第四話執筆完了!
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《ユグドラシル》の正式サービス開始から、五日が経っていた。
たった五日。けれど、もう十分なくらい騒がしかった。
初期街の外に出た途端に死んだ、だとか。
最初に選ぶ職業の数が多すぎて、決めるだけで一日が終わった、だとか。
生産職で始めたら、肝心の素材の採り方がどこにも書いていない、だとか。
要するに、いつもの《ユグドラシル》だった。
不親切で、容赦がなくて、それなのに妙に人を惹きつける。
私も本来なら開始初日に入っていておかしくなかった。けれど、実際にログインするのは五日遅れになった。
慎重になっていたのは確かだと思う。
ただ、それだけでもない。
《ユグドラシル》には、最初から妙な引っかかりがあった。気になる、というより、目を逸らしにくい。そんな感じだ。何がどう、とは言えない。けれど、胸の奥のどこかが、ずっと落ち着かなかった。
とはいえ、いつまでも部屋の中で考えていても始まらない。
みんなはもう先に入っているし、クラン《アステリズム》として本格的に動き出すのは、私が入ってからにしようという話になっていた。これ以上待たせるのも悪い。
私は自室の奥に置かれた専用ダイブユニットを見た。
富裕層向けの高級機。脳に演算装置を追加で埋め込まなくても、外部補助によってニューロン・ナノ・インターフェイスを安定稼働させるタイプの装置だ。一般的なコンソールよりも快適で、安全性も高いらしい。ありがたいのは間違いない。けれど、こういうところにまで格差があるのだと思うと、少しだけ複雑な気分になる。
それでも、使えるものを使わない理由にはならない。
祖父は「危険を減らせるなら減らせ」と言ったし、祖母は「そういうものは遠慮しないで使いなさい」と、いつもの穏やかな調子で背中を押してくれた。
「……よし」
ひとつ息を吐いて、装置に横たわる。
固定具が静かに作動し、視界の端に確認表示が流れていく。同期率、外部補助演算、感覚制御、セーフティ、ログアウト権限、データロガー記録。味覚と嗅覚は電脳法により削除済み。触覚出力は制限下で稼働。異常接続なし。
見慣れたはずの表示なのに、今日は妙に長く感じた。
『接続を開始します』
音声のあと、現実の輪郭がゆっくり遠のいていく。
身体が沈むような、浮くような、どちらともつかない感覚。ほかのDMMO-RPGで何度も経験したはずなのに、今日はやけに意識に引っかかった。
そして、次に目を開けたとき、私は白い空間の中に立っていた。
壁も床も天井も、あるようでない。広いのか狭いのかもわからない。ただ中央に、いくつもの設定ウィンドウだけがくっきり浮かんでいた。
名前。種族。外見。職業。
そして職業欄を開いた瞬間、思わず眉が寄る。
「……多すぎるでしょ」
軽く数えられる量ではなかった。三百、いや五百。下手をすると七百近くあるんじゃないかと思う。剣士、槍士、盾兵、弓兵、格闘家、神官、魔術師、召喚師、付与師、錬金術師、料理人、鍛冶師、薬師、吟遊詩人、斥候、罠師――ざっと眺めただけでも、どこまでが初期職業なんだと言いたくなる。
運営、正気じゃないな、と改めて思った。
でも、それと同じくらい、面白そうだとも思った。
最初に決めるのは名前だった。
私は頭の中でいくつか候補を転がした。
気取りすぎるのは嫌だった。
かといって、軽すぎるのも違う。
星みたいな名前がいい、と、なんとなく思った。
遠くにあっても見えるもの。
目印になるもの。
見上げるもの。
その条件で考えていくうちに、ひとつの音がすっと残る。
アストレア。
心の中で何度か呼んでみる。悪くない。澄んでいて、冷たすぎず、柔らかすぎない。どこか星を思わせる響きも好きだった。
《Astraea》
入力した文字が淡く光って固定される。
それを見て、ようやく気持ちが落ち着いた。
次は種族。
亜人種も異形種も面白そうではあった。魔法適性が高かったり、特異な能力を持っていたり、見た目のインパクトも強い。将来的な強みだけを考えるなら、そちらの方が伸びる可能性もあるのだろう。
