巨大なツタは、空へ向かって伸びていた。
幹というには柔らかく、茎というには太すぎる。
その表面には大きな葉が何枚も重なり、場所によっては階段のようになっている。
俺たちは、その葉と茎を足場にしながら登っていた。
「空気が薄いですね」
ブラウスが上を見ながら言う。
「ああ。普通なら呼吸できるような場所じゃないな」
上空二万メートルを越え、さらに上へ。
常人なら、そもそもここに立っていることすらできない。
だが、俺たちはすでにエアを実食している。
呼吸を長い間しなくても平気なくらいにはなっているし、薄い空気でも体は問題なく動く。
もちろん、快適というわけではない。
頬を打つ風は冷たく、雲の湿気が肌にまとわりつく。
だが、それすらも冒険らしくて楽しい。
「猛獣は全くいないな」
「さすがに、ここまで登ってくるやつはいないのかもしれませんね」
「だよな」
下層ベジタブルスカイには観光客までいた。
だが、ここには誰もいない。
整備された道もない。
案内板もない。
ただ、巨大なツタが空へ向かって伸びているだけだ。
はむまるは俺の肩にしがみつきながら、頬袋を少し膨らませている。
「はむまる、さっき食べた野菜まだ入ってるのか?」
「きゅ」
「落とすなよ」
「きゅ!」
自信満々に鳴いた。
少し不安だ。
「アマジン、見てください」
ブラウスの声に、俺は足を止めた。
振り返る。
「うわあ……」
思わず声が出た。
そこには、空と宇宙の境目があった。
地球の青。
その先にある宇宙の黒。
二つがはっきり分かれているのではなく、グラデーションのように溶け合っている。
青が深くなり、藍になり、やがて黒へ近づいていく。
綺麗だった。
ただ綺麗というだけじゃない。
俺たちがこれから向かう場所が、その先にあるのだと分かる景色だった。
「この先には、一体どんな野菜があるんでしょうね」
「楽しみだな」
俺は笑った。
「新食材発見になるかもな!」
「その可能性は十分ありますね」
「きゅい!」
はむまるも期待しているのか、肩の上で尻尾を揺らした。
そんなことを言いながら、俺たちはさらに登っていく。
上には、ずっと黒い雲の塊が見えていた。
普通の雲とは違う。
太陽の光を吸い込んでいるような、重く暗い雲だ。
ツタは、その中へ向かって伸びている。
「あそこが上層圏か?」
「資料上では、その可能性が高いです」
「見た感じ、野菜畑って雰囲気じゃないな」
「未開拓ですからね。何があるか分かりません」
「いいね」
「アマジンは本当に危険な場所ほど嬉しそうですね」
「うまいものがありそうだからな!」
ブラウスは苦笑した。
そして、俺たちはいよいよ黒い雲の中へ入った。
瞬間、視界が暗くなった。
雷が吹き荒れる。
青白い光ではなく、緑色を帯びた雷。
それが雲の中を何本も走り、周囲のツタを照らしている。
「これは危ないな」
俺はすぐに食欲を練った。
「鉄製番重!」
周囲へ鉄製の番重をいくつも展開する。
自分たちから少し離した位置。
上。
横。
前方。
雷を受け流す避雷針代わりだ。
緑色の雷が走るたび、鉄製番重に落ち、火花を散らして消えていく。
「助かります!」
「このまま突っ切るぞ!」
「はい!」
「きゅ!」
はむまるは俺の服の中へ半分潜っていた。
怖いのか。
それとも野菜を守っているのか。
多分、後者だ。
俺たちは雷雲の中を登り続ける。
番重が何枚も焦げ、砕ける。
そのたびに新しい番重を出す。
そして、ついに雲を突き抜けた。
明るい。
そう思った。
だが、違った。
そこは薄暗かった。
球状の巨大な雲の中を、内側からくりぬいたような場所だった。
外周の雲にはツタがびっしりと絡まり、ところどころで緑の雷が鳴っている。
地面も雲だ。
だが、下層のベジタブルスカイよりもずっと硬い。
踏むと、しっかりと足が乗る。
雲というより、弾力のある大地に近かった。
「ここが……上層圏か?」
俺は周囲を見渡した。
何もない。
緑も少ない。
野菜畑のようなものもない。
「何もないな……」
「そうですね」
ブラウスも慎重に周囲を見ている。
ただ、気になる場所はあった。
目の先に、ツタが一切絡んでいない場所がある。
雲だけの場所。
まるで、そこだけ何かが嫌がって避けているように見えた。
「アマジン、見てください……」
ブラウスが小さく言った。
俺はその場所へ近づく。
「なんだこれ……」
少し下がった空間。
そこには、腐敗した骨と肉の残骸があった。
猛獣のものか。
鳥か。
それとも、ここへ迷い込んだ何かか。
