部屋を出ると、セイバーは廊下に立っていた。
窓の外は白み始めている。アインツベルンの城の石壁に、冬木の朝の光が薄く差し込んでいた。
切嗣は扉を閉めた。
「アイリスフィールは」
「眠った」
「そうですか」
セイバーは短く答えた。
それから、少しの沈黙があった。
「切嗣」
「何だ」
「私は、あなたが嫌いです」
切嗣は驚かなかった。
「分かっている」
「あなたは、私を一度も騎士として扱わなかった。戦場での誇りも、対話も、敵への敬意も、すべて無駄なものとして切り捨てた」
「ああ」
「私は、それが許せなかった」
セイバーの声は静かだった。
怒鳴ってはいない。怒りが消えたわけでもない。
切嗣は窓の外を見た。
「僕も、君が嫌いだった」
セイバーの目がわずかに細くなる。
「知っています」
「君は、理想を美しいものとして語った。王としての誇り、騎士としての戦い、名誉。僕には、それが人を死なせるための飾りに見えた」
セイバーは何も言わなかった。
「戦場で死ぬ者は、誇りを抱いて死ぬわけじゃない。血を流して、痛みに叫んで、何も分からないまま死ぬ。僕はそれを知っていた。だから、君の言葉が嫌いだった」
「ならば、あなたは私を見ていなかった」
「ああ」
切嗣は認めた。
「僕は、君の言葉しか見ていなかった。君が何を背負って王だったのかは、見なかった」
セイバーは、少しだけ目を伏せた。
「私も、あなたを見ていませんでした」
切嗣は黙った。
「あなたが何を恐れ、何を失い、何を切り捨ててきたのか。私は見ようとしなかった。ただ、あなたのやり方を卑劣だと断じた」
「卑劣なのは間違っていない」
「そうですね」
即答だった。
切嗣は、ほんの少しだけ苦笑した。
「君も、遠慮がないな」
「今さらでしょう」
その返しに、沈黙が少しだけ緩んだ。
だが、和らいだだけだった。消えたわけではない。
セイバーは続けた。
「私は、あなたのやり方を認めません」
「分かっている」
「ですが、あなたがなぜそうしたのかは、以前より分かります」
「僕も、君の王道を認められるわけじゃない」
「でしょうね」
「でも、君がただ理想に酔っていたわけじゃないことは分かった」
セイバーは静かに息を吐いた。
「それで十分です」
「十分なのか」
「今は」
切嗣は、廊下の向こうを見た。
その先に、アイリの部屋がある。
そのさらに遠くに、イリヤがいる。
「僕は、イリヤを迎えに行く」
「はい」
「アイリを連れて、アインツベルンから離れる。君にも協力してほしい」
セイバーは切嗣を見た。
以前なら、命令として聞こえただろう。
今は違った。
切嗣は、命じていない。
頼んでいる。
「私は、イリヤスフィールに会います」
セイバーは静かに言った。
「あの子が、恐怖や命令ではなく、自分の言葉で望みを口にできるところまで守ります。それが、私が聖杯に願ったことです」
切嗣は目を伏せた。
「……ああ」
「アイリスフィールも守ります。ですが、切嗣」
「何だ」
「彼女たちを連れ出した後のことを、あなた一人で決めてはいけません」
切嗣は、すぐには答えなかった。
「……分かっている」
それは言い訳ではなかった。
少なくとも、切嗣はもう知っている。
救う相手の言葉を聞かないまま救済を決めれば、それは救済ではなくなる。
だが、セイバーがその一言だけで納得するはずもなかった。
彼女が知っている衛宮切嗣は、必要なら黙って決める男だ。
最善のためなら説明を省き、相手の意思を確認する前に配置を終える男だ。
だから、セイバーはもう一つ、釘を刺した。
「ただし、切嗣。私は道具ではありません」
「分かっている」
「分かっている、だけでは足りません」
切嗣は、廊下の床へ視線を落とした。
「僕は、令呪を使わなかった」
セイバーの目が、わずかに細くなる。
「だから道具として扱っていない、と?」
「違う」
切嗣は即座に否定した。
「むしろ逆だ。令呪で命じることすらせずに、君を戦力として計算した。必要な場所へ置き、必要な時だけ動くものとして扱った。命令しなかったから、対等だったわけじゃない」
セイバーは黙っていた。
「僕は君を縛らなかった。けれど、見てもいなかった」
「……そうですね」
セイバーは静かに言った。
「あなたは私を令呪で縛らなかった。ですが、私の言葉を聞くつもりもありませんでした」
切嗣は、その言葉を否定しなかった。
「なら、次からは説明する」
「可能な限り、ではなく?」
「可能な限り、とは言いたい」
セイバーの視線が鋭くなる。
切嗣は目を逸らさなかった。
「でも、それではまた同じになる。だから、説明する。全部とは言えないかもしれない。それでも、最初から君を除外することはしない」
セイバーはしばらく彼を見ていた。
「私も、あなたの方法を初めから否定するだけではなく、何を恐れているのかを聞きます」
「それは助かる」
「ですが、非道を許すという意味ではありません」
「分かっている」
「分かっている、ばかりですね」
「他に言いようがない」
セイバーは、そこでほんの少しだけ表情を緩めた。
笑みと呼ぶには硬い。
だが、敵意だけではなかった。
「切嗣」
「何だ」
「私は、まだあなたが嫌いです」
「ああ」
「今はあなたと同じ方を向くことはできます」
切嗣は、しばらく黙っていた。
そして言った。
「僕もだ」
朝の光が、廊下に伸びていく。
和解ではない。許しでもない。
ただ、互いに嫌いなまま、初めて相手を人として見た。
それは、彼らにとっては十分すぎるほどの前進だった。