優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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17.優雅ではない戦い

 アイリスフィールには、最低限だけを伝えた。

「本当なら、条件は満たされたことになるわ」

「そうだね」

「でも、あなたは少しも安心していない」

 切嗣は答えなかった。

「綺礼が死んだことより、時臣が生きていることの方が気になるのね」

「正確には、その二つが同時に起きたことが気になる」

「私たちは、綺礼を排除することを条件にした」

「ああ」

「でも、その条件を遠坂自身が満たしたのだとしたら……私たちは、誰と何のために同盟するのかしら」

 

 切嗣は結論だけを言う。

「遠坂時臣と接触する」

 それだけで、アイリスフィールの表情は強張った。

「交渉?」

「確認だ」

 切嗣はそう答えた。嘘ではない。交渉ではない。信用もない。

 ただ、確認すべき情報がある。

 

「セイバーを連れていかないの?」

「彼女は君の護衛に残す」

「切嗣」

「アーチャーが出てくれば、セイバーを近くに置いても意味はない。むしろ、彼女が動けば向こうもアーチャーを出す。そうなれば、こちらの話ではなくなる」

 アイリスフィールは、それ以上問い詰めなかった。

 問い詰めても、切嗣が答えないことを知っていた。

 

 セイバーは、部屋の入口でその会話を聞いていた。

「言峰綺礼が死亡したというのは、事実なのですか」

 切嗣は手紙から目を上げなかった。

「まだ分からない」

「しかし、遠坂はそう記している」

「敵が送ってきた情報だ。それ以上の意味は、まだない」

 

 セイバーは、しばらく切嗣を見ていた。

「貴方が、最も警戒していた相手だったはずです」

「そうだ」

「ならば、事実であれば脅威は一つ減ったことになる」

 

 切嗣の手が止まった。

「僕が最も警戒していた男が、僕の知らない場所で死んだ」

 低い声だった。

「それを安心できる材料だとは思わない」

「遠坂が討ったのではないのですか」

「その可能性はある」

 

 切嗣は銃の弾倉を抜き、残弾を確かめた。

「だとすれば、僕は遠坂時臣を読み違えていた。そうでないなら、言峰綺礼を排除した何かが、まだ残っている」

 どちらであっても、敵が一人減っただけでは済まない。

 盤面そのものが、切嗣の知らないところで動いている。

「切嗣。遠坂と会うというのなら、私も同行すべきではありませんか」

 

 切嗣はセイバーを見なかった。

「君はアイリを守れ」

「しかし」

「これはサーヴァント同士の戦いじゃない」

 短い言葉だった。

 

 セイバーの眉が動く。

「ならば、なおさら危険です。マスター同士が直接接触するなら」

「だから君を連れていかない」

 切嗣は銃の弾倉を確認した。

「君が来れば、会談になる。僕が必要としているのは、会談じゃない」

「では、何なのです」

 

 切嗣は答えなかった。

 答えないまま、外套を取った。

 セイバーはそれ以上言葉を重ねなかった。

 その沈黙は納得ではなかった。切嗣は知っている。それでいい。納得される必要はない。

 ただ、今だけは動かないでくれればいい。

 

 

 廃倉庫には、潮の匂いが残っていた。

 かつて荷が積まれていた床は黒く汚れ、鉄骨の一部は錆びている。天井は高く、窓は割れ、冬の朝の光が細く差し込んでいた。

 会談には向かない場所だった。だが、だからこそ選んだ。

 狙撃線がある。退路がある。遮蔽物がある。爆薬を仕掛ける余地がある。魔術師が結界を張る余地もある。つまり、双方が罠を張れる。

 時臣は、倉庫の中央まで歩いた。足音が響く。外套の内側には、宝石を仕込んである。いつもの礼装ではない。魔術回路へ直接つなぐ防御ではなく、外部で受け、外部で壊れるためのものだった。

 

 優雅ではない。だが、負けるよりはいい。

 

「衛宮切嗣」

 時臣は、暗がりへ向けて言った。

「来ているのでしょう」

 

 返答はなかった。

 代わりに、銃声が響いた。

 それは挨拶より早かった。

 弾丸は、時臣の胸を正確に狙っていた。

 

 時臣は動かなかった。

 動けば、身体に魔力を通す。

 身体に魔力を通せば、その瞬間を狙われる。

 そう考えていた。

 

 胸元の宝石が砕けた。

 赤い光が一瞬だけ弾道を横へずらす。弾丸は時臣の身体に触れず、背後の鉄柱へ深く食い込んだ。

 時臣は、割れた宝石の感触を外套越しに確認した。

 防げた。その事実に、時臣自身がわずかに驚いていた。暗がりの向こうで、切嗣も同じだけ驚いていた。

 