分からない。
だが、一つだけは分かる。
食べられていない。
噛み砕かれた跡はあるが、栄養として吸収された感じがない。
吐き出されたような残骸だった。
「肉だけ吐き出したのか……?」
「変ですね。猛獣の巣なら、食べ残しに見えるはずですが」
「だよな」
俺がさらに詳しく調べようとした瞬間だった。
咆哮が鳴り響いた。
空間そのものを震わせるような、巨大な猛獣の声。
「来る!」
俺たちは同時に身構えた。
次の瞬間、くりぬいたような雲の外側から、一体の猛獣が雲を突き抜けて飛び込んできた。
深く鮮やかな緑色。
エメラルドのような鱗が全身を覆っている。
大きな翼。
鰐のように巨大な顎。
長い首。
鋭い爪。
それは神々しさと恐怖を併せ持った、龍の姿だった。
龍は俺たちをじっと見た。
瞳まで、緑の宝石のように光っている。
そして、再び咆哮した。
「グオオオオオオオオオ!!」
空気が震える。
雲が波打つ。
はむまるが俺の肩で毛を逆立てた。
「きゅう!」
「大丈夫だ、はむまる」
ブラウスはすぐにグルメデバシーを構えた。
「スキャンしましたが……未登録猛獣です」
「未登録!」
「はい。なので、宇宙食材鑑定キットへの照会申請をかけています」
「どちらにしても、地球では未発見の龍か!」
「そうなりますね!」
胸が高鳴る。
ベジタブルスカイ上層圏。
そこにいた未登録の龍。
新食材。
しかも、見た目からして絶対にただ者ではない。
龍が翼を広げた。
その瞬間、翼の表面から緑色の水晶の欠片が霧散した。
細かい粉になり、空気中へ広がる。
「ブラウス! 吸うな!!」
俺は即座にグルメスモックを展開した。
自分とブラウスの顔に、マスク状のスモックを装着する。
ついでに、はむまるにも小さなマスクをつけた。
「きゅ!?」
「我慢しろ!」
「毒ですか?」
ブラウスが聞く。
「違う。ガラスや水晶でできた粉塵に近い。でも、それよりもっとやばいやつだ」
「粉塵……」
「吸いすぎると、肺に深刻なダメージが出る」
「分かりました。呼吸を抑えます」
「よし、さっさと倒す」
俺は食欲を練った。
「グルメウェア――重星」
黒銀色の食欲が俺の体を包む。
形が変わる。
給食着ではない。
黒銀色の食欲が、肩を大きく覆った。
星芯の外殻が、俺の体へ食い込むように重なっていく。
だが、鎧とも違う。
黒銀の外殻の隙間から、黒い食欲が流れている。
背中。
短い尾のような食欲。
流星が空を走った後に残す光。
その黒い残光が、ゆっくりと揺れていた。
「星芯番重――流星群!」
俺の周囲に、黒銀の番重がいくつも出現する。
それらが一斉に龍へ向かって飛んだ。
流星のように。
重い番重が龍の体へ降り注ぐ。
だが、龍は翼を広げた。
翼に生えた水晶が番重を受け止める。
砕ける。
削れる。
そのたびに緑色の水晶粉が舞い、周囲がどんどん煙たくなっていく。
「くそ……削れてはいるが、ダメージが通ってる気がしない」
「すべて翼で防がれてます!」
ブラウスが龍を見ながら叫ぶ。
「たぶん、胸部の大きな水晶が弱点です!」
龍の胸には、翼よりもさらに大きな緑の水晶があった。
心臓のように脈打ち、雷の光を反射している。
「分かりやすいな!」
俺が踏み込もうとした瞬間、周囲の雲が光った。
「な!」
緑色の雷が、全方位から俺たちへ襲いかかる。
一回ではない。
何度も。
雲に絡んだツタを伝い、雷が蛇のように走る。
この龍が操っている。
「くそ。全方位から雷かよ!」
俺は番重を展開し、雷を受ける。
鉄製番重が焼ける。
星芯番重で防ぐ。
だが、水晶粉の中で視界が悪い。
翼からは鋭利な水晶片が飛び出し、雷と一緒に襲ってくる。
「アマジン!」
ブラウスが叫んだ。
「僕は雷を受けても平気なので、戦いに集中してください!」
「さすがだな!」
ブラウスは天狗族の血を引く料理人だ。
雷への耐性も、山神調理で鍛えた感覚もある。
なら、任せる。
俺は龍だけを見る。
翼から飛び出す鋭利な水晶を避ける。
雷は番重で受ける。
水晶粉はマスクで防ぐ。
少しずつ近づく。
だが、重星のままでは速度が足りない。
「グルメウェア――幻威」
黒銀の重さに、グリドの威が重なる。
俺の右腕に力が集まっていく。
重さ。
威圧。
捕食者の力。
龍が顎を開き、咆哮する。
その瞬間、俺は地面を蹴った。
「プレデターショット!」
右拳が、龍の胸部へ叩き込まれる。
緑の水晶に亀裂が走った。
一瞬、龍の動きが止まる。
さらに拳を押し込む。
「うおおおおお!」
胸部の水晶が砕けた。
