望却のリセ   作:ひみっち

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第19話「夢から覚める夢」

 

 崩れた本棚のさらに奥。

 そこは図書館というより、閉じた本たちが呼吸だけを続けている場所だった。

 頁のように重なった闇の中心に、それはあった。

 眠ったまま動かない不規則な肉の塊。

 世界そのものが息を潜めているような空白。

 ピンクの司書は、その前に立っていた。

 

「ご主人様」

 

 まるで挨拶のように。

 

「お目覚めくださいな」

 

 その声に応える者はいない。

 

「なにをするつもりですか」

 

 ノゾミの声が背後から落ちる。

 ピンクの司書は振り返らない。

 ただ少しだけ、肩をすくめた。

 

「見て分かりませんかぁ……」

 

 変わらぬ調子で笑う。

 

「夢から覚めるんですよ」

「何を言っているのか、わかりません。ここは図書館のはずでしょう」

 

 ピンクの司書は楽しそうに振り返る。

 

「はず?」

 

 軽く首を傾げる。

 

「ただの図書館に、あらゆるものを記録するなんて出来ると思ってたんですかぁ」

 

 そして、小さく笑う。

 

「この宇宙は、最初から夢なんですよぉ」

 

 その瞬間、ノゾミの表情がわずかに変わる。

 

「……夢?」

 

 ピンクの司書はゆっくりと闇の奥へ視線を向ける。

 

「宇宙の終わりは、いつでも同じだと思いますかぁ?」

「いいえ、私が観測した限りでは、因果と時期、どれも異なっていました」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 仰々しい態度で納得の意を示すピンクの司書。

 ノゾミは彼女が自身と似ていると感じつつも、その存在の不確かさを測りかねていた。

 

「夢だから、曖昧と?」

「夢だからこそ、図書館なんてものが成立しているんですねぇ……夢だから、自由に記録できる」

「それを証明するものが、あなた自身の存在なのですか?」

 

 ノゾミは最初に会った時からの違和感を投げかける。

 彼女は明らかに、この宇宙が始まる前のことを知っている。

 

「いいえ、違いますよぉ」

 

 ピンクの司書の答えはノゾミが期待するものではなかった。

 

「ですが、証明などする必要はありませんねぇ。全てなかったことになるのですから」

 

 その言葉と同時に、最深部の空間がわずかに歪んだ。

 

「宇宙の終わりは今回、たまたま時期が早まった。それだけに過ぎないのですよぉ」

 

 ピンクの司書は、まるで確認するように呼ぶ。

 

「ご主人様、全部壊されてしまう前にそろそろ覚めましょう」

 

 その声に応じるように、最深部がまた一段と深く沈む。

 ノゾミの顔が変わった。

 

「……まさか」

 

 初めて声に揺らぎが出る。

 裂け目を開いて、声を届ける。

 

「リセさん、ネガイ。聞こえますか」

 

 崩れゆく書架の向こうへ向けて。

 ノイズ混じりの声が割り込む。

 

「ちょっと、何よこれ!」

 

 ネガイの声だった。

 

「ユメディスが暴れててそれどころじゃ――」

「構いません」

 

 ノゾミは遮る。

 

「すぐに来てください」

 

 短く、強い命令だった。

 

「ネガイ……何が起きてるの」

「わかんない。でも、お姉ちゃんがあんなに焦ってるの、初めてかも」

 

 一拍遅れて、裂け目の向こう側が沈黙する。

 ノゾミは奥を見た。

 

「世界の果てに、こんなにも早く到達するとは思っていませんでした……」

 

 珍しい焦りだった。

 ピンクの司書は振り返らない。

 ただ静かに、その揺れている存在を見つめている。

 図書館の最深部で、何かが目を開きかけていた。

 

 

    ◇◇◇

 

 

 崩壊する本棚の外側。

 図書館の構造が歪むにつれて、空間の距離という概念も曖昧になっていた。

 遠いはずの通路が、次の瞬間にはすぐ隣にある。

 見えていた場所が、もう存在していない。

 

「――リセ! こっち!!」

 

 ネガイが叫ぶ。

 その背後、本棚の間を裂くようにユメディスの姿が見えた。

 暴れた跡のように、書架がねじれ、再構成されている。

 

「だから言ってるじゃないですかァ!」

 

 ユメディスの声が響く。

 

「全部、壊さなきゃ駄目なんですよォ!」

 

 破壊に合わせて、別の場所の本棚が沈むように崩れていく。

 確かに壊しているのに、他の場所も関係なく壊れていく。

 

「ちょっと待って、これ何が起きてんのよ!」

 

 ネガイが舌打ちする。

 一瞬、ノゾミの言葉が頭をよぎる。

 

