望却のリセ   作:ひみっち

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第7話「百夜」

 

 夜の参道を、一行は静かに進んでいた。

 

 境内を抜けた先。

 森の奥へ続く石畳は、次第に濃い夜気へ呑まれていく。

 

 先頭を歩く鏡巳が、ふと足を止めた。

 

「……待ち伏せか」

 

 その声と同時に、木々の隙間から、黒い影が滲み出した。

 一つではない。

 二つ、三つ――いや、十を超える。

 獣とも人ともつかぬ異形たちが、音もなく道を塞いでいた。

 粘つくような気配が、森を満たす。

 

「……当たりみたいね」

 

 鏡巳は白い髪を揺らし、呆れたように目を細めた。

 

「迂闊だな」

 

 赤い瞳が、異形の奥を見据える。

 

「ここに何かがあります、と言っているようなものだぞ」

 

 異形の群れが、一斉に動く。

 黒い影が、音もなく参道を駆けた。

 鏡巳が刀へ手を掛ける。

 だが、それより早く。

 

「――遅いわ」

 

 ネガイが天に向けて、右手を掲げた。

 その指先に、淡い星光が灯る。

 リセが目を見開いた。

 

「ネガイ、それ……」

「アンタばっかに、危ない役やらせてらんないでしょ」

 

 ネガイは口元を吊り上げる。

 そして、小さく指を鳴らした。

 

「――《シューティングスター》」

 

 瞬間。

 夜が、砕けた。

 無数の星光が森を切り裂き、異形の群れへ降り注ぐ。

 

 それは流星群だった。

 尾を引く光に直撃した異形が、次々と弾け飛ぶ。

 大地に響く轟音、群青に輝く閃光。

 肉も影も関係なく、存在そのものを撃ち抜かれたように砕け散っていく。

 

「すご……」

 

 凄惨な光景ではあったが、リセは、とても綺麗だと感じていた。

 

「ほう」

 

 鏡巳が短い感嘆を漏らしながら、逃れようとした影を切り伏せる。

 取りこぼした敵影も、別方向から飛来した光に貫かれ、地面へ叩き落とされた。

 四方八方に軌道を変えながら、流れ星と白い蛇が獲物を追い詰めていく。

 まるで夜空そのものが、敵意を持って降下してきたようだった。

 

 最後の一体が吹き飛び、遅れて静寂が戻ってくる。

 舞い上がった木の葉が、はらはらと地面へ落ちた。

 

 ネガイは軽く息を吐く。

 

「……ま、こんなもんでしょ」

 

 リセはまだ、夜空を見上げている。

 そこにはもう流星はない。

 けれど、残光だけがしばらく瞼の裏に焼き付いていた。

 

「……ネガイって、戦えたんだ」

 

 呆然としたまま、リセが呟く。

 ネガイは肩越しに振り返り、ふん、と鼻を鳴らした。

 

「失礼ね」

 

 星光の残滓を指先で払う。

 

「アンタの隣でツッコミだけしてる女だと思ってた?」

「いや、ちょっとは思ってたかも……」

「ちょっとでも思ってたの!?」

 

 即座に飛んできた反応に、リセは思わず身を引いた。

 鏡巳はその様子を眺め、小さく息を吐いた。

 

「……騒がしい連中だ」

 

 呆れたような声音。

 だが、不思議と嫌悪の色はなかった。

 

 ノゾミは周囲へ視線を巡らせた。

 

「ですが、これほどの数を差し向けてきたということは……やはり、この先に何かあるようです」

 

 その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まる。

 ネガイも表情を戻し、森の奥へ視線を向けた。

 

「……派手に歓迎されてるのは確かね」

 

 闇の帳の先。

 石畳はなおも、深い夜の中へ続いていた。

 

 

    ◇◇◇

 

 

 ちりん。

 ちりん。

 遠くから、かすかに鈴の音が響く。

 誰かがこちらを呼んでいるような。

 あるいは、どこかへ誘うような音色だった。

 

「百夜……」

 

 鏡巳が低く呟く。

 

「えっ、あれが!?」

 

 リセが思わず声を上げた。

 そこにいたのは、白い影だった。

 獣にも見える。

 人にも見える。

 輪郭が定まらない。

 月明かりの中を漂うそれは、生き物というより夜そのものが形を取ったようだった。

 首元では、小さな鈴が静かに揺れている。

 

