「では、旅の支度と参りましょうか」
「そうね、でっかいおっぱい丸出しのやつもいることだし」
裸同然のリセを横目に、ネガイが軽口を叩く。
「……えっち」
「はぁ!? エッチなのはそっちでしょ! そんな堂々と見せつけて」
赤面しながら気まずそうに目を逸らすネガイをよそに、ノゾミは首元のマフラーを外す。
そのまま、コートを無造作に脱ぎ捨てた。
「ちょっと、お姉ちゃん!?」
ノゾミは脱いだばかりのコートをリセの肩へそっと掛け、ついでにマフラーを巻きつける。
「そのままでは見ていられませんでしたので」
「あ、ありがとう。ノゾミ」
「どういたしまして。お下がりのコートで良ければ、好きに使ってください」
「な、なぁんだ。ビックリした……」
(露出狂が二人になったかと思った)
そう言いいかけたが、想像とは違う光景を前に、ネガイは慌てて別の言葉を紡いだ。
「そ、そういえばお姉ちゃん、それって大事なやつじゃないの?」
「構いません、もう一着ありますから」
どこから取り出したのか、ノゾミは新たなコートに袖を通していた。
それから、コートの感触を確かめるように布を握る。
奇しくもリセと同じ挙動だ。
白いマフラーや体型も相まって、互いを映す鏡のようだった。
「どうかしましたか?」
「別に……なんでもない」
バツが悪そうなネガイの態度に対して、リセは含みのある笑みを浮かべていた。
「…………えっち」
「だから、エッチじゃない!!!」
◇◇◇
狭間の回廊――世界と世界の狭間を縫う、星亡き通路。
白だけが果てしなく広がる回廊を、三人は無言のまま進む。
やがて、行く手を塞ぐ白い壁の前で、ノゾミは静かに足を止めた。
「それでは、外に出ましょう」
「え、どうやって出るの?」
「黙って見てなって」
虚空に白い指先がそっと重なった瞬間、空間が硝子のように軋んだ。
走った亀裂の奥で、無数の星々が脈動している。
――滅びたはずの宇宙だった。
砕け散った満天の星が、光の奔流となって境界を生み出している。
白に閉ざされた空間へ漆黒の境界線が広がっていく。
「わ……」
裂け目の奥で脈動していた星々が、不意に揺らぐ。
わずかな瞬きの後、光の濁流がゆっくりと形を変えた。
銀河の明滅が滲み、砕けた星屑の隙間から街並みが浮かび上がってくる。
「付いてきてください」
ノゾミが躊躇なく一歩を踏み出し、裂け目を越える。
「ネガイ、ノゾミ行っちゃったよぉ……大丈夫かな!?」
「アンタも行くの!」
「ちょっと、押さないでよ!!」
遅れて二人も後へ続く。
境界を渡るのは、一瞬だった。
「リセさん、お怪我はないですか?」
「うん、何ともない。他の場所ってこんな感じなんだ……」
裂け目を越えた先に広がっていたのは、蜃気楼のように揺らぐ街並みだった。
建物は熱に溶けたみたいに滲み、道路も空も輪郭を失っている。
風は吹かず、人の気配も、生活音も存在しない。
しかし、その中心にそびえ立つ建物だけが、異様なほど鮮明に佇んでいる。
白い灯りを宿した巨大な楼閣――無人の百貨店。
まるで、その空間だけが世界へ繋ぎ止められた現実みたいだった。
背後で、宇宙の継ぎ目が静かに閉じられていく。
最後に残った星明かりが消える頃には、蜃気楼の街だけが広がっていた。
◇◇◇
陽炎に揺らぐ街を抜け、三人は巨大な百貨店の前へ辿り着く。
自動ドアだけが、まだ生きていた。
無音のまま扉が開き、冷えた空気が流れ出す。
乾いた外気とは別の人工的な冷気だった。
「本日はナミリへお越しいただき、誠にありがとうございます。館内は現在、通常通りご利用いただけます」
誰もいないはずの空間に、丁寧な声が淡々と広がっていく。
「ただいま一階食品売場およびお菓子売場にて、世界各地の味をご用意したワールドフェアを開催しております。その世界でしか食べられないプレミアムな食材をこの機会にぜひ……」
店内の照明や店構え、精算機、エスカレーターに至るまで、いずれも普通の百貨店そのものだった。
ただひとつ、リセたち以外に人がいないという点を除いては。
「ねぇねぇネガイ、お菓子だって」
「分かってるわよ、アンタはまず自分の服をどうにかしなさい」
機械音声によるアナウンスの内容に興奮するリセ。
軽くあしらっているつもりのネガイだったが、菓子という言葉に笑みを隠せなかった。
「婦人服は二階のようです。まずはそちらを回りましょう」
三人は無言のまま、エスカレーターへと足を向けた。
動き出す気配は、ほとんどない。
「ねぇ、これ壊れてない?」
リセがそう呟いた瞬間、足元だけがわずかに沈み、緩やかに稼働した。
音は薄く、機械の駆動音というより、空間が静かにずれていく奇妙な感覚だった。
気づけば、視界の高さだけが変わっている。
「どう? はじめてエスカレーターに乗った感想は?」
「ちょっと、変な感じだった」
リセの感想は、あながち間違いではない。
この百貨店ナミリの施設は、必要な機能以外を意図的に削られているようだった。
先ほどのエスカレーターにおいては、踏板が上昇する過程が飛ばされている。
「着きましたよ」
二階、婦人服売場。
柔らかな照明の下、マネキンたちが整然と並んでいる。
誰もいないはずの空間なのに、展示だけが過不足なく完成していた。
布の質感だけが静かに息づき、空気はわずかに乾いた繊維の匂いを帯びている。
「お好きなものを、お選びください」
「お姉ちゃん、店員さんみたい……」
促されるように、リセは並んだ衣服へと目を向けている。
「じゃあ、これにする!」
迷いなく手に取ったのは、黒のセーラー服。
それも上衣だけ。
「あと、これ!」
続けてホットパンツも取り、満足そうに軽く頷く。
「ちょっ! 決めるの速すぎない? 本当にそれでいいの!?」
「うん、これでいい。動きやすそうだし!」
そう言って、どこか得意げに胸を張る。
選択に迷いはなく、むしろ最初から決めていたかのようだった。
「ほんとにそれでいい?」
「いいの!」
即答だった。
「まあ、アンタのファッションセンス……嫌いじゃないわ。てっきりお姉ちゃんみたいな服が好きだと思ってたけど、色合いはアタシの好みに似てる」
「ネガイも黒い服好きなの?」
「別に黒が好きってわけじゃないんだけど……」
少しだけ考えてから、ネガイは視線を逸らした。
「夜空が好きなの。星が出てる夜空」
一拍置いて、言葉を続ける。
「見てるとね、なんか落ち着くんだよね。静かで、ちゃんとしてて……安心するっていうか」
軽く笑って、リセの選んだ黒のセーラー服を見る。
「だから、アンタが今履いてる手袋と靴下で、ちょうど夜空みたいになるでしょ。だから、褒めてんの」
「そうなんだ。ありがと……」
「な、なにいきなり照れてんのよ。気色悪いわね」
「うるさいなぁ……着替えてくる!」
気恥ずかしさを感じたのか、足早に試着室へと走るリセ。
辺りに再び、静寂が訪れた。
らしくないことを言ったかもしれない。
そう考えて、ネガイは自嘲気味に笑うが、口元の緩みには温かさがにじみ出ている。
少し離れた場所から眺めるノゾミも、いつもより柔らかな笑みを浮かべていた。
鏡に向かってポーズを決めるリセには知る由もないことである。