けれど、最初の一歩としては人間種がいいと前から決めていた。
種族特性より、まずは職業そのものを積み上げたい。未知が多すぎるゲームだからこそ、最初の土台はなるべく素直なほうがいい。
《人間種》を選ぶ。
続いて職業欄を開き、魔法系の項目に目を通す。
ウィザード。ソーサラー。サマナー。エレメンタリスト。エンチャンター。ネクロマンサー。アルケミスト。イリュージョニスト。ルーンキャスター――見ているだけで時間が飛びそうだった。
けれど、出発点だけは決めてある。
《ウィザード》
基礎魔法職。魔法をやるなら、まずはここからだと思えた。
決定する。
外見調整は、長引かせるつもりはなかった。現実の自分に似せすぎないよう少しだけ手を入れる。目元を少し鋭く、輪郭をわずかに細く。髪は黒のまま、光の当たり方だけ少し調整する。
鏡の向こうには、現実の私より少しだけ静かで、少しだけ研ぎ澄まされた自分が立っていた。
「……うん」
たぶん、これでいい。
最後の確認画面が浮かぶ。
『キャラクター登録を完了しますか』
私は迷わず、肯定を選んだ。
視界が白く弾ける。
最初に飛び込んできたのは、青だった。
空だ、と気づくのに一瞬かかった。
あまりにも広かったからだ。
アーコロジーの人工天井にも空はある。でも、これは違う。雲の流れ方が違う。光の落ち方が違う。作られていると頭ではわかっているのに、どうしても本物に見えた。
風が吹いて、ローブの裾が揺れる。
匂いはない。味もしない。けれど、それでも十分だった。石畳を踏む感触、人のざわめき、遠くの鐘、噴水の水音、市場の呼び声、鍛冶場から響く金属音。視覚と聴覚と、制限された触覚だけで、この世界は想像していたよりずっと鮮やかだった。
「……すご」
思わず漏れた声が、自分でも少し可笑しかった。
でも、ほかに言いようがなかった。
『着いた?』
クラン通信が開く。レイナの声だ。
「今、街の中。中央広場でいいんだよね」
『うん。噴水のところ。みんないる』
「了解、すぐ行く」
『そんなに急がなくてもいいよ。どうせちょっと見惚れてたでしょ』
「……ちょっとだけ」
『知ってた』
からかうみたいな声音に、少しだけ頬が熱くなる。
通信が切れたあと、私は広場へ向かって歩き出した。
街はすでにかなり賑わっていた。サービス開始から五日しか経っていないのに、そこかしこに妙な格好のプレイヤーがいる。人間種、獣耳の亜人種、明らかに人外の異形種。装備もばらばらで、見ているだけで飽きない。
そして中央広場に着いた瞬間、私はすぐに見つけた。
というより、見つからない方が無理だった。
噴水の縁に集まっている一団だけ、妙に目立っていたからだ。
「……うわ」
素で口に出る。
「うわって何だよ!」
真っ先に食ってかかってきたのは、重装の剣士。声でわかる。ユウトだ。
「いや、だって……思ったより本気だなって」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
「半分しか褒めてねえじゃん!」
そのやり取りに、周りから笑いがこぼれた。
「でも似合ってるじゃん、ガルド」
ミカが肩を揺らしながら言う。どうやらプレイヤーネームはガルドらしい。
「少なくとも、勢いは一番ある」
「勢い“は”って言ったな今!」
「言った」
「ひど!」
相変わらずの調子に、少しだけ肩の力が抜けた。
レイナ――いや、ゲームの中では別の名前で呼ぶべきだろう。彼女が静かにこちらを見る。
「来たんだ」
「来るよ、さすがに」
「五日も待たせておいて?」
「……それは、ごめん」
素直に言うと、レイナは少しだけ口元をゆるめた。
「責めてるわけじゃない。ただ、もうちょっとぎりぎりまで迷うかと思ってた」
「うわ、わかる」
ナツキが笑う。
「たぶん最後まで職業欄とにらめっこしてたでしょ」
「してた」
「正直でよろしい」
そこでソウイチが、妙に得心した顔で頷いた。
「初期職だけで数百ある。悩まない方がおかしい」
「数えたの?」
「途中まで」
「途中まで数えたんだ……」
「だって気になるだろ」
「気持ちはわかるけど」
また小さな笑いが起きる。
「ほら、せっかくだしちゃんと自己紹介しよ」
