優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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16.切嗣の反応

 封筒は、舞弥が見つけた。

 アインツベルン側の仮拠点から二つ離れた監視地点。切嗣が前日に確認したばかりの場所だった。狙撃には向かない。逃走経路にも使いにくい。だが、周辺の動きを拾うには都合がいい。

 

 そこに、封筒が置かれていた。

 白い封筒。

 封蝋なし。魔術刻印なし。

 宛名だけが、端正な筆跡で書かれている。

 衛宮切嗣殿。

 

 舞弥はそれを素手では触らなかった。

 薄い手袋越しに封筒を持ち上げ、光に透かし、匂いを確かめ、重さを測る。爆薬の気配はない。毒物の粉末もない。魔術的な反応も、少なくとも表面にはない。

 だからこそ、気味が悪かった。

 

 切嗣は、ホテルの一室でそれを受け取った。

 窓のカーテンは閉じられている。

 テーブルの上には銃、分解された部品、予備弾倉、地図、そして吸いかけの煙草が置かれていた。

 

「罠でしょうか」

 アイリスフィールではなく、舞弥が尋ねた。

 切嗣は封筒を見たまま答えた。

「罠だよ」

 迷いのない声だった。

 

 それでも、彼は封を切った。

 中には、紙が二枚が入っていた。

 魔術師らしい飾りも、遠回しな礼辞もない。

 遠坂時臣の名に似合わないほど、文面は短かった。

 

 衛宮切嗣殿

 

 言峰綺礼は死亡した。

 監督役は機能していない。

 間桐臓硯は、契約履行能力を失っている。

 大聖杯は、願望器として異常を示している。

 あなたが聖杯に求めるものは、あなたの想定する形では実行されない可能性が高い。

 

 話をする必要がある。

 指定時刻、指定地点にて待つ。

 罠を疑うことは理解する。

 私もあなたを信用しない。

 それでも、確認の価値はあるはずだ。

 遠坂時臣

 

 切嗣は、最後まで読んだ。

 もう一度、最初から読んだ。

 言峰綺礼は死亡した。そこに目が止まる。

 綺礼が死んだ。

 

 安堵はなかった。

 あの男が自分へ向けていたものの正体を、切嗣は最後まで掴めていない。目的も、願いも、行動原理も分からない。それでも、綺礼がこちらへ近づいていることだけは分かっていた。

 その綺礼が死に、遠坂時臣が生きている。

 

 切嗣の想定では、逆であっても不思議ではなかった。

「……誰が殺した」

 舞弥が紙面を見る。

「遠坂時臣ではないのですか」

「分からない」

 切嗣は即答した。

「でも、これが事実なら、僕は一つの読みを完全に外した」

「脅威が一つ消えた、と考えることは」

「できない」

 

 切嗣は紙から目を離さなかった。

「観測できていた脅威が、原因も分からないまま消えたんだ。その原因が残っている」

「綺礼が死亡したのなら、あなたへの直接的な脅威は減ります」

「そのはずだ」

「そうは見えません」

「死んだ理由が分からないからね」

 

 遠坂時臣が綺礼が死亡したと、そう書いている。

 普通なら、信じない。

 敵方の情報だ。しかも、綺礼は時臣の弟子であり、監督役の息子でもある。死亡したという情報を流すことで、こちらの動きを誘導することはいくらでもできる。

 

 だが、文面が奇妙だった。

 勝利宣言ではない。威嚇でもない。

 取引の提案としても、あまりに乾いている。

 

「遠坂時臣が、これを?」

 舞弥が紙面を見た。

「筆跡は本人のものと見ていいと思います。封筒にも追跡はありません。紙にも、インクにも、魔術的な細工は確認できませんでした」

「ないことが細工だ」

 切嗣は紙をテーブルに置いた。

「遠坂時臣が、魔術的な封印もなしに、ただの紙で手紙を寄越す。僕がそれを罠と見ることを、向こうは分かっている」

「会いますか」

「会う」

 

 舞弥は驚かなかった。

 切嗣なら、そう答えると分かっていたからだ。

「理由は」

「無視できない言葉がある」

 

 切嗣は紙の一文を指で押さえた。

 あなたが聖杯に求めるものは、あなたの想定する形では実行されない可能性が高い。

 舞弥はそこを見た。

 

「聖杯の機能について、遠坂が何かを掴んだと?」

「あるいは、そう思わせたい」

「罠ですね」

「罠だ」

 

 切嗣は煙草を手に取った。火は点けなかった。

「でも、遠坂時臣が僕の願いの実行形式に触れてきた。これはただの挑発じゃない」

「遠坂は、あなたの願いを知っているのでしょうか」

「具体的には知らないはずだ」

 切嗣は短く答えた。

 

「でも、聖杯を求める者が何かを願うことは分かっている。問題は、遠坂時臣が“願い”ではなく“実行される形”と言っていることだ」

 舞弥は黙った。

 切嗣は紙を見つめる。

 遠坂時臣、名門の当主、正統な魔術師。

 優雅という言葉を好む男。

 

 聖杯戦争を儀式として扱い、自分のような外道の戦い方を軽蔑するはずの男。

 その男が、信用しろとは書いていない。

 私もあなたを信用しない。

 切嗣は、その一文を見ていた。

 

「変わったな」

「遠坂が、ですか」

「ああ」

 

