カプンチュルは後ずさった。
「え、なんで?」
理解できなかった。
司と末莉の関係性は、自分が何もしなくても成立している。
押し付ける必要もない。
誘導する必要もない。
そこにある関係は、既に完成されていた。
「なんでなのぉ……?」
桃色の瞳が揺れる。
「知らないぃぃぃ♡」
現実逃避するように両手を振り上げた。
「もう一回よぉぉぉ♡」
桃色の空間が広がる。
「また!?」
ネガイが叫ぶ。
視界が桃色に染まった。
◇◇◇
気が付くと再び、あの桃色の空間だった。
「え? 魔法使い……?」
リセは有紗を見て、ぱちぱちと目を瞬いた。
大きな紫色の魔女帽子。
肩を覆うケープ。
有紗は、まるで絵本から飛び出してきたような魔法使いの姿になっていた。
「な、なんで私こんな格好に!?」
当の本人が一番驚いている。
そしてその隣には、犬耳を生やした女性が立っていた。
「メロン?」
「うん」
メロンが頷く。
犬の姿ではなく、再び人間の姿になっていた。
二人は不思議と冷静だった。
その視線は、真っ直ぐカプンチュルへ向いている。
「有紗、あの人です。私に変な魔法をかけたの」
「じゃあ、敵ですね!」
「うん、敵……」
長年の付き合い故に、息が合っていた。
二人の鋭い視線に、カプンチュルは思わず一歩下がる。
「え、なにそのコンビぃ♡」
声色は余裕そのものだが、言いようのない嫌な予感が胸をよぎった。
有紗とメロンが手を重ねる。
「愛と恋と友情の魔法――」
「スウィートマジック」
二人の声が重なった瞬間、桃色を塗り替えるほどの光が弾けた。
「えっ」
避ける暇もなかった。
光は真っ直ぐカプンチュルへ直撃した。
しかし、何も起きなかった。
「……あれ? 外した?」
リセが首を傾げる。
「直撃してたわよね?」
ネガイも怪訝そうな顔をする。
カプンチュルも自分の身体を見下ろした。
「なぁんだぁ♡」
胸を撫で下ろす。
「びっくりさせないでよぉ♡」
そう言った途端、胸の奥に得体の知れない違和感が走った。
ほどなくして、カプンチュルの身体がふらつき始める。
◇◇◇
「うっ」
胸が苦しい。
違う。
痛いわけではない。
理解できない感覚だった。
「なに……これ……」
カプンチュルが膝をつく。
頭の中に見たことのない光景が流れ込んでくる。
笑い合う二人。
喧嘩して、仲直りして、何でもない話で盛り上がって。
ただ、一緒にいる。
「ちがう……」
カプンチュルは首を振った。
「こんなの……」
恋じゃない。
愛でもない。
なのに、そこに確かな繋がりがある。
「なんで……?」
理解できないのに、どこか羨ましい。
そんな感情が胸を刺した。
リセはその様子を見て首を傾げる。
「どうしたんだろ?」
「知らないわよ」
リセとネガイがいつものやり取りをする。
その横で、有紗はメロンの手を握っていた。
メロンもまた、当たり前のように握り返している。
カプンチュルは、その光景から目を離せなかった。
「……友達?」
初めて口にする言葉だった。
有紗が不思議そうに首を傾げる。
「はい」
即答だった。
「メロンは私の友達です」
迷いがない。
メロンも小さく頷く。
「うん、有紗は友達」
カプンチュルは困ったように視線をさまよわせる。
「でもぉ……」
理解できない。
「好きなんでしょぉ?」
「好きですよ?」
有紗は当然のように答える。
「大好きです」
メロンも頷いた。
「私も」
「じゃあ――」
カプンチュルは言葉に詰まる。
何かが違う。
自分の知っている答えに繋がらない。
だから視線を横へ向けた。
その先には、リセとネガイ。
「アナタたちはぁ?」
「友達でしょ」
リセは、あまりにも自然に答えた。
ネガイは一瞬だけ固まる。
「……照れくさいこと言ってんじゃないわよ」
顔を逸らしながら答えた。
それだけで十分だった。
カプンチュルの思考が止まる。
好き。
大切。
一緒にいたい。
守りたい。
