優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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2.後処理

 言峰綺礼だったものは、灰になっていた。時臣はしばらく、その灰を見下ろしていた。

 炎はもう消えている。室内には焦げた布と血の匂いが残り、床にはアゾット剣が落ちていた。時臣はまずそれを拾った。拾い上げる手つきは、奇妙なほど丁寧だった。

 

 それから、刃についた血を布で拭う。自分の血だった。

 時臣はそれを見て、わずかに眉を寄せた。痛みのためではない。血の量を確認し、魔術行使に支障があるかを測っただけだった。

 

「左脇腹、浅からず。肩は骨に響いたか」

 独り言のようにつぶやき、時臣は懐から小さな宝石を取り出した。

 砕く。柔らかな赤い光が傷口に沈み、流れていた血が止まった。完全な治癒ではない。戦闘続行と後始末に必要なだけの処置。魔術師らしい、必要十分な処理だった。

 

 黄金の王は、その様子を見ていた。ギルガメッシュは椅子に腰かけたまま、頬杖をついている。先ほどまで弟子を焼き殺していた男が、今は床の焦げ跡と魔術式の乱れを検分している。激情もない。祈りもない。後悔らしいものも見えない。

 

 それが愉快だった。

「時臣」

 王が声をかける。

 

 時臣はすぐに向き直り、一礼した。

「はい、王よ」

「貴様、思ったより冷静だな」

 

 ギルガメッシュは笑っていた。

「弟子を殺した直後に、まず己の血を止め、床の術式を確認し、証拠の始末を考えるか。まるで、こうなることをどこかで考えていたようではないか」

 時臣は一瞬だけ沈黙した。

 怒ったわけではない。悲しんだわけでもない。言葉を選んでいた。

「綺礼個人を、明確に疑っていたわけではありません」

「ほう?」

「彼は優秀でした。恐ろしく優秀だった。私の求める役割を理解し、必要な仕事を過不足なく行う。判断も早く、感情に乱されることも少ない」

 

 時臣は灰へ視線を落とした。

「だからこそ、信用しておりました」

「では、なぜ備えた」

 ギルガメッシュの声に、楽しげな色が混じる。

「信じていた相手に、罠を張っていたというのか」

「罠ではありません」

 

 時臣は静かに否定した。

「当主の備えです」

 その言葉に、ギルガメッシュの目が細くなった。

 時臣は、床に残った血を指先でなぞった。血の上に薄い魔術式が浮かび、やがて消える。部屋の結界が、殺人の痕跡を少しずつ隠していく。

「王よ。人は、すべてを語るものではありません。魔術師であればなおさらです。どれほど親しくとも、師弟であっても、親子であっても、明かさぬものはある」

「貴様もか」

「はい」

 時臣はためらわず答えた。

 

「私にもあります。綺礼にもありました。それが悪だとは申しません。秘すべきものを秘すことは、魔術師の常です。彼は魔術師ではありませんでしたが、己の内を明かさぬという点では、むしろ魔術師より徹底していた」

「ならば、信用できぬではないか」

「完全には」

 時臣の返答は早かった。

「ですが、完全に信用できる者だけを使う当主など、当主ではありません」

 

 ギルガメッシュは笑みを深めた。

 続けよ、と視線だけで促す。

 時臣は灰を小瓶に収めた。言峰綺礼の遺灰。教会へ渡すためか、あるいは遠坂家の記録として封じるためか。いずれにせよ、粗雑には扱わなかった。

 

「本音を言わぬ者は信用できません。本音を言わぬ者とも付き合わねばならない。それが家を持つということです」

「それで、弟子にも焼かれぬよう工房を仕立てていたか」

「工房は、すべての不測に備えるものです」

「言い訳としては整っているな」

「言い訳ではありません」

 時臣は、そこで初めてギルガメッシュを見た。

 その視線は恭順を保っていた。だが、先ほどまでとは違うものがわずかに混じっている。焼けた弟子の前で、なお自分の理を崩さない男の目だった。

 

