望却のリセ   作:ひみっち

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第17話「欠けた記録の行方」

 

 ピンクの司書が指を鳴らした。

 その合図を皮切りに、ゆっくりと本棚が動き出す。

 ぎぎぎ、と巨大な書架が左右へ開いていく。

 まるで道を譲るように。

 

「おお、便利」

 

 リセが素直に感心する。

 

「便利でしょう?」

 

 ピンクの司書は笑顔で答える。

 そして迷いなく本棚へ手を伸ばした。

 

 一冊。

 二冊。

 三冊。

 

「ふむ」

 

 手が止まる。

 

「どうしたの?」

「いえ」

 

 リセの問いを軽く流し、彼女は別の本棚へ向かう。

 

「こちらでしたかねぇ」

 

 今度は十冊ほど引き抜く。

 タイトルを見て、そのまま戻す。

 さらに別の本棚へ向かう。

 

「……?」

 

 ネガイが眉をひそめた。

 さっきまでとは様子が違う。

 ノゾミも静かに観察している。

 ピンクの司書の笑顔は変わらない。

 だが、歩く速度だけが少しずつ速くなっていた。

 

「司書さん?」

「少々お待ちくださいねぇ」

 

 返事は軽い。

 だが視線は本棚から離れない。

 ぱらぱら、ぱらぱらと。

 次々と本が開かれていく。

 閉じられ、戻される。

 また別の棚へ移る。

 

「……変ですねぇ」

「え?」

 

 リセが首を傾げる。

 

「何が?」

「いえいえ」

 

 ピンクの司書は誤魔化すように笑う。

 

「少し探し方を変えましょう」

 

 その瞬間、図書館全体が大きく震えた。

 無数の本棚が勝手に動き始める。

 遥か遠方にあった書架まで一斉に移動を始めた。

 

「ちょっと」

 

 ネガイの表情に動揺が浮かぶ。

 

「大事になってない?」

「なってますねぇ」

「他人事じゃないでしょ!?」

 

 さらに本棚が動く。

 本が飛び交い、紙片が舞う。

 まるで図書館そのものが何かを探しているようだった。

 

「おや?」

 

 ピンクの司書は白蛇が書かれた本に目を留める。

 勢いよく本を開き、血眼になって中身を確かめた。

 

「……当てが外れましたか」

 

 それからピンクの司書はいくつかの本を集め、順番に開いていく。

 多くの妖怪が書かれた本。

 犬耳の少女が青空を駆ける本。

 桃色だけで装丁された、不思議な一冊。

 リセたちは、それらの本をどこかで見たような感覚に包まれた。

 

 数分後、静寂が訪れる。

 ピンクの司書の手が止まった。

 初めてだった。

 彼女が笑顔のまま固まっているのは。

 

「……ありません」

 

 ぽつりと呟く。

 

「え?」

 

 リセが聞き返す。

 ピンクの司書はゆっくり振り向いた。

 その顔からは笑みが消えていた。

 

「見つかりません。リセさんの本だけ」

 

 ピンクの司書の静かな声が響き渡る。

 誰もすぐには反応できなかった。

 ネガイが最初に口を開く。

 

「管理ミスじゃないの?」

「ありえません」

 

 間髪を入れない否定だった。

 

「この図書館に収蔵されていない記録など、本来は存在しません」

 

 リセは特に気にした様子もないように、

 

「でも無い物は無いんじゃない?」

 

 と返した。

 

「そうですねぇ……本当に、無いのかもしれませんねぇ」

 

 誰にも聞こえないほどの小さな返事。

 

「……そんなはず、ないのですが」

 

 その声には困惑よりも、別の色が混じっていた。

 好奇心、あるいは探究心。

 本来なら存在するはずの記録。

 本来なら存在しないはずの空白。

 その両方が、目の前の少女には同居していた。

 ピンクの司書はしばらくリセを見つめる。

 

「……面白いですねぇ」

 

 くすり、と笑った。

 先ほどまでの営業用の笑顔ではない。

 心から興味を持った者の笑みだった。

 

 困惑する一同をよそに。

 リセだけは本棚を見上げていた。

 

「じゃあ、わたしの本は、わたしの好きに書いていいってこと?」

「なんでそうなるのよ!」

 

