戦闘力皆無のくそ雑魚ナメクジとして生きようと思う(強制)
多分続かない
どうやって死んだのかは覚えていない。
痛かったのか、苦しかったのか、それすら曖昧だ。けれど、嫌な記憶として残っていないのなら、きっと楽な最期だったのだろう。そう思うことにした。
生前の一人称の比率は、俺が五、私が三、僕が二。
定まっていなかったのは、自己統一性だとかアイデンティティの問題ではない。単に、どれでもよかっただけだ。英語なら一人称は“I”一つで済むのだから、そうおかしな話でもないだろう。
自分は自分だ。
たとえ死んでも、たとえ姿が変わっても。
都会のビル群に反射した陽光が、やけに眩しかった。
ガラス張りの高層ビルが並び、巨大な広告モニターが忙しなく映像を切り替えている。交差点には大勢の人々が行き交っていた。耳の生えた人型の二足歩行者。トカゲの顔をしたスーツ姿の化け物。機械仕掛けの腕を持つ学生。頭上を浮遊する配達ドローン。
コスプレではない。
そのどれもが当然のように信号を待ち、歩き、会話している。
私は今、いつの日か引退したソシャゲの世界に転生していた。
◆
ここがソシャゲの世界であること。
そして、かつて自分が男だったこと。
それ以外について、私はほとんど何も知らない。
だから、服屋のショーウィンドウに映った少女にも心当たりはなかった。
白に近い銀髪。肩口でふわりと跳ねる髪は、光を受けるたび淡く青みを帯びて見える。瞳はラムネ瓶から取り出したビー玉をそのまま埋め込んだような青。けれど、その目から意思を読み取ることは難しい。
なぜなら彼女――つまり今の私は、常に無表情で、やや眠たげなジト目をしていたからだ。
不機嫌そうにも、退屈そうにも見える。
だが、たぶんこれが自然な開閉状態なのだろう。
なんのソシャゲだったかは覚えていない。少なくとも、目の前の少女に見覚えはまったくなかった。
ただ、外見はとても好みだった。
自分がVRゲームのキャラメイクに本気で課金したら、きっとこういう方向性になるだろうな、という感じがする。儚げで、冷たそうで、でも妙に目を引く。アバターとしてなら文句なしの完成度だ。
「まあいいか」
口から出た声は、思ったよりも平坦だった。
身体が変わったせいなのか、思考が異様に軽い。寝起きに夢の内容をやたら鮮明に語れるときのように、脳だけが妙に饒舌だった。
つまり、これは夢なのだ。
そう断定できる気がした。
だが、確信を持って夢だと言えることが、逆に私の疑問を広げていく。
夢ならば、なぜ私はこの世界について断片的な情報を知っているのか。
なぜ、ここがソシャゲの世界だとわかるのか。
なぜ、自分が星一キャラだと理解しているのか。
そう、星一。
五段階中の最低値。
当然、弱い。
昨今のソシャゲでは、星四が最低ランクであることも珍しくない。だが、この世界における私は正真正銘の最低レア。つまり雑魚である。
低レアには低レアなりの特殊スキルがあったり、育成次第で化けたり、妙な使い道があったりするものだ。
しかし、私が転生したらしいこのソシャゲは、そういう気の利いたバランス調整をしていない。
よって、私は正真正銘の雑魚だった。
さっきから、知らない情報が頭に流れ込んでくる。
そもそも、夢なのに転生などという単語を自然に受け入れかけているのはなんだ。
洗脳の類か。
ひとまず、人に話しかけてみることにした。
会話が私の想定通りにしか進まなければ、これは私の思考範囲で動く夢だとわかる。逆に、予想外の反応が返ってくるなら――。
「すみません」
この人混みの中、声をかけるだけでは振り返ってもらえないだろう。
私は近くを歩いていた白いフードの人物の肩を、軽く叩いた。
夢だからこんなことができるのか。
それとも、私はもともと案外こういうことができる人間だったのか。
どちらでもいいか。
振り返った白フードは、金髪碧眼の少女だった。
艶のある白いパーカーは、一見すると皺ひとつないレインコートのようにも見える。フードの奥から覗く顔立ちは整っていて、道行く人の中でもかなり目立っていた。
「誰? ナンパ?」
「あ、ナンパとかじゃないです」
反射的に否定した。
というか、女から女にナンパするか、ボケ。
いや、多様性の時代?
そうですか。
……まさか、男に見えている?
