「ただいま!」
俺は玄関を開けるなり叫んだ。
「母さん、大変だ。女の子が倒れてた!」
「まぁ大変!」
母さんの反応は早かった。
買い物袋よりも、番重の上に寝かせた少女を見る方が先だった。
さすが母さん。
いや、普通はもっと驚くと思う。
空間が裂けて、全裸の女の子が落ちてきました。
しかも俺のことをお兄ちゃんと呼びました。
なんて説明しても意味が分からない。
俺も分からない。
「父さん、毛布!」
「分かった!」
「アマジン、その子をソファに!」
「おう!」
俺たちは慌ただしく動いた。
とりあえず俺の服を着させる。
さすがに俺の服なのでかなり大きい。
シャツはぶかぶか。
ズボンも紐で縛らないと落ちる。
でも、グルメスモックだけではずっと俺のエネルギーを吸われ続けてしまう。
服を着せたあと、少女をソファに寝かせた。
背中の傷は痛々しい。
翼をもがれたようにも見える。
けれど血はほとんど出ていない。
というより、傷口が普通の肉ではない感じがする。
白く、薄く、どこか植物の断面みたいでもあった。
「病院に連絡する?」
父さんが聞く。
「いや……」
俺は迷った。
普通なら連絡する。
絶対にする。
でも、この子は普通ではない。
空間から落ちてきた。
俺のグルメスモックを吸った。
そして、俺をお兄ちゃんと呼んだ。
研究所案件。
たぶん完全に研究所案件だ。
でも、このまま通報して、どこかへ連れて行かれるのも違う気がした。
「少しだけ様子を見たい」
「アマジン」
母さんが俺を見る。
怒ってはいない。
でも、真剣な目だ。
「危ない子なの?」
「分からない」
俺は正直に答えた。
「でも、敵意はなかった。すごくお腹が空いてる感じだった」
「そう」
母さんは少女の顔を見た。
真っ白な肌。
緑色の髪。
少し尖った耳。
眠っている顔は、幼く見える。
「じゃあ、まずはご飯ね」
「そうなるの!?」
「お腹が空いて倒れている子を前にして、ご飯以外に何があるの」
母さんはきっぱり言った。
強い。
父さんも頷いた。
「まあ、アマジンが拾ってきたなら、普通じゃないのは今さらだしな」
「あはは……」
「きゅ?」
はむまる。多分お前のことだぞ……。
・・・
しばらくして、夕食が食卓に並んだ。
商店街で買ってきた食材。
八百屋のおばちゃんにもらった野菜。
魚屋のおじさんが少しおまけしてくれた魚。
肉屋で買った肉。
それらが母さんの手で夕食になっている。
焼いた肉。
野菜の煮込み。
魚の香草焼き。
具だくさんのスープ。
白いご飯。
茶色く香ばしいソース。
ああ。
うまそう。
やっぱり家の飯はいい。
はむまるも小皿の前で待機している。
俺も席につこうとした。
その時だった。
ソファに寝ていた少女が、むくりと起きた。
「……」
少女はぼんやりと周囲を見る。
そして、食卓を見た。
次の瞬間。
ふらふらと歩いてきて、皿に乗った肉を手づかみで口に運んだ。
「こらこらこら!」
俺は思わず叫んだ。
少女は俺を見る。
疑問の表情。
でも、口はもぐもぐ動いている。
食べるのは止めない。
というか、かなり速い。
「食う時はちゃんと座れ!」
「……?」
「そして、いただきます。だ!」
「いただきます……?」
少女は小さく繰り返した。
声はか細い。
でも、素直に俺の言うことを聞いて椅子に座った。
よし。
第一段階は成功だ。
少女は座った。
そしてまた、手で肉をつかんだ。
「だああ! これ使えって!」
俺は慌ててフォークとナイフを差し出した。
少女はそれを受け取る。
手に持ったまま、じっと見つめる。
何に使うのか分かっていない顔だった。
「こうだよ、こう」
俺は自分のフォークとナイフで肉を切って見せる。
少女はじっとそれを見る。
そして、ぎこちなく真似をした。
ナイフの角度が危ない。
フォークの持ち方も変だ。
でも、少しずつ切り始めた。
切った肉をフォークに刺して、口に運ぶ。
もぐもぐ。
飲み込む。
また切る。
覚えるのが早い。
ただ、最初から知らなさすぎる。
見た目だけで言うと、俺よりちょっと下くらいの年に見える。
十三、十四歳くらいだろうか。
けれど、この飽食時代では考えられないほど教養がない。
箸どころか、フォークとナイフも知らない。
いただきますも知らない。
座って食べることも知らない。
何者なんだ。
この子は。
「アマジン」
母さんが小さく言った。
「きっと、お腹が空きすぎてるのよ」
「うん……」
「アマジンがいっぱい食材を持って帰ってきたから、好きなだけ食べなさい」
母さんは少女に向けて優しく言った。
少女は言葉の意味を理解しているのか分からない。
でも、食べていいという空気は分かったらしい。
また肉を口に運ぶ。
「あ、俺も食うから!」
このままだと全部食べられる。
いや、食べていいんだけど。
俺も食べたい。
俺は少女の横に座って、夕食を食べ始めた。
うまい。
肉が柔らかい。
野菜の煮込みも甘い。