 ちりん。

 再び音が鳴る。

 白い影が、ゆっくりと口元を歪めた。

 

「ククク……」

 

 仰々しい笑い声が森を覆いつくす。

 

「白蛇よ」

 

 声は近い。

 それでいて、遠くから響いてくる。

 まるで森全体が喋っているかのようだった。

 

「待ちくたびれたぞ」

 

 鏡巳が少しだけ安堵したかのように、目を細める。

 

「相変わらずだな、百夜」

「……隣の奴は誰だ」

 

 百夜の視線が、じっとリセへ向けられる。

 鈴が小さく揺れた。

 その音だけで、森の空気がわずかに張り詰める。

 しばらくの沈黙の後。

 百夜は喉の奥で笑った。

 

「ククク……面白いものを拾ったな、白蛇」

 

 鏡巳は眉ひとつ動かさない。

 

「拾ったわけではない」

 

 淡々と返す。

 

「お人好しの旅の客を案内してやっているだけだ」

「ほう?」

 

 その言葉を面白がるように、百夜の視線がリセたちを捉える。

 それ以上、鏡巳は話を続けなかった。

 代わりに、百夜とリセたちの間へ立つ。

 

「それよりも聞きたいことがある」

 

 声音がわずかに低くなる。

 

「異形を放っていたのは、貴様か?」

 

 リセたちも息を呑む。

 百夜はこの世界の中心に近い存在だ。

 もし元凶ならば、話は大きく変わる。

 

「そんなわけはないだろう」

 

 一行の想像を吹き飛ばすがごとく、百夜は鼻で笑った。

 

「今のわしが自由に動けぬことは、貴様も知っているはずだ」

 

 鏡巳は何も言わない。

 二人の間で、答えは出ているようだった。

 

「だが」

 

 その瞬間。

 声色がわずかに変わった。

 

「わしの力を勝手に使っているやつがいるのは確かだ」

 

 空気が重くなる中、リセが恐る恐る尋ねた。

 

「勝手に使うって……そんなことできるの?」

「できるわけなかろう」

 

 百夜は即答した。

 鈴が小さく鳴る。

 

「わしが許さぬ」

 

 その一言に、森の空気がわずかに震えた。

 それは怒気ですらない。

 ただ事実として告げられた言葉だった。

 鏡巳も口を挟まない。

 百夜ほどの存在がそう言うなら、それがこの世界の理なのだろう。

 

「だからこそ妙なのだ。わしの力を使えていることが」

 

 百夜の顔色は分からない。

 

「あるいは、わしの力に似た何かを用いているのか……どちらにせよ、碌な相手ではあるまい」

 

 ただ、その声色から、嫌悪の念が渦巻いていることは明らかだった。

 

 その時だった。

 森の奥から、かすかに足音が響く。

 誰かが歩いてくる。

 落ち葉を踏む音だけが、静かな森にやけに大きく聞こえた。

 

 全員の視線が向いた先に、人影が映る。

 暗闇の中から現れたのは、一人の少女だった。

 異様に長い、漆黒の髪。

 黒を基調とした装束。

 そして胸元には、大切そうに抱えられた一冊の古びた本。

 

 少女は立ち止まる。

 その瞳が、真っ直ぐ百夜へ向けられた。

 百夜の鈴が、ちりんと、ひとりでに揺れる。

 少女は微笑んだ。

 

「やっと会えた」

 

 百夜の鈴が微かに震えた。

 

「……なるほど、貴様がそうか」

 

 百夜がそう呟くと、森から虫の音が消えた。

 少女は嬉しそうに目を細めた。

 

「ずっと探してたんだよ」

 

 まるで旧友に再会したかのような口調。

 だが、その声音に親しみはなかった。

 百夜を見つめたまま、少女は抱えた本を撫でる。

 

「あなたが見つからなかったせいで、これ以上先に進めなかった」

 

 その視線は百夜からずっと離れない。

 

 ネガイが顔をしかめる。

 

「なに、あいつ。気持ち悪いんだけど」

「……さあな。だが、向こうから出向いてくるとはありがたい」

 

 様子をうかがう鏡巳の横で、リセはなんとなく嫌な気分になった。

 目の前の少女は笑っている。

 なのに、どこかおかしかった。

 百夜に話しかけているはずなのに、目は百夜を向いていないようにも思えた。

 

