IGO第一宇宙食材研究所。
地球のみならず、赤い宇宙全域から集められた食材を研究する、IGO最大級の施設である。
広大な研究所の最上階。
一般の職員では立ち入ることのできない会長室に、二人の男がいた。
一人は、現IGO会長――メリスタ。
そしてもう一人。
かつてIGO会長を務め、長い年月にわたり姿を消していた老人。
ギタウヌ元会長である。
「ギタウヌさん……」
メリスタは椅子へ深く腰掛けたまま、難しい顔をしていた。
「自分だけの……人生のフルコースに、そこまで大きな意味があるとは思いませんでした」
「無理もない」
向かいに座るギタウヌは、卓上に置かれた茶を一口飲んだ。
「意味そのものが失われておったからのう」
人生のフルコース。
それは、単純に好きな料理を八つ並べるだけのものではなかった。
前菜。
スープ。
魚料理。
肉料理。
主菜。
サラダ。
デザート。
ドリンク。
自らの食卓に並べられた、自分だけの最高の一品たち。
それは単なる思い出ではない。
一皿を選び。
一皿を求め。
一皿を食べる。
そのたびに料理へ込められた食欲が、本人のグルメ細胞へ深く刻み込まれていく。
「人生のフルコースとは、自分の食欲を定めるものじゃ」
ギタウヌは、ゆっくりと語り始めた。
「何を食いたいのか。何を美味いと感じるのか。何を己の人生として残したいのか。それを一皿ずつ自ら決め、細胞へ刻み込んでいく」
「自分の食欲を……」
「そうじゃ。そして自らの食欲を完成させることこそが、体内に潜む悪魔の支配から逃れる手段となる」
メリスタの表情が僅かに険しくなる。
グルメ細胞の悪魔。
グルメ細胞を持つ者の中には、悪魔をその身に宿す者がいる。
悪魔は人間へ力を与える。
宿主の食欲を刺激し。
肉体を進化させ。
時には、到底人の身では扱えない力を与える。
だが、それは決して無償ではない。
宿主が弱ければ。
食欲を制御できなければ。
悪魔は内側から、宿主のすべてを食い尽くす。
「万が一、自身のグルメ細胞に悪魔が宿っていた場合」
ギタウヌは卓上へ指を置いた。
「地球のフルコースをすべて食えば、その悪魔は完全復活へ至る可能性がある」
「……」
地球のフルコース。
現在では地球という星そのものに刻まれた、星のフルコースとも呼ばれている。
その一皿一皿が、宿主のグルメ細胞を強く活性化させる。
すべてを揃えれば。
体内の悪魔は、宿主を凌駕するほどの力を得る。
「じゃが、人生のフルコースが完成しておれば、話は変わる」
「悪魔の復活を防げると?」
「完全に防ぐわけではない。復活した悪魔に、宿主自身が食われることを防ぐのじゃ」
ギタウヌは、自らの胸へ手を当てた。
「人生のフルコースは、己の食欲そのもの。自ら選んだ八つの料理によって、宿主のグルメ細胞へ強固な核が作られる」
「核……」
「悪魔がどれだけ強大になろうとも、その者の食欲まで簡単には奪えなくなる。宿主の食欲が悪魔に食われるのではなく、対等に向き合えるようになるのじゃ」
悪魔を抑え込む鎖ではない。
悪魔を眠らせる蓋でもない。
人生のフルコースとは、悪魔に負けない自分自身を作り上げるものだった。
「星に刻まれたフルコースと、個人に刻まれたフルコース……ということですか」
「うむ」
ギタウヌは頷く。
「人生のフルコースは、星に刻まれたフルコースに匹敵する可能性を持つ」
「地球のフルコースと同等に?」
「完成させた者次第では、それ以上じゃ」
メリスタは目を見開いた。
「一人の人間が、星のフルコースを超える……?」
「一つの星が長い年月をかけて育てた食欲を、一人の生命が自らの人生だけで上回る。珍しいことではあるが、過去には確かに存在した」
それほどまでに強いフルコース。
ならば当然、その存在は隠し切れない。
「完成した人生のフルコースは、宇宙へ己の存在を示す」
ギタウヌは窓の外へ目を向けた。
「その香りは、星々の間すら越える」
「香り……」
「実際に鼻で嗅ぐ匂いではない。食欲の気配じゃ。強大な悪魔ほど、それを遠方から感じ取る」
「つまり……」
「その匂いにつられて、悪魔が寄ってくる」
