優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

33 / 33
33.王の下賜

 凛が、時臣の袖を引いた。

「お父様」

「何だ」

「もう、桜のところへ帰ってもいいですか」

 

 時臣は、聖杯を見た。

 澄んだ器は、まだ光っている。

 だが、今の凛に必要なのは、もうこの場に留まることではなかった。

 

「ああ。帰ろう」

 時臣はそう言い、凛の肩に手を置いた。

 その時だった。

 

〈ギルガメッシュ〉

 聖杯の声が響いた。

 ギルガメッシュが、ゆっくりと振り返る。

〈願望はありませんか〉

 

 一瞬、場の空気が止まった。

 セイバーがギルガメッシュを見る。

 切嗣も目を細めた。

 時臣は、凛の肩に手を置いたまま動かない。

 ギルガメッシュは、少しだけ黙った。そして、笑った。

 

「我に問うか、杯」

〈願望者を確認しています〉

「我に願いなどあるものか」

 

 黄金の王は、当然のように言った。

「欲しいものは、すべて我のものだ」

 聖杯は淡々と応じる。

〈ギルガメッシュ。願望なしとして処理します〉

 

「待て」

 ギルガメッシュが手を上げた。

 聖杯の光が、わずかに揺れる。

 

「願いはない。だが、下賜がある」

 時臣が顔を上げた。

「時臣」

 ギルガメッシュは、彼を見た。

 

「先ほど、殺し屋の契約を支えるために宝石を差し出したな」

「はい」

「あれで遠坂の蔵が傾くわけではあるまい」

 

 時臣は一瞬だけ目を瞬いた。

「無論です。遠坂の家産は、あの程度で揺らぐものではありません」

「宝石魔術は金を食う。だが、それも貴様は承知のうえで家を回してきた。己と後継者一人を養うだけならば、今後も困りはせぬのであろう」

「その通りです」

「では、娘二人を守るならばどうだ」

「一人には遠坂を継がせる。もう一人には、その娘の資質に合う術を調べ、教師を探し、工房と礼装を用意する。間桐の虫を取り除き、二度と手を出させぬための備えも要る」

 

 ギルガメッシュは指を一つずつ折るように言葉を重ねた。

「証人を用意するにも、記録を残すにも、協会と教会の周りを動かすにも、金が要る。家族を逃がす場所を作るにも、結界を張るにも、信用できる者を雇うにもな」

 時臣は、黙って聞いていた。

 どれも必要だった。

 

 桜を間桐から連れ戻しただけでは終わらない。

 凛の予備として扱うつもりもなかった。

 凛には遠坂の魔術を。

 桜には桜の資質に適した魔術を。

 二人をそれぞれ一人の魔術師として育て、その双方を外から守る。

 今までの遠坂家は、そのためには作られていなかった。

 

「魔術師どもは高潔な顔をするが、研究費と触媒を前にすれば、大抵は口が軽くなる」

 切嗣が小さく苦笑した。

「よく分かっているじゃないか」

「当然だ」

 

 ギルガメッシュは鼻で笑った。

「人が文明を作って以来、金で動かぬ組織など存在せぬ。動かぬと言い張る者ほど、動かす場所が違うだけだ」

 切嗣は否定しなかった。

 

 教会も、協会も、魔術師の家も同じだった。

 金そのものを欲しがらない者もいる。

 だが、研究材料、触媒、地位、紹介、情報、貸し借り。何を価値とするかが違うだけで、何にも動かされない者などほとんどいない。

 

「時臣」

 王がもう一度呼んだ。

「娘一人を家へ収めるだけならば、今の蔵で足りる。だが、娘二人をそれぞれの形で立たせ、魔術師どもの中から守り抜くには足りぬ」

 

 時臣は、しばらく沈黙した。

 そして認めた。

「……はい」

 

 遠坂家は貧しくない。

 だが、これから始める戦いに対しては、十分ではなかった。

 ギルガメッシュの背後に、黄金の波紋が開いた。

 

「ならば、王が戦費を下賜してやろう」

 

 剣ではない。

 宝石や金塊、封印具、術式痕を保存する鏡、追跡を一度だけ逸らす指輪、結界を補強する楔。それらとともに、古びた黄金の鍵が一つ現れた。

 鍵には扉がなかった。

 だが、それ自体が保管庫へ通じる宝具なのだと、時臣には分かった。

 

〈当該行為は願望処理ではありません。所有者が提示した保管宝具の設置、資産移転および使用権限登録として処理可能です〉

 ギルガメッシュが愉快そうに笑う。

「律儀な器だ」

 

