林膳が動いた。
そう認識した瞬間には、もう目の前に巨大な木べらが出現していた。
人間が料理に使うような大きさではない。
俺の体ごと叩き潰せるほど巨大な木べら。
それが間髪入れずに、俺へ振り抜かれる。
「グルメウェア――白律!」
俺の体を、白い食欲が包んだ。
ミルカの力を借りたグルメウェア。
白律。
これは食欲エネルギーそのものに作用し、その性質を変えることができる。
刃なら刃でなくす。
硬さなら硬さを崩す。
攻撃なら、攻撃としての形をほどく。
木べらも強力とはいえ、所詮は食欲エネルギーで作られたもの。
これで無効化できる。
そう思っていた。
「ぐ……!!!」
次の瞬間、俺の体は木べらに打ち抜かれた。
白律で受けたはずの木べらは消えない。
勢いも落ちない。
俺はそのまま吹き飛ばされ、岩壁へ深く突き刺さった。
「アマジン!!!」
ブラウスの声が響く。
「大丈夫だ! なんとか……!」
俺は壁にめり込んだ体を、無理やり引き剥がした。
痛い。
だが、動けないほどではない。
問題はそこじゃない。
白律が効かなかった。
その瞬間、俺の中でミルカが叫んでいた。
『アマジン! 今の攻撃、何かおかしい』
「おかしい?」
『食欲エネルギーだけど、食欲エネルギーじゃない』
「どういうことだ……?」
『分からない。でも、ミルカの食欲調律が入らなかった。形を変えようとしても、戻された』
戻された。
俺は木べらを見た。
林膳の手元には、また新しい木べらが生まれている。
ただの食欲エネルギーなら、白律で干渉できるはずだ。
だが、今の攻撃は違った。
『アマジン!』
次にグリドの声が響く。
『わいも感じたで。お前らが使う食欲エネルギーとは別種の力や』
「別種?」
『別種どころやない。上位互換のようなエネルギーや。食欲は食欲やのに、芯がちゃう』
「そんなのあるのかよ。二人とも何か知らないか?」
『すまん、分からん!』
グリドは珍しく即答した。
『やけど一つだけ言える。白律では防げん!』
「分かった」
その奥。
精神の食卓のさらに奥で、マザーグリードがジャーキーをかじりながら呟いた。
『地球にもこれを使うやつがおるとはの』
「何か知ってるのか?」
『ふ。なんでもないわ』
マザーグリードは何かを知っていそうだ。
だが、今はそれどころではない。
林膳がまた木べらを構える。
その動きに合わせて、部屋の空気が重くなる。
食欲が迫っている。
いや、食欲だけじゃない。
何か別のものが、俺の細胞の奥を掴んでくるような感覚がある。
「ブラウス!」
「はい!」
「さっきの通路に戻ってろ! 未知の攻撃だ!」
「分かりました!」
ブラウスは迷わなかった。
すぐにワープロードを開き、後方へ離脱する。
ブラウスは俺を百パーセント信じてくれている。
だから、戻れと言ったらすぐに戻る。
足手まといになるからではない。
俺がそう判断したなら、その判断を信じてくれる。
だから俺は、その期待にずっと応えなければならない。
俺は食欲を練った。
「グルメウェア――幻威!!」
今度は、黒く重い食欲が俺の体を包む。
グリドの力を借りたグルメウェア。
幻威。
白律が調律なら、幻威は威圧と純粋な力。
俺の体が膨れ上がる。
骨格が太くなる感覚。
筋肉の奥へ、グリーントロルの力が流れ込む感覚。
全長は林膳と同じ、三メートルほどまで大きくなった。
攻撃力。
防御力。
踏み込み。
全部が一段階、いや、何段階も膨れ上がる。
「これで大きさも五分だな」
林膳が吠えた。
「ググ……グアアアア!」
巨大な木べらが再び振りかざされる。
俺は真正面から受けた。
衝撃が腕から肩へ抜ける。
重い。
ただの打撃じゃない。
木べらそのものが重いだけではなく、そこに込められた食欲が体の奥へまで響いてくる。
だが、今度は吹き飛ばされない。
「うおおおおお!」
俺は歯を食いしばり、木べらを押し返した。
攻撃はなんとか防げている。
だが、ずっと違和感があった。
林膳が木べらを出現させるたびに、体が一瞬だけ縮こまる。
恐怖なのか。
威圧なのか。
それとも、食欲そのものに体が反応しているのか。
分からない。
ただ、ほんの一瞬。
強制的に動けなくなるような感覚がある。
全身の細胞が、同時に息を止めるような感覚。
もしこれが完全な形だったら。
もし林膳が万全だったら。
俺は、今の一瞬で叩き潰されていたかもしれない。
『気ぃつけろ、アマジン!』
グリドが叫ぶ。
『その力、当てられ続けたら動きが鈍るで!』
『ミルカの調律も入りにくい。アマジン、受けすぎないで』
「分かってる!」
林膳の木べらが横から迫る。
俺は一歩踏み込み、木べらの柄を掴んだ。
また体が一瞬縮こまる。
それでも。
「問題ねえ!」
俺は指に力を込めた。
木べらが軋む。
林膳の濁った目が、わずかに揺れた。
「どんな力か知らねえけど!」
さらに握り潰す。
「俺は宇宙に行くんだよ!」
木べらを粉砕した。
砕けた木片のような食欲が部屋中へ散る。
その隙に、俺は林膳の懐へ入った。
林膳が新たな木べらを出そうとする。
だが、遅い。
俺は右拳を引いた。
「プレデターショット!!」
重い右拳が、林膳の胴へ叩き込まれる。
グリドの威。
俺の食欲。
体ごと押し込む一撃。
林膳の巨体が吹き飛んだ。
岩壁へ激突し、壁一面の札の残骸を巻き上げる。
「グ……ガ……」
林膳は立ち上がろうとした。
だが、膝が崩れる。
そのまま、地面へ倒れた。
動かない。
気を失ったようだった。
『一撃や! さすがアマジンや!』
「ありがとう、グリド」
俺は息を吐きながら、林膳を見る。
「でも、こいつはずっと何千年以上も空腹だった。全快の状態なら、こんなのじゃ済まなかっただろうな」
林膳の体は木のように硬い。
だが、その奥の食欲は枯れている。
強い。
強いのに、飢えている。
そんな嫌な感覚がした。
『そうじゃな』
マザーグリードが小さく言う。
『不完全で、飢え、壊れかけておる。それでなお今の力。生前であれば厄介極まりなかったであろうな』
「……」
俺は林膳へ近づき、番重をいくつも出した。
拘束する。
星芯番重を重ね、手足と胴体を固定する。
白律が効かないなら、物理的に抑えるしかない。
「とにかく、しっかり拘束して、すぐに帰ろう」
俺は自分のワープロードを開いた。
ブラウスが残してくれているマークに沿って発動する。
白い道が開く。
俺は拘束した林膳を引きずるようにして、ワープロードへ入った。
少し進むと、すぐにブラウスのいる通路へ出た。
「お疲れ様です」
ブラウスがこちらを見て、ほっと息を吐いた。
「こっちまで衝撃と音が来てましたよ」
「そうか!」
「大丈夫ですか?」
「ああ。なんとかな」
俺は拘束された林膳を見る。
「とりあえず、目を覚まさないうちに早く帰還しよう」
「はい。すぐに出ます」
「きゅ!」
はむまるが大きく頷く。
俺たちはワープキッチンを整え直し、老いの洞穴を引き返した。
林膳を連れて。
そして、まだ名前も知らない未知の力への違和感を抱えたまま。
俺たちは老いの洞穴を後にした。