IGO第一宇宙食材研究所。
林膳は、研究所内でも特に厳重な場所へ移されていた。
あのまま老いの洞穴から連れ帰ることはできた。
だが、林膳は目を覚ましていないにもかかわらず、拘束に使った星芯番重を内側から軋ませていた。
意識はない。
動いてもいない。
それでも、食欲だけが暴れている。
だから、研究所に到着した瞬間、林膳は隔離区域へ運ばれた。
今、俺たちは別室で調査結果を待っている。
部屋にいるのは、メリスタ会長。
ギタウヌさん。
俺。
そしてブラウス。
はむまるは、俺の膝の上で丸くなっていた。
林膳を見つけた。
連れ帰った。
任務としては達成だ。
でも、すっきりしない。
あれは本当に、救出と言えるのか。
林膳の姿を思い出す。
三メートルほどの木の体。
札と木べらに封じられていた姿。
そして、白律を無効化したあの攻撃。
「……」
俺が黙っていると、扉が勢いよく開いた。
研究員が資料を抱えて、急いで部屋へ入ってくる。
「調査の結果が出ました」
部屋の空気が一気に重くなる。
メリスタ会長が静かに顔を上げた。
「報告してくれ」
「はい」
研究員は一度息を整え、そして言った。
「林膳さんは……もう人間ではありません」
その言葉を聞いた瞬間、ブラウスが小さく息を呑んだ。
「悪魔そのものに等しい状態です」
メリスタ会長は静かに目を閉じた。
「そうか……」
短い言葉だった。
でも、その声には重さがあった。
IGO副会長。
メリスタ会長にとって、林膳はただの捜索対象ではなかったはずだ。
同じ時代を支えた仲間。
あるいは、それ以上の存在だったのかもしれない。
メリスタ会長は目を開け、研究員を見る。
「悪魔の種類は分かったのか?」
「はい」
研究員は資料をめくった。
「以前、宇宙で発見された輝くカード状のメモリ内のデータに、一致する悪魔がありました」
「カード状のメモリ……」
俺は思わず呟く。
宇宙には、まだ地球が知らない食材も、文明も、技術もいくらでもある。
そんな中で見つかった記録媒体。
そこに、林膳を飲み込んだ悪魔の情報があったらしい。
研究員は表示された映像をテーブル中央へ映した。
そこには、巨大な木のような悪魔の姿があった。
幹のような体。
根のような足。
葉のように広がる腕。
だが、ただの植物ではない。
そこには明確な食欲があった。
「ウッドデーモン」
研究員が名前を告げる。
「木を操り、葉から空気を奪い、根から星の生命を吸い上げて食らう悪魔です」
「星の生命を……」
ブラウスが険しい顔をする。
「そんな悪魔が、林膳さんの中に……」
「林膳は地球のフルコースをすべて食べた」
メリスタ会長が静かに言った。
「そして最終的に、自分の中のグルメ細胞が復活し、食われてしまったというわけか」
「はい」
研究員は頷く。
「ただ、グルメIDを読み取った結果、断片的な情報ですが……林膳さんは食われた後も相当抵抗したようです」
「食われた後も?」
「はい。そして、最終的に自らを封印したと考えられます」
俺は思わず、老いの洞穴で見た光景を思い出した。
壁一面の札。
自分の体に巻き付いていた木べら。
出入口のない封印部屋。
あれは、誰かに閉じ込められたんじゃない。
林膳が、自分で自分を封じた。
「すごいな……」
俺は呟いた。
「食われた後に、意識が残ってるなんてことがあるんだ」
俺は以前、千年前の情報を皆に伝えていた。
ドンスライム。
食霊となりながらもグルメ細胞の悪魔として存在し、フルコースを食べた人間を取り込んで復活した存在。
その時、取り込まれた人間の意識は残っていなかったように思う。
悪魔が復活すれば、基本的には人間は食われる。
トリコたちを除けば、そういうものだと思っていた。
だが林膳は違った。
食われた。
それでも抵抗した。
そして、自分自身を封じた。
「悪魔の強さによっては、抵抗できるのか……?」
「あるいは、林膳自身の食欲が異常に強かったのかもしれぬな」
ギタウヌさんが静かに言った。
その表情はいつもより真剣だった。
俺はそこで、ふと思い出す。
あの木べら。
白律が効かなかった攻撃。
「そういえば、会長」
「なんだ?」
「林膳の攻撃なんだけど……食欲エネルギーを木べらに変えた技だった」
「ああ。林膳が生前から使っていた技だ」
「でも、俺の技で無効化できなかった」
「なに……?」
メリスタ会長の目が鋭くなる。
「食欲エネルギーなら、問答無用で無効化できるはずなんだ。だけど、それは無理だった」
その言葉に、ギタウヌさんが反応した。
さっきまで静かに聞いていた老人が、ゆっくりと俺を見る。
「おぬし、その技を出された時……動けたか?」
「動けたか?」
「一瞬でも、体が固まらなかったか?」
俺はあの感覚を思い出す。