いつの間にかジャケットのポケットに入っていたスマホを取り出し、暗い液晶に映る自分の顔を確認する。
そこに映っているのは、やはり銀髪青眼の少女だった。
「何もないなら行くわ。忙しいから」
しまった。
この程度のやり取りなら、私の想定可能な範囲でしかない。
これでは夢かどうかの判断材料にならない。
白フードの少女は、話は終わったとばかりに歩き去ろうとする。
私は慌てて口を開いた。
「やっぱりナンパで!」
「は?」
少女が振り返る。
今度はフードを下ろして、心底怪訝そうに私を見ていた。
「あなたの名前を教えてくれませんか」
「あたしに個人情報を公の場で晒せと?」
「あ、すみません」
そりゃそうだ。
普通に考えれば拒否されても当然か。
しかし、もしこれが私の都合のいい夢なら、拒絶されなかった可能性が高い。名前を聞けば、相手は自然に答える。夢とはそういう雑なものだ。
私の中で一つ、これが夢ではない証拠が生まれてしまった。
「面白い」
少女は目を細めた。
「あなた、名前は? あなたが答えるなら、あたしも教えていいわ」
「ケテルです」
口に出した瞬間、それが自分の名前なのだと理解した。
ケテル。
聞き覚えはないが、違和感もなかった。
「ミナよ」
少女――ミナは、短くそう名乗った。
ついでに、人生初のナンパが成功した。
多分、これより先の未来で、自分からナンパする側になることはないと思う。
◆
ミナは、ソシャゲのネームドキャラだったようだ。
ようだ、というのは、私がそのゲームの内容をほとんど覚えていないからだ。
ただ、彼女を見ていると、頭の奥に薄い既視感が走る。イベント画面の立ち絵。ログインボイス。期間限定ガチャ。そういった断片が、霧の向こうから浮かび上がった。
ミナに誘われるまま、私たちは近くのカフェに入った。
誘ったのは私だった気もするが、主導権を握っていたのは明らかにミナだった。
しばらく、どうでもいい話をした。
この街のこと。最近の治安のこと。私がどこから来たのかという質問。
もちろん、私は何も答えられなかったので記憶喪失、ということにしておいた。
我ながら雑な設定だと思う。
だが、実際それ以外に説明のしようがない。
そして会計の段階になって、私は重大な事実に気づいた。
財布がない。
身分証もない。
手持ちのスマホは新品か、あるいは初期化済みで、連絡先も履歴もアプリもほとんど入っていなかった。
つまり私は、社会的に存在していないに等しい。
「働いて返しなさい」
ミナは当然のように言った。
断る理由はあった。
だが、断れる立場ではなかった。
高いビル二つに挟まれた細道の奥。
そこに、ひっそりと事務所があった。
表通りの喧騒が嘘のように遠ざかり、細道の奥だけ空気が少し冷たい。古い金属製の扉には、見慣れないロゴが小さく刻まれている。
私は何の説明もないまま中へ案内され、応接室に押し込まれた。
ソファに座らされる。
ふかふかだった。
緊張感を削ぐ柔らかさである。
向かい側のソファに腰を下ろしたミナは、テーブルに置かれた紅茶を手に取り、一息ついた。
「さて」
カップを戻す音が、室内に響く。
「あなたが何らかのスキル所持者であることは知っている。面接も兼ねて、いくつか質問させてもらうわ」
「会計の件は申し訳ないですし、すぐ返します。ので、色々勘弁してください」
「別に取って食うつもりはないわよ」
私は少しだけ姿勢を正す。
今さらながら、目の前の少女がただの親切な通行人ではないことを理解する。
「……なら、その前に」
私はミナを見返した。
青い瞳の奥に、自分でも意外なほど冷静な思考が浮かんでいた。
「こちらからも、いくつか質問させていただきたい」
「それくらいなら構わないわ、それで何が聞きたい?」
「では単刀直入に、この世界は夢ですか?」
◆
夢じゃなかった。
その事実は、紅茶の湯気が消えていくくらいの時間をかけて、ゆっくりと私の中に沈んでいった。
頬をつねれば痛みが走る。
夢の中でも痛覚は機能するからとさっきまで試していなかったが、これにより私は一層現実を認識した。
ここは日本。
そして、東京に支部を置くヒーロー事務所の一つだと、ミナはそう説明した。
ヒーロー、という単語を聞いた瞬間、私は反射的に派手な変身スーツやら、空を飛んで怪人を殴り飛ばす存在やらを想像した。
だが、この世界におけるヒーローは、少し違うらしい。
主な仕事は、スキル所持者による犯罪の抑止と対応。
事件が起きる前に危険人物を見つけ、起きてしまった事件には現場へ向かい、必要なら制圧し、捕まえる。
警察に近いが、警察よりもずっと特殊で、ずっと荒事向き。
そんな職業だった。
「どうしてそんなことも知らないのかしら」
ミナはソファに深く座り直しながら、こちらを観察するように目を細めた。
「一般常識って、記憶喪失でも案外残っているものなのだけれど」
「わからないです」
本当に、それ以外に言いようがなかった。
私はこの世界を知らない、というか覚えていない。
かつて引退したソシャゲであることとと、降って湧いた断片的だ記憶だけが私とこの世界を繋いでいた。
まるで必要なページだけを破り取られた攻略本を渡されているような気分である。
ミナはしばらく考える素振りを見せた。
