IGO第一食材宇宙研究所。
そこは、第二宇宙研究所とはまた違う雰囲気だった。
超巨大なドーム状の施設。
空を覆うほど大きな透明な天蓋。
外壁には、食材の系統樹のような模様が刻まれている。
地球の食材。
宇宙の食材。
天然食材。
養殖食材。
未知食材。
それらすべてを分類し、研究し、管理する場所。
第一食材宇宙研究所。
名前だけでもすごそうだったが、実物はもっとすごかった。
「でっか……」
俺は思わず見上げる。
「きゅ……」
はむまるも胸元から顔を出して見上げている。
ミルカは俺の袖をつかんだまま、少し後ろに隠れていた。
「ミルカ、大丈夫か?」
「大丈夫」
ミルカはそう言った。
でも、全然大丈夫そうではない。
終始びくびくしている。
人が多い。
機械が多い。
検査ゲートが多い。
ミルカにとっては、家の食卓や商店街とはまるで違う場所だ。
俺たちは受付を済ませた。
そして、入念な検査を行う。
グルメIDの確認。
身体反応。
グルメ細胞濃度。
食欲エネルギー波形。
危険食材反応。
感染性食材因子。
宇宙由来物質反応。
いくつもの検査を受ける。
ミルカは検査機の前で固まった。
「痛い?」
「痛くない」
「怖い?」
「少し」
「俺も一緒にいるから」
「うん」
ミルカは俺の袖をさらに強く握った。
検査員は戸惑っていた。
そりゃそうだ。
謎の少女。
真っ白な肌。
緑色の髪。
背中の傷。
グルメID未所持。
俺のグルメスモックを着ている。
しかも、そのスモックから少しずつエネルギーを吸っている。
怪しすぎる。
ただ、メリスタから事前に話は通っていたらしい。
検査は止められなかった。
そして、俺たちはようやく中へ入ることができた。
・・・
案内された場所は、所長室だった。
広い部屋。
大きな窓。
壁一面の資料棚。
いくつもの食材標本。
中央には大きな机。
その前に、メリスタがいた。
そして後ろの席には、ガウンさん。
ブラウスもすでに来ていた。
「アマジン!」
ブラウスがこちらに駆け寄ってくる。
だが、すぐに足が止まった。
「えっと、そ、その子は?」
当然だ。
真っ先に目に飛び込んだのは、俺の横にいる少女。
俺の服を着て、俺のグルメスモックを羽織って、俺の袖をつかんでいる。
気になるに決まっている。
「えっと、これは――」
俺が話そうとした時だった。
ミルカが一歩前に出た。
「アマジンの妹的存在のミルカ。よろしく」
そう言って、ブラウスに手を差し伸べた。
俺は固まった。
妹的存在。
誰が教えた。
いや、たぶん母さんだ。
絶対母さんだ。
「あ、僕はブラウスです」
ブラウスは少し戸惑いながらも、丁寧に手を取った。
「料理人です。よろしく」
「そうだと思った」
ミルカはブラウスの手をじっと見た。
「手から良い匂いがしている」
「えっ」
ブラウスは驚いた顔をする。
そして、少し嬉しそうに笑った。
「あ、ありがとうございます」
「本当のこと」
ミルカは真面目に言う。
ブラウスは照れていた。
料理人として手の匂いを褒められるのは、きっと嬉しいのだろう。
「あ、あの、変わった子ですね」
ブラウスが俺に小声で言う。
「アマジンの妹さん……」
「妹さんではない。妹的存在だ」
ミルカが訂正した。
「聞こえてた!?」
「聞こえている」
学習速度もすごいが、耳も良い。
ブラウスはさらに困ったように笑った。
「その子が例の子か……」
メリスタは席からじっとミルカを見つめた。
その視線は研究者のものだった。
冷たいわけではない。
だが、かなり鋭い。
ミルカはさっと俺の後ろに隠れた。
俺の袖を握る力が強くなる。
「ミルカ、大丈夫」
「メリスタ、見る目が怖い」
「すまない」
メリスタは軽く息を吐いた。
「検査しないと何とも言えないが……」
そして俺を見る。
「アマジン、会うごとに問題を増やしてくるな……」
「す、すいません」
俺は素直に頭を下げた。
反論できない。
エリア0に入る。
センターを持ち帰る。
謎の少女を連れてくる。
問題しか増やしていない。
「まぁ、細かいことはまずは置いとこうや!」
