第一部隊母艦。
艦橋。
グリドーズは、遠くの宇宙を見ていた。
赤い闇の中で、ひとつの光が咲いている。
膨大なエネルギー反応。
超新星にも似た白い閃光。
大規模前哨基地Aサイトがあった方向だ。
すでに光は広がり、周辺宙域の食欲反応を焼き尽くしている。
主の回復食。
補給路。
監視網。
器の中枢。
そのすべてが、今、白い光の中に飲み込まれている。
「……」
グリドーズは黙って見ていた。
部下たちの声は遠い。
警報音も遠い。
ただ、その光だけが目に焼きついている。
そして、グリドーズは思い出していた。
少し前のことを。
グリドが帰還した日のことを。
・・・
・・
・
Aサイト。
指令室。
「グリド、帰還しました!」
下位戦士の報告が響く。
指令室の奥で、グリドーズは端末から顔を上げた。
数値上は問題なし。
食材搬入量も合格。
航路記録も正常。
通信も異常なし。
あまりにも綺麗だった。
「ふ」
グリドーズは小さく笑った。
「やはり仕事は早いな」
目の前に、グリドが立っている。
下位戦士として帰還した、九百年前の元総長。
軽い調子。
ふざけた顔。
だが、その奥にある匂いだけは、九百年前から変わっていない。
「こいつと話がある。他の者は席を外せ」
「はっ!」
下位戦士たちは即座に頭を下げ、その場から去っていく。
扉が閉まる。
指令室には、グリドーズとグリドだけが残された。
「なんや?」
グリドは肩をすくめる。
「もう出世できるんか?」
「グリド」
グリドーズは静かに言った。
「フェイク・プレデターを解除しろ。話はそれからだ」
グリドの顔から、笑みが少しだけ消えた。
そして、すぐにまた笑う。
「やっぱ、お前にはバレてたか」
「当たり前だ」
「まぁ、監視も外してくれとるし、ええで」
グリドの周囲に漂っていた気配が薄れていく。
主の食欲に酔った下位戦士。
忠実な兵。
従順な味。
そう見せていた匂いが消える。
その下から現れたのは、九百年前と同じグリドだった。
支配の線から外れた、皿の外の食欲。
グリドーズは、まじまじと確認した。
匂い。
目。
食欲。
ふざけた態度。
軽い口調。
だが、奥にある芯。
変わっていない。
「なんや、この場で処刑か? わいは」
「ふ……」
グリドーズは笑った。
「忘れたのか? 九百年も経ったからな」
「覚えとるわ」
グリドは即答した。
「わいらは、わいらの意思で宇宙のフルコースを集める。主は最大限利用する。やろ」
「そうだ」
グリドーズは頷く。
「総長となった今も、それは変わらない」
九百年前。
彼らは主に従っていた。
だが、ただ食われるために従っていたわけではない。
主を利用し、宇宙中の食材を集め、グリーントロルだけの宇宙のフルコースを完成させる。
それが、彼らの意思だった。
少なくとも、そう信じていた。
主は、強大な食欲だった。
星を食い、種族を従え、食材を奪う力を持っていた。
その力を利用できるなら、宇宙のどこへでも手が届く。
誰も見たことのない食材。
誰も捕獲したことのない猛獣。
星ごと熟した果実。
銀河を泳ぐ魚。
宇宙そのものが差し出す一皿。
それらを集め、グリーントロルの名でフルコースに並べる。
そのはずだった。
だが、いつからか違っていた。
利用しているつもりで、利用されていた。
食材を集めているつもりで、主の回復食を運んでいた。
宇宙のフルコースを作るつもりで、主の腹を満たすための皿に成り下がっていた。
それを理解していても、認めきれない者がいる。
まだ主を利用できると信じる者がいる。
グリドーズは、その一人だった。
「そして、お前もあの頃と匂いは変わらない」
グリドーズは言った。
「戻ってこい、グリド」
グリドは黙った。
「席は空けている」
その言葉に、グリドは一瞬だけ目を伏せた。
何かを思い出しているようだった。
地球。
零山脈。
セーフゾーン。
人間の少年。
アマジン。
その名を、グリドーズは知らない。
だが、グリドの匂いがわずかに変わったことだけは分かった。
「すまん」
グリドは言った。
「あかんわ」
「……」
「もう、わいは地球を攻める気になれん」
グリドーズの目が細くなる。
「地球を、ではない」
「ん?」
「あの星には、宇宙のフルコースに繋がるものがある」
グリドーズは静かに言った。
「地球そのものが目的ではない。だが、あの星は避けて通れん」
「分かっとる」
グリドは苦笑した。
「せやけど、あそこにはもう、わいの飯の匂いが残ってしもうた」
「飯の匂い?」
「そうや」
グリドは少しだけ笑った。
「九百年ぶりに、うまいと思った飯の匂いや」
グリドーズは沈黙した。
「だが、お前を止めることもできん」
グリドは続けた。
