千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

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5食目 未完成のセンチュリースープ

 センチュリースープ研究所。

 その名前を見ただけで、俺の胸は少し熱くなった。

 

 IGOの食材研究所は数多くある。

 

 グルメ界の食材。

 宇宙食材。

 猛獣の生態。

 調理技術。

 食材保存。

 

 研究分野はいくらでもある。

 

 だが、一品の料理を求めるためだけに専用の研究所があるのは、非常に珍しい。

 それだけ、センチュリースープという料理が特別なのだ。

 

 現在、センチュリースープは四つ存在すると言われている。

 近年完成した、宇宙食材を含んで作られたIGO研究所の四代目センチュリースープ。

 

 妖食界で作られた三代目センチュリースープ。

 そして、伝説の料理人が作った二代目センチュリースープ。

 

 初代は、元々天然に存在したというセンチュリースープだ。

 すべて笑みが止まらないほどに旨い。

 

 だが、その味の構成は全く異なる。

 それぞれ別の深みを持っているという。

 

 現在、実際に口にできるのは三代目と四代目のみ。

 初代の味は失われている。

 

 だが今、二代目センチュリースープの再現研究が進められていた。

 

 そして。

 残る食材は一つ。

 

 そこまで来ているそうだ。

 

 その最後の一つが何なのか。

 それを探るため、ブラウスに助言を求めたいという話だった。

 

「それで、僕が呼ばれたのですが……」

 

 研究所の受付を通りながら、ブラウスが俺を見る。

 

「それを話したら、アマジンも行きたいと……」

 

「行きたいに決まってるだろ!」

 

 俺が言うと、案内役の研究員がぱっと顔を明るくした。

 

「そうですか! それはありがたいです。最高の美食屋の意見もぜひ聞きたい!」

 

「分かった!」

 

 俺は力強く頷いた。

 

「飲ませて!」

 

「絶対飲みたいだけですね!」

 

「きゅ!」

 

 肩の上ではむまるが鳴く。

 

「違うとはむまるは言っているぞ!」

 

「そうです、って言ってるでしょ!」

 

「きゅ!」

 

「ほら!」

 

「どっちでも返事が同じなんですよ!」

 

 ブラウスは呆れながらも、少し笑っていた。

 俺たちは研究員に案内され、研究所の奥へ進んだ。

 

 厨房区画。

 

 いや、厨房というには大きすぎる。

 そこは研究施設であり、調理場であり、歴史を追いかける場所でもあった。

 

 センチュリースープ。

 

 二代目というのは、きっと小松のセンチュリースープに違いない。

 

 あと一品。

 すごいところまで来ている。

 俺は内心で興奮していた。

 

 三代目と四代目も気になる。

 ここでは飲めないようだが、いつか絶対に飲みたい。

 

 ただ、少し気になることもある。

 

 セツ婆のセンチュリースープの記録は残っていないのだろうか。

 未完成とはいえ、あれが小松のセンチュリースープのきっかけだったはずだ。

 

 小松が今の状況を見れば、少し寂しそうにするかもしれない。

 そんなことを考えているうちに、俺たちは巨大なガラスの鍋の前へ来ていた。

 

「おお……」

 

 鍋の中に入っている食材は丸見えだった。

 透明なガラス越しに、いくつもの食材が静かに煮込まれている。

 

 正直、小松が作ったセンチュリースープの原材料はほとんど知らない。

 工程自体を詳しく見られたわけではないからな。

 

 だが、それでも感動する。

 たとえ再現だとしても。

 

 千年後の研究者たちが、失われかけた味を追いかけている。

 その事実だけで、胸が熱くなった。

 

「とりあえず飲んでみてください」

 

 研究員がスープを小さな皿に入れてくれた。

 綺麗な透明なスープだった。

 

 透き通っている。

 だが、完成品にあったはずのオーロラは出ていない。

 

 やはり未完成のようだ。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

「きゅ」

 

 俺は皿を口へ運んだ。

 まず、香りが来た。

 透明なのに深い。

 いくつもの食材が複雑に絡み合っているのに、邪魔していない。

 

 次に味。

 

「うまい……」

 

 思わず声が漏れた。

 透明とは思えない濃厚さ。

 油っぽいわけではない。

 重いわけでもない。

 

 なのに、舌の上に幾重にも味が重なっていく。

 

 甘味。

 塩味。

 旨味。

 香り。

 温度。

 

 喉を通る頃には、体の中に小さな笑みが生まれるようだった。

 未完成でこれか。

 

 だが。

 

 原作を知っているせいなのか。

 確かに、何かが足りない気がする。

 

「確かに、何かが足りない感じがしますね」

 

 俺が言う前に、ブラウスが言った。

 

 さすがだ。

 

 ブラウスは皿を置き、すぐに集中した表情になる。

 

「食材同士の繋がりはあります。味の重なりも綺麗です。ただ、最後に全体を笑わせるものがない」

 

「全体を笑わせるもの……」

 

 研究員が小さく呟いた。

 

「少し、見てもいいですか?」

 

「もちろんです!」

 

 ブラウスは鍋へ近づき、食材を一つずつ見始めた。

 

 香りを確かめる。

 スープの流れを見る。

 火の入り方を確認する。

 スプーンで一滴だけ掬い、舌に乗せ、また考える。

 

 俺はその様子を、はむまると一緒にスープを飲みながら眺めていた。

 

「きゅ……」

 

「うまいよな」

 

「きゅ」

 

