夜の参道を、一行は静かに進んでいた。
境内を抜けた先。
森の奥へ続く石畳は、次第に濃い夜気へ呑まれていく。
先頭を歩く鏡巳が、ふと足を止めた。
「……待ち伏せか」
その声と同時に、木々の隙間から、黒い影が滲み出した。
一つではない。
二つ、三つ――いや、十を超える。
獣とも人ともつかぬ異形たちが、音もなく道を塞いでいた。
粘つくような気配が、森を満たす。
「……当たりみたいね」
鏡巳は白い髪を揺らし、呆れたように目を細めた。
「迂闊だな」
赤い瞳が、異形の奥を見据える。
「ここに何かがあります、と言っているようなものだぞ」
異形の群れが、一斉に動く。
黒い影が、音もなく参道を駆けた。
鏡巳が刀へ手を掛ける。
だが、それより早く。
「――遅いわ」
ネガイが天に向けて、右手を掲げた。
その指先に、淡い星光が灯る。
リセが目を見開いた。
「ネガイ、それ……」
「アンタばっかに、危ない役やらせてらんないでしょ」
ネガイは口元を吊り上げる。
そして、小さく指を鳴らした。
「――《シューティングスター》」
瞬間。
夜が、砕けた。
無数の星光が森を切り裂き、異形の群れへ降り注ぐ。
それは流星群だった。
尾を引く光に直撃した異形が、次々と弾け飛ぶ。
大地に響く轟音、群青に輝く閃光。
肉も影も関係なく、存在そのものを撃ち抜かれたように砕け散っていく。
「すご……」
凄惨な光景ではあったが、リセは、とても綺麗だと感じていた。
「ほう」
鏡巳が短い感嘆を漏らしながら、逃れようとした影を切り伏せる。
取りこぼした敵影も、別方向から飛来した光に貫かれ、地面へ叩き落とされた。
四方八方に軌道を変えながら、流れ星と白い蛇が獲物を追い詰めていく。
まるで夜空そのものが、敵意を持って降下してきたようだった。
最後の一体が吹き飛び、遅れて静寂が戻ってくる。
舞い上がった木の葉が、はらはらと地面へ落ちた。
ネガイは軽く息を吐く。
「……ま、こんなもんでしょ」
リセはまだ、夜空を見上げている。
そこにはもう流星はない。
けれど、残光だけがしばらく瞼の裏に焼き付いていた。
「……ネガイって、戦えたんだ」
呆然としたまま、リセが呟く。
ネガイは肩越しに振り返り、ふん、と鼻を鳴らした。
「失礼ね」
星光の残滓を指先で払う。
「アンタの隣でツッコミだけしてる女だと思ってた?」
「いや、ちょっとは思ってたかも……」
「ちょっとでも思ってたの!?」
即座に飛んできた反応に、リセは思わず身を引いた。
鏡巳はその様子を眺め、小さく息を吐いた。
「……騒がしい連中だ」
呆れたような声音。
だが、不思議と嫌悪の色はなかった。
ノゾミは周囲へ視線を巡らせた。
「ですが、これほどの数を差し向けてきたということは……やはり、この先に何かあるようです」
その言葉に、場の空気が少しだけ引き締まる。
ネガイも表情を戻し、森の奥へ視線を向けた。
「……派手に歓迎されてるのは確かね」
闇の帳の先。
石畳はなおも、深い夜の中へ続いていた。
◇◇◇
ちりん。
ちりん。
遠くから、かすかに鈴の音が響く。
誰かがこちらを呼んでいるような。
あるいは、どこかへ誘うような音色だった。
「百夜……」
鏡巳が低く呟く。
「えっ、あれが!?」
リセが思わず声を上げた。
そこにいたのは、白い影だった。
獣にも見える。
人にも見える。
輪郭が定まらない。
月明かりの中を漂うそれは、生き物というより夜そのものが形を取ったようだった。
首元では、小さな鈴が静かに揺れている。
ちりん。
再び音が鳴る。
