目を開ける。軽く首を回してから、軽く息を吸ってから吐く。そして手足を確かめてから、腹と首に嫌な湿りが無いかを確認して、真っ白な制服の襟を正す。
「……通算何回目だ?」
一応、身に付けていたタブレットに問うも答えは無し。
まあ、ただのタブレットが勝手に答えてくれる筈も無し。
男はタブレットを腰のケースに戻すと、リモコンのスイッチを弄る。
薄暗い部屋が明るくなり、無機質で最低限の家具だけがある部屋が浮き彫りになる。
男は体を起こし、腰掛けていたベッドにそのままの体勢でサイドテーブルに置いていた煙草に火を点け、今度は深く深く煙と息を吐き出した。
嗚呼、嫌になる。いや、もうなっている。
何が悲しくてこんな目に合わなくてはいけないのか。
第一、何故に自分はここに居るのか。
何百何千と繰り返してきた問だが、答えは一つだけだ。
切羽詰まっていたとはいえ、あんな求人に応募しなければよかった。
男は〝外〟の世界から来た。〝外〟というのは、この〝キヴォトス〟という土地がそういう土地だからだ。詳しい事なんぞ知らんし、それを知っている奴も居ない。
ただ確かなのは、このキヴォトスが自分の世界とはまったく違うルールで動いているという事だ。
「せんせい、大丈夫?」
数回のノックの後、そんな声が扉の向こうから聞こえてくる。
だが男は返事をしない。その代わりに、煙草の隣に置いていた拳銃とスイッチを手に扉に近付き、問い掛けとは違う言葉を返す。
「フェレンデル……」
「え? ああ! シュターデン」
合言葉。それを確認して、男は鍵と扉を開ける。
扉の向こうには、オフィスレディの様なというには些か派手で、しかし幼さがあり、うなじの辺りから一対の角を生やした赤髪の少女が安堵の表情を浮かべていた。
「よかった。無事ね」
「ああ、職場が恒例のご機嫌な花火になった事以外はな」
「今度はオフィスごと。毎回よくやるわね」
「まあ、そんだけ恨み買ってるんだろうよ」
吐き捨てる様に言うと、男はベッドに戻り、咥えていた煙草を灰皿に押し付け、赤髪の少女に問う。
「で、本日のイカした花火師は何処のすっとんきょうだ? オフィスごとなんざ、頭が火薬で出来てるとしか思えねえ」
「今回は傭兵よ。金で雇われただけで他は何も知らないみたいね。あと、〝アビドス〟の梔子生徒会長から謝罪と救援要請が届いてるわ」
「頭火薬の次は頭お花畑か。会話が出来るだけましか。内容は? 〝アル〟」
「謝罪はホシノの救援が間に合わなかった事で、要請はアビドス近郊での武装勢力打破ね」
アル、本名〝陸八魔アル〟が語る内容は寝起きの頭によく効いた。鼓膜の真横で趣味じゃないヘヴィメタルのライブでもかまされた気分だ。
「小鳥遊走らすなんざ、あのお花畑にしては上出来だ。これで朝食に山盛りのコーンフレークを二杯配達してくれたら最高だ」
「残念、せんせいの朝食は私が持ってきたおにぎり二個よ」
「……最高だな」
ラップで包まれた白米の塊を受け取り齧る。
シンプルな塩味が小気味良い。
「あと、〝ヒナ〟から連絡。〝雷帝〟勢力がアビドスに向かってるらしいわ」
「イカしたジョークだ。ゲヘナを真っ二つに割った皇帝様は、地上の楽園の代わりに砂漠のリゾートをご所望か。流石、頭の中がこの世の地獄を煮詰めて作った腐ったダイヤモンドなだけはある」
アル手製のおにぎりを平らげ、メモ帳代わり以外に役に立たないタブレットに情報を書き出す。
「まったく、〝エデン条約〟がやっと締結したのに、これじゃ前と変わらないわ」
「頭の中が地獄で出来てんだ。毎日が紅茶のパーティーじゃ欲求不満なんだろうよ」
男、〝せんせい〟は立ち上がり、拳銃を脇のホルスターに納める。
「他は?」
「〝ミレニアム〟の調月会長から〝デカグラマトン〟について進展があったから、近いうちに話がしたいって。あとは〝トリニティ〟で〝アリウス〟残党に、〝サオリ〟達が手を焼いてるから助けてほしいみたい」
「〝マダム〟を目の前でアポロ11号にしてやったってのに、まだ足りねえのか……。〝土生〟の宿にでも行って温泉に浸かって、〝コクリコ〟の三味線と長唄を聞きたい気分になってきた」
「〝シュロ〟をからかいながらでしょ? 来週に予約入れてあるから、それまでに終わらせてね」
「流石、話の解る敏腕社長だ」
最高の気分だ。
せんせいは扉を開け、外に出る。
見上げると〝赤と青〟に綺麗に別れた空が出迎え、オーケストラも真っ青な銃撃のカーニバルが目の前で開催中だ。
「本当にイカした場所だよ。クソッタレ」
ここはキヴォトス。神秘と恐怖が混ざり合い、銃弾と青春が交差し、何かがズレて狂った世界。
そこに一時の気の迷いで入り込んだ男〝せんせい〟と、自転車操業は変わらず〝便利屋68〟の社長と〝シャーレ〟の〝秘書〟を務める〝陸八魔アル〟。
銃弾と役立たずのタブレット、ライフルを振り回し、今日もズレた歯車を無理矢理回して二人は世界を動かす。
せんせい
一年の無職期間を経て、シャーレのせんせいに就任。きっかけは電柱に貼り付けられた求人