でも、それが全部、恋になるわけじゃない。
そんな当たり前のことをカプンチュルは知らなかった。
「そんなの……」
桃色の空間が揺らぐ。
「そんなの分かんないよぉ……」
カプンチュルは困惑していた。
それは恋に悩む顔ではない。
初めて悲しいという感情を知った者の顔だった。
リセの右手が、淡く揺らぐ。
「……『陽炎の手』」
誰より先に、その異変に気付いたのはノゾミだった。
リセの右手から広がった揺らぎが、桃色の世界を侵食している。
空間の輪郭が曖昧になり、境界が溶ける。
カプンチュルが作り上げた舞台そのものが、存在を保てなくなっていた。
「――あ」
カプンチュルが顔を上げる。
次の瞬間。
桃色の世界に無数の亀裂が走った。
まるで夢が終わるように。
世界は段々と崩れていく。
その中心へ。
リセはゆっくりと歩き出した。
ひび割れた世界の中で、カプンチュルは立ち尽くしていた。
いつもの笑顔はない。
桃色の瞳は揺れたまま、どこを見ればいいのかも分からないようだった。
リセはそんな彼女へ近付いていく。
「そんなに難しい?」
カプンチュルはしばらく反応しなかった。
やがて小さく口を開く。
「……難しいよぉ」
弱々しい声だった。
「だって分かんないもん」
空間の亀裂が広がる。
桃色の壁が剥がれ落ち、その向こうに現実の景色が覗いていた。
「好きならくっつけばいいじゃん」
「うん」
「好き同士なら幸せじゃん」
「うん」
だが。
有紗とメロン。
司と末莉。
そしてリセとネガイ。
目の前にいる誰もが、自分の知っている形には当てはまらなかった。
「なんでそれだけじゃないのぉ……」
その声は震えていた。
縋るような声を漏らすカプンチュルを見て、リセは少し考える。
そして本当に不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ、友達になればいいじゃん」
カプンチュルが固まる。
「……は?」
「だから、知らないなら、なってみれば?」
あまりにも当たり前のことのように言う。
カプンチュルは言葉を失った。
友達。
その言葉は知っている。
けれど、その意味を理解したことはなかった。
恋人になる前の段階でもなければ、家族の代わりでもない。
好きだから一緒にいるわけでもない。
それなのに、一緒に笑っている。
そんな関係があることを、今初めて実感していた。
「そんなの……」
知らなかった、と言う間もなく桃色の世界が崩れていく。
それでもカプンチュルが本気で抵抗すれば、この場の全員を閉じ込め続けることはできた。
しかし、その視線は、もう自分の作った舞台には向いていなかった。
ただ、目の前の少女だけをじっと見つめていた。
「友達って……」
ぽつりと呟く。
「何するのぉ?」
「何するって?」
改めて友達の定義を問われたリセは、身振り手振りを駆使してやや大げさに答える。
「一緒に遊んだり、ご飯食べたり、話したり」
「それだけぇ?」
「それだけ」
「それって恋人と何が違うのぉ?」
「別に違わなくてもいいんじゃない?」
「へ?」
カプンチュルは困惑する。
どれも特別ではない。
運命的でもない。
恋愛のような劇的さもない。
けれど、思い返せば皆そんな時間を過ごしていた。
「うん、そうだよ。ここにいる人たちは、みんな友達!」
リセは頷きながら、ノゾミとネガイに視線を向ける。
柔らかく笑みを返すノゾミ。
少し照れくさそうに顔を背けるネガイ。
メロンは当然のように有紗の肩へ寄りかかった。
有紗もまた、それを受け入れている。
だからこそ、カプンチュルには分からなかった。
そんなもので本当に繋がれるのか。
そんなもので本当に笑い合えるのか。
だが、目の前のリセは嘘をついているようには見えなかった。
「じゃあ……」
カプンチュルが少しだけ躊躇う。
今までなら考えもしなかった言葉を、恐る恐る口にした。
「ウチとも、友達になってくれるぅ?」