人生のフルコースは、悪魔から身を守る力になる。
だが同時に。
強大な食欲を求める悪魔を呼び寄せる、灯火にもなってしまう。
完成させれば安全になる。
しかし完成へ近づくほど、危険な存在に見つかる可能性が高まる。
「なんとも厄介な話ですな」
メリスタは額を押さえた。
「じゃから、本来は正しい知識と共に伝える必要があった」
「しかし、その概念自体を消してしまった」
「当時は、それしか方法がなかった」
ギタウヌの声が僅かに沈む。
「ホワイトディメンションの侵攻後、人生のフルコースを完成させた者は、悪魔に狙われ続けた。新たに完成させようとする者まで追跡された」
「それで宇宙全体から隠した、と」
「苦渋の決断じゃった」
メリスタは、しばらく無言で考え込んだ。
やがて顔を上げる。
「ガウンは、すでに三つほどフルコースを作っています」
「……三つ?」
ギタウヌの眉が上がる。
「一人で三つか?」
「ええ。用途や時期によって分けているそうです。家族のフルコース。美食屋としてのフルコース。そして天狗山の食材を中心としたフルコースだったかと」
「以前にはなかった自由な発想じゃな」
「私も、一つフルコースを完成させています」
ギタウヌはメリスタをじっと見つめた。
「ならば、お前たちもすでに渦中にいる」
「やはりそうなりますか」
「完成したフルコースは、すでに宇宙へ香りを放っておる。何者かがそれを感じ取っていても不思議ではない」
ギタウヌは椅子へ背を預ける。
「しかし、三つか……」
その目には、呆れと興味が入り混じっていた。
「人生のフルコースを複数作る者など、ワシの時代にはおらんかった」
「問題がありますかな?」
「分からん」
ギタウヌは正直に答えた。
「一人一つ。それが当時の常識じゃった。複数の人生のフルコースを持つという発想そのものが、ほぼ存在せんかった」
「では、ガウンが初めてに近い可能性も」
「そうかもしれぬ」
ギタウヌは小さく唸る。
「こちらもグルメインフレーションに乗ることにならなければよいが……」
「グルメインフレーション?」
「時代が進むにつれ、食材も、人も、悪魔も強くなっていく。人生のフルコースまで数を増やし始めれば、何が起こるかは未知数じゃ」
三つのフルコースが、三つの核を作るのか。
それとも一つの巨大な食欲へ統合されるのか。
あるいは、複数の悪魔を呼び寄せることになるのか。
前例がなければ、予測することはできない。
部屋に沈黙が落ちた。
メリスタは、机の上に置かれた一枚の資料へ視線を落とす。
「人生のフルコースという概念が消失し、地球が守られていたことは理解しました」
「……」
「ですが……」
メリスタは拳を握った。
「それが分かっていれば、救われた命もあった」
その一言で、ギタウヌは何を指しているのか理解した。
悪魔を宿した者が、これまで一人もいなかったわけではない。
地球の長い歴史。
その中には何人もの美食屋が、体内に悪魔を宿していた。
最上位ライセンスを取得するほどの実力者。
宇宙食材を単独で捕獲した者。
IGOの将来を背負うと期待された者。
だが、彼らの中には不可解な失踪を遂げた者もいる。
任務先から戻らなかった。
痕跡すら残さず消えた。
宇宙で遭難した。
未知の猛獣に捕食された。
そう処理されてきた者たち。
メリスタは今の話を聞いただけで、すぐに理解していた。
「我々は美食屋になる為、地球のフルコースを集める事を試練としています。」
低い声で呟く。
「人生のフルコースを、一品も決めていないまま」
「……そうか」
地球のフルコースを食べるたび。
体内の悪魔は力を増した。
宿主も一時的には強くなった。
だから気づけなかった。
それが、自らを食わせる準備になっていることに。
「最後の一皿を食べた後、姿を消した者もいる」
「おそらく悪魔が完全復活したのじゃろう」
ギタウヌの声に、普段の軽さはなかった。
「宿主自身の食欲が定まっておらず、守るべき核も存在しなかった」
「その結果……」
「己が宿していた悪魔に、すべてを食われた」
肉体を奪われたのか。
