また感想も沢山いただきありがとうございます。全部見てます!
補足などある場合など今後もお返事させていただきます!
入口が見えた。
エア特別管理ビオトープの危険区入口。
あの巨大なゲートが視界に入った瞬間、俺は自分でも分かるくらい大きく息を吐いた。
戻ってきた。
生きて戻ってきたのだ。
毒雨草原を抜け、黒い霧を越え、のろま雨の丘へ辿り着き、エアを食べた。
途中でグリーントロルという化け物にも遭遇した。
今思い返しても、あれは本当に死んでもおかしくなかった。
だが、幸い帰り道で再びグリーントロルに遭遇することはなかった。
入口が荒らされて崩壊しているということもなかった。
観光エリアの方からは、相変わらず人の声が聞こえている。
レストラン待ちの列もある。
売店の呼び込みもある。
記念撮影をしている家族連れもいる。
あまりにも平和な光景だった。
俺たちが危険区で見たものとは、まるで別世界のようだ。
俺は隣を歩くブラウスを見る。
彼も少し疲れた顔をしているが、足取りはしっかりしていた。
白い髪はまだ少し乱れている。
服も完全には綺麗になっていない。
それでも、毒雨草原で初めて出会った時のような弱々しさはなかった。
背中には、あの長方形のケース。
そして腕には、保存されたエア。
ブラウスもまた、自分の足でここまで戻ってきたのだ。
「帰ってきたな」
「はい」
短い会話だった。
だが、それだけで十分だった。
危険区受付の係員が、俺たちを確認すると少し目を見開いた。
「帰還確認。アマジン・グラント君、ブラウス君。二名とも生体反応正常……おお、二人とも無事だったか。何やら今回は死人が多かったみたいでな……」
係員の声には、少し安堵が混じっていた。
「グリーンニトロ系外宇宙勢力のせいだな……」
係員は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を戻す。
「そうか。君たち……会ったんだね? よく生きていたな。この事は他言しないようにしてくれ」
「え? わかった……」
係員のすごみで思わず即答する。
元々誰かに言うつもりもなかった。
ましてや両親にこれを伝えたら次行くのを止められてしまいそうだしな。
ブラウスも頷いた後、端末を取り出した。
「エアの持ち帰り分の支払いをお願いします」
そう言って支払い手続きをしようとした瞬間、係員は首を振った。
「ブラウス君。支払いは父君から受け取っているから不要だ。むしろ返金がある」
「返金……ですか?」
ブラウスが目を瞬かせる。
俺も思わず係員を見た。
「エア代として二千万円。そして緊急時保険で三千万円を預かっていたが、保険は使用しなかったから返金だ」
「……」
ブラウスは黙った。
俺も黙った。
なるほど。
ブラウスの父親は、完全に無策で息子を毒雨草原に放り込んだわけではなかったらしい。
少なくとも、死なないように考えてはいたようだ。
いや、それでも放り込むなよとは思う。
かなり思う。
緊急転送ビーコンも没収していたし、何日も一人で置かれていたのだ。
俺の感覚では、やはりやばい父親である。
だが、全く何も考えていないわけではなかった。
ブラウスは複雑そうな顔をしていた。
怒ればいいのか、安心すればいいのか、自分でも分からないという表情だった。
俺は少しだけ肩をすくめる。
「一応、死なないようには考えてたんだな」
「……そうみたいです」
ブラウスは小さく答えた。
係員は次に俺へ視線を向ける。
「アマジン君。君の支払いはあるが……大丈夫かい?」
「は、はい!」
俺は妙に緊張しながら端末を出した。
ブラウスから受け取った二千万円。
画面に表示された金額を見ても、まだ現実感がない。
自分の口座にそんな大金が入っていること自体、心臓に悪い。
俺は震える指で支払いを済ませた。
二千万円。
一瞬で消えた。
エア一玉。
すごい世界だ。
受付の人は少し驚いていたが、そのまま対応してくれた。
きっと、未成年の俺が本当に支払えるとは思っていなかったのだろう。
それは俺も同じだ。
ブラウスがいなければ、ここで詰んでいた。
手続きが終わると、預けていた装備が返却された。
入口でクレジット化されていた荷物たちだ。