ナツキが場を整えるように言った。
「現実の顔は知ってても、名前と職まで全部わかるわけじゃないし」
それはそうだ。見た目が大きく変わっているせいで、誰が誰か一瞬迷う相手もいる。
噴水の縁を囲むようにして、ひとりずつ名乗っていく。
最初はユウトからだった。
「ガルド。職業はファイター。剣で前に出る。わかりやすいだろ」
「わかりやすすぎるね」
ミカが笑う。
「私はライカ。レンジャー。動いて、見て、回るのが仕事」
「似合ってる」
思わずそう言うと、ミカは少しだけ照れたように眉を動かした。
「でしょ。自分でもそう思う」
「そこは迷いないんだ」
次はレイナ。
「セレン。エンチャンター」
彼女は細身の杖を軽く持ち上げる。
「魔法使うけど支援寄り。前には出ないけど、ちゃんと役には立つから」
「ちゃんとどころじゃなく立つやつだよね、それ」
ソウイチが即座に言った。
「私はメル。クレリック」
ナツキが穏やかに続ける。
「回復担当。だから前衛組は、無茶しないこと。特にガルド」
「なんで名指し!?」
「一番しそうだから」
「ひどくない?」
「ひどくない」
全員の反応が早すぎて、ガルドが大げさに肩を落とす。
「クオン。セージ」
ソウイチはあまり飾らない口調で言った。
「情報整理、検証、構築。要するに裏方全般」
「裏方の顔してないけどね」
ハルが言う。
「前に出たくてうずうずしてるタイプの理屈屋じゃん」
「否定はしない」
「するんだそこは」
「クロウ。アサシン」
カナメは相変わらず短い。
「奇襲と妨害。見つかる前にやる」
「こわ」
ハルがぼそっと言うと、カナメは少しだけ眉を寄せた。
「事実だろ」
「そうだけど、言い方ってあるじゃん」
「シグ。スミス!」
シオンだけ、妙に元気だった。
「武器、防具、道具、何でも作る。素材あったら絶対教えて。絶対!」
「圧が強い」
ミカが引き気味に言う。
「だってこういうゲームで生産やらないの勿体ないだろ!」
「それは、まあ、そう」
「フェイ。バード」
ハルが軽く手を振る。
「歌って、楽器引いてサポートするよ。便利屋って思っといて」
「最後ちょっと怪しくない?」
「気のせい気のせい」
「イリス。イリュージョニスト」
アヤはローブの袖をつまんで少し持ち上げた。
「見た目も性能も妥協しない。せっかくここまで作り込めるんだから、中途半端は嫌なの」
「それ、すごいアヤっぽい」
「でしょ?」
満足げな返答がいかにも彼女らしい。
「グレン。ナイト」
トウマは短く、それだけ言った。けれど、立ち姿だけで十分に伝わる。前線で支える役だとすぐわかった。
「バスティオン。ガーディアン」
ケイの声は落ち着いていた。
「盾役だ。抜かせないのが仕事だな」
「ロク。スカウト」
最後にリツが静かに言う。
「事前に周囲の状況を把握してみんなに知らせる」
そこで、全員の目が私へ向いた。
ほんの少しだけ間が空く。
「……アストレア。ウィザード」
名前を口にした瞬間、妙に実感が湧いた。
「魔法職。たぶん、魔法攻撃担当になると思う」
「あー、やっぱり」
「でしょうね」
「そりゃそうだ」
いろんな方向から声が返ってくる。
「そんなに?」
思わず聞き返すと、ミカが肩をすくめた。
「だって、あんたが剣振り回してるの、ちょっと違うじゃん」
「できなくはなさそうだけどね」
ナツキが笑う。
「でも、前で暴れるより、ちゃんと見て、ちゃんと考えて、ここってところで通してくる感じ」
「それ褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんって」
そこで、セレン――レイナが静かに言った。
「支援職じゃなくて、ウィザードなのもわかる」
私は少しだけ彼女を見る。
「どうして?」
「支えるだけじゃ、たぶん足りないから」
その言葉は、変に深く胸へ落ちた。
詳しく説明したわけじゃない。でも、私の中にあるものを、みんなはなんとなく知っている。両親を失ってからの時間の中で、言葉にしなくても伝わってしまうことがある。
私は少し迷ってから、正直に言った。
「……遠くまで届く力が欲しかったから」
一瞬、空気が静かになる。