白い影が、ゆっくりと口元を歪めた。
「ククク……」
仰々しい笑い声が森を覆いつくす。
「白蛇よ」
声は近い。
それでいて、遠くから響いてくる。
まるで森全体が喋っているかのようだった。
「待ちくたびれたぞ」
鏡巳が少しだけ安堵したかのように、目を細める。
「相変わらずだな、百夜」
「……隣の奴は誰だ」
百夜の視線が、じっとリセへ向けられる。
鈴が小さく揺れた。
その音だけで、森の空気がわずかに張り詰める。
しばらくの沈黙の後。
百夜は喉の奥で笑った。
「ククク……面白いものを拾ったな、白蛇」
鏡巳は眉ひとつ動かさない。
「拾ったわけではない」
淡々と返す。
「お人好しの旅の客を案内してやっているだけだ」
「ほう?」
その言葉を面白がるように、百夜の視線がリセたちを捉える。
それ以上、鏡巳は話を続けなかった。
代わりに、百夜とリセたちの間へ立つ。
「それよりも聞きたいことがある」
声音がわずかに低くなる。
「異形を放っていたのは、貴様か?」
リセたちも息を呑む。
百夜はこの世界の中心に近い存在だ。
もし元凶ならば、話は大きく変わる。
「そんなわけはないだろう」
一行の想像を吹き飛ばすがごとく、百夜は鼻で笑った。
「今のわしが自由に動けぬことは、貴様も知っているはずだ」
鏡巳は何も言わない。
二人の間で、答えは出ているようだった。
「だが」
その瞬間。
声色がわずかに変わった。
「わしの力を勝手に使っているやつがいるのは確かだ」
空気が重くなる中、リセが恐る恐る尋ねた。
「勝手に使うって……そんなことできるの?」
「できるわけなかろう」
百夜は即答した。
鈴が小さく鳴る。
「わしが許さぬ」
その一言に、森の空気がわずかに震えた。
それは怒気ですらない。
ただ事実として告げられた言葉だった。
鏡巳も口を挟まない。
百夜ほどの存在がそう言うなら、それがこの世界の理なのだろう。
「だからこそ妙なのだ。わしの力を使えていることが」
百夜の顔色は分からない。
「あるいは、わしの力に似た何かを用いているのか……どちらにせよ、碌な相手ではあるまい」
ただ、その声色から、嫌悪の念が渦巻いていることは明らかだった。
その時だった。
森の奥から、かすかに足音が響く。
誰かが歩いてくる。
落ち葉を踏む音だけが、静かな森にやけに大きく聞こえた。
全員の視線が向いた先に、人影が映る。
暗闇の中から現れたのは、一人の少女だった。
異様に長い、漆黒の髪。
黒を基調とした装束。
そして胸元には、大切そうに抱えられた一冊の古びた本。
少女は立ち止まる。
その瞳が、真っ直ぐ百夜へ向けられた。
百夜の鈴が、ちりんと、ひとりでに揺れる。
少女は微笑んだ。
「やっと会えた」
百夜の鈴が微かに震えた。
「……なるほど、貴様がそうか」
百夜がそう呟くと、森から虫の音が消えた。
少女は嬉しそうに目を細めた。
「ずっと探してたんだよ」
まるで旧友に再会したかのような口調。
だが、その声音に親しみはなかった。
百夜を見つめたまま、少女は抱えた本を撫でる。
「あなたが見つからなかったせいで、これ以上先に進めなかった」
その視線は百夜からずっと離れない。
ネガイが顔をしかめる。
「なに、あいつ。気持ち悪いんだけど」
「……さあな。だが、向こうから出向いてくるとはありがたい」
様子をうかがう鏡巳の横で、リセはなんとなく嫌な気分になった。
目の前の少女は笑っている。
なのに、どこかおかしかった。
百夜に話しかけているはずなのに、目は百夜を向いていないようにも思えた。
「名を聞こうか」