〈設置には、移転先の土地管理者および受領者の同意が必要です。遠坂時臣、遠坂邸への保管宝具設置および財産の受領を承認しますか〉

 時臣は、王の背後に並ぶ財を見た。

 ただ高価なだけの品ではない。

 娘たちを守るために、これから必要になるものばかりだった。

 

「王よ。本当に、これらを遠坂へ下賜なさるのですか」

「二度も言わせるな。貴様が娘どもを守るために使え」

 

 時臣は深く頭を下げた。

「ありがたく、お受けいたします」

〈同意を確認しました。所有権、遠坂時臣へ移転。管理権限、遠坂時臣。継承権限、遠坂凛および遠坂桜。両名の未成年期間中は、単独開封を制限します〉

 

 ギルガメッシュが片眉を上げた。

「妻にも金と薬くらいは使わせてやれ。時臣が倒れた時、娘どもを抱えて途方に暮れられてもつまらぬ」

〈遠坂葵に、生活資金および医療品に限定した緊急開封権限を設定しますか〉

「それでよい」

 

 時臣は、一瞬だけ王を見た。

 だが、何も言わなかった。

〈条件を確認しました。保管宝具を遠坂邸の結界へ接続し、設置します〉

 

 光が走った。

 聖杯が新たな空間を作ったのではない。

 もとより王の財として存在していた保管庫が、黄金の鍵を介して遠坂邸へ接続されたのだ。

 聖杯の声が響いた。

 

〈処理完了。当該処理は願望処理ではありません。外部資産移転として記録します〉

 ギルガメッシュは満足げに笑った。

「よい」

 

 時臣は、深く頭を下げた。

「ありがとうございます、王よ」

「礼はよい」

 

 ギルガメッシュは言った。

「使い方を誤るな。金は守りにもなれば、腐敗にもなる。宝石は術にもなれば、餌にもなる。貴様がまた目を逸らせば、今度は虫ではなく人が群がるぞ」

 時臣は顔を上げた。

「承知しております」

「本当かどうかは、これから見せろ」

 

 ギルガメッシュは次に凛を見た。

「小娘」

「はい」

「これは褒美ではない」

 

 凛は少しだけ首を傾げた。

「褒美では、ないのですか」

「そうだ。貴様が妹を救った褒美ではない。これから妹を守るための戦の糧だ」

 

 凛は、唇を引き結ぶ。

 そして、まっすぐ頷いた。

「分かりました」

「分かった顔だな」

「全部は分かりません。でも、分からないまま使ってはいけないものだということは分かります」

 

 ギルガメッシュは声を上げて笑った。

「よい。実によい」

 セイバーは、その様子を複雑な表情で見ていた。

「王が、子どもに財を与えるのですか」

「違うな、セイバー」

 

 ギルガメッシュは答えた。

「王が、己の目にかなった願いの後始末をしているのだ」

 切嗣が低く言う。

「それを世間では、面倒見がいいと言うんじゃないのか」

 

 ギルガメッシュは鼻で笑った。

「殺し屋。貴様も少しは口が回るようになったではないか」

 

 時臣は、もう一度頭を下げた。

 今度は魔術師としてではない。

 臣下としてでもない。

 娘を守るための資源を受け取る父として。

 

「必ず、使います」

「当然だ」

 

 ギルガメッシュは、聖杯を一瞥した。

「では、杯。我の願いはなしだ」

〈確認しました。ギルガメッシュ、願望なし〉

 

「王は願わぬ」

 黄金の王は、笑った。

「与えるものだ」

 

 

     *

 

 

 ギルガメッシュは、今度は切嗣を見た。

「殺し屋」

 切嗣は眉を動かす。

「何だ」

「貴様にも要るであろう」

「何が」

「金だ」

 

 あまりにも当然のように言われて、切嗣は一瞬だけ黙った。

 ギルガメッシュの背後に、黄金の波紋が一つ開いた。

 そこから落ちてきたのは、宝石でも金塊でもなかった。

 

 黒い札だった。

 

 光を吸うような薄い板の表面に、切嗣の知らない文字と、王の印が刻まれている。

 切嗣はそれを受け取った。

 触れた瞬間、札の用途と、王が許した範囲が頭へ流れ込んでくる。

 

 王の蔵のうち、ごく小さな一画へ通じる支払証。

 引き出せるのは、金貨、宝石、換金可能な貴金属、薬品、食料、衣類、燃料、移動と治療に必要な消耗品だけだった。

 武器も宝具も出ない。

 引き出せる量にも限りがある。

 それでも、妻と娘を連れて国を越え、新しい生活を始めるには十分すぎる額だった。

 