林膳が木べらを出すたびに、全身の細胞が息を止めるような感覚。
ほんの一瞬。
でも確かに、強制的に意識と体が固まった。
「あった」
俺は頷く。
「ほんの一瞬だけど、毎回強制的に意識が固まった」
「そうか……」
ギタウヌさんは深く息を吐いた。
「何か知ってるのか?」
「不完全なものではあるが……」
ギタウヌさんは、ゆっくりと言った。
「饗力と見て間違いなさそうじゃ」
「きょうりょく……?」
聞いたことのない言葉だった。
強力ではない。
饗力。
食卓の饗。
料理を振る舞い、共に食う時の字。
ブラウスも首を傾げている。
「ギタウヌさん。私も聞いたことがないです」
「当然じゃろうな。今の地球では、ほとんど失われた概念じゃ」
ギタウヌさんは椅子に深く座り直した。
「饗力とは、自身の食欲エネルギーと、悪魔の食欲エネルギーを混ぜ合わせ、昇華した力のことじゃ」
「自分と悪魔の食欲を……」
「混ぜる?」
俺とブラウスが同時に呟く。
「そうじゃ。ただ混ぜればよいわけではない。互いの食欲が反発すれば、宿主は内側から食われる。悪魔が強すぎれば乗っ取られる。宿主が拒みすぎれば力は濁る」
「じゃあ、どうすれば使えるんだ?」
「同調するのじゃ」
ギタウヌさんは俺を見る。
「宿主と悪魔が、同じ食卓を囲み、同じ料理を美味いと感じる。その積み重ねで、食欲の波長が合っていく」
「同じ料理を、美味いと……」
俺は思わず、自分の中の食卓を思い出した。
グリド。
ミルカ。
マザーグリード。
あいつらと同じ飯を食ったことは、何度もある。
主に精神の食卓ではあるが。
ブラウスの料理を食べた時、うまいと言った。
あれが、力になる。
「そんな力が……!」
ブラウスが目を見開いている。
「ギタウヌさんは、それ、できるのか?」
俺が聞くと、ギタウヌさんは急にいつもの調子で笑った。
「ふぉっふぉ! 昔はできたんじゃがな!」
「昔は?」
「ノスタルが契約者を増やしすぎて、もうできぬわ!」
「ええ……」
なんか理由がすごく雑に聞こえる。
いや、たぶん雑じゃないんだろうけど。
ノスタルは黒き饗宴の悪魔だ。
多くの者と契約し、多くの記憶や味を食ってきた。
それだけ食欲の波長が散っているなら、一人の宿主と完全に同調するのは難しいのかもしれない。
「でも、なんとなく……」
ブラウスが静かに言った。
「宇宙を目指すなら、必要そうな力ですね」
「そうだな!」
俺は頷く。
「俺の中の……マザーグリードなら詳しく知ってそうなんだけど……」
俺は自分の胸に手を当てる。
「教えてくれそうにない」
実際、老いの洞穴でマザーグリードは知っているようなことを言っていた。
だが、説明はしなかった。
あいつは気分屋だ。
聞いたら教える時もあるが、肝心な時に限って隠すこともある。
『聞こえておるぞ』
頭の奥で、マザーグリードの声がした。
『知りたいなら、自分で食べて覚えよ』
「ほらな」
「何か言ってるんですか?」
「自分で食べて覚えろって」
「マザーグリードさんらしいですね……」
ブラウスは苦笑した。
ギタウヌさんは、そんな俺たちを見て楽しそうに目を細めた。
「そうか。わしでよければ、ノウハウ程度なら伝えられると思うが?」
「ほ、本当か!!」
俺は思わず身を乗り出した。
「ほかの宇宙を目指すのならば、必要になるじゃろう」
「アマジン」
ブラウスが俺を見る。
「教わっておきましょう。何でも知っておくと違いますからね!」
「もちろんだ!」
ギタウヌさんは立ち上がった。
「なら、わしの星へ案内しよう!」
「いきなり!?」
「善は急げじゃ。食は熱いうちに食うものじゃろう?」
「それはそうだけど!」
でも、胸が高鳴っていた。
饗力。
宿主と悪魔の食欲が同調した時だけ練れる力。
食卓を囲むことが、強さに繋がる力。
それは、俺にとって必要なものだ。
宇宙へ行くなら。
もっと先へ進むなら。
きっと。
「メリスタ会長、行ってきます!」
俺がそう言うと、メリスタ会長は呆れたように、しかし少しだけ笑った。
「相変わらず行動が早いな」
「はい!」
「林膳のことは任せておけ。こちらでさらに調査を進める」
「お願いします」
俺は頭を下げた。
林膳はまだ終わっていない。
救えるのか。
もう戻れないのか。
それは分からない。
だが、彼が使った力は、俺たちの前に新しい道を開いた。
危険な道かもしれない。
でも、進む価値はある。
「行きましょう、アマジン」
「おう!」
「きゅ!」
はむまるも元気よく鳴く。
ギタウヌさんは研究所の扉へ向かって歩き出した。
俺たちはその背中を追う。
饗力。
悪魔と宿主が、同じ料理を美味いと感じることで近づく力。
宇宙へ出る前に、俺はまた一つ、知らなければならない味に出会った。