緑の光が弾け、雲の中へ散る。
龍は大きくのけぞり、そのまま地面へ倒れた。
雲の大地が大きく揺れる。
雷が止んだ。
水晶粉も、ゆっくりと落ち着いていく。
「よし……!」
俺が息を吐いたその時、ブラウスのグルメデバシーが鳴った。
「あ、今情報が来ました!」
「おせえ! もう倒した!」
「草食宙龍フォレガリュオだそうです」
「草食宙龍……」
ブラウスは届いた情報を読み上げる。
「地球外の猛獣ですね」
「やっぱり宇宙のやつか」
「はい。はるか上空、宇宙に近い場所でツタなどを集め、大きな雲のような形状の巣を作り生活する。完全草食の龍。巣に入ったものは見境なく襲う、とあります」
俺は周囲を見る。
くりぬかれたような雲の空間。
絡みつくツタ。
雷。
そして、吐き出された骨と肉。
「なるほど……」
ブラウスも同じものを見ていた。
「ここはベジタブルスカイではなくて、この龍の巣だったんですね……」
「この腐った骨や肉は、ベジタブルスカイの野菜と一緒に食っちまって、吐き出してたってわけか……」
「完全草食ですから、肉は受け付けなかったのでしょうね」
「でも襲ってはくるのか」
「巣を守るためでしょう」
危険な場所だ。
だが、それだけじゃない。
ここは、宇宙に近い場所に作られた草食龍の巣。
つまり、地球の空と宇宙の食材が混ざった場所だ。
「調査報告は、まぁ後でやるとして……ブラウス!」
「分かってますよ」
「さすが!」
ブラウスはすでに包丁を取り出していた。
倒れたフォレガリュオへ近づき、静かに手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます!」
「きゅ!」
はむまるも小さな手を合わせるようにした。
それから、ブラウスは早速調理に入った。
フォレガリュオの肉は、不思議な見た目をしていた。
切り分けると、まるでキャベツのように葉脈が走っている。
だが香りは肉だ。
焼くと脂が出る。
しかし、その脂にも青い野菜の香りが混じっていた。
まずは胴体の肉。
表面を軽く焼き、塩だけで仕上げる。
俺はそれを口へ運んだ。
「うめえ……!」
味はしっかり肉。
濃い。
噛むほどに旨味が出る。
だが、食感はしゃきしゃきのレタスだった。
肉汁があるのに、葉物野菜みたいに歯切れがいい。
次に翼の羽部分。
ブラウスは砕けないように、薄く薄くスライスした。
透明感のある緑の薄片。
見た目は水晶のようだが、口に入れるときゅうりのように瑞々しい。
それでいて、味は濃厚な肉。
噛むたびに、肉の旨味と青い香りが同時に広がる。
「なんだこれ……不思議すぎる!」
「次は爪です」
爪は焼くと、表面がほくほくになった。
食感はサツマイモに近い。
だが味は淡白な肉。
少し甘く、後味に野菜の根のような香りが残る。
「すべての部位が野菜の食感だけど、全部味は肉!」
俺は思わず笑った。
「うめえよ……すげえ不思議な感じだ……」
「美味しいですね」
ブラウスも目を輝かせている。
「全身が野菜を思わせる食感なのに、味は肉。完全草食の龍だからこその肉質かもしれません」
「宇宙の近くで野菜食って育つと、こうなるのか」
「可能性はありますね」
はむまるも夢中で食べていた。
胴体の肉を両手で抱え、しゃきしゃきと音を立てながら頬張っている。
「きゅうう!」
「気に入ったか、はむまる!」
「きゅ!」
「でも頬袋に入れすぎるなよ。水晶粉はもう落としたけど、一応気をつけろ」
「きゅ」
少しだけ残念そうに鳴いた。
絶対、持って帰る気だったな。
俺たちは、草食宙龍フォレガリュオをしっかりと堪能した。
ベジタブルスカイ上層圏だと思って登ってきた場所は、実際には宇宙由来の龍の巣だった。
でも、そこにも新しい味があった。
地球の空は、まだ宇宙へ続いている。
そしてその境目にも、俺の知らない食材が生きている。
「やっぱり来てよかったな」
「はい」
ブラウスが頷く。
「調査報告は大変になりそうですが」
「それは任せた!」
「アマジンも書いてください」
「……はい」
雲の巣の中で、はむまるが満足そうに腹を撫でていた。
俺も腹を満たしながら、もう一度、青と黒の境目を見上げた。
宇宙へ出る前から、こんな味に出会える。
やっぱり地球は、まだまだうまい。
地球旅編、めちゃくちゃ筆が乗る!
第二部は以前未定ですが、地球旅編で数十話行けそう……。
また、ちまちまとオリジナル作品も更新しているのでそちらも良ければどうぞ!
(ブレイクハンドの方は力不足で無理くり完結となりました……)