望却のリセ   作:ひみっち

5 / 5
第5話「陽炎の手」

 

「なんで普通に探す流れになってるのよ……」

 

 翌朝。

 商店街から少し外れた路地を歩きながら、ネガイはげんなりした声を漏らした。

 一方、隣を歩くリセは、上機嫌な足取りで歩いている。

 

「蛇女っていうから、もっとこう……ぬらぬらした感じかと思ってた」

「どんな想像してんのよ……」

「それにしても昨日の人の眼、綺麗だったよねぇ」

「アンタ、ちょっと呑気すぎない? もう少し危機感持ちなさいよ」

「でも、『ここは来る場所じゃない』って教えてくれたし」

「バカっ! どう考えたって、これ以上関わるなって意味でしょ!」

 

 二人のやり取りをよそに、ノゾミは路地の片隅へ視線を向けた。

 

「昨夜の反応は、この辺りで途切れていますね」

 

 路地裏は、昨夜と同じ景色のはずだった。

 けれど奥へ目を向けるたび、距離感だけがわずかに曖昧になる。

 

「リセさん。少し、手を貸してください」

「いいよ。何か見つけたの?」

 

 リセがノゾミの隣へ歩み寄る。

 ノゾミは静かにその右手を取り、路地の奥へ向けた。

 

「……ノゾミ?」

 

 次の瞬間。

 リセの右手が、淡く光を帯びる。

 

「えっ……!?」

 

 ネガイが目を見開いた。

 右手の表面が陽炎みたいに揺らぎ、その内側へ見知らぬ景色が浮かび上がる。

 

「これ……神社?」

 

 鬱蒼とした森。

 その奥に佇む、古びた社。

 見覚えのない景色が、揺らめく水面みたいにリセの右手へ映し出されていた。

 

「……やはり。この先に、別の空間が隠されているようです」

「普通には入れないよね? どうするの?」

「ここへ来た時と同じです。裂け目を作ってみましょう」

 

 ノゾミは路地の前へ進み、慣れた手つきで空中に円を描く。

 

「いやいや、なんで普通に進めようとしてんの!?」

「ネガイ、落ち着きなって!」

「アンタはその右手でよく落ち着いてられるわね!?」

 

 やがて、空中に描かれた円の内側がゆらりと揺らぐ。

 

「これ、ほんとにその景色が映ってたんだ……」

 

 路地の奥にあるはずのない石段と、薄暗い森。

 右手へ映っていた光景が、そのまま裂け目の向こうへ続いている。

 

「……繋がりましたね。行きましょう」

「昨日の人、いるかな」

「はぁ……もう好きにしなさいよ」

 

 

    ◇◇◇

 

 

 裂け目を抜けた瞬間、空気が変わった。

 湿った土の匂い。

 揺れる木々のざわめき。

 さっきまでいた商店街の気配など、もうどこにも残っていない。

 

「うわ……いきなり夜になっちゃった」

 

 リセが思わず辺りを見回す。

 眩い朝の陽ざしは、夜を照らす月光に変わっていた。

 

「お姉ちゃん。ここ、もしかして別の世界?」

「そこまで離れてはいませんよ。こちらも、先ほどの世界の一部ですね」

 

 ノゾミは静かに周囲を見渡すと、背後の裂け目へ指を滑らせた。

 すると、空中に残っていた歪みがゆっくりと閉じていく。

 

「空間そのものが歪められています。誰かが意図的に隠しているのでしょう」

 

 薄暗い森の中には、細い石段が奥へ奥へと続いている。

 その先には、古びた鳥居がぼんやりと浮かんでいた。

 

「なんか、秘密の隠れ家みたいだね!」

「なんでそんな楽しそうなのアンタは……」

 

 軽口を叩きながらも、三人は石段を登っていく。

 やがて鳥居の前まで辿り着いた、その時だった。

 

「――止まれ」

 

 空から声が落ちる。

 気づけば、鳥居の上に少女が立っていた。

 白い長髪が夜風に揺れる。

 赤い瞳だけが、薄闇の中で静かにこちらを見下ろしていた。

 

「……蛇女」

 

 ネガイが息を呑むと同時に、白髪の少女は感情の見えない声で告げる。

 

「ここは手前たちの領域。人が踏み込んでよい場所ではない」

 

 そして、わずかに目を細めた。

 

「……お前たち、どうやってここへ来た」

 

 赤い瞳が、三人を値踏みするように見据える。

 ノゾミは静かに答えた。

 

「自力で道を開けました。いけませんでしたか?」

「本気で言っているのか、それは」

 

 少女の赤い眼が鈍く光った。

 

「あー、信じてないな、その顔」

 

 リセはそう言いながら、両手で円を描く。

 

「すごいんだよ? ノゾミがこうやって、ぱーって道を開けると、一瞬で入口ができちゃうの」

「そんな説明で信じられるわけないでしょ! 余計話ややこしくなるからやめなさいよ!」

 

 その時だった。

 森の奥から、木々を揺らす音が響く。

 次第に、音だけが大きくなり、暗がりの向こうで何かが蠢いた。

 

「……けた」

 

 何かを絞り出すような小さな声と共に、音の正体は姿を現す。

 最初に見えたのは、腕だった。

 細長い腕が、木の幹へ絡みつくように伸びている。

 次に、逆さまの顔。

 

「っ――!?」

 

 リセが思わず息を呑む。

 

 それから、何本もの白い腕が、蜘蛛みたいに地面や木へ絡みつきながら這い回っていた。

 その中心に、人の顔がある。

 貼り付けたみたいな笑顔。

 裂けるほど吊り上がった口元だけが、異様に目立っていた。

 

