老いの洞穴の奥へ、俺たちは進んでいた。
一本道の場合は、ブラウスのワープロードを駆使して、できるだけ距離を稼ぐ。
ワープロード。
裏の世界を道のように展開し、そこを通ることで長距離を短時間で移動する技術だ。
一見すると便利だ。
実際、便利ではある。
グルディアと地球を行き来した時のように、すでにスタートとゴールが設定されている場合は特に問題ない。
行き先が決まっている。
出る場所も決まっている。
道もある。
なら、そこを通ればいい。
だが、ゼロから使う場合は簡単ではない。
ましてや、ここは老いの洞穴だ。
狭い。
曲がる。
時間の流れもおかしい。
出る場所を誤れば、壁の中へ出てしまう可能性だってある。
「次、少しだけ跳びます」
「おう!」
ブラウスがワープキッチンを維持したまま、目の前にワープロードを展開する。
視界が白く変わった。
そこは、何もない真っ白な床の空間だった。
正方形のマス目のようなものが、どこまでも敷き詰められている。
上にも行ける。
下にも行ける。
右にも左にも、地平線の先まで白い道が続いている。
不思議な場所だ。
空間そのものが圧縮されていて、ここで十メートル進めば、現実では十キロ以上進んだことになる。
裏の世界の道に入り、進み、そして裏の世界から出る。
説明すれば、たったそれだけ。
だが、実際に道を作る本人にとっては、かなり難しい。
「ここまでです」
ブラウスの声と同時に、白い空間が消えた。
俺たちは再び、老いの洞穴の一本道へ出る。
「どれくらい進んだ?」
「正確には分かりませんが、十数キロほどです」
「十分すごいな」
「本当はもっと行けます。ただ、ここでは危険です」
「壁の中に出たら終わりだもんな」
「はい」
ブラウスは慎重だった。
かなりの長距離にならない程度で、ワープロードを細かく刻んで展開する。
少し跳ぶ。
歩く。
また少し跳ぶ。
時にはそのまま飛ばず、普通に歩いて進む場合もある。
ワープキッチンで時間のズレを防ぎ、ワープロードで距離を稼ぐ。
それでも、老いの洞穴は簡単には進ませてくれない。
俺たちは宇宙を夢見ている。
自分の船を買って、地球の外へ出て、宇宙のフルコースを集める。
でも、こうして地球の中を歩いているだけでも、まだまだ苦戦する場所は多い。
地球はもう開拓された。
グルメ界も一般的になった。
人類は強くなった。
それでも、この星はまだ簡単じゃない。
「地球でも、まだまだすごい場所があるな」
「そうですね」
ブラウスが頷く。
「宇宙へ出る前に、こういう場所を経験しておくのは大事かもしれません」
「だな」
「きゅ」
はむまるも大きな姿のまま、小さく鳴いた。
その時だった。
嫌な予感が、全身を巡った。
背筋の奥を、冷たいものが走る。
同時に、俺の手元でグルメデバシーが反応した。
表示された名前を見て、俺は息を止める。
「林膳……!」
「反応がありましたか?」
「ああ」
俺はグルメデバシーの表示を見る。
距離は近い。
かなり近い。
俺たちのいる場所から、壁一枚向こうに彼の気配がある。
だが、見つけた喜びはなかった。
すぐに、俺たちは戦闘態勢へ入る。
肌で分かる。
この気配は、人のものじゃない。
林膳は、もう。
「悪魔に飲み込まれてる……」
俺が呟くと、ブラウスの表情も険しくなった。
「やはり、そうですか」
「ああ。まだ姿は見えないけど、嫌な感じがする」
「壁の向こうですね」
「この壁の向こうまで跳べるか? ブラウス」
ブラウスは壁へ手をかざし、周囲の空間を確かめるように目を細めた。
「いけます。向こう側は広そうですから」
「頼む」
「はい」
ブラウスがワープロードを展開する。
白い道が一瞬だけ開いた。
俺たちは壁を抜ける。
次の瞬間、視界が開けた。
・・・
・・
・
そこは、岩で囲まれた空間だった。
何もない。
広いが、飾り気はない。
ただ、壁一面に札のようなものがびっしりと貼られていた。
古びた札。
文字のようなものが書かれた札。
食欲の気配を抑え込むような札。
