優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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34.黄金の王の帰還

 聖杯は、静かに光を弱めていた。

 願いを処理し、助言を返し、問いに答えた器は、この場にいる者たちへの照会を終えようとしていた。

〈現在地における願望処理、助言要求および記録照会を終了します〉

 

 聖杯の光が、ゆっくりと沈んでいく。

〈未完了の参加者確認は継続します〉

 一瞬、誰も言葉を発しなかった。

 

 時臣が、わずかに聖杯を見る。

 切嗣も眉を動かした。

 だが、聖杯はそれ以上の説明をしなかった。

 泥は棺に封じられたまま、沈黙している。

 器は壊れていない。

 そして、その役割のすべてを終えたわけでもないようだった。

 

 切嗣は、黒い札を懐に収めた。

 セイバーは剣から手を離している。

 時臣は凛の肩に手を置いている。

 凛は、桜のいる遠坂邸の方角を見ていた。

 ギルガメッシュは、それらを順に見た。

 

 黄金の王は、満足げに笑う。

「此度は、なかなかに愉快であった」

 誰も、すぐには答えなかった。

 

 ギルガメッシュはまず時臣を見る。

「時臣」

 その名を呼ばれ、時臣は姿勢を正した。

「はい、王よ」

「目を逸らすな。貴様は一度、見なかったことで娘を失いかけた。次に同じことをすれば、我は笑うだけでは済まさぬぞ」

 時臣は深く頭を下げる。

「承知しております」

「ならばよい」

 

 次に、ギルガメッシュは切嗣を見る。

「切嗣」

 切嗣の眉がわずかに動いた。

 名で呼ばれるとは思っていなかったのだろう。

「何だ」

「今度は、失わずに運んでみせろ」

 

 切嗣はしばらく黙った。

 それから、低く答える。

「……努力する」

「つまらぬ返事だ。だが、今の貴様にはそれでよい」

 ギルガメッシュは笑う。

 

 次に、セイバーを見る。

「セイバー」

 セイバーはまっすぐ彼を見る。

「形も持たぬ大願を保留し、手の届く一人を選んだ顔は、先ほどよりは見られる」

「褒めているのですか」

「我が褒めているのだ。ありがたく思え」

「それは、どうも」

 セイバーの返しに、ギルガメッシュは愉快そうに目を細めた。

「己が王であったことまで、他人の答えに明け渡すな。貴様の王道は、貴様が背負え」

 セイバーは答えなかった。

 ただ、静かに頷いた。

 

 最後に、ギルガメッシュは凛を見る。

「凛」

 凛は顔を上げた。

 黄金の王に名を呼ばれて、驚いてはいるが、怯えはしない。

「はい」

「妹のもとへ帰れ。そして見ておけ。願いは叶って終わりではない。叶った後からが、人の仕事だ」

 

 凛は唇を引き結び、頷いた。

「分かりました」

「本当に分かったかは、これから見てやる」

「見られているのは少し嫌です」

 時臣がぎょっとしたように凛を見る。

 切嗣が、ほんの少しだけ苦笑する。

 ギルガメッシュは大笑した。

「ならば、見られても恥じぬ働きをせよ」

「はい」

 

 彼は聖杯を一瞥した。

「此度の裁定、我は満足した」

 

 ギルガメッシュの背後に、黄金の波紋が開く。

 役目は終わった。

 あとは現界を解き、座へ戻るだけだった。

 

〈確認します〉

 聖杯の声が、その背を止めた。

〈現時点でギルガメッシュが現界を終了した場合、残存サーヴァントが存在するため、自主退去による敗退として記録されます〉

 

 黄金の波紋が止まった。

 ギルガメッシュが、ゆっくりと振り返る。

「……杯よ」

〈はい〉

「今、我を敗者として記録すると申したか」

〈現時点での退去を選択した場合です。退去そのものを制限するものではありません〉

 聖杯の声音には、嘲りも悪意もなかった。

 

 帰ってもよい。

 ただし、それは敗退である。

 規則をそのまま告げているだけだった。

 

 だからこそ、王には腹立たしかった。

「おのれ、杯め。最後の最後に無粋な注釈を付けおって」

〈記録上の分類を説明しています〉

「我は勝利を捨てたのであって、敗れたのではない」

〈現行の聖杯戦争規則には、両者を区別する項目がありません〉

 

 切嗣が、わずかに口元を歪めた。

 セイバーは何も言わなかった。

 ここで笑えば、矛先が自分へ向くことを理解していた。

 

 ギルガメッシュは聖杯を睨んだ。

 だが、その目には殺意よりも呆れが勝っていた。

「よかろう。ならば貴様の退去処理など使わぬ」

 

 別の黄金の波紋が開いた。

 そこから現れたのは、武器ではなかった。

 古びた門。神代の文字が刻まれた、王の帰還を示す門だった。

 

「戦場から追い返される者が敗者だ。我は我が道を通り、王の座へ帰る」

〈独立した帰還経路を確認しました〉

 聖杯の光が一度、明滅する。

 

〈当該行為は、聖杯戦争機構による退去処理には該当しません。敗退記録は付与されません〉

「当然であろう」

〈ただし、遠坂時臣との契約終了処理は必要です〉

 

 王は一瞬だけ聖杯を見た。

「……どこまでも律儀な器よな」

〈必要な処理です〉

 ギルガメッシュは鼻を鳴らし、時臣へ向き直った。

 

「時臣。此度の契約は、これまでだ」

 時臣は一瞬だけ目を伏せた。

 そして、遠坂の当主としてではなく、一人の臣下として深く頭を下げた。

「承知いたしました。王よ」

 

〈両者の同意を確認。契約を終了します〉

 令呪の残滓が、時臣の手から静かに消えていく。

 

 ギルガメッシュは門の前に立ち、最後に一度だけ振り返った。

「ではな。時臣、切嗣、セイバー、そして凛」

 黄金の王は笑った。

「次に我が見る時まで、せいぜい退屈させぬことだ」

 

 そう言い残し、門の向こうへ歩いていく。

 王が通り過ぎると、古い門は黄金の粒子となって崩れ、跡形もなく消えた。

 

〈ギルガメッシュの帰還を確認。敗退記録なし〉

 聖杯の声だけが、念を押すように響いた。

 遠くから、ギルガメッシュの笑い声が聞こえたような気がした。

 

 残されたのは、待機へ戻った聖杯と、それぞれの願いの後始末を始める者たちだった。

 

 凛が、もう一度時臣の袖を引く。

「お父様」

「ああ」

 時臣は頷いた。

 

「帰ろう。桜のところへ」

 凛は、今度こそ大きく頷いた。

 

 

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