

 

 有紗の声が裏返る。

 女はゆっくり顔を上げ、口元を吊り上げる。

 

「やっと気づいたぁ♡」

 

 軽い声だった。

 悪びれも、驚きもない。

 純粋に待っていたという気持ちが全面に出ている。

 

「ウチ? ウチはねぇ……」

 

 少しだけ間を置いて、嬉しそうに両手で頬を包む。

 

「カプンチュル♡」

 

 女は媚びたような声で名乗った。

 

「……不法侵入?」

 

 ネガイが目を細める。

 

「えっ泥棒じゃん!?」

 

 リセが即座に反応する。

 カプンチュルは、二人の言葉を聞いてぱちくりと瞬きをする。

 

「あれぇ? ウチ、招かれた感じだったんだけどぉ?」

 

 首を傾げる仕草すら、どこか芝居がかっている。

 

「誰に?」

 

 リセの声は冷たい。

 

「空気♡」

「空気は招待状なんか出さない」

「そこツッコむとこじゃないでしょ」

 

 ネガイがため息をつく。

 だが緊張は抜けない。

 堂々と居座るカプンチュルの態度は、じわじわと不気味さを増していた。

 

「司さんたちの知り合いかもしれませんし……とりあえず、お客さんとして――」

「どう見ても怪しいでしょ!」

 

 ネガイが食い気味に突っ込む。

 

「やっぱり泥棒なんじゃない?」

 

 リセは悪人を見るような目付きでカプンチュルを一瞥する。

 

「盗ったもの返すなら許してあげる。今のうちよ」

「ええ!?」

 

 有紗の声が再び裏返る。

 

「ちょ、待って待って! いきなり犯罪者扱いするのはやめてあげてください!」

 

 カプンチュルはそのやり取りを見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 

「あれぇ?」

 

 笑っているのに、温度がない。

 

「おかしいなぁ……普通はもうちょっといい感じの空気になるはずなんだけどぉ?」

 

 指先が、空中でゆっくりと揺れる。

 その動きに意味があるのかどうかも分からない。

 ただ、薄っすらと甘い空気が入っていくような気がした。

 

「……ねぇ」

 

 カプンチュルの声が少しだけ軽くなる。

 

「なんでそこだけズレてるの?」

 

 その視線が、リセへ向く。

 次にネガイへ。

 まるで計算外の誤差を見つけたように。

 ノゾミはその光景を静かに見ていた。

 

「――は?」

 

 リセとネガイの声が、同時に重なった。

 言葉になる前の違和感が、そのまま音になったようなタイミングだった。

 カプンチュルはその様子を見て、目を輝かせた。

 

「これこれぇ♡」

 

 ぱちん、と手を叩く。

 

「よく見たら金髪と銀髪の組み合わせじゃーん♡ 解釈一致すぎるぅ♡」

 

 身を乗り出すようにして、二人を交互に見つめる。

 

「金髪ツーサイドアップとぉ♡ 銀髪ショートツインテロリっ子ぉ♡ ちょー推しなんだけど♡♡♡」

 

 リセはきょとんとした表情に、ネガイは真顔になる。

 

「帰っていい?」

「だめぇ♡ お持ち帰り決定ぃ♡」

 

 それが合図だった。

 リセとネガイの足元から、桃色の波紋が広まっていく。。

 寮の輪郭が一拍遅れて崩れ、代わりに桃色だけの空間が押し出されるように広がる。

 木の壁も、家具の質感も、順番に意味を失っていく。

 残るのはただ一つ、この組み合わせが成立している世界という空気だけだった。

 

「なに……この……なに?」

「こっちが聞きたいわよ!」

 

 ネガイが言い返した途端、足元がわずかに滑る。

 リセが反射的に腕を伸ばして支えた。

 意図せず、二人の距離が近づく。

 何かが起きかけた気配だけが走る。

 そして、意味不明なほどキラキラしたエフェクトだけが、空中に残った。

 

「ノゾミと有紗ちゃんたちはどこいったの?」

「アタシに聞かれても知らないわよ……それより、もうアンタ、早く手を放しなさいよ!」

 

 リセはネガイに急かされ、手を放す。

 そのやり取りの一部始終を見ていたカプンチュルは頬を押さえる。

 

「きゃー、ツンデレちびっ子が素直になれないやつぅ♡」

「誰がツンデレよ!」

 

 ネガイが即座に噛みつく。

 

「え、違うの?」

 

 リセは、ネガイを見ながら真顔で聞き返す。

 

「アンタはどっちの味方なのよ!」

 

 リセとネガイの会話を聞いていたカプンチュルの目が輝いた。

 

「そうそう、これこれぇ♡♡♡」

 

 両手を叩きながら、カプンチュルは嬉しそうに笑っていた。

 

「否定してるのにそう見えるやつぅ♡ 最高ぉ♡」

 

 

    ◇◇◇

 

 

「あの、リセさんとネガイさんでしたっけ? お二人を探しにいかなくて大丈夫なんですか?」

 

 有紗が不安そうに尋ねる。

 

「問題ありません」

 

 ノゾミは即答した。

 視線はすでに別のものへ向いている。

 

「それより、そこのメロンさんの状態。やはり、あの女性が関係しているようです」

 

 淡々とした声。

 だがその金の瞳は、微かに鋭さを増していた。

 有紗はその言葉に、思わずメロンを見る。

 

 ――犬耳の女は、相変わらず有紗の隣に寄り添うように立っている。

 

 距離が近すぎるほどに。

 

 二人の様子を観察していたノゾミが、メロンの首元にわずかな痕跡を見つける。

 

「……こちらで治せるかもしれません」

「えっ!? 本当ですか!?」

「はい。有紗さん、少し後ろを向いていてください」

 

 言われるまま、有紗は素直に背を向けた。

 その位置からは、ノゾミとメロンの距離がやけに近く見える。

 

「失礼します」

 

 ノゾミがそっと手を伸ばす。

 次の瞬間、痕跡は何事もなかったように消えていた。

 同時に、メロンの姿は小さな犬へと戻る。

 

「な、なにが起きたんですか?」

「魔法、のようなものです」

「すごい……そんな魔法もあるんですね」

 

 有紗は素直に感心する。

 ノゾミは小さく頷いた。

 それ以上は語らない。

 語る必要がないと判断しているからだった。

 

 ノゾミはそのまま、宙に円を描く。

 空間がわずかに歪み、裂け目が開いた。

 

「え……」

 

 突然発生した空間の亀裂に、有紗は困惑しているようだった。

 その反応を気にする様子もなく、ノゾミは裂け目の向こうへ声を投げる。

 

「リセさん、ネガイ。裂け目は用意してあります。こちらに戻れますか?」

 

 しばらく待っていると、返答は裂け目の向こう側から同時に飛んできた。

 

「ノゾミ!? ごめん、今それどころじゃない! ねぇネガイ、これどうやったら元に戻るの?」

「知らないわよ! アンタがやったんでしょーが!」

 

 どこか遠くで、騒がしい気配。

 裂け目の奥は、明らかに戦闘中というより、収拾不能な状況だった。

 ノゾミは一度だけ瞬きをする。

 

「……そうですか」

 

 ノゾミは短くそう言うと、裂け目に手をかざした。

 そのまま閉じようとする。

 

 ――だが、一瞬だけ。

 

 裂け目の縁に、虹色の光が絡みついた。

 

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