「……外部礼装か」

 声は低い。

 姿は見えない。

「あなたが撃つことは、想定していた」

 時臣は答えた。

 

「なら、なぜ来た」

「撃たせる必要があったからだ。あなたが本当に、会談を会談として扱う気がないことを確認するために」

 次の銃声はなかった。

 その沈黙が、切嗣の再評価だった。

 

 時臣はそれを理解した。相手は外道だ。だが、愚かではない。

 倉庫の右奥で、小さな爆発が起きた。鉄骨の根元に仕込まれていた火薬が、火花と煙を上げる。時臣の右側の退路が崩れ、錆びた鉄板が床に倒れ込んだ。

 同時に、左上から銃声。舞弥だった。

 

 時臣は顔を向けない。

 事前に置いていた青い宝石が床の上で割れ、空気を斜めに歪ませた。舞弥の弾丸は、時臣の肩を狙っていたはずだったが、薄い膜を擦るようにして逸れ、倉庫の壁へ突き刺さる。

 時臣は息を吐いた。魔力反応はない。だが、気配はある。

 金属の擦れる音。火薬の匂い。風の流れの乱れ。割れた窓から入る光の反射。

 

 今までの自分なら、見落としていたかもしれない。

 魔術師ではない戦い方。

 それを、見る。

 再び爆発。

 

 今度は時臣の背後。

 退路を塞ぐのではない。前へ出させる爆発だった。

 切嗣は時臣を追い込んでいる。

 外部礼装を使わせる。宝石を割らせる。

 自分の身体から切り離した防御を一つずつ削らせる。

 最後に、大きな魔術を使わせるために。

 

 時臣は理解した。

 衛宮切嗣は、魔術を恐れていない。

 魔術師が魔術を使う瞬間を待っている。

 暗がりを走る影があった。

 切嗣だ。

 姿を見せたのは一瞬だけ。

 だが、その一瞬で十分だった。

 

 時臣は赤い宝石を床へ落とした。

 炎が走る。人を焼くための炎ではない。退路を切る炎。切嗣の進路と、舞弥の射線を分断するための壁だった。

 切嗣は止まらない。

 炎が上がる直前、床に仕込まれていた小さな爆薬が連鎖し、炎の流れを乱した。切嗣はその歪みを抜ける。

 時臣は眉を動かした。

 この男は、時臣の魔術を受けてから対応しているのではない。

 

 時臣がどういう位置に火を置くかを先に読んで、火薬を置いていた。

 その瞬間、時臣の背後でまた銃声。

 舞弥の牽制。狙いは急所ではない。時臣に防御を強いるための弾。

 時臣は、外部礼装をもう一つ割った。

 宝石の数が減っていく。切嗣は、それを数えているはずだった。時臣も、切嗣の弾を数えていた。

 互いに、相手の本命を待っている。

 

「よいぞ、時臣」

 耳元にだけ、ギルガメッシュの声が届いた。

「ようやく魔術師らしからぬ戦場を見ている」

 時臣は返事をしなかった。

 

 今、相手にするべきは王ではない。

 暗がりから迫る、魔術師殺しだった。

 

 時臣は左手の宝石を握る。

 賭けだった。切嗣が何を持っているかは知らない。

 だが、ここまでの動きで分かったことがある。

 衛宮切嗣は、魔術師の魔術行使を誘っている。

 

 ならば、誘わせる。

 ただし、本体では受けない。

 

 時臣は魔力を流した。

 倉庫の床に置いた複数の宝石が同時に光る。炎の壁が立ち上がり、切嗣の左右を塞ぐ。正面には透明の防御膜。背後には退路を読むための探知術式。

 切嗣から見れば、時臣が大きな魔術防御を展開したように見えるはずだった。

 

 実際には違う。

 魔力の流れは、時臣の身体を通っていない。

 外套の内側に仕込んだ補助回路を経由し、宝石群を仮の回路として立てている。昨夜、桜を隔離した時に使った切り離しの応用だった。

 切嗣が動いた。

 

 それまでとは違う銃声。

 時臣には、弾丸の名は分からない。

 だが、来る、と分かった。

 

 弾丸が防御膜に触れた。

 次の瞬間、術式が裂けた。

 防御膜が破られたのではない。

 構造そのものを、内側から裁断されたように崩れた。

 宝石が砕ける。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 

 外套の内側に仕込んだ補助回路が焦げ、左腕に痺れが走る。

 魔術回路へ冷たい刃を当てられたような感覚。

 だが、そこで止まった。

 時臣は踏みとどまる。

 左腕は重い。

 補助礼装の一部は死んだ。

 手元の宝石も失われたが、本体の魔術回路は生きている。

 切り離しは、間に合った。

 

