望却のリセ   作:ひみっち

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第8話「決められた終末の頁」

 

 森を埋め尽くすほどの異形が、百夜を目指す。

 

「来るぞ!」

 

 鏡巳が刀を抜き、白刃が夜を裂いた。

 一閃。

 最前列の異形がまとめて両断される。

 だが、数が多すぎた。

 斬っても斬っても後ろから湧いてくる。

 

「面倒ね」

 

 ネガイが苛立ちながら、手を掲げる。

 その指先に再び星光が集まった。

 

「だったらまとめて吹き飛ばす! 《シューティングスター》!」

 

 夜空に無数の光点が生まれ、流星群が降り注いだ。

 無数の星が異形を貫き、森を白く染め上げる。

 地面が抉れ、木々が揺れる。

 異形たちは悲鳴すら上げられず砕け散った。

 それでも、辺りには黒一面の影が、濃く残っている。

 

「数が減らんな」

 

 鏡巳が眉をひそめる。

 その時。

 百夜の鈴が鳴った。

 ちりん、ちりん、と夜気が揺らぐ。

 

 すると鏡巳の影が伸びた。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 ――いや、それだけでは終わらない。

 次々と影が立ち上がる。

 やがて、それらは鏡巳と同じ姿を取った。

 

「これって……」

 

 リセが息を呑む。

 百夜が喉の奥で笑った。

 

「ククク」

 

 鈴が鳴る。

 

「ただの影遊びよ」

 

 そう言う百夜の声とは裏腹に、立ち上がった影たちからは鏡巳と寸分違わぬ気配が漂っていた。

 鏡巳は小さく舌打ちする。

 

「勝手な真似を」

「何を今さら」

 

 百夜は愉快そうに笑う。

 

「存分に暴れろ、白蛇。手足は多い方が良かろう?」

 

 百夜の言葉を皮切りに、影の鏡巳たちが一斉に駆けた。

 白い残像が森を走り、その内の一体が異形を両断する。

 もう一体が跳躍し、木々の上から群れへ斬り込む。

 三体目は着地と同時に刀を薙ぎ払い、周囲の異形をまとめて吹き飛ばした。

 

 その動きは本物と変わらない。

 むしろ、数が増えた分だけ厄介だった。

 ネガイが口元を吊り上げる。

 

「なら、遠慮なくいくわよ」

 

 再び流星群が降り注ぐ。

 白蛇たちが切り開いた隙間へ。

 寸分違わず、星々が叩き込まれた。

 異形の群れが次々と砕け散る。

 

 逃げ場はない。

 前には白蛇の大群。

 上からは流星の嵐。

 残った異形たちは為す術もなく消し飛ばされていった。

 

 最後の一体が斬り伏せられると共に、多くの鏡巳の影も散っていく。

 鏡巳は刀を振り、付着した黒い霧を払った。

 

「片付いたか」

「往生際が悪いのね」

 

 エピュロが小さく息を吐く。

 

「終わりを受け入れた方が楽なのに」

「生憎と、そういう性分でな」

 

 百夜が喉の奥で笑った。

 ちりん。

 鈴が鳴る。

 

「聞こえているか、不届き者よ」

 

 白い影が揺れる。

 

「この程度で終わると思われては困る」

 

 エピュロは微笑む。

 

「聞こえてるよ。だから困ってるんじゃない」

 

 ぱらり。

 抱えた本のページがひとりでにめくれた。

 その瞬間。

 ノゾミが顔を上げる。

 

「上を見てください」

 

 全員の視線が夜空へ向く。

 空が軋んでいた。

 夜空の一点が歪む。

 そして、空間そのものに亀裂が走った。

 

「なっ――」

 

 ネガイが言葉を失う。

 裂け目の向こうから、巨大な影が這い出てくる。

 腐った皮膜のような黒い翼。

 異様に長い首。

 鳥とも爬虫類ともつかない頭部。

 そして、人を見下ろす知性だけを宿した瞳。

 それが翼を広げると、瞬く間に暴風が吹き荒んだ。

 木々が大きくしなり、葉が千切れるように舞い散る。

 リセは思わず腕で顔を庇った。

 

「今度は何よ、あれ……!」

 

 ネガイが叫びに、誰も答えない。

 鏡巳の表情が険しくなっていた。

 百夜が沈黙している。

 目の前の存在は、先ほどまでの異形とは別格だと理解するのに十分だった。

 

「どう、素敵でしょう?」

 

 エピュロだけが微笑んでいた。

 うっとりと目を細め、本を胸に抱き締める。

 

「お願いね。そこにいるの、食べていいから」

 

 人語を理解しているのか、その合図と同時に異形は裂け目から完全に姿を現す。

 巨大な異形が奇怪な叫び声を上げる。

 再び暴風が、森を揺らした。

 

「これ以上の勝手は、許さぬ!」

 

 鏡巳が地を蹴る。

 一瞬で間合いを詰めると、白刃が夜を裂いた。

 鋭い一閃。

 本来ならば、山一つ断ち切っていてもおかしくない斬撃だった。

 だが、斬れない。

 刃は翼に阻まれた。

 