「元々は、わいから始まった意思や」
「何を言っている!」
グリドーズの声が強くなった。
「お前が始めたからこそ、戻れと言っている!」
「やけどな」
グリドはグリドーズを見る。
その目から、ふざけた色が消えていた。
「主……あいつだけは、ほんま許せん」
指令室の空気が重くなる。
主。
マザーグリード。
その名を直接口にしなくても、意味は分かった。
「やから、そっちはわい一人でやるわ」
「一人で?」
「お前はまだ繋がってる」
グリドは自分の胸を指した。
「これは、完全に切れとるわいにしかできん」
「……」
「二度とないチャンスや」
グリドーズは黙った。
言いたいことはいくつもあった。
主を敵に回す気か。
勝てるわけがない。
戻ってきたばかりで死ぬつもりか。
裏切るなら、なぜ帰ってきた。
宇宙のフルコースを諦めたのか。
グリーントロルの意思を捨てるのか。
だが、言葉は出なかった。
グリドの匂いが、あまりにも変わっていなかったからだ。
九百年前。
総長だった頃。
無謀な作戦を笑って決めた時と、同じ匂いだった。
「お前をこき使ってやろうと思ったんだがな」
グリドーズは、わざと軽く言った。
「残念だ」
「なんや、仕返しか?」
「そうだ」
グリドーズは淡々と返す。
「九百年分、働かせるつもりだった」
「それはブラックすぎるわ」
「まぁいい」
グリドーズはグリドを見据えた。
「だが、お前が何を思おうとも……宇宙のフルコースを諦めるつもりはない」
「分かっとるわ」
グリドは苦笑する。
「そこまで言わん言うとるやろ」
「地球も、その一皿だ」
「やろうな」
「ならば、いずれ我らはぶつかる」
「その時はその時や」
グリドは肩をすくめた。
「でも今は違う。今、噛みつくべき相手は同じや」
グリドーズは沈黙した。
グリドも、それ以上は言わなかった。
互いに分かっていた。
道は違った。
同じ場所には戻れない。
グリドは地球を攻める意思を失った。
グリドーズは宇宙のフルコースを諦めていない。
そのためには地球も避けて通れない。
だが、主だけは別だった。
グリーントロルを食い、支配し、同族すら食卓に並べる悪魔。
それだけは。
グリドーズの中にも、まだ濁った怒りが残っていた。
「ほな、行くで」
グリドが背を向ける。
「待て」
グリドーズは引き出しを開けた。
そこから、一つの筒状のガラスケースを取り出す。
中には、ビー玉ほどの小さな輝く玉。
形状は手榴弾に似ている。
側面にはピン。
触れるだけで、周囲の空気が緊張するような代物。
グリドの目がわずかに見開かれた。
「これを返しておく」
グリドーズはそれを投げた。
グリドが受け取る。
「ここに置いておくのも、物騒だからな」
「超新星爆弾……」
グリドは低く呟いた。
「お前……」
「さっさと仕事に戻れ、下位戦士」
グリドーズは顔を背ける。
それ以上の言葉はなかった。
言えば、止めてしまう。
言えば、命令してしまう。
だから言わなかった。
グリドはしばらく黙っていた。
そして、小さく笑った。
「ほんま、出世したなぁ。グリドーズ」
「出ていけ」
「はいはい」
グリドは筒状のガラスケースを懐へしまった。
そして、指令室を出ていく。
扉が閉まる。
その背中を、グリドーズは見送った。
席は空けていた。
だが、グリドは座らなかった。
・・・
・・
・
・
・
・
遠くの宇宙では、まだ白い光が残っている。
グリドーズは艦橋の窓越しに、それを見ていた。
「グリドーズ総長!」
部下の声が響く。
「早くご指示ヲ!」
「ああ」
グリドーズは振り返った。
表情から感情を消す。
総長の顔に戻る。
「とにかく被害状況を調べろ。動ける母艦はいくつ残っているか確認しろ」
「はっ!」
「調査機も送れ。Aサイトの残骸、食欲反応、主の反応、すべて記録しろ」
「分かりマシタ!」
「第一部隊は待機。周辺警戒を最大にしろ。地球側の艦隊が動く可能性がある」
「はっ!」
部下たちが一斉に動き出す。
艦橋が慌ただしくなる。
被害確認。
通信回復。
残存戦力の集計。
主の生死。
器の所在。
全てが混乱していた。
グリドーズは再び、遠くの光を見た。
あれは、グリドの光だ。
九百年ぶりに戻ってきた元総長。
宇宙のフルコースという古い夢から、少しだけ外れた男。
地球に飯の匂いを残してきた男。
だが、主へ噛みつく意思だけは最後まで失わなかった男。
「グリド……」
グリドーズは小さく呟いた。
怒りではない。
悔しさでもない。
羨望でもない。
ただ、九百年前に空けたままだった席が、もう二度と埋まらないことだけを理解していた。
そして、彼は総長として命じる。
「全艦、戦闘準備」
その声は冷たかった。
だが、ほんのわずかに震えていた。