魂ごと食われたのか。
悪魔が別の場所へ移動したのか。
今となっては確認する術もない。
だが。
失踪した者の中に、悪魔となって現在も宇宙を彷徨っている者がいる可能性すらあった。
「我々は何も知らず、地球のフルコースを集めていた」
メリスタの声に、後悔が滲む。
「その力を人類のために使えると信じて」
「お前の責任ではない」
「ですが、IGOの責任ではある」
メリスタは顔を上げた。
「知らなかったでは済まされん」
現IGO会長として。
過去の犠牲を、ただの失踪として終わらせるわけにはいかない。
「人生のフルコースについて、すぐに公表するつもりか?」
「……それはできません」
メリスタは首を横へ振った。
「中途半端な知識で公表すれば、今度は誰もが競うようにフルコースを作り始める」
「そうじゃ」
「まずは情報を整理する必要があります。どの段階で悪魔が寄ってくるのか。完成前でも危険なのか。複数のフルコースにはどんな影響があるのか」
「それを調べるために、ワシが戻ってきた」
「助かります」
その時。
会長室の外から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
続いて扉が勢いよく開く。
「メリスタ会長!」
明るい声が室内へ響いた。
「依頼は完了したよ!」
入ってきたのは、アマジン。
その後ろにはブラウス。
そしてアマジンの肩の上には、はむまるが乗っている。
「キュッ!」
「おお、早かったな!」
メリスタが先ほどまでの険しい表情を隠し、二人を迎える。
「ドリルスナッチャーと火花溶鳥の群れは、両方とも捕獲した。今はグリーントロルたちが別々の場所へ移送してる」
「被害は?」
「ハードリーフウッドの葉が少し焦げたくらいだ。火も消したし、大丈夫だと思う」
「さすがじゃな!」
「ブラウスが全部気絶させてくれたんだ」
「アマジンが一か所へ集めてくれたからですよ」
二人が互いに功績を譲り合う。
ギタウヌは、その姿を静かに眺めていた。
特に。
アマジンから目を離さなかった。
「ところでメリスタ会長」
ブラウスが、見慣れない老人へ視線を移す。
「その方は……?」
「ああ、紹介しよう」
メリスタが立ち上がる。
「この方は――」
「君がアマジンか!」
紹介を待たず、ギタウヌが声を上げた。
「え?」
突然名前を呼ばれ、アマジンが老人を見る。
ギタウヌは椅子から立ち上がると、迷いなくアマジンの前へ歩いてきた。
「そうだけど……どこかで会ったことあったか?」
「いや、初めてじゃ」
ギタウヌはアマジンの顔を覗き込む。
目。
呼吸。
皮膚の下を流れるグルメ細胞。
そして、そのさらに奥。
体内に眠る、複数の食欲。
それらを確かめるように。
「……なるほど」
「何が?」
「いや、こちらの話じゃ」
ギタウヌはニヤリと笑った。
「少し話をしよう」
「話?」
「人生のフルコースについてじゃ」
その言葉を聞き。
アマジンとブラウスは顔を見合わせた。
「人生のフルコース?」
「ああ」
ギタウヌは頷く。
「君が、この宇宙へ再び広めたものについてな」
メリスタが、部屋の奥にある食卓を示した。
「立ち話もなんじゃ。座るとしよう」
「食事も出るのか?」
「話を聞く前にそこを気にするのか、お前は」
「食卓に座るんだろ?」
「茶と菓子くらいなら用意させよう」
「なら聞く!」
「現金なやつじゃな」
ギタウヌが楽しそうに笑う。
こうして。
俺とブラウス。
メリスタ会長。
そしてギタウヌ元会長。
俺たちは、一つの食卓についた。
人生のフルコース。
それが宇宙でどれほど大きな意味を持つのか。
この時の俺は、まだ全てを知らなかった。
トリコ二次創作を書き始めてからずっと明かしたかった、
人生のフルコースが消されていた真実を書けてめちゃくちゃ嬉しいです!
ここまで頑張れたのは沢山見てもらえたおかげです。
引き続きよろしくお願いします。
また、別のオリジナル作品、今も毎日更新で連載中です!
四層に分かれた世界の最下層で主人公が頑張る作品です。
こちらものぞいていただけると嬉しいです!