 ネガイが思わず突っ込む。

 

「でも無いなら仕方なくない?」

「よくないわよ!」

「自伝ですか。旅の記録を書いてみるのも、面白いかもしれませんね」

「お姉ちゃんまで……」

 

 リセは本気で言っているようだった。

 ピンクの司書はそんな三人のやり取りを眺めながら、小さく笑う。

 

「ふふ、ますます興味が湧いてきましたねぇ」

 

 その時だった。

 急に、図書館の奥から重い振動が伝わってきた。

 床がわずかに震えだす。

 

「な、何?」

 

 リセが音の方向に目を向けた時、再び低い衝撃音が響いた。

 何か巨大なものが倒れたような音だった。

 

「本棚でも倒れたの?」

 

 静寂を好む異形たちは、一斉に本から顔を上げていた。

 無数の目が同じ方向を向き、ざわり、と空気が揺れる。

 ピンクの司書の笑みが少しだけ薄くなっていた。

 

「おや?」

 

 今度は音だけではなかった。

 遠くの書架の向こうで、本が何冊も宙へ舞い上がる。

 まるで何かに弾き飛ばされたように。

 

「図書館ではお静かに願いたいものですが……」

 

 ピンクの司書はそう呟きながらも、視線を奥へ向けたままだった。

 やがて叫び声が響く。

 

「だから言ってるじゃないですかァ!!」

 

 図書館中に反響するほど大きな声だった。

 静寂の世界にはあまりにも似つかわしくない。

 周囲の異形たちが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「うわ、うるさい」

 

 リセが率直な感想を漏らした。

 

「同感」

 

 ネガイも頷く。

 しかし叫び声は止まらない。

 

「そんな夢みたいな話ばっかり集めて何になるんですかァ!!」

 

 声が近付くたび、本棚が揺れる。

 ついには遥か彼方の書架が傾き、本の雪崩を起こしながら崩れ始めた。

 書架の列が次々と崩れていく。

 異形たちが悲鳴を上げながら、慌てて逃げ出しているのが見える。

 

「ちょっと、かわいそうでかわいいかも」

「アンタのセンスはどうなってんのよ?」

 

 リセの独特な感想にネガイが呆れた声を出す。

 その間にも、本棚は倒れ続けていた。

 異形たちは我先に逃げている。

 本を抱えて逃げる者。

 本だけ守って自分が潰されかけている者。

 触手で器用に本棚を支えている者までいた。

 

 やがて、崩れた書架の向こうから一人の少女が姿を現した。

 長い髪から覗く不機嫌そうな顔。

 腕には何冊もの本を抱えている。

 

「だから嫌なんですよォ!!」

 

 少女は叫ぶ。

 

「夢だの願望だの恋愛だの友情だのッ!」

 

 本を振り回しながら続ける。

 

「そんな都合のいい話ばっかり並べて何になるんですかァ!!」

 

 周囲の異形たちが一斉に距離を取った。

 見た目によらず、常識的な判断をするらしい。

 

「誰?」

「さあ?」

 

 リセの問いに反応したのはピンクの司書だった。

 

「少なくともワタシは初めて見ますねぇ」

「司書なのに?」

「司書だからですよぉ……本を読むことでしか、物を知りませんのでねぇ」

 

 ピンクの司書は少女を見据える。

 先ほどまでの柔らかな笑みは、もう残っていなかった。

 

「しかし、この図書館には相応しくない……招かれざる方のようです」

「はァ?」

 

 少女がぴたりと動きを止めた。

 ぎろり、とピンクの司書を睨む。

 

「なんですか、その言い方はァ」

 

 抱えていた本を乱暴に積み直す。

 

「まるで私が不法侵入者みたいじゃないですかァ!」

「違うんですかぁ?」

 

 ピンクの司書は煽るように眼鏡の縁をくいと持ち上げる。

 少女の額に青筋が浮かぶ。

 

「違いますよォ! 私はただ、ここにある本の内容に抗議しているだけですゥ!」

「十分迷惑なんだけど」

 

 ネガイがぼそりと呟く。

 

「ですよねぇ」

 

 ピンクの司書も頷いた。

 