「見ぃつけた」

 

 ぐしゃり、と湿った音が鳴り、腕の一本が千切れ落ちる。

 だが次の瞬間には、別の場所からずるりと新しい腕が伸びていた。

 

「なんなのよ、あれ……!」

 

 ネガイが鳥居の前で身構えた。

 対して、白髪の少女は、一歩も動かない。

 赤い瞳だけが、冷たく異形を見据えていた。

 

「……また現れたか」

 

 低い声には、露骨な嫌悪が滲んでいる。

 異形は、ゆっくりと首を傾けた。

 ぎち、ぎち、と骨の軋む音が鳴る。

 だがその視線の先は、リセたちではない。

 鳥居の上に立つ彼女だけを見ていた。

 

「古いの、みぃつけた」

 

 ぞわり、と空気が軋む。

 発せられた威圧に空間が軋み、白髪が音もなく、なびいた。

 

「……手前を喰らうつもりか」

 

 異形の笑みが、さらに裂ける。

 間髪を入れずに無数の腕が、一斉に鳥居の上へ伸びた。

 

「遅い」

 

 少女の姿が、ふっと掻き消えた。

 次の瞬間には、鳥居の上から地面へ降り立っている。

 伸びた腕だけが空を掴み損ね、鳥居へ絡みついた。

 みしり、と木が軋む。

 

「うわっ……!」

 

 リセは反射的に石段の脇へ飛び退いた。

 獲物を取り逃がしてもなお、異形は愉快そうに口元を歪めていた。

 腕を蠢かせながら、馳走を前にした獣のように白髪の少女を見つめている。

 

「逃げるの、はやいねぇ……白蛇様ぁ」

「気色の悪い」

 

 少女は低く吐き捨てる。

 その赤い瞳には、怒りよりも強い嫌悪が滲んでいた。

 

「お前のような出来損ないが、手前たちを喰らおうなどと」

 

 異形の首が、ぐるりと傾く。

 

「だってぇ、古いのって、おいしいんでしょ? 白蛇様ぁ……いや、今はただの蛇女ァァァ」

 

 異形の腕が地面を叩いた。

 爆ぜるように土が跳ね、無数の腕が一斉に森の中を駆ける。

 そのうちの一本が、リセの眼前へと迫った。

 

「リセ、避けて!」

 

 ネガイの叫び声を聞き、反射的に右手を上げる。

 リセの右手が、陽炎みたいに揺らぐ。

 気付けば、その掌は異形の腕に触れている。

 

「えっ……?」

 

 異形の腕の先端が、溶けるみたいに崩れ落ちた。

 不快な笑い声が、ぴたりと止まる。

 森が静まった。

 そして、異形の顔だけが、ゆっくりとリセを向く。

 

「……なぁに、それ」

 

 異形の腕が、四方から一斉に襲いかかる。

 

「っ……!」

 

 リセは咄嗟に右手を振るった。

 陽炎のように揺らぐ右手が、迫った腕へ触れる。

 触れた部分から、腕の輪郭が崩れ落ちた。

 どろり、と熱に溶けたみたいに形が消えていく。

 

「ぎ、ぁぁぁ――ッ!?」

 

 異形が耳障りな悲鳴を上げる。

 その一方で、崩れたはずの腕の断面から、すぐに新しい腕がずるりと生え始めた。

 

「うわっ……気持ち悪い!!」

「再生してる!?」

 

 リセとネガイが顔を引きつらせる。

 その刹那。

 緋色の閃きが空を裂いた。

 

 ――斬。

 

 異形が弾けた。

 無数の腕ごと断ち切られ、肉片が森へばら撒かれる。

 少女は静かに刀を振り払い、吐き捨てるように言った。

 

「散れ」

 

 地に落ちた肉片が蠢く。

 森の奥へ逃げるように、一斉に這い始めた。

 

「まだ動くの!?」

「……あの手の輩は、そう簡単には消えぬ」

 

 少女の赤い眼が、鋭く細められる。

 

「……リセさん」

 

 唐突にノゾミの静かな声が響く。

 リセが振り向いた。

 

「右手の封が、解けています」

「えっ――」

 

 そこで初めて気づいた。

 右手が、熱い。

 じわじわと、陽炎みたいな揺らぎが、指先から滲み出している。

 胸の奥がざわついた。

 

(――扱い方次第では、実体を持たないものへ触れたり、あらゆる存在を消し去ることができるかもしれません)

 

 ふと、以前ノゾミに告げられた言葉が脳裏をよぎる。

 その言葉を反芻するように、リセは右手をぎゅっと握り返した。

 

 逃げようとしていた肉片も、何かを感じ取ったのか、一斉に震え始める。

 

「いや」

 

 異形が、初めて怯えた声を漏らす。

 

「いや、いやだいやだいやだいやだ!」

 

 癇癪を起こす異形とは対照的に、リセは静かに右手を伸ばす。

 ただ、それだけだった。

 

 異形の身体が音もなく欠ける。

 

「や、め――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 肉が崩れたのではない。

 消し飛んだのでもない。

 そこに存在していたという事実ごと、境界の彼方へ零れ落ちていく。

 再生しようと蠢く肉片さえ、そのまま静かに揺らぎ薄まっていく。

 

 気づけば、異形は跡形もなく消えていた。

 森が、静まり返る。

 

「……これ、わたしがやったの……?」

 

 揺れていた陽炎も、ゆっくりと右手へ収束していく。

 リセは呆然と、自分の右手を見つめていた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。