望却のリセ   作:ひみっち

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第16話「無幻図書館」

 

 無数の本棚が果てなく並ぶ空間。

 その一角で、司書服をまとった眼鏡の女が一冊の本を静かに読んでいた。

 

「おや……?」

 

 女は一枚の頁をめくると、興味深そうにその記述へと眼を向ける。

 

「これはまた――」

 

 女はゆっくりと立ち上がった。

 誰もいない通路の奥へ視線を向け、そっと語りかける。

 

「興味深いお客さんが、いらっしゃったみたいですねぇ」

 

 くすり、と笑う。

 その笑いにつられるように、どこかの本棚から一冊の本が音もなく滑り落ちた。

 誰も触れていない。

 風も吹いていない。

 それでも本はひとりでに開き、頁をめくり始める。

 まるで誰かを歓迎するように。

 

 女は本を抱え直し、奥の通路へと歩いていく。

 

「果たして――今回はどんな物語になるのでしょうか」

 

 その笑顔はどこまでも無邪気だった。

 

 

    ◇◇◇

 

 

 駅のホームを出てすぐの広間には、本棚があった。

 正確には、本と本棚しかなかった。

 書架が囲む通路は、どこまで続いているのか分からない。

 見上げても天井は見えなかった。

 

「……図書館?」

 

 リセがぽつりと呟く。

 

「にしては広いわね」

 

 リセの言葉に合わせ、ネガイが返事する。

 図書館というには、あまりにも広すぎる。

 街一つが収まるどころではない。

 むしろ世界そのものが本棚になったような光景だった。

 

 ノゾミは静かに周囲を見回す。

 

「あちらを見てください」

 

 ただ、この世界が異様なのは図書館だけではなかった。

 

 遠くを歩く人影。

 その中へ混ざるように何か動くものがいる。

 

 ずるずると這い寄るように蠢く触手の塊。

 人型なのに、どこか形が崩れている存在。

 

 それらが、普通に本を読んでいた。

 

 触手の塊に散りばめられた無数の目が、あちこちを見渡し、リセたちを一斉に凝視する。

 しかし、興味が失せたのか、視線はすぐに手元の本へと戻っていく。

 

「う、うわぁ……なんかいる」

「見りゃ分かるって……あんまり刺激しないで」

 

 声を潜める二人をよそに、背後から声がかかる。

 

「おやおやぁ……なにかお探しですか?」

「っ!?」

 

 リセとネガイが飛び上がる。

 いつの間にか、本棚の間に女が立っていた。

 桃色の長髪に丸眼鏡。

 人懐っこそうな笑顔は、この空間には不釣り合いなように見えた。

 

「ゲ……またピンク」

 

 露骨に嫌そうな顔をするネガイ。

 

「失礼ですねぇ……ピンクがお気に召しませんでしたかぁ?」

 

 女はにこにこしている。

 

「ごめん、前に会ったピンクがアレだったのよ」

「ああ、カプンチュルさんですか」

 

 予想だにしない名前が出てきたので、ネガイは疑念の目を向ける。

 

「アンタ、なんでその名前を知ってるの?」

「この図書館に知らないことはあまりありませんので」

 

 女は軽くスカートを摘み、お辞儀する。

 

「初めまして」

 

 柔らかく微笑む女の表情は、どこか胡散臭かった。

 

「ワタシは、この無幻図書館の司書です」

 

 所作の美しさと裏腹に、その挨拶は芝居がかっていた。

 リセが首を傾げる。

 

「名前は?」

「ピンクの司書です」

「ふざけてんの?」

「いいえ、これがワタシの名前ですけど?」

 

 さも当然とも言える返しにリセとネガイは、一瞬だけ固まった。

 

「知らないことはあまりないというのは、本当ですか?」

 

 困惑している二人をよそに、ノゾミは疑問をぶつける。

 

「はい、本当ですとも。ここは、ありとあらゆる本がある場所なんですよぉ」

 

 彼女が指を鳴らす。

 すると、同時に本棚が右往左往に動きだした。

 まるで、意志を持つ生き物かのように。

 

