優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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21.それぞれの帰還、そして征服王の反応

 舞弥は、自分の足で部屋に入った。

 ただし、それは切嗣に支えられてのことだった。

 アイリスフィールは、椅子から立ち上がりかけて、そのまま固まった。

 セイバーは一歩前へ出る。

 

「切嗣。何があったのです」

 切嗣は答えなかった。

 舞弥を寝台へ横たえる。傷口は塞がれている。だが、自然な処置ではない。セイバーにもそれは分かった。魔術とも違う。もっと古く、もっと強引で、それでいて精密な何かだった。

「敵にやられたのですか」

「遠坂だ」

 切嗣は短く答えた。

 

 セイバーの目が鋭くなる。

「ならば、なぜ私を」

「君を出せば、アーチャーが出る」

 切嗣は舞弥の呼吸を確認しながら言った。

「そうなれば、話が変わる」

「話?」

 セイバーは眉を寄せた。

 

「会談ではなかったのですか」

「会談にはならなかった。だが、話は聞いた」

 アイリスフィールが、切嗣を見る。

「切嗣……?」

 切嗣は少しだけ沈黙した。

 

 それから、いつもの低い声で言った。

「聖杯は、このままでは使えない」

 部屋の空気が止まった。

 セイバーが一歩近づく。

「それは、どういう意味ですか」

「遠坂が見せた」

 

 セイバーの目が鋭くなる。

「遠坂時臣が?」

「ああ」

「では、貴方は彼の言葉を信じたのですか」

「信用はしていない」

 切嗣は即座に答えた。

「だが、嘘をつくなら、もっと都合のいい嘘をつく。あれは遠坂自身にとっても不利な事実だった」

 

 アイリスフィールが静かに尋ねる。

「遠坂は、以前とは違っていたの?」

 切嗣は舞弥の傷口を見た。

 あの場で自分を撃たせた男。

 舞弥を傷つけ、それでも見捨てず、王の財宝を使って命を繋いだ男。

 聖杯の異常を隠せば、まだ勝者を目指せたはずの魔術師。

 

「分からない」

 切嗣は言った。

「変わったのかもしれない。あるいは、僕が最初から読み違えていた」

「言峰綺礼のこともですか」

 セイバーが尋ねた。

 

「綺礼を殺したのは遠坂だ」

 アイリスフィールの表情が変わった。

「遠坂が……?」

「綺礼が彼を殺そうとした。遠坂は生き残った」

 切嗣は短く告げた。

「僕が最も警戒していた男を、遠坂時臣は返り討ちにした。そしてその後に、聖杯の異常を僕へ知らせた」

「ならば、遠坂は我々の味方なのですか」

「違う」

 

 切嗣はようやくセイバーを見た。

「敵か味方かで数えられる状態じゃない。だから、君も見る必要がある」

「答えになっていません」

「今は、それ以上言えない」

 セイバーの顔に、不信が浮かぶ。

 切嗣はそれを見ても、説明を足さなかった。

 

 舞弥が薄く目を開ける。

「切嗣……」

「喋るな」

 切嗣は彼女の肩へ布をかけた。

 

 それから、セイバーを見る。

「次に見る時は、君も来る」

「何を、ですか」

「聖杯の中身だ」

 セイバーは言葉を失った。

 切嗣は窓の外を見た。

 朝の光は、白く冷たかった。

 彼はまだ、あれをどう扱えばいいのか分かっていなかった。

 ただ一つだけ、はっきりしている。

 あの泥へ願ってはいけない。

 

 

 

 時臣が遠坂邸へ戻った時、門の前には凛がいた。

 葵に止められたのだろう。門の内側で、じっと待っていた。

 時臣の姿を見ると、凛は駆け寄りかけて、途中で止まった。

「お父様」

「凛。中で待つように言ったはずだ」

「待っていました。ここは中です」

 時臣は一瞬だけ言葉を失った。

 それから、小さく息を吐く。

 

「桜は」

 凛が聞く。

「今は安定している」

「もう、痛くないの?」

 時臣は、すぐには答えなかった。

 その沈黙で、凛は自分の問いが子どもじみていたことを悟った。

 痛いかどうかではないのだ。何かが、桜の中に残っている。

 それを父は知っている。

 そして、自分にはまだ教えるつもりがない。

 

「今すぐ苦しむ状態ではない」

 時臣は言った。

「危険は?」

「今のところ、こちらには届いていない」

「こちら?」

「桜にだ」

 凛は唇を結んだ。

「……誰から?」

 

 時臣は、少しだけ目を伏せた。

「今のお前が知る必要はない」

「私は姉です」

「だからこそ、今は桜のそばにいなさい」

 凛は反論しかけた。

 けれど、父の声には拒絶だけではないものがあった。

 隠している。だが、遠ざけているだけではない。

 凛を守るためでも、桜を守るためでもあるのだと、悔しいことに分かってしまった。

 

「……分かりました」

 凛は小さく言った。

「でも、いつか教えてください」

「必要になれば」

「必要にならなくても、です」

 時臣は、凛を見た。

 凛は目を逸らさなかった。

「私は、桜の姉です」

 時臣はしばらく黙っていた。

 それから、静かに頷いた。

 

 分かっている。凛はそう言った。

 だが、その顔は、まだすべてを知るには幼い子どものものだった。

 それでも、足は動かさなかった。

 時臣は、胸の奥に小さな痛みを覚えた。

「凛」

「はい」

「お前が命令を守ったことは、桜を守ることに繋がっている」

 凛の目が揺れた。

「本当ですか」

「本当だ」

 時臣は静かに答えた。

 