「だいたい何なんですか、この図書館はァ!」

 

 少女はさらに苛立った様子で周囲を指差した。

 もう片方の手で近くの本棚を叩く。

 

「恋愛成就ッ!」

 

 別の本棚を叩く。

 

「友情パワー!」

 

 さらに叩く。

 

「奇跡の逆転劇ッ!」

 

 ばん、と閉じた本を掲げる。

 

「ご都合主義の見本市ですかァ!?」

「本に謝って」

 

 真顔のリセを見て、少女は一瞬だけ固まる。

 

「なんでですかッ!」

「痛そうだから」

「本は痛くないでしょウ!」

 

 即座にツッコミが返ってきた。

 様子を見ていたネガイが腕を組みながら、口元を緩める。

 

「やっぱリセって、ちょっとズレてるのね。アタシがおかしいだけだと思ってたわ」

 

 その一言で少女の視線がこちらへ向いた。

 ノゾミ、ネガイを一瞥して、再びリセに視線を戻した時、怒りに満ちた表情が引きつった。

 

「……アッ」

 

 嫌なものを見つけた顔だった。

 

「なに? そんなに見られると困るんだけど」

 

 少女はまじまじとリセを観察した後、数秒黙り込んだ。

 それから深いため息を吐く。

 

「あなたが主人公ですかッ……」

「主人公?」

「気付いてないんですかァ」

 

 少女は額を押さえ、気だるそうに声を漏らす。

 

「面倒ですねェ……」

「初対面で失礼じゃない?」

「失礼なのはそっちですよォ」

「なんで?」

「なんでってッ……」

 

 少女はリセを指差し、まくし立てた。

 

「あなた、困っている人は見捨てられないタイプでしょウ!」

「だと思う」

「どうせそのうち誰か助けるんでしょウ?」

「助けられるかな」

「どうせ無茶するんでしょウ?」

「それはするかも」

「どうせ最後は何とかなるんでしょウ?」

「分かんない」

 

 予想外の回答に、少女の思考が固まった。

 

「……はァ?」

「そんなの誰にも分からなくない? 上手くいく時もあるし、失敗する時もあるし」

「じゃあなんでそんな平然としてるんですかァ」

「今考えても仕方ないから?」

 

 少女は頭を抱え、リセを睨みつける。

 

「普通は、物語の主人公なら何とかするじゃないんですかァ?」

「物語?」

 

 リセは小さく首を傾げる。

 

「今のこれ、そういうのなの?」

「そういうのなんですッ!」

 

 少女は叫ぶように言った。

 

「だから嫌なんですよォ!」

「それ以上は無粋ですよぉ。やめておきなさい」

 

 ピンクの司書が鋭い視線を向ける。

 少女は一瞬だけ黙って、それから小さく鼻を鳴らした。

 

「無粋、って便利な言葉ですねェ」

 

 腕に抱えた本を開く。

 ぱらり、と頁が落ちる。

 その瞬間だった。

 

 本棚の奥で、一冊の童話が勝手に開いた。

 

 ――王子は姫を救った。

 

 そう書かれていたはずの一文が、ゆっくりと書き換わる。

 

 ――王子は姫を救えなかった。

 

「……は?」

 

 ネガイが声を漏らす。

 別の本が開く。

 さっきまで笑って手を取り合って仲良くしていた二人が、仲違いする結末に変わる。

 また別の本。

 成功したはずの冒険が、最初から失敗していたことになっている。

 

「何これ」

 

 困惑するリセから漏れ出た声に、少女は勢いよく答えた。

 

「直してるだけですッ」

 

 ぱちん、と指が鳴る。

 本が次々と、元とは異なる結末へ書き換わっていく。

 

「間違った話は、読みにくいのでッ」

 

 周囲の異形たちがざわつく。

 ノゾミの表情から、いつもの笑みは消えていた。

 姉の様子から、ネガイも気を引き締める。

 ピンクの司書は目を細めながら、納得したように呟く。

 

「なるほどぉ……そういう存在でしたか」

 

 その声は、珍しいおもちゃを見つけた子供のように無邪気だった。

 けれど、その瞳はすでに別の興味を映し始めていた。

 

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