カプンチュルたちと別れ、三人は裂け目を越える。
音が途切れ、冷たい空気が頬を撫でていく。
そこには、寂れた無人の駅があった。
「ボロい駅ね」
ネガイが率直な感想を述べる。
「これ、いつ電車が来るか分かんないね」
リセの言う通り、時刻表の文字が掠れて見えない。
駅内のいたるところが風化しているようだった。
「長らく使われていないようです」
それだけ言うと、ノゾミは迷うことなく電気の通った券売機で三人分の切符を購入した。
「ちょっ、お姉ちゃん本気!?」
「ふふ、おもしろ」
「面白くないわよ!」
ふざけ合いながら、三人は駅のホームへと向かう。
静まり返った廃駅に、三人の騒がしい声だけが響いていた。
◇◇◇
「これ、まだ買えるのかな?」
リセは、ホームの隅に置かれた自動販売機を見ていた。
「……動くのかしら、それ」
ネガイも身を乗り出し、リセの脇から覗き込む。
「試してみましょう」
ノゾミは果汁100%と書かれた缶ジュースの購入ボタンを押した。
――ガコン。
小気味よい音が鳴り、取り出し口には一本の缶が転がっている。
「あっ、出てきた」
リセの言葉を聞き、ノゾミは缶を拾い上げる。
ラベルには、果汁100%とだけ書かれており、成分・内容量・その他一切が不明だった。
「何の果汁か書いてないのが怖いわね……」
「でも色合いは美味しそう」
リセとネガイを横目にノゾミは缶を開けて、そのまま飲み始めた。
「ちょっと! お姉ちゃん!?」
「どう、美味しい?」
ノゾミは味を確かめ、柔らかい笑みを浮かべた。
「ええ、美味しいですよ。リンゴのようでもあり、レモンのようでもあります。不思議な味ですね」
「お姉ちゃんの説明のせいで、余計怖くなっちゃったじゃない!」
「で、ネガイは何にするの?」
「アンタはいつでも呑気ね……」
ネガイは自動販売機を一瞥すると、炭酸水と書かれたボトルを購入した。
――ベコ。
どこか頼りない音が鳴り、取り出し口には無色透明の液体が入ったボトルが置かれた。
「やっぱり無難なの選んだ。ネガイって、あんまり冒険しないよね」
「うっさいわね。じゃあ、アンタは何選ぶっていうのよ」
「ふふ、待ってました!」
リセはお楽しみドリンクとだけ書かれた缶のボタンを押す。
……。
一切の音が鳴らず、取り出し口にはお楽しみドリンクとだけ書かれた缶がいつの間にか転がっていた。
リセは首を傾げながら缶を拾い上げた。
明らかに中身の入っていない重さだ。
「なにこれ!?」
実際に開けてみると、中には何も入っていなかった。
「ぶっ……!」
堪えきれず、ネガイが噴き出す。
「笑い事じゃないってば!」
その時、踏切の警報機のような、けたたましい警告音が鳴り始めた。
「まもなく……――行きの電車が到着します。この電車は……終点までの直通電車となります」
目的地が終着駅であることは分かったが、アナウンスは飛び飛びで、何行きの電車かまでは聞き取れなかった。
何より奇妙なのは、近づいてくる電車の運転席に誰も乗っていないことだった。
「……この電車に乗りましょうか?」
「お姉ちゃん、正気?」
「乗ってみたい!」
「バカ?」
「バカってなによ!」
あまりにも直球な罵倒に、リセは頬を膨らませる。
「運転席見た? 誰も乗ってないじゃない!」
「自動運転かもしれないよ」
「それは……アンタ、なかなか頭良いわね」
「でしょ?」
そうこうしているうちに、電車が到着する。
運転席だけでなく、車内にも人影は一つも見えなかった。
◇◇◇
結局、一行は無人の電車を利用することになった。
駅はあっという間に遠ざかり、窓の外で小さな点へと変わっていく。