スープが体に染みる。
家の飯だ。
やっぱりうまい。
少女は無言で食べ続ける。
かなりの量を食べている。
でも、まだ足りないような顔をしていた。
すると、少女が俺の袖を引いた。
「あれ……」
「あれ?」
「あれ、ほしい」
少女は俺を見る。
「どれ?」
「ぶわっとなるやつ」
「ぶわっとなるやつ?」
俺は少し考える。
ぶわっと。
ああ。
「グルメスモックか」
少女は小さく頷いた。
さっき着せた時、俺のエネルギーを吸っていた。
どうやら、あれを食べ物として認識しているらしい。
「いや、でもな……」
正直、結構吸われる。
しかし少女はじっと俺を見ている。
お腹が空いた子の目だ。
断りづらい。
「ちょっとだけだぞ」
俺はグルメスモックを出す。
白い給食着のような食欲の衣。
それを、少女の肩に羽織らせた。
その瞬間。
「ぐ……」
またエネルギーを吸われる。
ストローで吸われるように。
俺の食欲エネルギーが、グルメスモックを通じて少女に流れていく。
さっきよりは弱い。
でも、かなり吸う。
少女は目を細めた。
そして、小さく言った。
「おいしい……」
「いや、やっぱ食ってるのかよ!」
俺は思わずツッコんだ。
父さんと母さんがぽかんとしている。
はむまるも「きゅ……」と不思議そうに鳴いた。
少女は気にせず、肉を食べる。
グルメスモックからも栄養を吸う。
普通の食卓としては、かなり異常な光景だった。
でも、不思議と嫌な感じはしない。
ただ、腹が減っている子が飯を食っている。
そう見えた。
「そういえば」
母さんが少女に聞いた。
「名前は?」
少女は首を傾げた。
「なまえ……?」
「え、名前ないのか?」
俺が聞くと、少女は少し考えた。
そして、小さく答える。
「しらない……」
知らない。
ない、ではなく、知らない。
自分の名前すら知らない。
俺は父さんと母さんを見る。
父さんは難しい顔をしていた。
母さんは少女をじっと見つめる。
「なら、呼び名が必要ね」
「呼び名……」
「そう。名前がないと、ご飯の時に呼びにくいもの」
母さんは少し考えた。
少女の真っ白な肌を見る。
そして、きれいな緑色の髪を見る。
「ミルカ、なんてどうかしら?」
「ミルカ?」
俺は聞き返す。
「肌が白いし、きれいな緑の髪は高級な牧草のよう」
「それ褒めてるのか……?」
「褒めてるわよ」
母さんは当然のように言った。
「白くて、やわらかそうで、でもちゃんと命の色があるでしょう」
少女は自分の髪を触る。
緑色の髪。
白い肌。
そして、小さく呟いた。
「ミルカ……」
少し考える。
もう一度。
「ミルカ……」
その名前を舌の上で転がしているようだった。
そして。
少女は、ふっと笑った。
初めて見る笑顔だった。
「ミルカがいい」
「おお、気に入ったのか!」
俺は笑った。
「なら俺もミルカって呼ぶよ」
少女は俺を見る。
「俺はアマジンな!」
「アマジン……」
「そう。アマジン」
「アマジン」
ミルカはもう一度、俺の名前を呼んだ。
そして、少し嬉しそうに笑った。
なんだろう。
名前を呼ばれるだけなのに、妙に胸がざわつく。
お兄ちゃんと言われた時とは違う。
今は、ちゃんと俺を俺として呼ばれた気がした。
「父さんと母さんもいるぞ」
「お父さん」
父さんが自分を指す。
「お母さん」
母さんも自分を指す。
ミルカは二人を見た。
「おとうさん……おかあさん……」
その言葉を、どこか不思議そうに繰り返す。
意味を知っているのか、知らないのか。
分からない。
でも、母さんは優しく笑った。
「今は難しいことはいいわ。食べなさい、ミルカちゃん」
「……うん」
ミルカは頷いた。
そして再び、飯を食べ始めた。
フォークとナイフはまだぎこちない。
でも、ちゃんと座っている。
いただきますも言った。
名前もできた。
ミルカ。
謎の少女。
俺をお兄ちゃんと呼んだ少女。
空間の裂け目から落ちてきた少女。
背中に大きな傷を負い、俺のグルメスモックを食べる少女。
そのミルカは今、俺の横で夕食を食べている。
俺のグルメスモックからも栄養を吸収しながら……。
「なぁ、ミルカ」
「……?」
「グルメスモックはほどほどにな」
「ほどほど……?」
「全部吸われると俺が腹減るから」
ミルカは少し考えた。
そして、俺のグルメスモックの袖をぎゅっと握った。
「アマジンも、食べる?」
「俺は飯を食うよ!」
「飯……」
「そう。飯」
俺は茶碗を持った。
「これが飯だ」
ミルカは俺の茶碗を見て、自分の皿を見る。
そして、小さく頷いた。
「飯……おいしい」
「だろ!」
俺は笑った。
「うちの飯はうまいんだ」
ミルカはもう一度、肉を口に運んだ。
そして、本当に小さな声で言った。
「うまい……」
その言葉を聞いて。
俺はなぜか、少し泣きそうになった。
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