「うん、いいよ」
即答だった。
あまりにも迷いがない。
カプンチュルは目を丸くする。
「ほんとぉ?」
「ほんと!」
「そんな簡単でいいのぉ?」
リセは満面の笑みを浮かべながら答えた。
「難しくする理由ある?」
カプンチュルは言葉を失う。
その返答は、あまりにもリセらしかった。
◇◇◇
その日の夜。
夕張寮のリビングには、久しぶりに賑やかな空気が戻っていた。
大きな鍋の中ではカレーが湯気を立てている。
「今日はカレーなんですね」
有紗が皿を並べながら言う。
「やっぱり、みんなで食べるご飯と言ったら、これだよね」
司が笑った。
「大人数だし」
末莉も小さく頷く。
「……別に、カレーは嫌いじゃないし」
「末莉ちゃん、昨日もそう言ってたよね」
「司!」
夕張寮の人たちにとっては、いつものやり取りだった。
その様子を見ながら、カプンチュルは椅子の上で固まっている。
「どうしたの?」
リセが聞く。
「いやぁ……」
カプンチュルは視線を泳がせる。
「なんか不思議だなぁってぇ」
司と末莉はくっついていない。
有紗とメロンも恋人ではない。
リセとネガイだってそうだ。
なのに、誰も離れようとしない。
同じ場所にいて。
同じテーブルで食卓を囲んで。
楽しそうに笑っている。
「それで」
ネガイがスプーンを持ちながら睨む。
「なんで当然みたいに席についてるのよ」
「だって友達だしぃ♡」
ネガイが頭を抱える。
「順応早いわね!」
「えへへぇ♡」
カプンチュルはいつもの調子で誤魔化しながら笑った。
楽しそうな笑い声に誘われるように、有紗がカレーを運んでくる。
「はい、どうぞ」
「ありがとぉ♡」
自然に出た言葉にカプンチュルは目を丸くする。
誰かに何かをしてもらって。
ありがとうと言う。
ただそれだけのことが、妙にくすぐったかった。
「友達っぽい」
ぽつりと呟いたリセに、
「友達っぽいって何よ」
ネガイが即座に突っ込む。
リビングに笑い声が広がった。
カプンチュルはスプーンを握ったまま、その光景を見つめる。
賑やかで。
騒がしくて。
でも、嫌じゃない。
むしろ、もう少しだけ見ていたいと思った。
「ねぇ」
カプンチュルが小さく口を開いた。
「ウチ、しばらくここにいてもいいかなぁ♡」
◇◇◇
食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
山の夜は早い。
窓の向こうには星空が広がっている。
ノゾミは空を見上げながら、バルコニーのベンチに座っていた。
リセが隣に座る。
「明日、ここを出るんだよね」
「はい」
いつも通り、淡々とした短い返事。
ネガイも近くの椅子に腰掛ける。
「次はどこ行くの?」
「分かりません」
「相変わらずね、お姉ちゃんは」
苦笑が漏れる。
行き先はいつも決まっていない。
裂け目が開く場所へ向かうだけだ。
それでも三人は旅を続ける。
ノゾミにとっては観測のため。
ネガイにとっては姉と一緒にいるため。
そしてリセにとっては――まだ答えのない旅のため。
離れた場所から、カプンチュルがその様子を見ていた。
「明日、行っちゃうんだぁ」
「うん」
「そっかぁ」
頷くリセを見るカプンチュルの顔には、隠しようのない寂しさが浮かんでいた。
数日前なら考えもしなかった感情だった。
別れが惜しい。
けれど、それはきっと悪いことではない。
「また会えるぅ?」
「たぶん」
リセは笑いながら答える。
「宇宙は広いけど」
夜空に向かって手を伸ばす。
「意外と狭いから」
そうして、手を握り返す。
その様子にカプンチュルは笑った。
「なにそれぇ♡」
根拠なんてどこにもない、バカみたいな理想。
でも、ちょっとだけ信じてみたい。
カプンチュルは心の中からそう思った。
明日の朝。
三人はまた旅立つ。
そして夕張寮には、新しい住人が一人増えることになる。
昼間の喧騒を忘れるがごとく、夜は静かに更けていった。