優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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29.娘二人を守るための助言

 凛が桜のもとへ帰ってもいいかと聞いたあと、時臣はしばらく聖杯を見ていた。

 切嗣も、セイバーも、もう願いを差し出せない。

 自分も同じだった。根源へ至る願いは、今の自分には定義できない。

 だが、それで終わりではない。

 

「聖杯」

 時臣は静かに言った。

 凛の視線が、再び聖杯へ向く。

 聖杯の光が、わずかに揺れた。

 

〈願望の再定義を受け付けます〉

「願望ではありません」

 時臣は答えた。

「助言を求めます」

 

 切嗣が目を細めた。

 セイバーも時臣を見る。

 ギルガメッシュは、少しだけ口元を上げた。

「ほう」

 

 聖杯の声は変わらない。

〈助言要求を確認します。内容を指定してください〉

 

 時臣は、一度だけ凛を見た。

 そして言った。

「私の娘二人を、魔術協会、聖堂教会、あるいはそれに類する外部勢力から守るために、私は何をすべきだと考えますか」

 

 凛が息を呑んだ。

 聖杯はすぐには答えなかった。

 

 やがて、淡々とした声が返る。

〈未来保証は不能です。過去の指定時点に対する改変、または条件を指定した分岐世界の生成は可能です。しかし、未来は対象本人および外部主体の選択、未発生の事象、観測不能な要因によって継続的に分岐します〉

 

 時臣は黙って聞いた。

 

〈特定の未来を恒久的に保証する場合、対象および周辺主体への継続的な干渉、行動制限、または自由意思の制限が必要です。現在の助言要求には含まれていません〉

〈現在確認可能な脅威、制度、契約、血統、魔術的資質に基づく防衛条件の提示は可能です〉

 

「それで構いません」

 

〈保護対象を指定してください〉

「遠坂凛」

 時臣は言った。

 そして、少しだけ間を置いた。

 

「遠坂桜」

 

 凛が父を見上げた。

 時臣は訂正しなかった。

「私の娘二人です」

 

 ギルガメッシュが、満足げに笑った。

 

 聖杯は続ける。

〈保護の定義を指定してください。生命活動の維持。人格の保持。記憶の保持。魔術回路の保全。意思決定権の保持。強制的な研究対象化の回避。封印指定の回避。聖堂教会による異端認定の回避。家門存続の維持。優先順位を指定してください〉

 

 時臣は目を伏せた。

 魔術師なら、どう答えただろうか。

 魔術回路、血統、家門、後継。

 それらは今も重要だった。捨てたわけではない。

 だが、もう最上位には置けなかった。

 

「人格の保持、意思決定権の保持、生命活動の維持を最上位に」

 時臣は言った。

「魔術回路の保全と家門存続は、その下です」

 

 凛は何も言わなかった。

 だが、袖を握る手に力がこもった。

 

 聖杯が応答する。

〈条件を受理。助言を提示します〉

 

 光の中に、文字のようなものが浮かび上がった。

〈第一。間桐家との養子契約について、契約履行違反を正式に記録してください。対象、遠坂桜への外部命令、監視術式、追跡術式、蟲による侵食、間桐臓硯との再接続経路は、契約目的である後継育成および資質保全に反します。桜の一時保全を、正式な保護措置へ移行する必要があります〉

 

 時臣は頷いた。

 

〈第二。証拠を保全してください。桜に残された術式痕、雁夜の身体に施された処置、間桐邸での契約確認妨害、遠隔再接続の試行。これらを第三者が確認可能な形で記録してください〉

 

 切嗣が小さく笑った。

「魔術師の家の恥を、外に出せと言っているぞ」

 時臣は答えた。

「隠した結果が、今です」

 切嗣はそれ以上言わなかった。

 

〈第三。聖堂教会、または中立監督機関に、最小限の情報を提出してください。目的は告発ではなく、間桐側の再請求権と外部干渉権限の封鎖です。情報公開範囲を制限し、凛および桜の魔術的資質の全貌は秘匿してください〉