「ちっ――」

 

 鏡巳が次の一撃を入れるよりも早く。

 異形の首が、あり得ない角度でこちらを向いた。

 鏡巳の表情が変わる。

 

「何っ!?」

 

 回避が間に合わず、巨大な翼が振り抜かれる。

 巨体に叩きつけられた白い影が、森の奥へと消えた。

 

「鏡巳!」

 

 リセが叫ぶ。

 異形は追わない。

 最初から眼中になかったかのように。

 その視線は別の獲物へ移っていた。

 

「やってくれるわね……だったらこっちも遠慮しないわよ!」

 

 ネガイが右手を掲げ、星光を集める。

 手を鳴らそうとした、その瞬間。

 異形が消えた。

 

「え?」

 

 違う。

 速すぎて見えなかっただけだ。

 気づいた時には、巨大な影が目の前まで迫っていた。

 

「ネガイ!」

 

 リセが駆け出す前に、景色が揺れていく。

 一陣の風が吹くと共に、ネガイの身体が横へ引き寄せられる。

 気付けばネガイの立っていた場所を、異形が通り過ぎていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 聞き覚えのある優しい声に、ネガイは目を瞬く。

 自分を抱きかかえるように支えていたのは、ノゾミだった。

 ネガイは、ぽかんと口を開いた。

 

「ありがとう……お姉ちゃん!?」

 

 ノゾミの胸元は深く裂かれ、ベージュ色のコートが朱く染まっていた。

 

「平気です……それより…………お怪我はありませんか?」

「な、何言っているの、お姉ちゃん! すぐに手当てしないと!!」

 

 力なく笑うノゾミにネガイは取り乱す。

 異形は、その隙を見逃さなかった。

 巨大な翼が持ち上がり、二人を目がけて突進する。

 

「ノゾミ!」

 

 リセが叫んだ時、世界は止まっていた。

 風は止み、揺れていた木々も静止している。

 舞い上がっていた土埃は、空中に張り付いたままだ。

 一瞬……本当に一瞬だけ。

 何もかもが凍り付いた。

 

「――え?」

 

 リセは目を見開く。

 今、何かが、確かにおかしかった。

 そう思った時にはもう終わっていた。

 

 異形の巨体がわずかに傾く。

 本来ならネガイたちを捉えていたはずの軌道が、ほんの少しだけ逸れていた。

 異形は制御を失い、そのまま地面へ突っ込む。

 土と木片が吹き上がった。

 

「なっ……」

 

 ネガイが息を呑む。

 誰も何が起きたのか分からない。

 ただ一人。

 百夜だけが鈴を揺らした。

 ちりん。

 

「ほう」

 

 白い影が小さく笑う。

 その視線は異形ではなく、ノゾミへ向けられていた。

 だがノゾミ自身は気付いていない。

 ただ不思議そうに異形を見ているだけだった。

 

「ノゾミ、今なにしたの……?」

 

 思わず口をついて出た。

 ノゾミはきょとんとした顔をする。

 

「何、とは?」

「ううん……何でもない」

 

 リセは言葉に詰まり、曖昧な返事を返す。

 説明できない。

 異形が迫る直前、ほんの一瞬だけ、世界の色が変わった気がした。

 だが、その感覚はもう消えている。

 気のせいだったのかもしれない。

 

 そう思った時。

 ちりん。

 百夜の鈴が鳴った。

 白い影は何も言わない。

 ただ、じっとリセを見ていた。

 

「忘れてもらっては困るぞ……!」

 

 地面に伏したままの異形に向かって、鏡巳が飛びかかる。

 白刃が首元を掠めた。

 黒い血が散る。

 異形が翼を振るい、鋭い爪が鏡巳の肩口を裂く。

 だが、鏡巳は退かない。

 

「どうした。その程度で、手前の刃は避けられんぞ!」

 

 一歩。

 さらに一歩。

 刃が何度も同じ箇所を刻む。

 異形が苛立つように首を振った。

 その隙を見逃さず、鏡巳は再び踏み込む。

 

「……このままでは……勝負はつきそうにありませんね」

「お姉ちゃん、安静にしてなきゃ駄目だってば!」

 

 ノゾミは、ネガイに介抱されながら、空を見上げていた。

 傷口は裂け目の力で塞がりつつあるが、まだ自由に動くことは叶わない。

 

「悔しいけど、ノゾミの言う通りかも……」

 

 鏡巳の戦いを間近で見ていたリセは、歯噛みする。

 異形の首元には傷が増えている。

 だが、致命傷には程遠い。

 鏡巳も食らいついてはいるが、決定打がない。

 

 百夜が鈴を鳴らした。

 ちりん。

 

「白蛇のやつも頑張ってはいるが、あれはどうにもならん」

 

 リセは唇を噛む。

 確かに鏡巳は押されてはいない。

 だが勝ってもいない。

 このまま消耗戦になれば不利なのはこちらだ。

 