 切嗣は銃口を向けたまま、表情を変えなかった。

 だが、時臣には分かった。

 驚いている。

 

 この弾丸は、本来なら魔術師を壊すものだったのだろう。

 魔術を通した防御に触れ、術者自身へ破壊を返すもの。

 時臣は、その理屈を完全には理解していないが、それで十分だった。

 

「今のが、君の本命か」

 時臣は言った。

 切嗣は答えない。

「名称は知らない。理屈も、今は分かりようもない。だが、魔術師が魔術を使った瞬間を壊すための弾であることは分かった」

 

 倉庫の奥で、舞弥が動いた。

 切嗣を撤退させるための動きだった。

 時臣は右手の宝石を弾く。

 

 炎ではない。

 赤い光が細い線になって走り、切嗣の退路を斜めに切った。殺すためではない。動きを止めるための一撃。だが、まともに受ければ腕か脚は使えなくなる。

 

 切嗣は避けようとした。

 間に合わない。

 その直前、舞弥が飛び出した。

 

「舞弥!」

 切嗣の声が、初めて荒れた。

 舞弥は切嗣の前に身体を入れ、赤い光を肩から脇腹にかけて受けた。

 肉を焼く匂いがした。

 

 舞弥は倒れなかった。

 倒れまいとした。

 だが膝が落ちる。

 

 切嗣が彼女を支えた。

 時臣は追撃しなかった。

 追撃できた。

 今なら、切嗣は舞弥を抱え、動きが止まっている。

 炎を置けば焼ける。宝石を放てば貫ける。

 

 時臣は動かなかった。

 切嗣が顔を上げる。

 銃口はまだ時臣へ向いている。

 しかし、その手はわずかに遅れていた。

 

「撃たないのか」

 切嗣が言った。

「あなたが彼女を庇わせるつもりで動いたわけではない、と判断した」

「甘いな」

「かもしれない」

 

 時臣は静かに答えた。

「ですが、今の一撃で十分でしょう」

「何が」

「あなたが、約束を守る人間かどうかだ」

 切嗣の目が細くなる。

「僕はまだ何も約束していない」

「ええ。だから、ここからです」

 

 時臣は左腕の痺れを押さえた。

「衛宮切嗣。あなたは私を殺そうとした。罠も張った。部下も使った。会談の形式を守る気もなかった」

「その通りだ」

「ですが、話を聞くと言った後に、その場で裏切る類の人間ではない」

 

 切嗣は答えなかった。

「昨夜、契約を語りながら、その裏で蟲を這わせる者を見た」

 時臣の声は、わずかに低くなった。

「あなたは違う。あなたは最初から撃った。罠を隠していたとしても、敵であることは隠していない」

 

 ギルガメッシュの声が、時臣の耳にだけ届く。

「ほう。老蟲よりは信用できると見るか」

 時臣は、虚空を見なかった。

「分かっています」

 

 切嗣には、それが誰への返答か分からない。

 時臣は続けた。

「あの方と、衛宮切嗣は違います」

 

 舞弥の呼吸が荒い。

 傷は深いが、すぐに死ぬほどではない。

 切嗣はそのことも確認していた。

 押し切るか。退くか。話を聞くか。

 起源弾は本命だった。

 それを完全には通せなかった。

 

 舞弥は負傷した。

 アーチャーはまだ姿を見せていない。

 そして遠坂時臣は、大聖杯について何かを知っている。

 切嗣は、銃口を下げなかった。

 だが、撃たなかった。

 

「話せ」

 短い言葉だった。

「聞くだけだ」

「十分です」

 

 時臣は、姿勢を正した。

 かつての自分なら、まず御三家の目的から語っただろう。

 聖杯の由来を示し、その管理権が誰にあるのかを説き、外様の者が知らずに手を伸ばす危険を、礼節に包んで伝えたはずだ。

 必要ならば、誰かの口を借りてさえ。

 

 そのような言葉は、もう要らなかった。

 言葉を尽くさなくても分かると思い、妻とは話さなかった。

 契約という形を信じ、間桐の実態を見なかった。

 師として、忠実に振る舞う弟子を信じ、その内側を問わなかった。

 

 衛宮切嗣にまで、同じ過ちを繰り返す理由はない。

 この男は、礼辞の奥に罠を探す。婉曲な警告には取引を疑い、前置きが長ければ、その間に隠された意図を読む。

 ならば、結論だけを告げればよい。

 

 優雅ではない。

 それでも、誤解されるよりはいい。

 

「衛宮切嗣」

 時臣は言った。

「聖杯は、あなたの願いを叶えない」

 切嗣の表情が、わずかに変わった。

 初めて、銃口ではなく、言葉の方へ意識が向いた。

 

 

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