(すぐに来てください)

 

「ネガイ、早くノゾミと合流しよう!」

「わかってる! あの女が邪魔!!」

 

 リセの声に合わせて、ネガイが手を振る。

 星の光を何度も撃ち込み、爆炎が弾けた。

 視界が一瞬だけ白に潰れる。

 

 しかし――

 

「効きませんよォ!!」

 

 ユメディスの声は、すぐ背後で鳴った。

 ネガイの表情が強張る。

 

「こいつ、めちゃくちゃタフだわ……!」

 

 リセはネガイの前に踊り出る。

 右目が、わずかに揺れた。

 金色の瞳が、淡く光り始める。

 

「なんですかそれはァァァ!!!」

「リセっ!!!」

 

 ここがどこか。

 どこに繋がっているのか。

 今、繋ぐべきところはどこか。

 それを理解した瞬間、リセの右目が強く輝いた。

 

「なッ!」

 

 ユメディスが咄嗟に後退する。

 視界がひび割れるように崩れた。

 やがて、輝きが収まる。

 空間が変わっていた。

 

「え?」

 

 ネガイの声が遅れて漏れる。

 さっきまで図書館の一角にいたはずの場所が、地下の最深部へと繋がっている。

 道はない。

 移動した痕跡もない。

 ただ、最初からここにいたことになっている。

 

「なに……これ」

 

 ネガイが息を呑む。

 ユメディスも動きを止め、リセたちを睨み続ける。

 

「場所が……変わってない?」

 

 いや、変わっていないのではない。

 変わったという事実ごと、書き換えられている。

 

 リセは何も変わらないまま立っている。

 

「ここ、入り口じゃなかったんだ」

 

 ぽつり、と。

 

「本当は、奥に繋がってた」

 

 その言葉と同時に、図書館の奥から明確な異質さが溢れ出す。

 圧だけが、こちら側に逆流してくるように。

 

 

    ◇◇◇

 

 

「ノゾミ!」

「お姉ちゃん!」

「待ちなさいよォォォ!」

 

 リセとネガイ、ついでにユメディスが駆けながら、ノゾミの元へ向かっていた。

 

「皆さん、そこで止まってください!」

 

 珍しくノゾミが声を荒げる。

 空気が重くなり、一行は立ちすくんだ。

 リセとネガイはともかく、ユメディスまでもが気迫に押されて動きを止めている。

 

「……なんで私まで止まるんですかァ」

 

 ユメディスが苛立たしげに呟く。

 

「納得してないんですけどォ」

「納得は不要です」

 

 ノゾミの返事にユメディスは舌打ちしそうな顔をしたまま、それ以上踏み込まない。

 それどころではなかったからだ。

 

 視線の先にはピンクの司書。

 そのさらに奥には巨大な蠢く何か。

 今にも瞳を開こうとウトウトしている。

 

「……あれは、な、何ですか一体ィ?」

 

 ユメディスの声が、初めてわずかに震えた。

 

「世界そのものですよぉ」

 

 ピンクの司書が楽しそうに笑う。

 

「そんな設定いらないんですけどォォ!?」

 

 ユメディスが苛立ちを隠さないまま、声を荒げる。

 

「設定ではありません」

 

 ノゾミの静かな声が割り込む。

 

「事実です」

 

 その一言で、空気が一段だけ沈む。

 

「ノゾミ……?」

「お姉ちゃん……?」

 

 リセとネガイが同時に息を呑む。

 ユメディスだけが、何かを理解しかけていた。

 そして、自分の手が震えていることに気づく。

 

「……ちょっと待ってくださいよォ」

 

 掠れた声。

 

「それ、つまり……ッ」

 

 言葉が続かない。

 ノゾミは答えない。

 ただ奥を見る。

 その視線の先の何かは、ゆっくりと変わり始めていた。

 

 ピンクの司書が、楽しそうに笑った。

 

「さぁ皆さん、そろそろお目覚めの時ですよぉ」

 

 まるで待っていたと言うように。

 その瞬間。

 蠢く何かの瞼が、ほんのわずかに持ち上がる。

 

 ――きしり、と。

 

 そのわずかな動きに呼応するように、周囲の壁が揺らぎ始める。

 

 もはや、空間そのものが、消え去ろうとしていた。

 消えるというより――

 そこには元々、何もなかったと認識されているようだった。

 

「残念ながら、手遅れのようです」

「お姉ちゃん……」

 

 気付けば、周りの空間は本の一冊も残っていなかった。

 それどころか、壁や床も曖昧で、全てが黒く塗りつぶされている。

 

 そして、ノゾミ、ネガイ、ユメディスの輪郭までもが揺らいでいく。

 ただ一人、リセを除いて。

 

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