ガウンさんが後ろの席で豪快に笑った。
「メリスタ、認定式やったって!」
「そうだな」
メリスタは表情を切り替えた。
研究者の顔から、IGOの責任者の顔へ。
「アマジン、ブラウス!」
俺とブラウスは姿勢を正した。
「美食屋の認定式を行う!」
「はい!」
「はい!」
俺たちはメリスタの前に立った。
はむまるとミルカは横の席でおとなしく待っていた。
はむまるは胸を張っている。
ミルカは少し緊張しているが、さっきよりは落ち着いている。
メリスタは端末を操作した。
俺とブラウスのグルメIDが投影される。
食材履歴。
捕獲履歴。
地球のフルコース摂取記録。
エア。
ペア。
アトム。
アナザ。
ニュース。
アース。
ゴッド。
センター。
俺はそれを見て、少し胸が熱くなった。
本当に全部食ったんだな。
全部、俺の中にある。
ブラウスも真剣な顔で見ていた。
料理人として。
相棒として。
共に食材を巡った者として。
「確認完了」
メリスタが言った。
「アマジン、ブラウス。両名のグルメIDに、美食屋資格をエンコードする」
端末が光る。
俺のグルメIDに、新しい情報が刻まれていく。
美食屋。
正式資格。
一般美食屋ライセンス。
その文字が表示された瞬間、胸が跳ねた。
「これは美食屋ライセンスカードだ」
メリスタは二枚のカードを取り出した。
顔写真付きのカード。
俺の名前。
グルメID。
資格区分。
そして。
一般美食屋ライセンス アマジン。
俺はそのカードを受け取った。
「おおおお……!」
手の中にある。
物としてある。
カード一枚。
でも、ただのカードではない。
俺が地球のフルコースを巡った証。
美食屋になった証。
「嬉しい!」
俺は思わず声を上げた。
「こうやって物でもらうと実感湧くよな!」
「ですね!」
ブラウスもライセンスカードを手にして、目を輝かせている。
「僕も……美食屋資格を」
「ブラウス、おめでとう!」
「アマジンさんも、おめでとうございます!」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
はむまるが「きゅー!」と鳴く。
ミルカも拍手を真似した。
ぱちぱち。
少し遅れて、でも一生懸命に。
「アマジン、すごい」
「ありがとう、ミルカ!」
嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しい。
夢だった。
美食屋になること。
この世界で、地球のフルコースを食べて、美食屋になること。
それが今、叶った。
「さて」
メリスタが静かに言った。
「美食屋になった者には、夢を聞いているのだ」
「夢?」
「ああ」
メリスタは俺たちを見る。
「二人の夢を教えてくれないか」
夢。
美食屋としての夢。
ブラウスがまず口を開いた。
「僕は、料理はもちろん、いろいろな食材をもっとたくさん見たい!」
ブラウスの声は真っ直ぐだった。
「地球だけじゃなく、宇宙の食材も見ていきたいです!」
「良い夢だ」
メリスタは頷いた。
「料理人としても、美食屋としても、君らしい」
「ありがとうございます」
ブラウスは少し照れながら頭を下げた。
「アマジンはどうだ?」
メリスタの視線が俺に向く。
俺はライセンスカードを握りしめた。
「俺の夢は、美食屋になることだった」
それは叶った。
今、叶った。
「でも、なったら叶えたい夢も、ずっと決めていた!」
前世で読んだ古い漫画。
美食屋。
フルコース。
その文化。
この時代では、地球のフルコースを食べることが美食屋の条件だ。
食材はいくらでもある。
養殖も進んでいる。
宇宙にも出ている。
でも、俺にとっての美食屋は。
「俺は宇宙を飛び回り、自分だけのフルコースを作る!」
部屋が少し静かになった。
メリスタは目を見開く。
「そうか!」
そして、すぐに笑った。
「地球のフルコースの次は宇宙のフルコースか! 良い夢だ」
「え!」
俺は慌てて手を振る。
「いや違う。いや、それも目標の一つだけどさ」
「違うのか?」