そのさらに向こうで、景色が一枚ずつ本のページをめくるように裏返り始めていた。
空席ばかりの車内は、妙に整然としていた。
「ねぇ」
リセが後ろから声をかけた。
「ノゾミぃ、ネガイぃ……一口でもいいから飲ませて」
リセの持つ空き缶が虚しく揺れる。
「ひとまず、あちらに座りましょうか」
ノゾミが掌を向けた先には、テーブル付きの座席があった。
三人分は余裕で座れそうなスペースに、向かいの座席まである。
「お姉ちゃん、あんまりこいつを甘やかさないでよ」
「じゃあ、ネガイがくれるの?」
「残ってたらね」
「それくれないやつじゃん!」
座席に腰を下ろしたノゾミは、果汁100%の缶をリセへそっと差し出した。
「好きなだけ飲んでください」
「もー、お姉ちゃんはそうやってすぐ甘やかす!」
リセが缶を受け取ると、左手の影が少しだけブレたように見えた。
同時に、右目の金の瞳がわずかに光を放つ。
ほんの一瞬だったせいか、その輝きに二人はおろか、リセ自身も気づいていなかった。
「あれ? もう一本あるよ?」
リセの両手はまったく同一の缶ジュースで塞がっていた。
「アンタ、『百夜の手』を使ったでしょ……」
ネガイの顔が引きつる。
明らかに、虹色のハートが際限なく増殖していった光景を思い出していたようだった。
「ちょ、ちょっと待って! わたしは特に何もしてない!」
「本当かしら」
「まあ、もう一本あったらいいなって思ったけど」
「やっぱりしてるじゃない!」
しばらくリセの手を観察していたノゾミは、二人を落ち着かせるように制止する。
「増えたのは一本だけですね。『陽炎の手』と同じく、リセさんの意識が反映されているのかもしれません」
「ほら、ノゾミもそう言ってるし」
「自分の意思でちゃんと制御できたと思ってる?」
「うっ……」
ネガイの指摘に、リセは返す言葉がなかった。
「今後は不用意に物を持つの禁止だから」
「えー!? そんなぁ……」
リセの嘆きは、規則正しく続く車輪の音にかき消されていった。
◇◇◇
車内は、ゆったりと一定のリズムで揺れていた。
リセはどこか心地の良さを感じながら、うつらうつらと船を漕ぎ始める。
「……おやすみなさい、リセさん」
「いい夢見なさいよ」
二人の声を聞きながら、リセは瞼をゆっくりと閉じた。
リセがすっかり眠りに落ちたのを確認すると、二人は微笑する。
笑みを浮かべる二人の背後の窓の景色が、白に染まっていた。
雪が降っているわけではなく、まるで色を失ったかのように。
その明らかな異常に、眠っているリセを含め、三人とも気付くことはなかった。
「お姉ちゃん、アタシも眠くなっちゃったかも……」
「ええ、いいですよ。おやすみなさい、ネガイ」
ネガイが欠伸をしながら、瞳を閉じていく。
二人の寝顔を見守って、ノゾミもゆっくりと眼を閉じた。
窓の景色がページめくりのように激しく移ろいでいく。
やがて、どこか空気の淀んだ西洋の街並みが映し出された。
◇◇◇
列車が静かに停車し、扉が開く。
「終着駅に着きました。ネガイ、リセさん、起きてください」
「あー、久しぶりにいっぱい眠っちゃったわ。ほら、さっさと来なさいよ」
リセは寝ぼけ眼をこすりながら立ち上がった。
「たまには裂け目使わないのもいいね……」
「ったく、呑気なんだから」
三人は列車を降りる。
誰もいないはずのホームにふと気配を感じ、リセが何気なく振り返った。
やはり、そこには誰もいない。
気のせいだとリセは視線を戻し、ノゾミとネガイの後を追う。
無人のホームの電光掲示板が明滅する。
空白だった表示板に、一文字だけ浮かんだ。
『果』