「希望に溢れた夢や物語を否定するバッドエンド主義者ですか、悪趣味ですねェ……」
ピンクの司書が、さらりと呟く。
その手には、『ユメディス』と書かれた一冊の本。
「どうして私の名ヲ」
ユメディスの声がわずかに揺れた。
「ここはそういう場所ですので」
司書はにこりと笑う。
ユメディスは本を抱く手に力を込めた。
「どういう場所なのですか、ここはッ!」
「すべての記録が揃った場所ですよぉ」
司書は本棚を軽く叩く。
「ここにあるのは、誰かの記録であり、誰かに読まれる物語でもありますから」
「はァ? 他人の人生の日記でも付けてるんですかァ?」
「ええ。ただし、まだ書かれていないものも含めて」
「まだ書かれていない、ですっテ……?」
ユメディスの眉がぴくりと動いた。
「ふざけないでくださいッ!」
近くの本を乱暴に開き、ぱらり、と頁をめくる。
誰かの結末が、ユメディスの正しいと思った形へと修正されていく。
――はずだった。
「……エ?」
ユメディスの動きが止まる。
変わっていない。
いや、変えたはずの部分が、すぐに別の形で戻っている。
「なんデ……」
初めて、焦りの色が混じった声が漏れる。
その瞬間だった。
リセの右目がゆっくりと輝きだす。
金色の瞳が焦点を合わせた先、本棚の一冊、本の一文が揺れる。
――王子は姫を救えなかった。
ユメディスが修正した自分の都合の良い形。
「……これも違うと思う」
ぽつり、と右目が光る。
光と共に、本の中の一文が沈むように静まった。
――王子は姫を救った。
原文。
最初にそこにあったはずの形。
それ以上でも以下でもない、ただの記録。
「……どうしテ?」
ユメディスの声が止まる。
本をめくって再び書き換えようとする。
それでも文字は動かない。
ページそのものが、拒絶している。
「物語が……動かなイ?」
かすれた声だった。
「私が正しい形、あるべき姿にしたはずですッ!」
「ううん」
リセは静かに否定する。
「これが、最初の形だよ」
リセの言葉に応じるがごとく、本棚全体が、かすかに軋んだ。
まるで書き換えるという行為そのものが、ひとつ前の段階に押し戻されたように。
ユメディスが息を呑む。
「……戻されタ?」
ピンクの司書が目を細めた。
「いいえぇ」
楽しそうに笑う。
「どうやら、原文から動かせないようですねぇ。これは記録を継ぎ足すのも難儀しそうです」
ネガイが頭を抱える。
「ちょっと待って、リセ。アンタどんどん変な力に目覚めちゃってるけど、大丈夫なの!?」
「心配してくれるの?」
「バッ、バカ……そんなんじゃないわよ」
ネガイは照れくさそうに視線をそらす。
一方、ユメディスは躍起になって、本の書き換えを何度も試していた。
「大体アンタ、いつそんなことが出来るようになったのよ!」
「わかんない。多分、友情パワー?」
「絶対違う」
「いいえ、あながち間違いとも言えません」
「お姉ちゃん、突然何言ってるの!?」
ずっと考え込んでいたノゾミが口をはさむ。
「以前、リセさんは『百夜の手』という形で百夜さんの増殖能力を発現させていました」
「あー、あれね。ハートをいっぱいにする能力」
「その話はしないでよ……」
ネガイの軽口に少しだけリセはへそを曲げる。
その間もリセの右目は光り輝いていた。
「どうしテ、どうしテッ! なぜ、私の理想の展開になってくれないッ!」
ユメディスは先ほどよりも苛烈に本の書き換えを試している。
「そして、今回使われた力は事実の書き換えと固定化」
「固定化って、あのぶりっ子ピンクの影響受けてるんじゃないの?」
「ええ、リセさんは交流のあった方の力を模倣することが可能なのではないでしょうか」
「確かに、カプンチュルさんの能力に似てますねぇ……」
ピンクの司書が楽しそうに口を挟む。
「冗談言わないでよ。あいつ他人同士をくっつけるだけじゃない?」
