地元からずっと離れない生活も悪くないと感じていた。
学校から帰っていると、友達の春子が話しかけてくる。
ファミレス行こうと言われたので、そうすることにした。
メニューを開いている春子が「タッちゃん、何にする?」と聞かれ、反射的にパフェと答える。
橘という名前があまり活かされていないあだ名だよな。と思いつつ、春子と少し油っぽいクリームのパフェを食べた。
じゃあねと手を振って家に帰る道を歩く。
街の隙間から見える夕日がとても綺麗だった。紫と赤のグラデーションは、ブラウン管と携帯の画面なんかよりもとても綺麗に感じる。
空に向かって手をかざす。紫色と赤色の境界線を指でなぞる。今日も綺麗な夕日だった。
地元からずっと離れない生活も悪くないと感じる。
今日は図書館で本を読んでいた。内容は覚えていないけれど、凄く面白いエッセイだった。
学校の玄関で友達の春子に会ったので、一緒に帰る。
なにか食べたくなったので、ファミレスに寄ることにした。
何にしようか迷っていると、春子は勝手にペペロンチーノを注文して、それを食べることになった。
じゃあねと手を振る春子に、手を振ってあげる。
街の隙間から見える夕日を見ながら、水平線にある紫色が綺麗だなぁと思う。
手を空に伸ばそうとすると、男の野太い声で「君」と声をかけられる。
振り返ると、壮年の丸メガネをかけた、少し髪の毛の薄い男が道路の中央に立っている。
「君だな」そう口にする。
「私はキツラギという」
彼の腕の時計をまくり「コンタクト開始。投薬を始める」と口にする。
何を言っているのかがわからない。
「ここに来たのは、君に理解してもらうためだ。だから、落ち着いて私の言葉を聴いて頂きたい」
「手短に話す。君は1998年7月15日から20年以上昏睡している」
その言葉を聴いた瞬間。事故の映像が突然フラッシュバックする。
右車線の車が乗り上げ、自分の車へ向かってくる3秒の映像。それが鮮明な事実として頭で再生される。
存在しない記憶が"ある"という事になっていく。まるで己が殺人を犯したという事実が忽然と湧き上がるような恐怖が起こる。
「すまないな。だが、これをやらないと脳が回復状態に戻らない。"わかってもらわないと"戻れないのだ。思い出させてもらった」
頭を抱えて崩れる私に、キツラギは淡々と説明をする。
脳科学において、その人がどのような世界を観測しているのかは謎だった。それを解決できるテクノロジーが発見された。その人が見ている夢。ビジョンを観測する事が可能になった。
昏睡状態である人間の夢に干渉し、内側にある認知から植物状態からの回復ができるようになった。そして、キツラギは私を昏睡状態から引き上げるために夢の中に入ってきた職員であると。
「君は昏睡から回復し、そして即座に昏睡している間の記憶は消滅する。トラウマを消去するための合理的な措置だ」
嫌だ。この世界を記憶をなくしたくない。
この世界で女子高生としてずっと生きてきた。毎日を過ごして、ただ当たり前のように友達と遊んで家に帰るだけの生活で良かった。たとえ1日をずっと繰り返しているとしても、それに気づかない私はずっと幸福だった。
この男の言っている事が嘘なんじゃないかとも思う。けれど、あまりにもフラッシュバックの映像はリアルすぎる。思い返せば、私が繰り返してきた日常はいつも夢のようだった。おぼろげで、自分で動いているという実感と、何かを喋っている記憶が確かにあるけれど、全てがおぼろげだった。この世界にいる感覚は、あまりにも夢に近すぎる。
「時間が近い。後5分で君は回復する。もう既に処理は完了している」
後5分で、私が生きてきた世界が終わる。
20年の夢だったとしても、私にとっては現実そのものだった。
春子もパフェも、眠りながら聴く授業の時間も夕焼けの世界も無かったことになってしまう。
消えてしまう。死んでしまう。例え夢という幻想だったとしても私にとっての現実が消滅してしまう。
私は叫びながらキツラギと名乗る男に飛びかかる。
腕時計を見つめていた彼は、バランスを崩し倒れる。
彼の首を絞める。感情に支配されていて自分が何を考えているのかもわからない。
ただ、私の世界を壊して欲しくなかった。私にとっては世界なんだ。だから奪わないで。私から消し去らないで。"現実というリアル"を押し付けないで。この場所は私にとっての現実だから。
現実に帰ったら、私は親が死んだ事を知る。そしてそれをずっと思い出してしまう。
ひとはつらいことを知り、そのことを考えるために生きている。
現実を知ってしまったら、もう知らない頃には戻れない。私はずっと、20年以上眠り続けていた事と、両親の死について考えてしまう。後悔してしまう。
思うことからは逃げられない。考えることはやめられない。それが怖い。全身の毛が逆立っているのに、体に力が入らない。それでも、首を締める手の力は止まらない。爪がくすんだ首の肌に食い込んでいく。
「もう、時間だ」
掠れた声でキツラギが口にすると、私の手の力が抜けていく。夢に沈む時のようなまどろみと共に、体が横に倒れていく。
「大丈夫だ。君はこれから現実を生きていける」
そんな事はないのに。
「これからは、自分の人生を他の人に見えるように描けるようになる」
そうじゃないのに。
「現実を生きれば他人に"思われる"ようになる。それが生きているという事だ」
そうではない、なぜなら・・・
目が覚めると、私はベッドの上だった。
「おめでとうございます。貴方は回復されました」
白衣の丸メガネの男が妙なヘルメットを外して話しかけてくる。
ここは病院?怪我したのか。
自分の手を見る。やせこけた手だ。私は長いこと眠っていたらしい。
「少しずつ理解していきましょう。ゆっくりと。まず貴方は・・・」
男が語り始めた時、オレンジの光が目に飛び込んできた。
瞬間。怒りと後悔と悲しみの混ざりあった"何か"が、身体中を駆け巡る。
「私の意思でずっと生きてきたからだ!」
私は叫んだ。機械とベッドだけがある白い部屋に透き通るように反響する。
意味がわからない。なぜそんな言葉が出たのかも理解できない。けれど、目からは涙が流れていた。
「どうされましたか」
「・・・いえ、ごめんなさい。なぜだかわからない」
「きっと混乱しているんでしょう。今日は休んで下さい」男が部屋から去っていく。
窓に目を向ける。街のビルや雑踏の隙間の中に夕日が佇んでいた。
いつか前に見たような、紫色が水平線にある夕焼けだった。
手を伸ばして、紫と赤の境界線を指でなぞる。
どうしてだか。どこかもわからない向こう側に行けるような気がして、涙が止まらなかった。