鏡巳の赤い瞳が、少女を見据える。
だが、少女は百夜を見たまま答えた。
「エピュロ」
微笑んだまま名乗る。
その張り付いたような笑顔は、消えた異形たちにどこか似ていた。
「この世界の終わりを求める者よ」
その言葉に、百夜は鼻で笑った。
「笑わせるな」
鈴が鳴る。
ちりん。
白い影がゆらりと揺れる。
「この世界の終わりは、わしが決める」
傍若無人を体言したかのような言葉が響く。
だが、その一言だけで森の空気が震える。
百夜はエピュロを見据えた。
「故に――」
鈴がもう一度鳴る。
「わしがいる限り、この世界に終わりなどない」
傲慢な宣言だった。
だが、それは虚勢ではない。
まるで世界そのものがそう定義されているかのような、絶対的な響きを持っていた。
エピュロはしばらく黙っていた。
やがて。
くすり、と笑う。
「だから会いに来たんだよ」
本を抱く指先に、わずかに力が入った。
「百夜。君がいる限り、この世界は終われない」
百夜は答えない。
鈴だけが微かに揺れている。
エピュロは続けた。
「だから、君に退場してもらう」
告げられると同時に、鏡巳が刀の柄に手を掛ける。
リセ、ノゾミ、ネガイも一様に臨戦態勢へと入った。
だが。
百夜は動かない。
ただエピュロを見つめていた。
「ほう」
低い声が落ちる。
「わしを消せると思っているのか」
「消す?」
エピュロは首を傾げる。
まるで不思議なことを聞かれたように。
「違うよ」
エピュロは抱えていた本をゆっくりと開いた。
風は吹いていない。
けれど、ページは勝手にめくられる。
ぱらぱらと音を立てる古紙は、夜の森で不気味に囁いていた。
リセは思わず息を呑んだ。
理由は分からない。
だが、その本を見ていると胸の奥がざわつく。
見てはいけないものを見ているような、そんな感覚。
「……」
無意識に、一歩後ずさる。
その反応を、ノゾミだけが捉えていた。
本そのものではない。
ノゾミが見ていたのは、本を目にした瞬間のリセの反応だった。
わずかに揺れた二色の瞳。
強張った指先。
そして、説明のつかない嫌悪感。
ノゾミは何も言わない。
ただ一つだけ確信する。
(リセさんは、あの本に反応している)
それは恐怖とも違う。
本能による、言葉にできない拒絶だった。
「君を消したいわけじゃない」
敵意の見えない声で呟く。
エピュロの指が、あるページで止まる。
「ただ――」
ページの上を指先がなぞると、文字が漆黒に滲んだ。
エピュロの周りから闇が溢れ出す。
「物語を先へ進めたいだけ」
その言葉と同時。
森の奥から。
ぞわり、と無数の気配が湧き上がった。
木々の隙間。
地面の影。
夜の暗がり。
あらゆる場所から異形たちが姿を現す。
先ほどの比ではない。
数十、いや、百に届くかもしれない。
「うそ……まだこんなに残ってたの!?」
「冗談キツいわ……」
狼狽えるリセの横で、ネガイが舌打ちした。
ノゾミは二人と異形たちの間合いを図っている。
「手前も少々本気を出す必要があるようだ」
鏡巳も表情を険しくする。
百夜だけが静かだった。
そして。
エピュロを見つめたまま言う。
「なるほど」
鈴が鳴る。
ちりん。
「貴様、本気で世界と喧嘩をするつもりらしいな」
エピュロは微笑んだ。
どこまでも穏やかに。
「ううん」
そして、ゆっくりと首を横に振る。
「世界に、正しい終わりを教えてあげるだけだよ」
エピュロがページへ指を滑らせる。
それを合図にしたかのように、異形たちが一斉に動き出す。
森を埋め尽くすほどの黒い濁流が、百夜へ向かって殺到した。