「違うっていうか、ほら、自分だけで考えた自分のフルコースってのを作るんだ!」
メリスタが首を傾げた。
ブラウスも首を傾げる。
ガウンさんも後ろで疑問の表情を浮かべている。
あれ。
通じていない。
「自分だけのフルコース?」
ブラウスが繰り返す。
「地球のフルコースや宇宙のフルコースとは別に、アマジンさん個人のフルコースということですか?」
「そう! そういうやつ!」
「なるほど……!」
「え?」
なんだか思っていた反応と違う。
この時代では、地球のフルコースが資格条件になっている。
宇宙のフルコースという概念も研究者や美食屋の間で語られている。
星のフルコースを集める者もいるらしい。
でも。
自分だけのフルコース。
美食屋が自分の人生を込めて選ぶ、八つの食材。
その文化は、もう残っていないのか。
俺にとっては当たり前みたいな憧れだったのに。
「アマジン!」
ガウンさんが突然立ち上がった。
「なんやそれ、おもろいな!!」
「え?」
「宇宙とか星のフルコースやなくて、自分だけのフルコースか!」
ガウンさんは豪快に笑った。
「え、皆、自分だけのフルコースとか決めてないんですか?」
「そんなもん決められんわ!」
ガウンさんは即答した。
「こんな無数に食いもんがあるのに、一種に絞れるかいな!」
「一種じゃなくて八つだけど」
「八つでも足りんわ!」
ガウンさんは胸を張る。
「十個以上作らな足りんわ! 自分だけのフルコース!」
「それフルコースじゃなくてメニュー表では?」
「ええやろ別に!」
ガウンさんは笑う。
ブラウスは目を輝かせていた。
「アマジンさん!」
「ん?」
「それ、面白いです。僕もやりたい!」
「おお!」
「三つくらい作りましょう!」
「ブラウスも増やすのかよ!」
「料理人として、一つに絞るのは難しいです!」
「確かに!」
俺は笑った。
「じゃあ一緒に自分だけのフルコース作ろうぜ!」
「はい!」
ブラウスが頷く。
俺たちはまた一つ、旅の目的を見つけた。
地球のフルコースは食べた。
でも、それで終わりではない。
俺だけのフルコース。
ブラウスだけのフルコース。
人生をかけて選ぶ八皿。
今はまだ、何を入れるか分からない。
エア。
ペア。
アトム。
アナザ。
ニュース。
アース。
ゴッド。
センター。
それらは全部すごかった。
でも、自分だけのフルコースは、強さや希少性だけではない。
俺の人生の味。
俺の食卓の記録。
そういうものを選びたい。
胸の奥で、何かが静かに動いた気がした。
俺の中の食卓。
空席に座ったグリド。
そして、俺自身の食欲。
自分だけのフルコース。
それは、たぶん。
俺が俺でいるための味になる。
「良い夢だな」
メリスタが静かに言った。
「ふ。自分だけのフルコースか。私も考えてみるかな」
「メリスタも?」
「美食屋なら、夢を持つべきだろう」
メリスタは少しだけ笑った。
だが、その表情はすぐに引き締まる。
「だが、どちらにしても……」
部屋の空気が変わった。
「グリーントロル。こいつらを何とかせねばな」
緊張が走る。
ミルカが俺の袖をつかむ。
はむまるも胸元で小さく鳴いた。
ブラウスの表情も真剣になる。
ガウンさんは腕を組み、笑みを消した。
「今、岩剛が全軍出撃をしている」
「全軍……!」
俺は思わず声を上げた。
宇宙戦艦団の全軍。
地球防衛の要。
それが動いている。
ということは、戦局はもう動き出している。
「その報告書が来ている」
メリスタは端末を操作した。
部屋の中央に、宇宙図が投影される。
赤い宙域。
白い爆発反応。
Aサイト。
そして、IGO宇宙戦艦団の航路。
「君たちももう美食屋だ」
メリスタは俺たちを見る。
「一緒に報告を聞いてもらうぞ」
俺はライセンスカードを握りしめた。
美食屋になった。
夢は叶った。
でも、その瞬間から、次の現実が目の前にある。
グリーントロル。
マザーグリード。
宇宙の戦場。
俺は息を吸った。
「分かった」
ブラウスも頷く。
「はい」
ミルカは俺の袖を握ったまま、投影された赤い宇宙をじっと見つめていた。