 唐突に、ネガイが何かを思い出したように振り向いた。

 

「リセ、あれ出せない?」

「あれって――」

 

 一瞬だけ考え。

 すぐに答えへ辿り着く。

 

「そうか! 『陽炎の手』」

 

 リセは両手を打った。

 

「それそれ!」

 

 合わせるように、ネガイが指を鳴らす。

 

「何か分からないけど、あれだけは異様だったじゃない」

 

 リセは自分の右手を見る。

 あの力。

 再生する異形すら消滅させた、陽炎のように揺らめく右手。

 だが。

 

「ごめん、出なかった!」

「はぁ!?」

「出し方が分からないんだから!」

 

 ネガイが頭を抱えた。

 

「肝心なところで使えない!」

「わたしだって困ってるの!」

 

 リセの声を掻き消すように、轟音が上空から降ってきた。

 異形の翼が鏡巳を弾き飛ばしたのだ。

 鏡巳は空中で体勢を立て直しながら舌打ちする。

 

「何かするなら早くしろ! 隙は手前が作ってやろう」

「ありがとう、やってみる!」

 

 リセは再び右手を見つめる。

 何も起きない。

 焦れば焦るほど分からなくなる。

 

「なんで出ないの!? 今が必要な時なんだから、早く出て来てよ!!!」

 

 右手を握り、開き直す。

 何度試しても、あの陽炎は現れない。

 焦りだけが募っていく。

 

 その様子を見ていた百夜が、ふっと笑った。

 

「娘」

 

 鈴が鳴る。

 

「力というものはな」

 

 白い影がゆらりと揺れる。

 

「出そうとして出るものではない」

 

 その言葉に。

 リセは思わず顔を上げた。

 白い影が揺らぐ。

 

「百夜?」

「少し借りるぞ、娘」

「え――」

 

 返事をする間もなかった。

 白い光が流れ込む。

 視界がぐらりと揺れた。

 身体から力が抜けていく。

 意識が沈み、遠ざかる。

 

 百夜は迷いなく、リセの内側へと踏み込んだ。

 伝魔ではない人間への憑依は、本来なら避けるべきだった。

 だが、今はそんなことを言っていられない。

 この均衡を崩す必要があった。

 

 やがて、深層へと到達する――そのはずだった。

 

「……何だ、これは」

 

 百夜が初めて困惑した声を漏らす。

 そこは人の内側ではなかった。

 果てのない暗闇。

 いや、暗闇ですらない。

 星々のような光が遥か彼方まで広がっている。

 理解できない景色だった。

 

「娘、お前は一体……」

 

 そして。

 その奥に何かがいた。

 百夜は目を細める。

 見えない。

 輪郭すら掴めない。

 それなのに。

 

 見てはいけないと本能が告げていた。

 

「貴様――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 圧倒的な拒絶。

 百夜の意識が弾き飛ばされる。

 

「なっ!?」

 

 白い影が地面を転がった。

 ネガイが目を見開く。

 

「百夜!?」

 

 鏡巳も思わず振り返る。

 本人が一番信じられなかった。

 百夜が吹き飛ばされた。

 それも、自分から入っていったはずのリセによって。

 

 ただ、リセは答えない。

 俯いたまま、動かない。

 

「リセさん?」

「リセ!」

 

 ノゾミとネガイが呼びかけるも、返事はない。

 

 ゆっくりと、リセの両腕が持ち上がる。

 その手元へ光が集まり始めた。

 夜空を溶かしたような光だった。

 無数の星々が瞬き、宇宙そのものが凝縮されていく。

 やがて二振りの刃が形を成す。

 

「何、あの剣は!?」

「リセさん、今のあなたは一体……」

 

 異形が危険を察したように咆哮する。

 巨大な翼が振り上げられた。

 逃げるべきか、迎え撃つべきか。

 その知性すら迷ったように見えた。

 だが遅い。

 リセが一歩踏み出した途端、足元の土が遅れて吹き飛んだ。

 音どころか光すらも置き去りにして。

 

「――っ!?」

 

 皆一様に、リセの姿を見失う。

 異形の瞳が見開かれる。

 リセは既に異形の背後を取っていた。

 異形の間合いに入っていた鏡巳ですら、驚きを隠せない。

 

 静寂。

 翼が滑り落ちる。

 続いて首が落ちた。

 巨体が崩れる。

 あれほど苦戦していた異形は、一太刀で絶命していた。

 

 誰も動けなかった。

 鏡巳も。

 ネガイも。

 ノゾミも。

 ただ目の前で起きた光景を見つめることしかできない。

 

「……リセ?」

 

 ネガイが戸惑うように名を呼ぶ。

 返事はない。

 背後で異形の巨体が塵となってほどけていく。

 それすら届いていないように。

 リセは歩き続ける。

 その金と銀の二色の瞳は、エピュロだけを見据えていた。

 まるで、そこへ至ることだけが目的であるかのように。

 

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