「でも、完成したらもっとすごいんだろうな」

 

「きゅい」

 

 はむまるも興味津々だった。

 

 いや、たぶん飲みたいだけだ。

 俺も似たようなものだけど。

 

 ただ。

 

 俺には答えが分かる気がしていた。

 

 最後の一品。

 

 原作と同じであれば、ウォールペンギンの唾液に違いない。

 

 でも、これを言ってしまっていいのか。

 非常に迷う。

 

 俺の知識は、普通の知識ではない。

 前世で読んだ物語の知識だ。

 

 まだ、ブラウスにも前世のことは話していない。

 どう説明すればいい。

 偶然知っていたと言うには、あまりにも核心に近すぎる。

 

 そんなことを考えているうちに、俺はいつの間にかうとうとしていた。

 目を覚ますと、数時間ほど経っていた。

 研究所の照明は変わらない。

 巨大なガラス鍋も、静かに湯気を上げている。

 

 そしてブラウスは、いまだにセンチュリースープと向き合っていた。

 

 資料を見ている。

 食材を見ている。

 スープを少量ずつ味わっている。

 

 眉間には、少し疲れが見えた。

 

「ブラウス、ちょっと休もうぜ」

 

「……そうですね」

 

 ブラウスはゆっくりと息を吐いた。

 珍しく、はっきりと疲れている。

 それだけ本気で向き合っていたのだろう。

 俺たちは少し離れた休憩スペースへ移動した。

 はむまるは俺の膝の上で、まだスープの余韻に浸っているように丸くなっている。

 

「どうだ? 分かりそうか?」

 

 俺が聞くと、ブラウスは静かに言った。

 

「正直……分からないです」

 

「ブラウスでも分からないのか」

 

「はい」

 

 ブラウスは悔しそうではあったが、それ以上に真剣だった。

 

「多分、最後のピースはこちらから探すものではないんです」

 

「こちらから探すものじゃない?」

 

「きっと何か……きっかけがあって。そう。歩み寄ってきてくれるような食材です」

 

「すごいな。そんなことも分かるのか……!」

 

 俺は本気で感心した。

 実際、原作のウォールペンギンは小松を選んだ。

 その結果、センチュリースープは完成した。

 

 ブラウスは答えを知らない。

 それでも、そこまでにじり寄っている。

 

 だが、ここには肝心のウォールペンギンがいない。

 歩み寄ってくるような状況でもない。

 

 そして、あの時点で絶滅危惧種だった。

 今も存在しているのか。

 その不安がある。

 

 理由は四獣だ。

 

 原作では、四獣がアイスヘルを破壊して進んでいた。

 小松の元にいたウォールペンギンが、最後の一匹だったかもしれない。

 

 もしそうなら。

 

 もう、この世界には存在していない可能性もある。

 しかし、ブラウスはそこまで迫っている。

 

 なら。

 

 俺は、言うべきなのかもしれない。

 

「ブラウス」

 

「はい」

 

「ここだけの話として聞いてほしい」

 

 ブラウスの表情が変わった。

 

「俺、最後の食材が分かるかもしれない」

 

「え!?」

 

 ブラウスが大きく目を見開く。

 研究員たちには聞こえないよう、俺は声を落とした。

 

「だけど、言うか迷ってる。俺の知っているそれは、絶滅危惧種だった」

 

「絶滅危惧種……!」

 

 ブラウスの顔が真剣になる。

 

「その食材は、絶滅危惧種を殺さないといけないのですね……」

 

「いや、そいつの唾液だから殺さずとも……!」

 

「アマジン!」

 

 ブラウスが俺の言葉を遮った。

 珍しい。

 そして、その目はかなり輝いていた。

 

「なら教えてください」

 

「え?」

 

「研究のために、スープを少し分けてもらいます。現地で完成させてみましょうよ!」

 

「そ……それならいいか……?」

 

 思っていたより、ブラウスは乗り気だった。

 いつもなら慎重に止める側なのに。

 

 今日は違う。

 ブラウスは、もう一度ガラス鍋の方を見た。

 

「このスープ、再現と言っていましたが、すごいんですよ」

 

「すごい?」

 

「はい。なんというか、その方の歴史や重みをひしひしと感じます」

 

 ブラウスの声には、料理人としての敬意があった。

 

「レシピをなぞっているだけではありません。失われた味を、必死に追いかけている。伝説の料理人が見た景色を、もう一度見ようとしている」

 

「……」

 

「すごくリスペクトできます」

 

 ブラウスは静かに、しかしはっきりと言った。

 

「僕もその景色を見たい。ぜひこの手で完成させたいです」

 

 俺は少し黙った。

 

 小松。

 伝説の料理人。

 俺は前世で、その凄さを読んで知っている。

 

 でもブラウスは違う。

 資料と味だけで、その凄さを感じ取っている。

 そして、自分の手で向き合おうとしている。

 

 なら、俺も隠している場合じゃない。

 全部はまだ言えなくても、今言えることはある。

 

「そこまで言うなら……」

 

 俺は頷いた。

 

「行くか」

 

「はい!」

 

「アイスヘルへ!」

 

 その名前を口にした瞬間、胸の奥が熱くなった。

 氷の地獄。

 天然のセンチュリースープが存在した場所。

 

 そして、ウォールペンギンがいた場所。

 

 千年後のアイスヘルに、まだ何が残っているのか。

 それは分からない。

 だが、行くしかない。

 

 俺たちは、未完成のセンチュリースープを完成させるため、次の目的地を決めた。

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