「信頼とは、無防備になることではありません。少なくとも、遠坂の当主にとっては」

 ギルガメッシュは、喉の奥で笑った。

「つまらぬ理屈だ」

「承知しております」

「だが、今宵は少し味がある」

 時臣は何も答えなかった。

 

 彼は次に、言峰綺礼の右腕へ目を向けた。焼け残った袖の下に、令呪の痕跡がある。時臣は膝をつき、慎重にそれを検めた。

 数が多い。通常のマスターが持つ令呪ではない。

 時臣の目がわずかに細まる。

「璃正神父の令呪か」

 呟きは低かった。

 

 ギルガメッシュはそれを聞き逃さない。

「貴様の弟子は、父の遺したものまで受け取っていたようだな」

「そのようです」

「そのようです、か。実につまらぬ返事だ。もっと怒ればどうだ」

 

 時臣は焼け残った令呪の状態を確認しながら答えた。

「怒りはあります」

「見えぬな」

「見せても、状況は改善しません」

 

 ギルガメッシュは声を上げて笑った。

「ははははは! よいぞ、時臣。貴様、弟子よりよほど性質が悪いではないか」

「恐れ入ります」

「褒めてはおらぬ」

「承知しております」

 

 時臣は、令呪の残滓を封じるための小さな術式を組んだ。璃正の死が教会に伝わる前に、言峰綺礼の死も処理しなければならない。監督役が死に、その息子も死んだ。聖杯戦争の秩序は、表面上さらに崩れる。

 だが崩れたことを、そのまま見せるわけにはいかない。時臣はそういう顔をしていた。

 

 ギルガメッシュは、その顔も見ていた。

 弟子を失った師。裏切りを処理した当主。自分の傷を計算する魔術師。教会への報告文面を、すでに頭の中で整え始めている男。どれも同じ顔の中にある。

 

 言峰綺礼は、自分の内側を知らなかった。

 遠坂時臣は、自分の内側をよく知っている。

 そのうえで、見せるものを選んでいる。

 なるほど。

 これはこれで、見物に値する。

 

「時臣」

「はい」

「貴様は、綺礼が裏切ると思っていたのか」

 時臣は手を止めた。

 今度は少し長く黙った。

 

「……思っていた、とは申しません」

「では」

「あり得るとは、考えておりました」

 ギルガメッシュは目を細める。

「なぜだ」

「綺礼は、空でした」

 

 その言葉に、王の笑みが変わった。

 深くなる。

 時臣は気づいていない。あるいは、気づいたうえで言っているのかもしれない。

 

「私には、彼の望みが見えませんでした。聖堂教会に従い、父に従い、私の命にも従う。だが、その奥に彼自身の願いが見えない」

「それを知りながら、傍に置いたか」

「有能でしたので」

 

 時臣は淡々と言った。

「有能で、任務に忠実で、判断力があり、戦闘能力も高い。危険であることと、有用であることは両立します」

「ならば、貴様が使い損ねたのだな」

「そうかもしれません」

 この答えは、ギルガメッシュにとって少し意外だった。

 

 時臣は責任を他人だけに押しつけなかった。綺礼が異常だった、教会が悪かった、璃正が見誤った、そう言うこともできた。だが彼は、自分が使い損ねた可能性を認めた。ただし、それもまた冷静な分析として。罪の告白ではない。

 

「綺礼の空虚さを、私は埋めるべきものとは見ませんでした。扱うべき性質と見た。そこに誤りがあったのでしょう」

「ほう。貴様、弟子の心を救ってやる気はなかったか」

「私は聖職者ではありません」

「師であろう」

「魔術の師です」

 

 ギルガメッシュは笑った。

「徹底しておるな、時臣」

「そうあるよう努めております」

「だから殺されかけた」

「はい」

 時臣は、そこで初めてほんのわずか、自嘲のようなものを見せた。

 