指先でカップの縁をなぞり、何かを整理するように黙り込む。
そして、ふと顔を上げた。
「そろそろ、こちらからもいい?」
「あ、はい」
最初にこの部屋へ通されたときの緊張感は、もうほとんど残っていなかった。
もちろん、警戒していないわけではない。
財布も身分証も戸籍もない人間が、よくわからない事務所の応接室で、よくわからない少女に面接されている。
普通に考えれば、色々とおかしな状況だ。
だが、ミナとの会話には心地の良い話しやすさがあった。
久しぶりに会った友人と、互いの近況を探り合っているような距離感。
初対面のはずなのに、こちらの呼吸を邪魔してこない。
それがありがたくもあり、少し不気味でもあった。
「あなたのスキルについてだけど」
ミナがそう言った瞬間、私の思考が一段深く沈んだ。
スキル。
問われたことで、答えが降りてくる。
知らないはずの情報が、知っているものとして形を取る。
これこそが、この不可解な現象の正体なのだと、私は遅れて理解した。
「アウェアネス」
口が、自然に動く。
「主に自身の思考や、脳に送られる情報に働きかけて、認識を促すスキル……だと思います」
言い終えてから、自分で自分の言葉を反芻する。
アウェアネス。
認識、気づくこと。
たしかに、今の私に起きている現象を説明するには、しっくりくる名前だ。
「なるほど」
ミナは小さく頷いた。
「どうりで、この服の認識阻害が効かなかったわけね」
「どういうことです?」
思わず聞き返した、。
認識阻害なんて単語は本来さらっと出していいものではないはずだ。
「あたし、潜入捜査中だったのよ」
ミナは当然のように言った。
「このパーカーには、周囲の視線を滑らせる処理がされているの。完全に見えなくなるわけじゃないけれど、普通なら声をかけようとは思わない。目に入っても、すぐ意識から外れる」
「それに私は声をかけたと」
「そういうこと。しかも、あの人混みの中で、まっすぐあたしを選んだ。偶然にしては出来すぎているわ」
「えっと、白いパーカーって結構目立ちますよ?」
「それで怪しいスキル所持者が引っかかるなら儲けものでしょ」
「すみません」
本当にすみません。
初対面の相手に肩を叩き、名前を聞き、最終的にカフェ代を払わせた。
改めて見れば、我ながら不審者としての完成度が高かった。
「それで、潜入捜査というのは?」
認識阻害についても気になったが、今はそれ以上に聞き捨てならない言葉である。
「この事務所のヒーローが、あたし以外全員行方不明になっているの」
「ぜ、全員?」
「ええ。調査に出た者から順番に連絡が途絶えた。救援に向かった者も戻らなかった。だから仕方なく、オーナーであるあたしが自分で動いていたの」
「オーナー」
「そう。ここ、あたしの事務所だから」
ひたすらオウム返しするしかない私に彼女は淡々と答えていく。
なんとなく、ただのネームドキャラではないと思っていた。
思っていたが、いきなり事務所のオーナーだとは思わない。
高校生くらいの少女が、紅茶を飲みながら人員壊滅寸前のヒーロー事務所を運営しているとか、情報量が多いことこの上ない。
「つまり私は、良くも悪くもタイミングがよかったと」
「そうね」
ミナは否定しなかった。
「あなたのスキルは、普段なら裏方向きよ。情報整理、違和感の検知、洗脳や認識操作への耐性。少なくとも戦闘で派手に活躍するタイプではないわ」
「ソシャゲなら星一とかの性能ですしね」
「ソシャゲはよく知らないけど、自覚があるのは結構。……けれど、今回の件には向いている」
ミナの声が、真面目なものに変わった。
「行方不明になったヒーローたちに、何らかの認識干渉スキルが関わっている可能性がある。普通の捜査員では見落とすものを、あなたなら拾えるかもしれない」
「かもしれない、ですか」
「確証はないわ。でも、今のあなたにはこの状況を打開するだけの十分な可能性がある」
ミナがまっすぐ私を見た。
「あなたを採用しましょう」
「資格とか持ってないんですけど」
「戸籍すらないのに、今更そこを気にするの?」
「それはそう、ですね」
「しばらくはここで匿えるわ」
ミナは淡々と言った。
「住む場所も、食事も、最低限の身分も用意してあげる。今回の件が片付いたら、あなたの戸籍まわりもどうにかする」
「えっ本当ですか」
「できなかったら言わないわ」
彼女はあまりにも頼もしかった。
故に逆らったら怖そうでもあると印象づける。
「だから、あなたは大人しくあたしの言うことを聞くこと。いい?」
断る理由はなくもなかった。
怪しいし危険そう。さらに現状の説明では圧倒的に足りていない。そもそもの話、ヒーローになりたいなど一言も言っていない。
だが、再三にわたり断れる立場ではなかった。
私は財布もなければ、身分証もなく、この世界の常識もない。
ついでに星一の雑魚である。
「……はい」
半端脅しの確認に返事は自然と小さくなったが、ミナは満足そうに頷いた。
「よろしい」
こうして私は、ヒーローになった。
正確には、ヒーロー事務所に拾われた。
右も左もわからないまま、最低レアの雑魚キャラとして、社会的存在証明と引き換えに働くことになった。
そして、自分がかなり大きな事件に巻き込まれているのだと理解するのは、もう少しだけ後のことだった。
感想おなしゃす!