「名を聞こうか」

 

 鏡巳の赤い瞳が、少女を見据える。

 だが、少女は百夜を見たまま答えた。

 

「エピュロ」

 

 微笑んだまま名乗る。

 その張り付いたような笑顔は、消えた異形たちにどこか似ていた。

 

「この世界の終わりを求める者よ」

 

 その言葉に、百夜は鼻で笑った。

 

「笑わせるな」

 

 鈴が鳴る。

 ちりん。

 白い影がゆらりと揺れる。

 

「この世界の終わりは、わしが決める」

 

 傍若無人を体言したかのような言葉が響く。

 だが、その一言だけで森の空気が震える。

 百夜はエピュロを見据えた。

 

「故に――」

 

 鈴がもう一度鳴る。

 

「わしがいる限り、この世界に終わりなどない」

 

 傲慢な宣言だった。

 だが、それは虚勢ではない。

 まるで世界そのものがそう定義されているかのような、絶対的な響きを持っていた。

 エピュロはしばらく黙っていた。

 やがて。

 くすり、と笑う。

 

「だから会いに来たんだよ」

 

 本を抱く指先に、わずかに力が入った。

 

「百夜。君がいる限り、この世界は終われない」

 

 百夜は答えない。

 鈴だけが微かに揺れている。

 エピュロは続けた。

 

「だから、君に退場してもらう」

 

 告げられると同時に、鏡巳が刀の柄に手を掛ける。

 リセ、ノゾミ、ネガイも一様に臨戦態勢へと入った。

 だが。

 百夜は動かない。

 ただエピュロを見つめていた。

 

「ほう」

 

 低い声が落ちる。

 

「わしを消せると思っているのか」

「消す?」

 

 エピュロは首を傾げる。

 まるで不思議なことを聞かれたように。

 

「違うよ」

 

 エピュロは抱えていた本をゆっくりと開いた。

 風は吹いていない。

 けれど、ページは勝手にめくられる。

 ぱらぱらと音を立てる古紙は、夜の森で不気味に囁いていた。

 

 リセは思わず息を呑んだ。

 理由は分からない。

 だが、その本を見ていると胸の奥がざわつく。

 見てはいけないものを見ているような、そんな感覚。

 

「……」

 

 無意識に、一歩後ずさる。

 その反応を、ノゾミだけが捉えていた。

 本そのものではない。

 ノゾミが見ていたのは、本を目にした瞬間のリセの反応だった。

 

 わずかに揺れた二色の瞳。

 強張った指先。

 そして、説明のつかない嫌悪感。

 

 ノゾミは何も言わない。

 ただ一つだけ確信する。

 

(リセさんは、あの本に反応している)

 

 それは恐怖とも違う。

 本能による、言葉にできない拒絶だった。

 

「君を消したいわけじゃない」

 

 敵意の見えない声で呟く。

 エピュロの指が、あるページで止まる。

 

「ただ――」

 

 ページの上を指先がなぞると、文字が漆黒に滲んだ。

 エピュロの周りから闇が溢れ出す。

 

「物語を先へ進めたいだけ」

 

 その言葉と同時。

 森の奥から。

 ぞわり、と無数の気配が湧き上がった。

 木々の隙間。

 地面の影。

 夜の暗がり。

 あらゆる場所から異形たちが姿を現す。

 先ほどの比ではない。

 数十、いや、百に届くかもしれない。

 

「うそ……まだこんなに残ってたの!?」

「冗談キツいわ……」

 

 狼狽えるリセの横で、ネガイが舌打ちした。

 ノゾミは二人と異形たちの間合いを図っている。

 

「手前も少々本気を出す必要があるようだ」

 

 鏡巳も表情を険しくする。

 百夜だけが静かだった。

 そして。

 エピュロを見つめたまま言う。

 

「なるほど」

 

 鈴が鳴る。

 ちりん。

 

「貴様、本気で世界と喧嘩をするつもりらしいな」

 

 エピュロは微笑んだ。

 どこまでも穏やかに。

 

「ううん」

 

 そして、ゆっくりと首を横に振る。

 

「世界に、正しい終わりを教えてあげるだけだよ」

 

 エピュロがページへ指を滑らせる。

 それを合図にしたかのように、異形たちが一斉に動き出す。

 森を埋め尽くすほどの黒い濁流が、百夜へ向かって殺到した。

 

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