優雅ではない戦い、優雅な結末   作:折無堂

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5.拘束宝具

ギルガメッシュは、満足げに笑っていた。

「さて」

王は、肘掛けに頬杖をついたまま言った。

「どう動く、マスターよ」

 

 時臣は、小瓶を懐に収めた。霊薬の熱はまだ胸の奥に残っている。痛みは薄れていた。だが、それは痛みが消えたというより、身体が痛みに構うなと命じられたような感覚だった。

「まず、確認すべき相手がいます」

「間桐の老蟲か」

「いえ」

 時臣は短く答えた。

「雁夜です」

 

 ギルガメッシュの目が、わずかに細くなった。

「ほう。あの狂犬の飼い主か」

「彼は、間桐の術を直接受けている。証言者としては信用できませんが、身体に残る痕跡は別です」

「証言ではなく、肉を見るか」

「はい」

 時臣は平然と言った。

 

「言葉には感情が混じります。特に彼の場合は、私への私怨、葵への執着、桜への情、それらが絡みすぎている。ですが、身体に施された処置は、隠しようがない」

 ギルガメッシュは声を漏らして笑った。

「実に魔術師らしい。娘を案じているくせに、まず見るのは男の腐った肉か」

 時臣は答えなかった。

 否定すれば、嘘になる。

 肯定すれば、言葉が軽くなる。

 どちらも選ばず、時臣は地下室の灯りを落とした。

 

「彼はまだ遠くへは行けないはずです。私と交戦した後の消耗、バーサーカー維持の負荷、間桐の処置による肉体劣化。自力で間桐邸へ戻るには厳しい」

「では、どこにいる」

「人目を避ける。水場に近い。暗く、身を隠せる場所。おそらく、前回倒れた場所からそう離れてはいないでしょう」

「橋の下か」

「おそらく」

 時臣は外套を整えた。その動作はいつも通りだった。血の匂いも、弟子を焼いた灰も、大聖杯への疑念も、すべて外套の内側へ押し込めるように整えていた。

 

 ギルガメッシュが立ち上がった。

「ならば、我も準備をしよう」

 時臣は、思わず目を上げた。

「王が、準備をなさるのですか」

「何だ、その顔は」

「いえ」

 時臣はすぐに一礼した。

「失礼いたしました」

 

 ギルガメッシュは愉快そうに笑った。

「臣下が働くのだ。王も準備くらいはする」

 時臣は黙った。

 この王は、準備という言葉を使うのか。

 そう思った。思ったが、口には出さなかった。

 

 ギルガメッシュは当然のように気づいていた。

「言いたいことがあるなら言え、時臣」

「いえ。ただ、王が準備という言葉をお使いになるのは、少し意外でした」

「ははははは!」

 ギルガメッシュは声を上げて笑った。

「よい。そういう顔をするようになったではないか」

 

 王の背後に、黄金の波紋がいくつも開いた。

 だが、そこから現れたのは剣でも槍でもなかった。細い金の楔。輪にも見える薄い環。棺の蓋のような板。小さな秤。さらに、名も知らぬ古い封具がいくつか。それらはどれも、英雄の武器には見えなかった。

 むしろ、何かを収め、測り、封じ、動かぬように留めるための道具に見えた。

 

「狂犬が動けば、まともに話もできぬ」

 ギルガメッシュは退屈そうに言った。

「殺すだけなら容易い。だが、今は貴様が話を聞くのだろう。ならば、吠える犬は檻に入れておく」

「天の鎖ではないのですね」

「当然だ」

 

 ギルガメッシュは鼻で笑った。

「あれは我が友を縛るためのものだ。あの狂犬に使うには格が違う。そもそも、あれは掴む。奪う。持ったものを己の武器とする。ならば、握る鎖など与えぬ」

 時臣は、浮かぶ封具を見た。

「複数の宝具による拘束場、ですか」

「近いな」

「王の財を、随分と細かくお使いになる」

「我の財だ。どう使おうが我の勝手だろう」

「仰る通りです」

 

 ギルガメッシュは機嫌よく笑った。

「剣を投げるだけが宝の使い方と思うな。狂犬を斬れば死ぬ。だが、死ねば貴様の用は足りぬ。ならば収める。棚に戻す。器を閉じる。それだけのことだ」

 

 時臣は、その言葉を聞いて、わずかに目を伏せた。

 器。

 中身。

 封じるもの。

 収めるもの。

 大聖杯のことを考えないわけにはいかなかった。

 

 ギルガメッシュはそれも見ていた。

「また杯を考えたな」

「……連想しただけです」

「よい。考え続けろ。今宵の貴様は、そのために生かしてある」

「生かしてある、ですか」

「不満か」

「いいえ」

 時臣は静かに答えた。

「今夜に限れば、事実でしょう」

「言うようになったではないか」

 

 王は楽しげだった。ひどく楽しげだった。

 時臣は、これ以上返せば余計に喜ばせるだけだと判断した。

 それもまた、王には伝わっていた。

「では行くぞ、時臣」

「はい」

 

 

 遠坂邸を出ると、夜気は冷たかった。

 冬木の街は静かだった。聖杯戦争の渦中にあっても、すべての市民が異変を知っているわけではない。灯りの落ちた住宅街。遠くの車の音。川の方から流れてくる湿った風。

 