 凛は、少しだけ俯いた。

「なら、守ります」

 その声は小さかったが、折れてはいなかった。

 

 時臣は離れの工房へ向かった。

 ギルガメッシュは、いつの間にか隣を歩いている。

 霊体のまま、声だけが届いた。

「殺し屋は戻ったぞ」

「でしょうな」

「舞弥も生きている」

「それは何よりです」

「何より、か」

 ギルガメッシュは喉の奥で笑った。

 

「敵の手足を生かして帰した男の言葉とは思えぬな」

「彼女が死ねば、衛宮切嗣は話を聞かなかった」

「本当にそれだけか」

 時臣は答えなかった。

 工房の扉の前に立つ。

 桜の周囲に置いた宝石の反応は、安定している。ギルガメッシュの封具もまだ機能していた。

 臓硯の干渉は、今は届いていない。

 

 時臣は扉を開ける前に、少しだけ目を閉じた。

 聖杯、切嗣、セイバー、臓硯。

 桜。

 すべてが絡まり始めている。

 

「次は王だな」

 ギルガメッシュが言った。

 時臣は目を開ける。

「ライダーですか」

「他に誰がいる」

 王は上機嫌だった。

「殺し屋は杯を疑った。騎士王もいずれ見る。ならば、征服王が黙っておるはずもない」

「彼は聖杯の異常を知っているのでしょうか」

「知らぬだろうな」

 ギルガメッシュは笑った。

「だが、戦の匂いが変わったことくらいは分かる男だ」

 

 

 

「なあ、ライダー」

 ウェイバーは、借りている部屋の隅で地図を広げていた。だが、地図など見ていない。

 彼の視線は、ずっと目の前の巨漢に向けられていた。

 ライダーは窓辺に立ち、冬木の街を見ている。妙に静かだった。

 いや、街が静かなのはいつものことだ。

 だが、ライダーの背中が静かすぎる。

 

「何かあったのか?」

「うむ」

 ライダーは短く答えた。

「うむ、じゃなくてさ。何が」

「戦の流れが変わった」

 ウェイバーは顔をしかめた。

「またそういう、分かるような分からないようなことを」

「分からんか?」

「分からないから聞いてるんだよ!」

 

 ライダーは振り返り、大きく笑った。

「ならば教えてやろう、坊主。聖杯戦争は、勝者を決める戦ではなくなりつつある」

 ウェイバーは黙った。

 それは、冗談にしては重すぎた。

「どういう意味だよ」

「アーチャーが動いておる」

「そんなの前からだろ。あいつはずっと偉そうに動いてる」

「違う」

 ライダーは首を振った。

 

「あやつは今、勝つためではなく、戦そのものを見ておる」

 ウェイバーには、やはり分からなかった。

 だが、ライダーの顔が冗談を言っていないことだけは分かった。

「遠坂の魔術師も変わった。セイバーの陣営も揺れておる。殺し屋の気配も濁った。監督役の座は空き、間桐の巣も騒がしい」

「何でそんなこと分かるんだよ」

「王だからだ」

「説明になってない!」

「なる」

 ライダーは当然のように言った。

 

「王は戦場を見る。兵の数だけではない。旗の向き、風の匂い、敵の沈黙、味方の焦り。そういうものを全部見る」

 ウェイバーは言い返そうとして、やめた。

 ライダーの目は、窓の外ではなく、そのもっと奥を見ているようだった。

「アーチャーは、聖杯を奪って勝者となるのではなく、杯そのものを裁こうとしておる」

「裁く?」

「そうだ」

 

 ライダーは歯を見せて笑った。

「気に食わんな」

「え?」

「実に気に食わん」

 ライダーは楽しそうだった。

「戦場に立つ王ならば、まず奪え。掴め。勝て。そのうえで笑って裁け。それを、あやつは最初から上に立って見下ろそうとしておる」

「いや、アーチャーならそうしそうだけど」

「だからこそ問わねばならん」

 

 ウェイバーは嫌な予感がした。

「問うって、誰に」

「決まっておろう」

 ライダーはマントを掴んだ。

「英雄王にだ」

「いやいやいやいや!」

 

 ウェイバーは立ち上がった。

「今!? 今行くのか!? 状況が分からないって自分で言ってただろ!」

「分からんから行くのだ」

「それで何でアーチャーなんだよ!」

「この戦の形を変えようとしているのは、あやつだ」

 ライダーの声は明るい。

 だが、そこには王の重みがあった。

 

「ならば、同じ王として聞かねばならん。貴様はこの戦をどう終わらせるつもりか、と」

 ウェイバーは言葉に詰まった。

「勝てるのかよ」

「分からん」

「分からんって!」

「だが、会わずに済ませるわけにはいかん」

 ライダーはウェイバーへ近づき、その頭に大きな手を置いた。

 

「坊主。これはただの喧嘩ではない。王が王に問う場だ」

「……僕も行くのか」

「当然だ。余のマスターであろう」

「こういう時だけ当然って言うなよ……」

 ウェイバーの声は情けなかった。

 だが、逃げるとは言わなかった。

 ライダーは満足そうに笑う。

 

「よし。では行くぞ」

「どこに」

「アーチャーのところだ」

「場所は?」

「向こうからでも来るだろう」

「雑すぎる!」

 ウェイバーは叫んだ。

 ライダーは笑いながら窓を開けた。

 

 冬木の朝風が、部屋へ入り込む。

「戦の匂いが変わった時、王は黙って座ってはおれん」

 ライダーは空を見た。

「英雄王よ。貴様が何を見ておるのか、余にも見せてもらうぞ」

 

 

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