「そして、だからこそ生き残りました」

 ギルガメッシュは杯を取った。中身はすでに空だったが、彼はそれを楽しげに掲げた。

「よい」

 王は言った。

「今の答えはよいぞ、時臣」

 時臣は一礼する。

「恐れ入ります」

「まだ褒めてはおらぬ」

「承知しております」

 

 同じ返答だった。

 だが、先ほどより少しだけ、時臣の声にも疲れが混じっていた。

 当然だ。傷は浅くない。弟子を焼いた。神父の令呪を回収し、教会との整合性を取り、聖杯戦争の残りを処理しなければならない。しかも目の前の王は、助けるどころか、すべてを見物している。

 

 それでも時臣は、崩れなかった。

 ギルガメッシュはそれを楽しんでいた。

 時臣は綺礼の灰を封じ終え、アゾット剣を布に包んだ。弟子に贈った剣を、弟子が師を殺すために用いた。その剣を、師が拾い、証拠として保管する。

 悪趣味な巡りだ。

 そして、悪くない。

 

「王よ」

 時臣が口を開いた。

「今後の契約について、確認させていただきたい」

「契約?」

「綺礼は、私の排除後に王と再契約するつもりだったのでしょう。璃正神父の令呪を有していた以上、その可能性は高い」

「そうであろうな」

 ギルガメッシュは否定しなかった。

 

 時臣の目が、ほんのわずか暗くなる。

「王は、それをご存じでしたか」

 部屋の空気が、静かに張った。

 普通のサーヴァントに向ける問いではない。問いという形を取った、ほとんど命がけの確認だった。

 

 ギルガメッシュは、上機嫌に笑った。

「知っていた」

 時臣は一礼したまま、動かなかった。

「そうですか」

「怒らぬのか」

「怒る資格はありますまい」

「なぜだ」

「私は王を最後に退去させるつもりでおりました」

 

 ギルガメッシュの笑みが止まった。

 いや、止まったのではない。形が変わった。

 より愉快なものを見る顔になった。

 

 時臣は続けた。

「聖杯を完成させるためには、すべてのサーヴァントが必要です。王も例外ではありません。私はそのための令呪を温存していた。綺礼がそれを知り、王に伝えていたなら、王が綺礼の企てを見逃したとしても、不当とは申せません」

「貴様、よくも我の前で言う」

「申し上げねば、契約は続けられません」

 

 時臣は顔を上げた。

 礼は保っている。

 だが、逃げてはいない。

 

「王よ。私はあなたを欺くつもりでおりました。綺礼もまた、私を欺くつもりでおりました。違いは、私が生き残り、綺礼が死んだことだけです」

 ギルガメッシュは、しばらく時臣を見た。

 

 そして。

「はは」

 笑った。

「はははははははは!」

 王の笑いが、焼けた工房に響いた。

 

「よい。実によいぞ、時臣。今宵の貴様は、どこまでも我を退屈させぬ」

 時臣は黙っていた。

 ギルガメッシュは椅子から立ち上がる。黄金の鎧が、低い音を立てた。

「よかろう。契約は続けてやる」

「感謝いたします」

「勘違いするな。貴様を許したのではない。貴様がどこまでその優雅な面を保っていられるか、見たくなっただけだ」

「承知しております」

「そして時臣」

 

 ギルガメッシュは、灰を封じた小瓶へ目を向けた。

「貴様は、弟子を焼き、己の企みを認め、それでもなお杯へ向かうつもりか」

 時臣の返答は、少しだけ遅れた。

「はい」

 それは、迷いのない声ではなかった。

 だが、逃げの声でもなかった。

 

「遠坂の当主として、聖杯戦争を完遂する責務があります」

「責務か」

「はい」

「では、見せてもらおう」

 

 ギルガメッシュは、ひどく楽しげに言った。

「貴様の責務とやらが、何を飲み込むのかをな」

 時臣は深く一礼した。

 焼けた匂いの残る部屋で、弟子を殺した師は、静かに後始末を続けた。

 黄金の王は、それを最後まで見ていた。

 

 

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