大きなカバン。
予備の携帯食。
余計に詰め込んだ便利道具。
戻ってきた荷物を見て、俺は少し懐かしい気持ちになった。
たった数日なのに、ずいぶん長い旅をしたように感じる。
グルメスモック。
ガララワニ。
ブラウス。
毒雨草原。
エア。
グリーントロル。
出発した時の俺とは、もう少しだけ違う気がした。
そして、いよいよお別れの時間だった。
「エアの次は、ペアですね」
ブラウスが言った。
「ああ。まぁ、ビオトープまではまた安全な道だけどな!」
俺は笑って返す。
きっとまた電車で行けるのだろう。
危険区までは公共交通機関。
この現代グルメ時代の便利さには、もう少し慣れる必要がありそうだ。
ブラウスは、俺が持つグルメケースを見た。
「エア、グルメケースに入れてますけど、調理済みなので早めに食べてくださいね」
「おう。本当にありがとうな!」
俺は深く頭を下げた。
ブラウスがいなければ、俺はエアを最高の状態で食べられなかった。
そもそも持ち帰ることもできなかった。
毒雨草原を越えられたのも、ブラウスの料理があったからだ。
俺がブラウスを助けたと思っていたが、実際には俺も何度も助けられている。
「ブラウス。元気でな」
「アマジンさんも。どうかお気を付けて……」
多くは語らなかった。
言いたいことはたくさんある。
また一緒に旅をしたい。
君の料理をもっと食べたい。
父親の説得がうまくいくといいな。
いつか正式なコンビとして、俺の食材を調理してほしい。
だが、全部を言葉にすると、別れが重くなりすぎる気がした。
だから、俺たちは固い握手を交わした。
ブラウスの手は、料理人の手だった。
細く見えて、意外にしっかりしている。
包丁を握り、食材を扱う手。
俺はその手を強く握り返した。
そして、俺たちは別れた。
ブラウスは迎えの車両があるらしい方向へ向かっていく。
俺はしばらくその背中を見送った。
あれだけすごい料理人。
しかも同年代。
他にはいないだろうな。
胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたような寂しさがあった。
だが、無理やり引き止めることはできない。
ブラウスにはブラウスの道がある。
俺には俺の道がある。
さみしい思いをぐっとこらえ、俺は一度家に帰ることにした。
巨大なゲートを振り返る。
エア特別管理ビオトープ。
最初は、電車で行けることに拍子抜けした。
入口で荷物を預けさせられ、二千万円に絶望した。
だが、そこで俺は本物の冒険をした。
命の危険を知った。
初めての相棒に出会った。
地球のフルコースを食べた。
「ありがとう、エアビオトープ」
俺は小さく呟いた。
そして、空を見上げる。
「そして、待ってろ。ペア!」
次の目標は決まっている。
エリア七。
産声の樹。
ペアの泉。
地球のフルコース、ペア。
俺は拳を握り、オクトちゃんの乗り場へ向かった。
巨大なタコ型キャンピングモンスター、オクトちゃんに乗り込む。
行きと同じように、車内は快適だった。
柔らかい座席。
大きな窓。
外には旧グルメ界の景色が広がっている。
だが、行きと違って俺の中身は大きく変わっていた。
あの時の俺は、これから始まる冒険に胸を膨らませていた。
今の俺は、冒険の怖さを知っている。
それでも、次へ行きたいと思っている。
オクトちゃんを降り、電車を二回乗り換える。
特別連絡線から普通の都市交通へ戻るにつれて、景色はどんどん日常に戻っていった。
危険区の空気が遠ざかる。
紫の毒雨も、のろま雨も、グリーントロルの威圧感も、まるで夢だったかのように薄れていく。
駅の売店では、普通に弁当が売られている。
学生たちが笑いながら歩いている。
親子連れがレストランの予約時間を話している。
世界は平和だった。
少なくとも、表面上は。
俺だけが、少しだけ違う景色を見てきた気がした。
安全に家へ帰ってくることができた。
玄関の前に立つ。
久しぶりの我が家。
たった数日なのに、何週間も離れていたような気分だ。
「ただいま~」
俺が扉を開けると、母さんが顔を出した。
「アマジン。おかえりなさい。早かったわね」
その顔には、安堵と心配が混ざっていた。