「過去の世界、未来の世界、忘れられて人々の記憶から消えてしまった世界」

 

 ピンクの司書は、その場で楽し気にくるりと回る。

 

「もちろん、アナタたちの本も、ありますよぉ?」

 

 リセが少し目を瞬かせた。

 

「わたしのも?」

「ええ、もちろん。この図書館に存在しない記録などありませんから」

 

 ピンクの司書は笑っていた。

 だが、その瞳だけは妙に冷たい。

 ノゾミは知っている。

 あれは、長すぎる時間に心を摩耗させた者の目だ。

 かつての自分も、同じ目をしていた。

 

「じゃあ、早速ネガイの本を探しに行こう!」

「なんでアタシの本からなのよ!」

「わかりましたぁ。ではまず、ネガイさんの赤裸々な秘密を見に行きましょうかぁ」

「なっ、変なこと書いてないでしょうね!?」

「大丈夫ですよぉ」

 

 ネガイに睨まれてもピンクの司書はあっけらかんとして笑う。

 

「事実しか書かれていませんから」

 

 ピンクの司書が一冊の本を引き抜く。

 

「こちらですねぇ」

 

 厚みのある装丁。

 表紙には銀色の文字が刻まれていた。

 

『願望のネガイ』

 

「うわ、本当にある……」

 

 リセが感心したように呟く。

 

「だからあるって言ったじゃないですかぁ」

 

 ネガイは嫌そうな顔をしながら本を受け取った。

 

「なんか嫌な予感しかしないんだけど」

 

 恐る恐る頁を開く。

 そこには簡潔な文章が並んでいた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『願望のネガイ』

 

 宇宙の果てを見届ける少女・ノゾミの妹。

 

 この宇宙の根源たるエネルギー「ウィッシュレイ」を星の残滓へ変換し、自在に操ることができる。その変換効率は極めて高く、純粋な火力だけで見れば姉であるノゾミを凌駕する。

 

 棘のある態度を取ることが多いが、根は優しい。

 他人に冷たい態度を取りつつも、放っておけず、つい世話を焼いてしまう性格。

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「……」

 

 ネガイの動きが止まった。

 

「ん?」

 

 リセが横から覗き込む。

 

「へぇ」

「へぇじゃない!」

 

 ネガイが勢いよく本を閉じた。

 

「なんで最後に余計なこと書いてあんのよ!!」

 

 声が図書館中に響く。

 近くで読書していた触手の塊が一瞬だけ顔を上げた。

 だが興味を失ったように再び本へ戻る。

 

「事実ですのでぇ」

 

 ピンクの司書が悪びれもせず答える。

 

「事実でも書かなくていいでしょ!」

「えー?」

 

 ピンクの司書は首を傾げる。

 

「人物紹介としては重要ですよぉ?」

「どこがよ!」

「少なくとも能力説明より重要ですねぇ」

「重要じゃないわよ!」

 

 ネガイが即座に否定する。

 リセはうんうんと頷いていた。

 

「確かに世話焼きだもんね」

「アンタは黙ってなさい!」

 

 ノゾミはじっと本を眺めた後、小さく呟いた。

 

「概ね正しい記述ですね」

「お姉ちゃんまで!?」

 

 味方がいなかった。

 ネガイは頭を抱える。

 一方でピンクの司書は満足そうに微笑んでいた。

 

「では次はノゾミさんの本にしましょうかぁ」

「お姉ちゃんのもあるんだ」

「もちろんですよぉ」

 

 そう言ってピンクの司書が指を鳴らす。

 すると遥か高所の本棚から、一冊の本がひとりでに抜け出し、ゆっくりとこちらへ飛んできた。

 その表紙を見た瞬間。

 ノゾミの目がわずかに細められた。

 表紙には金色の文字が刻まれていた。

 

『希望のノゾミ』

 

「ノゾミの本!」

「なんか、アタシのより装飾が豪華じゃない?」

 

 リセとネガイが覗き込む。

 ノゾミは特に気にした様子もなく、本を開いた。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『希望のノゾミ』