 時臣は足を止めなかった。傷は痛まない。痛まないのではなく、痛みを感じる余裕を霊薬が奪っている。

 それでも、身体の奥には疲労が残っていた。言峰綺礼を殺した。大聖杯を疑った。桜の名を思い浮かべた。

 

 そして今から、間桐雁夜に会いに行く。

 もっとも会いたくない男の一人だった。

 

 ギルガメッシュは、そんな時臣の横ではなく、少し後ろを歩いていた。従っているのではない。見物しているのだ。

「時臣」

「はい」

「あの男に、娘が心配だと言えば早いぞ」

 時臣は足を止めなかった。

「分かっております」

「分かっていて言わぬか」

「はい」

「なぜだ」

「その言葉を聞いた雁夜は、私の言葉を別の形で受け取るでしょう。憎悪が緩むかもしれない。あるいは、逆により激しくなるかもしれない。いずれにせよ、証言の質は変わる」

「証言の質か」

 

 ギルガメッシュが笑う。

「貴様、娘の名すら証言誘導の要素として扱うか」

「扱わざるを得ません」

 時臣の声は静かだった。

「彼は私を憎んでいる。私が父親としての言葉を口にすれば、その憎しみの形が変わる。私は彼と和解しに行くのではありません。間桐が何をしているかを確認しに行くのです」

「だが、心配ではあるのだろう」

 

 時臣は答えなかった。

 それは沈黙であり、肯定でもあった。

 ギルガメッシュは愉悦を隠さなかった。

 

「面白い考えだ。父であり、魔術師であり、当主でありながら、どの顔だけにもならぬ。情に逃げず、理にも逃げず、家の名にも逃げきれぬ。よいぞ、時臣。貴様は実によく揺れる」

「揺れているつもりはありません」

「ならばなおよい。揺れている者ほど、自分が揺れているとは言わぬ」

 

 時臣は黙って歩いた。

 やがて、川の匂いが濃くなった。橋が見えた。その下に、影があった。人が倒れている、と見ればそう見えた。

 だが、ただの負傷者ではない。黒ずんだ血の跡。白く変色した髪。浅く荒い呼吸。皮膚の下で、何かが蠢くような微細な動き。

 

 間桐雁夜は、まだそこにいた。

 

 時臣は橋の下へ降りた。

 泥と水の匂いがした。

 

 雁夜は、顔を上げるのに時間がかかった。

 そして、時臣を見た。その瞬間、死にかけた男の目に、憎悪だけが戻った。

 

「……とお、さか……」

 時臣は、彼を見下ろした。

「まだ、ここにいたのか」

 雁夜の喉が鳴った。笑おうとしたのかもしれない。呪おうとしたのかもしれない。だが出てきたのは、掠れた息だけだった。

「お前が……桜を……」

「雁夜」

 時臣は遮った。

 

「あなたの身体に施された処置について、確認させていただきたい」

 雁夜の顔が歪んだ。

「処置……だと……?」

「間桐の術式を受けた身体は、貴重な情報源です。あなたの証言には感情が混じる。ですが、身体に残った痕跡は別です」

 雁夜の目が、さらに濁った。

「桜は……情報源じゃねえ……」

「桜の名を出すなら、なおさら確認が必要です」

「ふざけるな……!」

 

 その怒りに反応して、雁夜の背後の闇が膨れた。

 黒い霧。歪んだ甲冑。声にならない咆哮。バーサーカー。

 時臣は身構えた。

 

 だが、その前にギルガメッシュが一歩出た。

「邪魔だ」

 黄金の波紋が開いた。七つ。いや、十を超えていた。そこから放たれたのは、剣ではない。槍でもない。

 楔が床へ刺さる。輪が空間に浮く。薄い板が橋脚に貼りつく。棺の蓋めいたものが、黒い騎士の背後へ落ちる。

 

 バーサーカーが吠えた。腕が動く。何かを掴もうとする。だが、掴むべき本体がなかった。拘束は鎖ではなかった。武器でもなかった。

 足場、空間、影、魔力の流れ。そのすべてが、別々の宝具によって、わずかずつずらされ、押さえ込まれている。

 黒い騎士の腕が、途中で止まった。指が震える。鎧が軋む。

 しかし、それ以上動けない。

 

「無駄だ、狂犬」

 ギルガメッシュはつまらなそうに言った。

「これは貴様に与える武器ではない。貴様を収める棚だ。我の財を握れば己のものになるなどと思うな」

 バーサーカーがさらに唸った。

 

 ギルガメッシュは、もはや見てすらいなかった。

「話を続けよ、時臣。犬の吠え声に構うな」

 時臣は、封じられたバーサーカーを一瞥した。

 その拘束の精緻さに、一瞬だけ意識を奪われそうになる。

 だが今は、それを見る時ではない。

 

 時臣は雁夜へ向き直った。

「雁夜。あなたに何が施されたのか、話していただきたい」

 雁夜は、荒い息の間から時臣を睨んだ。

「……桜を、返せ」

 

 時臣は答えなかった。言えば早い言葉があった。

 

 娘が心配だ、と。

 

 だが、言わない。

 その沈黙を、ギルガメッシュだけが愉快そうに見ていた。

 

 

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