そして、少し言いにくそうに続ける。
「エア、とれなかった?」
「結果はどうだっていいじゃないか」
奥から父さんの声がした。
リビングで新聞端末を閉じながら、父さんが笑っている。
「大冒険だったな、アマジン」
どうやら両親は、俺がエアを取れなかった前提で話しているらしい。
まあ、無理もない。
学園総合一位とはいえ、俺はまだ未成年だ。
初めての危険区。
地球のフルコース。
そう簡単に取れると思わない方が普通だ。
でも、今回は違う。
「ふふ」
俺はわざと含み笑いをした。
母さんが首を傾げる。
「アマジン?」
「じゃーん!」
俺はグルメケースを取り出した。
中に収められているのは、調理済みのエア。
ブラウスが丁寧にさばき、保存処理してくれた地球のフルコース。
ケース越しでも、淡く透明な輝きが見える。
両親は固まった。
今まで見たことがないほど驚いた顔だった。
母さんは口に手を当てる。
父さんは目を見開いたまま、しばらく何も言わない。
「……本当に?」
母さんが震える声で言った。
「本当に、エアなの?」
「うん。食べたし、持って帰ってきた」
そう言った瞬間、母さんが俺を抱きしめた。
「無事でよかった……!」
「ぐえっ、母さん苦しい」
「本当に無事でよかった……!」
母さんの腕は強かった。
前世の感覚なら肋骨が危なかったかもしれない。
グルメ細胞のおかげで耐えられているが、普通に苦しい。
父さんはそんな俺たちを見て、静かに笑っていた。
「よく帰ってきたな、アマジン」
「うん。ただいま」
その日の夕食は、エアと母さんの手料理だった。
ブラウスの調理したエアは、家族三人で少しずつ分けた。
母さんは一口食べて、目を潤ませていた。
父さんも、しばらく言葉を失っていた。
俺は少し誇らしかった。
自分が取ってきた食材を、家族と食べる。
これもまた、美食屋の喜びなのかもしれない。
だが、それ以上に母さんの手料理がうまかった。
マイルドボアの煮込み。
香草パン。
温かいスープ。
久しぶりに食べる家の味。
毒雨草原で食べたブラウスの料理も最高だった。
エアも信じられないほど美味かった。
でも、母さんの料理には母さんの味がある。
安心する味。
帰ってきたと感じる味。
俺は夢中で食べた。
地球のフルコースを食べた日の夕食。
それは、俺にとって忘れられない食卓になった。
・・・
翌日。
朝食を終えた俺は、すぐに荷物をまとめていた。
母さんが呆れたように言う。
「もう行くの?」
「もちろん!」
俺は元気よく答えた。
「一日でも早く美食屋になりたいからね!」
母さんはため息をついた。
だが、前よりも少しだけ諦めたような、認めたような顔をしていた。
「無茶はしないこと」
「分かってる」
「毎日連絡」
「分かってる」
「危ないと思ったら戻る」
「分かってる」
「あと、ご飯はちゃんと食べる」
「それは絶対大丈夫」
父さんが笑った。
「次はどこへ行くんだ?」
「エリア七、産声の樹」
俺は答えた。
「次に目指すは、ペア」
父さんの表情が少し引き締まる。
母さんも心配そうに眉を寄せた。
エアよりさらに特殊な食材。
ペアの泉。
飲めば新しい味覚が開くと同時に、体が逆の性別になるという地球のフルコース。
そして、現代でも養殖に成功していない、最も希少な食材。
簡単な場所ではないだろう。
だが、行く。
俺は美食屋になるのだから。
荷物を背負う。
玄関を出る。
朝の空気を吸う。
エアを食べた影響なのか、呼吸が今までより深く感じる。
肺の奥まで空気が入り、体の隅々まで力が巡る。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
「気をつけてな」
両親に見送られ、俺は駅へ向かった。
そして、また電車に乗り込む。
いつもの電車に。
通勤客や学生たちが乗る、ごく普通の車両。
窓の外には、いつもの街並み。
だが、その先にはエリア七がある。
産声の樹がある。
ペアの泉がある。
そして、きっとまた新しい味が待っている。
俺は席に座り、拳を握った。
地球のフルコース、二品目。
ペア。
待ってろ。
俺は、必ず食べに行く。
ここまでで第1章「エア編」完結です。
次回から第2章「ペア編」に入ります。