 

 セイバーが眉をひそめる。

「全てを明らかにしないのですか」

 時臣は静かに答えた。

「明らかにすれば守れるとは限りません。協会も教会も、保護者ではありません」

 

 聖杯が続ける。

〈第四。封印指定を避けるため、両名の能力評価を分散、誤認、遅延させる防護を整備してください。過剰な才能の集中は、保護ではなく収奪の対象となります〉

 

 凛はその意味を完全には分からない。

 だが、自分と桜が狙われる可能性があるということは分かった。

 

〈第五。遠坂家単独での秘匿は、短期的には有効ですが、長期的には危険です。複数の証人、複数の利害関係者、相互牽制可能な外部協力者を設けてください。一勢力のみが保護権限を独占する状態を避けることを推奨します〉

 

 ギルガメッシュが笑った。

「聞いたか、時臣。貴様一人で抱えるなと言われておるぞ」

「聞いております」

「よい顔だ。実に不本意そうだな」

 時臣は否定しなかった。

 

 聖杯は最後に告げる。

〈第六。保護対象本人の意思決定権を、将来的に文書化してください。凛および桜を、資質、器、後継、血統としてのみ扱う記録は、将来的な収奪理由となり得ます。本人としての同意、拒否、継承権、教育方針、保護者権限の範囲を明文化することを推奨します〉

 

 時臣は、長く沈黙した。

 魔術師の家にとって、それは異質な助言だった。

 だが、今の時臣には理解できた。

 桜を「資質」として扱ったから、間桐に差し出せた。

 凛を「後継」として扱うだけなら、いつか同じことを繰り返す。

 

〈助言提示、完了〉

 聖杯の光が静まった。

 

 時臣は深く息を吸った。

「承知しました」

 ギルガメッシュが言う。

「礼は言わぬのか」

 

 時臣は聖杯を見た。

「聖杯に、ですか」

「我にだ」

 時臣は少しだけ沈黙した。

 そして、頭を下げた。

 

「ありがとうございます、王よ」

 ギルガメッシュは満足げに笑った。

 

 凛は父を見ていた。

 その横顔は、いつもの遠坂時臣だった。

 けれど、少し違っていた。

 遠坂の当主であり、魔術師であり、そして父だった。

 

 切嗣は低く呟いた。

「助言か」

 時臣が彼を見る。

「君は、聖杯に願わず、相談したわけだ」

「ええ」

「その方が、よほど実用的だな」

 時臣は苦く笑った。

「私も、今ようやくそう思った」

 

 セイバーは、聖杯を見ていた。

 願いを叶える器。願いを投げ込むだけでは何も叶えない器。

 彼女は、自分がまだ何を問えばいいのかも分からないことを、改めて知った。

 

 凛が時臣の袖を引いた。

「お父様」

「何だ」

「今度こそ、桜のところへ帰ってもいいですか」

 

 時臣はすぐには首を振らなかった。

「もう少しだけ待とう、彼らが何を願うかを知りたい」

 

 ギルガメッシュは、澄んだ聖杯を一瞥した。

「ほう。娘のもとへ駆け戻るだけでは済まさぬか」

 

 時臣は答えない。

 凛は父の袖を握ったまま、聖杯の方を見た。

「よいぞ、時臣。ようやく貴様も、人の願いを見る顔になった」

「……王よ」

「家の悲願でも、己の執念でもない。他人が何を願い、何を願えぬかを見る。魔術師としては遅い。だが、人としては、まあ悪くない」

 

 ギルガメッシュは凛へ視線を移した。

「小娘。よく見ておけ。願いとは、叶ったものだけでなく、叶えられぬものにも形が出る」

 

 聖杯は何も言わなかった。

 ただ、次の願いを待つように、静かに光っていた。

 

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