ネガイはリセを指差す。
「今のはそれどころの力じゃないでしょ」
「でも確かに似てるね」
「アンタ、ちゃんと制御しなさいよ! こないだみたいに、いっぱい増えてどうしようーみたいなのは勘弁してよね……」
「うん、戻し方わかんないけど」
「言ってるそばから何やってんのよ!」
ネガイの叫びと同時に。
――バキン、と。
乾いた音が響いた。
◇◇◇
本棚の一部がひしゃげるように崩れ落ちる。
「……え?」
リセが振り向いた先で、ユメディスが本を握りつぶしていた。
「なラ……」
かすれた声だった。
「修正できないなら、全部壊せばいいッ!」
その一言で、空気が変わる。
ユメディスの足元から、無数の筆のような影が浮かび上がる。
本の内容を塗りつぶすような黒い線。
それが図書館の床を這い、本棚へと広がっていく。
「ちょっとちょっと!」
ネガイが叫ぶ。
「話し合いとかできないの!?」
「無駄でス」
ユメディスは淡々と答えた。
「間違った物語が存在するから、こうなるんですッ!」
ばき、ともう一つ本棚が崩れる。
崩壊は連鎖していく。
棚が倒れ、記録が散らばり、空間そのものが軋み始める。
ピンクの司書が目を細めた。
「困りましたねぇ」
だが、笑っている。
「これはちょっと、図書館のルール違反です」
リセは崩れていく本棚を見上げたまま、首を傾げる。
「壊したら、本って直るの?」
「直りませんよぉ。一度書かれたものは永遠に記録として残るんです」
ピンクの司書は答えながら、ユメディスに向けて哀れみの視線を向ける。
「ここでは、特に」
紡がれた言葉にユメディスが振り返る。
「別にそれでもいいッ」
その目には、もう迷いはなかった。
「残るのは、正しい物語だけでいいんですよォ!」
「うわ、傲慢……」
「気に入らないものを壊したいだけね。救いようのない奴」
図書館がさらに大きく揺れる。
無数の本が宙に浮き、ページがばらばらに散っていく。
その中心で、ピンクの司書はユメディスの本を閉じ、目を閉じた。
「そんなにバッドエンドが見たいなら、見せてあげましょう」
誰にも聞こえないよう小さく呟く。
そのまま、通路の奥に向き直った。
「少し席を外します」
ピンクの司書が、変わらない笑顔のまま言った。
「こんな時に?」
「ちょっと、逃げないでよ! アンタが管理してる図書館でしょ!!」
リセの疑問を吸い込むように、ネガイが即座に食ってかかる。
「逃げませんよぉ」
崩れゆく本棚の音の中でも、その声だけは妙に軽い。
「秘密兵器を起動してきます」
「は?」
ネガイの動きが止まる。
ピンクの司書は本棚の奥をちらりと見た。
「それで、全て丸く収まりますよぉ」
にこり、と笑う。
その言葉だけが、なぜか場違いなほど穏やかだった。
ピンクの司書は、本棚の崩壊の奥へと歩いていった。
その背中を見送りながら、リセがぽつりと呟く。
「行っちゃった」
「行っちゃったじゃないわよ!」
ネガイが即座に叫ぶ。
「戻ってこないやつでしょこれ!」
その声に重なるように、ノゾミが真剣な表情で告げる。
「リセさん、ネガイ。ここを任せてもよろしいですか?」
「お姉ちゃんまで何言ってんの!?」
ネガイが振り向く。
だがノゾミはすでに奥を見ていた。
「はぁ!? 今の状況わかってんでしょ!?」
ネガイの叫びを背に、ノゾミは崩れた本棚の奥へ踏み出す。
そして消える直前、振り返らずに一言だけ残した。
「私はあの方を追わなくてはなりません。何か嫌な予感がするんです」
残された二人の間に、嫌な間が落ちる。
「ネガイ! そっちはノゾミに任せよう! 今はあの人をどうにかしないと!!」
「どうにかって何よ!?」
ネガイが叫んだ、その瞬間だった。
最奥。
誰もいないはずの場所で、声が落ちる。
「ご主人様」
静かに。
「そろそろお目覚めくださいな」
空気が止まる。
本が、一冊だけ勝手に開いた。