そのあと、ガルドが変な顔で口を開いた。
「何それ、ちょっと格好いいんだけど」
「茶化さないで」
「茶化してないって。今のは普通にそう思った」
「半分くらい?」
ミカがすぐに被せる。
「そう、それ」
笑いが起きて、重くなりかけた空気が自然にほどけた。
その感じがありがたかった。
「十三人、かなり綺麗にばらけたな」
クオンが全員を見回しながら言う。
ファイター、レンジャー、エンチャンター、クレリック、セージ、アサシン、スミス、バード、イリュージョニスト、ナイト、ガーディアン、スカウト、ウィザード。
たしかに、かなりいい形だ。戦える、守れる、支えられる、調べられる、作れる。《ユグドラシル》みたいなゲームでこれだけ役割が散っているのは、チームとして行動するならかなりバランスがいい。
「……思ったより、ちゃんとしてるね」
私がそう言うと、ハルが笑う。
「そこはもうちょっと感動してくれてよくない?」
「してるよ。ちょっとだけ」
「ちょっとなんだ」
「でも、ほんとにいいバランス」
そう言うと、ケイが静かに頷いた。
「長く一緒に遊んできたからだろうな。結局、向いてるところに落ち着いた」
「それはあるかも」
ナツキも納得したように言う。
そのあと、フェイ――ハルがわざとらしく咳払いした。
「さて、クランマスター」
「その呼び方、まだ慣れないんだけど」
「でも、言っといたほうが締まるでしょ。初出発なんだし」
「そうそう」
「ひとことくらい欲しい」
「逃げないでね、アストレア」
好き勝手言われて、私は少しだけ困る。
でも、嫌ではなかった。
みんなの顔を見る。現実の友達で、今は《アステリズム》の仲間たちだ。本名じゃない名前を持って、それでもちゃんと“いつもの相手”としてここにいる。
不思議な感じだった。
「……じゃあ」
少しだけ息を吸う。
「今日の目標は、まず十三人でちゃんと動けるか確かめること。無理はしない。でも遠慮もしないで、何かあったらその場で言って」
そこで一度止めて、少しだけ笑った。
「せっかくここまで来たんだから、楽しもう。たぶん、それが一番大事だから」
今度はすぐに声が返ってきた。
「了解、クランマスター」
「だからその呼び方……」
「いいじゃん、似合ってるし」
「ちょっと悔しいけど、わかる」
「アヤまで言うの?」
「言うわよ。だって本当だもの」
笑い声が重なる。
そうして私たちは、広場を後にした。
門の外へ出ると、草原が一気に視界へ開けた。
街道が遠くへ伸び、その先に森が見える。もっと向こうには、ゆるい丘陵地帯。風が吹くたび、草が波みたいに揺れた。
綺麗だった。
それしか言えないくらい、素直にそう思った。
安全圏を一歩出る。
それだけで、空気が少し変わる。
前に立つのはガルドとバスティオン。ライカとグレンがその少し後ろ。セレンとメルが中衛に入り、私はクオンと並んで後方へ下がる。ロクは外側を見て、クロウはもう地形の陰へ意識を向けている。フェイは全体を見ながら位置を整え、シグとイリスも気になるものを見つけつつ、隊列からは外れない。
まだ拙い。けれど、ちゃんと形になっていた。
十三人で歩いている。
それだけのことが、少し嬉しかった。
不意に草むらが揺れた。
「来る」
ロクの声が落ちる。
次の瞬間、小型の獣型モンスターが二体、街道脇から飛び出した。
「うわ、普通に殺る気あるじゃん!」
ガルドが剣を抜きながら叫ぶ。
「感想はあと!」
ライカが横へ流れる。
「右回る、引きつけて!」
「メル、後ろ!」
「わかってる!」
「セレン、通せる?」
「いける!」
声が重なる。
私は詠唱欄を開いた。
まだ使える魔法は少ない。威力だって高くない。できることも限られている。
それでも、指先に集まってくる感覚ははっきりあった。現実にはないはずの“力”が、ここにはある。
胸の奥が、少しだけ熱を持つ。
これが、私の最初の一歩だ。
「《マジック・アロー》!」
光が走った。
あなたは、どっちの閑話を読んでみたい?※選択によっては執筆に時間が掛かります
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両方!!