 切嗣は、ようやく煙草に火を点けた。

「僕が遠坂時臣について持っていた情報と、この文面は少しずれている」

「桜の件でしょうか」

 舞弥が言った。

 切嗣は目を上げた。

 

「間桐臓硯は、契約履行能力を失っている」

 舞弥は文面の一文を読む。

「これは何を意味しているのでしょう」

「遠坂と間桐の間で、何かが起きた」

「間桐桜」

「おそらく」

 

 切嗣は煙を吐いた。

「遠坂時臣が間桐に対して“契約履行能力”なんて言葉を使うなら、魔術的な養子契約か、継承に関する問題だ。つまり、あの子だ」

「それが大聖杯の異常とつながると?」

「分からない」

 切嗣は即答した。

 

「だが、遠坂時臣が言峰綺礼の死亡、監督役の機能不全、間桐臓硯、大聖杯の異常を一枚の紙に並べた。それは、全部が同じ戦場にあると判断したということだ」

「会談場所は」

 舞弥が別紙を開く。

 

 そこには、時刻と場所だけが書かれていた。

 港湾部に近い廃倉庫。

 周囲に高い建物はいくつかある。狙撃位置も取れる。爆薬も仕掛けられる。退路もある。

 つまり、会談には向かない。

 

「向こうも分かっている」

 切嗣は地図を広げた。

「ここは、僕が罠を張れる場所だ。同時に、遠坂も準備できる場所だ」

「誘い込まれていると?」

「違う」

 

 切嗣は地図に指を置いた。

「遠坂は、こちらに罠を張らせるつもりだ」

 舞弥の目がわずかに細くなった。

「なぜ」

「僕が罠を張ることまで読んで、その上で話をするつもりなんだ。あるいは、僕の戦い方を確認したいのかもしれない」

「危険です」

「もちろん危険だ」

 

 切嗣は地図の端へ視線を動かした。

「だから行く」

 舞弥は頷いた。

「配置は」

「君は先行。倉庫の北側二階、窓のない区画を確認してくれ。狙撃位置として使えるなら使う。使えないなら、退路確保に回る」

「セイバーは」

「動かさない」

 

 舞弥は一瞬だけ、切嗣を見た。

「アーチャーが出た場合は」

「その時点で、僕の勝ち筋は消える」

 切嗣は淡々と言った。

 

「だから、セイバーを出さない。こちらがサーヴァントを出せば、向こうもアーチャーを出す。そうなれば、これはマスター同士の接触ではなくなる」

「アイリスフィール様の護衛は」

「セイバーに任せる。アイリには、僕が遠坂と接触することだけ伝える。詳細は言わない」

「セイバーが反発する可能性があります」

「だから詳細は言わない」

 その声に、迷いはなかった。

 

 切嗣にとってセイバーは強力な駒だ。

 だが、自分の手足ではない。

 正面からの名乗り。騎士としての問い。相手に戦う理由を求める態度。

 そのどれもが、切嗣の戦い方とは噛み合わない。

 

 遠坂時臣と話すなら、切嗣は銃を持って行く。

 爆薬を想定する。退路を作る。

 そして、必要なら殺す。

 

 セイバーは、その場にいない方がいい。

「初手はどうしますか」

 舞弥が尋ねた。

「撃つ」

 切嗣は即答した。

 

「会談では」

「遠坂は、僕が撃つことを想定している。なら、撃たない方が不自然だ」

「殺害を優先しますか」

「可能なら」

 

 切嗣は少し間を置いた。

「ただし、遠坂が本当に大聖杯について情報を持っているなら、殺す前に引き出す必要がある」

「矛盾しています」

「だから難しい」

 

 切嗣は煙草を灰皿に押しつけた。

「まず殺せる形で撃つ。殺せなかったら、遠坂が何を用意しているかを見る。情報が本物なら、話を聞く。嘘なら殺す」

「遠坂が本気で話をするつもりだった場合は」

「それでも撃つ」

 舞弥は、当然のように頷いた。

 

 切嗣は地図を見ていた。

 遠坂時臣は、こちらが罠を疑うことを理解している。

 自分も切嗣を信用しないと書いている。

 それは、奇妙な誠実さだった。

 信用を求めない。

 だからこそ、信用をまったく排除した場所で接触できる。

 切嗣は、その一点だけは評価した。

 

「舞弥」

「はい」

「これは、ただの交渉じゃない」

「分かっています」

「遠坂時臣は、僕を魔術師としてではなく、魔術師を殺す者として見始めている」

 

 舞弥は黙って聞いていた。

「なら、こちらも見直す必要がある。遠坂は、もう典型的な魔術師としては動かないかもしれない」

「それでも、殺せます」

「そうだね」

 

 切嗣は銃を組み立て始めた。

 金属音が、静かな部屋に響く。

「でも、殺す前に確かめることができた」

「何をですか」

「聖杯が、本当に願いを叶えるものなのか」

 その言葉だけ、少し低かった。

 

 舞弥は何も言わなかった。

 切嗣は銃に弾を込める。

 遠坂時臣の手紙は、テーブルの上に置かれたままだった。

 白い紙、端正な文字。

 魔術的な細工のない、ただの手紙。

 

 だからこそ、切嗣はそれを罠だと判断した。

 そして、罠だと分かったうえで、そこへ向かうことにした。

 

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