「……これは」

「行き掛けの駄賃だ。持っておけ」

「駄賃にしては、ずいぶん物騒なものに見える」

「貴様にはこちらの方が使いやすいだろう」

 

 ギルガメッシュは笑った。

「金塊を抱えて逃げ回る殺し屋など、滑稽にも程がある」

 切嗣は苦笑した。

「物分かりのいい王だ」

「当然だ。王は臣下のことをよく分かっているものだ」

「僕は臣下ではないはずだが」

「ならば、今宵だけそう扱ってやる」

 

 ギルガメッシュは、澄んだ聖杯を一瞥した。

「我は裁定者よ。少なくとも此度の戦いでは、そうあろうとした」

 

 切嗣は黒い札を見下ろした。

「これで何をしろと」

「妻を運べ。娘を迎えに行け。必要な腕を買え。不要な敵を避けろ。妻を医者に診せ、城を出て、家を持て」

 ギルガメッシュの声は軽い。

 だが、内容は軽くない。

 

「そして、金がないからできぬなどという、つまらぬ言い訳をするな」

 切嗣は目を伏せた。

「……本当に容赦がないな」

「褒め言葉として受け取っておく」

 

 聖杯の声が響いた。

〈当該行為は願望処理ではありません。外部資産移転として記録します〉

 

 ギルガメッシュは笑った。

「まったく律儀な器だ」

 

 切嗣は黒い札を懐にしまう。

「借りになるのか」

「王の下賜だ。借りではない」

「なら、礼は?」

「受け取っておけ。貴様がまともに礼を言うと、かえって気味が悪い」

 

 切嗣は、少しだけ笑った。

「そうか」

 セイバーはその様子を見て、複雑そうに言った。

「アーチャー。あなたは、本当に気まぐれですね」

「違うな、セイバー」

 ギルガメッシュは答える。

 

「王が与えるべき時に与えただけだ」

 そして切嗣へ視線を戻す。

「行け、殺し屋。今度は、失わずに運んでみせろ」

 

 切嗣は何も返さなかった。

 ただ、黒い札の入った懐を一度だけ押さえた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

Metalnova(作者:アグナ)(原作:Fate/Zero)

もう何番煎じか分からないFate/Zeroのハッピーエンドを目指すオリ主の話。なお何を以てハッピーエンドとするかは人による模様。


総合評価:3456/評価:8.49/連載:23話/更新日時:2026年06月28日(日) 10:44 小説情報

パ リ ピ 時 臣(作者:融合好き)(原作:Fate/)

信じて送り出した夫がキラキラなギャルにどハマりして夜な夜な怪しげな場所で遊び呆けているなんて…


総合評価:5657/評価:8.56/完結:8話/更新日時:2026年06月03日(水) 06:28 小説情報

Fate/hollow adaptation――異戒の華は冬木に咲く​(作者:りー037)(原作:Fate/)

十年前の冬木。第四次聖杯戦争の裏側で、大聖杯のシステムすら想定し得なかった「致命的なバグ」が産声を上げた。▼魔術師たちの野望と妄執が渦巻く中、地獄のような環境から一人の少女が解放される。▼間桐桜。彼女の足元に広がる「虚数」の影は、マスターを失い世界から消滅するはずだった理外の怪物――あらゆる事象に適応し破壊する『異戒の神将』と奇跡的な融合を果たしていた。


総合評価:3653/評価:8.62/連載:29話/更新日時:2026年06月16日(火) 12:39 小説情報

第二次聖杯戦争から少しだけズレた平行世界での一幕(作者:ささのき)(原作:Fate/)

▼とある冬木の聖杯戦争でこっそり勝利した陣営がいました。▼その子孫(転生者・魔眼持ち)が第4次や時計塔であれやこれやと画策していく様子をお届けいたします。▼ ────────▼僕はね、セイバーを救いたかっただけなんだ…▼


総合評価:3249/評価:8.63/連載:9話/更新日時:2026年05月10日(日) 19:00 小説情報

Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 (作者:りー037)(原作:Fate/stay night)

冬木市で行われる魔術師たちの殺し合い『第五次聖杯戦争』。▼必勝を期して最強の剣士(セイバー)を召喚したはずの遠坂凛の前に現れたのは、万能の杯すら鼻で嗤う「呪いの王」両面宿儺だった。▼伏黒恵の肉体(全盛期の力)と、一度敗北を知り丸くなった(?)精神。▼二つの極致を併せ持つアルターエゴにとって、この命懸けの儀式は単なる「暇つぶし」でしかない。▼機嫌を損ねれば即・…


総合評価:3849/評価:8.49/完結:52話/更新日時:2026年06月05日(金) 22:51 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>