 

 宇宙の始まりから終わりを見届ける役目を背負った少女。

 その役目は旅という形で果たされ、終着点は宇宙の外側に存在する領域――狭間の回廊である。

 

 この宇宙の根源たるエネルギー「ウィッシュレイ」を利用し、理外の力を操ることができる。

 その変換効率は、この宇宙のいかなる存在にも真似できないほど純度が高い。

 

 所有者不在となったセラエノ断章を回収。

 その後、無幻図書館への返却を忘れたまま現在に至る。

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「セラエノ断章……って何?」

 

 リセがぽつりと呟いた。

 

「返却を忘れたって書いてあるわね」

 

 ネガイも続く。

 

「……あれのことでしょうか?」

 

 ノゾミは一瞬だけ思考を巡らせたが、すぐに何かを思いついたように手を横に広げる。

 そのまま宙へ円を描いた。

 裂け目が開く。

 慣れた手つきで内部を探り、やがて一冊の黒い本を取り出した。

 見覚えのある装丁だった。

 

「あ」

 

 リセが声を漏らす。

 

「それ……」

「鏡巳たちがいた世界で拾った本じゃない」

 

 ネガイも思い出したように眉をひそめる。

 黒い表紙。

 不気味な文字列。

 エピュロが最後まで手放さなかった本。

 それが、セラエノ断章だった。

 

「おお、それは紛れもなく、盗まれていた写本ですよぉ」

「偶然拾いましたので……お返しします」

 

 ピンクの司書は差し出された本を受け取り、丁寧に表紙を撫でる。

 

「お帰りなさい」

 

 まるで迷子になった子供を迎えるような口調だった。

 すると、どこか遠くで鐘の音が鳴った。

 こん。

 予想に反して軽快な音だった。

 

「何今の」

「返却完了の音ですよぉ」

「鳴るんだ」

「鳴りますとも」

 

 ピンクの司書はにこやかに頷く。

 

「久しぶりでしたので」

「どれくらい?」

 

 リセが聞く。

 ピンクの司書は本を抱え直した。

 

「三百二十七年ぶりですねぇ」

「長っ!?」

 

 ネガイの声が図書館に響いた。

 近くで読書していた触手の塊が一斉に顔を上げる。

 その視線はリセたちではなく、セラエノ断章へ向いていた。

 ピンクの司書が軽く目配せすると、異形たちは何事もなかったように読書へ戻る。

 

「人気者ですねぇ」

「嬉しくないんだけど」

 

 ピンクの司書は何気ない調子で本を開く。

 誰が触れても開かなかった黒い表紙が、まるで最初からそうするべきだったかのように開いた。

 

「それ、開けられたんだ」

 

 リセが驚く。

 

「司書ですので」

 

 当然、と言ったような返答だった。

 

「あら?」

 

 先ほどまで得意気だったピンクの司書が、首を傾げる。

 

「どうしたの?」

「なんですか、この記述は」

 

 開かれた頁には、たった一行だけ文字が記されていた。

 

 

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『エピュロ』

 

 終わりを求めた果てに、自らの終わりを見つける哀れな存在。

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 沈黙が落ちる。

 リセだけがきょとんとしている。

 

「何それ?」

「……さあ」

 

 ネガイはぶっきらぼうに答える。

 けれど、その視線は頁から離れなかった。

 ノゾミもまた何も言わない。

 あの夜。

 二人はエピュロが最後に消えていった光景を思い出していた。

 

「まあ、いいでしょう」

 

 ぱたり、と本が閉じる。

 ピンクの司書は特に気にした様子もなかった。

 

「こういう本にはよくあることですので」

「司書がそんなんでいいの?」

「いいんです」

 

 即答だった。

 そしてピンクの司書はセラエノ断章を本棚へ戻す。

 黒い本は吸い込まれるように収まった。

 最初からそこにあったかのように。

 

 彼女が振り返り、手を合わせる。

 

「さて」

 

 今度は本当に楽しそうな笑みだった。

 

「じゃあ最後はリセさんですねぇ」

 

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