空間のすべてを、何かから守るように貼られている。
「なんだここ……」
「封印部屋、でしょうか」
「入口は?」
「見当たりません」
確かに、出入口らしいものはなかった。
ただ、壁の一部に不自然に埋まっている場所がある。
もしかすると、そこが元々の入口だったのかもしれない。
そして、もう一つ気づく。
「ここ、時間の流れが普通だな」
「はい」
ブラウスも頷いた。
「ワープキッチンなしでも大丈夫そうです。念のため、身体には纏っておきますが」
「その方がいいな」
俺たちは周囲を確認しながら、空間の中央へ視線を向けた。
そこに、いた。
いや。
それ、と言うべきかもしれない。
中心で、札と木べらに巻かれ、身動きが取れない状態の何かがあった。
体長は三メートルほど。
人の形をしている。
だが、全身が硬い木でできているように見えた。
腕も。
足も。
顔も。
皮膚ではなく、年輪のような筋が浮かぶ木質の体。
あれが、林膳なのか。
「悪魔に飲まれた姿なのか……」
俺は思わず呟いた。
その体には、何本もの木べらが突き刺さるように巻きついていた。
拘束しているのか。
封じているのか。
それとも、あの木べら自体が林膳の力なのか。
判断がつかない。
「なんでこう……封印されてるような状態に……」
「分からん」
俺は林膳らしき存在を見つめる。
「ただ、ずっとこの状態なのであれば……下手に触らない方がいいんじゃないか」
「同感です」
俺たちは予想外の状況に困惑していた。
林膳を見つけた。
だが、倒れているわけではない。
歩き回っているわけでもない。
封印されている。
しかも、誰が封印したのかも分からない。
ここから外部に連絡はできない。
グルメデバシーも林膳の反応を示すだけで、通信は繋がらない。
「とにかく、グルメIDの情報だけスキャンしましょう」
ブラウスが小声で言った。
「そうだな」
俺は頷く。
会長から預かったグルメIDのスキャン装置を取り出した。
形は、バーコードなどを読む機械に近い。
後頭部下の首元にかざすと、グルメIDの情報を読み取れる。
本人確認。
生体情報。
グルメ細胞の状態。
悪魔化の進行。
どこまで分かるかは状況次第だが、少なくとも何もしないよりはいい。
「俺が行く」
「気をつけてください」
「おう」
俺は恐る恐る近づいた。
林膳らしき存在は、完全に停止している。
呼吸は分からない。
心音も分からない。
だが、死んでいるようには見えなかった。
中に何かがある。
今もまだ、食欲が残っている。
このままスキャンして、何も起こらなければいい。
そう思いながら、俺は装置を首元へかざした。
小さな光が走る。
スキャンが始まった。
その瞬間。
林膳の全身が、びくりと震えた。
「……!」
スキャン時には、微弱な電気が流れる。
それが原因なのかは分からない。
だが、木の体にひびが走るように、林膳の全身が震え始めた。
「やばい」
俺はすぐに後ろへ跳ぶ。
「起きるぞこれ……!」
俺はブラウスをかばうように前へ立った。
はむまるも低く身構える。
「きゅ……!」
バキ。
札が一枚破れた。
バキバキ。
木べらが砕ける。
壁に貼られていた札が、次々と黒く焦げていく。
中央の木の体が、ゆっくりと動き出した。
拘束していた木べらが弾け飛ぶ。
札が舞う。
岩の部屋に、乾いた音が響いた。
「ググ……」
木の顔が持ち上がる。
目のような裂け目の奥に、濁った食欲の光が灯った。
「グアアアアアアアアアア!」
雄叫びが、部屋を震わせた。
無音の洞穴の中で、そこだけが別世界のように揺れる。
岩壁に貼られていた札が、一斉に剥がれ落ちた。
「ブラウス!」
「はい!」
「やるしかねえみたいだ」
「分かりました!」
俺は食欲を練る。
ブラウスは包丁を構える。
はむまるが背を低くし、いつでも動ける体勢になった。
目の前にいるのは、百年以上前に失踪した最上位ライセンス美食屋。
IGO副会長、林膳。
そして今は、おそらく。
悪魔に飲まれた何か。
俺たちは再び、戦闘態勢に入った。