饗力。
その言葉を知った日から、二年が経った。
・・・
ギタウヌさんの星で教わったのは、技の出し方というより、考え方に近かった。
食欲は一人のものだ。
だが、食卓は一人のものではない。
同じ料理を食べる。
同じ味を美味いと思う。
同じ皿の前で笑う。
それを何度も重ねることで、宿主と悪魔の食欲は少しずつ近づいていく。
無理やり混ぜるんじゃない。
支配するんじゃない。
飲み込むんじゃない。
同じ食卓に座り、同じ味を知る。
それが饗力の入口だと、ギタウヌさんは言った。
最初は、正直よく分からなかった。
食えば強くなる。
それは分かる。
俺の体はずっとそうだった。
うまいものを食って、食欲を燃やして、グルメ細胞を進化させる。
でも饗力は少し違う。
俺だけがうまいと思っても駄目だ。
グリドだけが納得しても駄目だ。
ミルカだけが味を理解しても駄目だ。
マザーグリードだけが勝手に食っても駄目だ。
同じ料理を、同じ方向を向いて、美味いと思わなければならない。
だから難しい。
そして、だからこそ面白い。
・・・
精神の食卓。
そこには、相変わらず長い食卓がある。
昔ほど勝手に開くことはなくなった。
恐怖。
窮地。
あるいは、俺が自分から訪れた時。
そういう時だけ、食卓は姿を現す。
今日も俺は、出発前の確認のためにそこへ来ていた。
テーブルの上には、ブラウスが作った料理が並んでいる。
現実で食べた料理の味が、ここにも届いていた。
「で、結局どれが一番安定してるんだ?」
俺が聞くと、グリドが腕を組んで笑った。
「そら、わいやろ」
「自信満々だな」
「当たり前や。わいとお前は最初から相性ええねん。食欲の方向が近い。食い方も荒い。勢いもある」
「褒めてるのか?」
「褒めとる褒めとる」
絶対に少し馬鹿にしている。
ミルカは、テーブルの上のスープをじっと見つめながら言った。
「ミルカとの饗力は、少し難しい」
「だよな」
「ミルカの力は、食欲を整える。アマジンの食欲は、勢いが強い。混ぜると、たまに料理ごと吹き飛ぶ」
「それ、俺が悪いみたいじゃないか?」
「半分くらい」
「半分もか」
ミルカは真面目な顔で頷いた。
その横で、マザーグリードが肉をかじっている。
昔よりずっと小さな姿。
中身は相変わらず偉そうだが、見た目だけなら完全に子供だ。
「わらわの口に合う飯はいつくる?」
「宇宙に行けば何かあるだろう!」
「期待せずに待っておるわ……」
マザーグリードは合わす合わさない以前の問題だ。
ブラウスの調理は最高だが、食材が口に合っていないようだ。
でも、この二年で分かったことがある。
こいつらは、ただ俺の中にいるだけの存在じゃない。
飯を食う。
味を知る。
言い合う。
喧嘩する。
笑う。
そうして少しずつ、俺たちの食欲は近づいている。
饗力は、まだ完成していない。
でも、確かに俺の中で育っている。
「グリド」
「なんや?」
「少しだけ、合わせるぞ」
「ええで」
俺は目を閉じた。
食欲を練る。
自分の食欲。
グリドの食欲。
二つを無理に混ぜるのではなく、同じ料理へ向ける。
思い出すのは、ブラウスの飯だ。
熱い肉。
濃いソース。
鼻を抜ける香り。
噛んだ瞬間、俺もグリドも同時に思った。
うまい。
その感覚へ、食欲を合わせる。
黒い食欲が、体の奥で重く沈む。
ただのグルメウェアとは違う。
グリドの威を借りるだけじゃない。
俺の食欲とグリドの食欲が、同じ方向へ踏み込む。
「こんなもんか」
数秒。
まだ、それだけだ。
でも、二年前の俺にはできなかった。
グリドがにやりと笑う。
「だいぶ形になってきたやんけ」
「まだ数秒だけどな」
「十分や。最初は一秒も保たんかったんやぞ」
「そうだったな」
ミルカがじっと俺を見る。
「アマジン、焦らなくていい」
「分かってる」
「食卓は急いで作るものじゃない」
「……いいこと言うな」
「教科書に似たようなことが書いてあった」
「教科書すごいな」
俺が笑うと、食卓の奥でマザーグリードも小さく笑った。
「行くのであろう?」
「ああ」
俺は頷いた。
「今日、船が来る」
その言葉に、グリドの目が少し鋭くなる。
「ようやく宇宙か」
「ああ。ようやくだ」
俺は拳を握った。
「やっと始まる」
・・・
・・
・
目を開けると、俺は自分の部屋にいた。
二十歳になった。
十五歳で地球のフルコースを食い始めた俺は、気づけば地球を救った英雄なんて呼ばれるようになり、二十歳になってようやく、自分の船を買えるところまで来た。
部屋の壁には、昔の新聞記事が今も貼ってある。
マザーグリードから地球を救ったアマジン。
最上位ライセンス最年少取得。
地球とグルディア和平協定締結。
その横には、新しい切り抜きも増えた。
星のフルコース交換会、三年目開催。
グルディア代表グリドーズ、地球との友好継続を宣言。
宇宙航路ワープロード、一般利用範囲拡大。
世界は変わった。
俺も少しは変わった。
でも、夢は変わっていない。
宇宙へ行く。
宇宙のフルコースを集める。
そして、自分だけの人生のフルコースを完成させる。
「アマジン!」
扉の向こうから声がした。
ブラウスだ。
「来ましたよ!」
「船か!?」
「はい!」
俺はすぐに立ち上がった。
肩にいたはむまるも跳ねるように起きる。
「きゅ!」
「行くぞ、はむまる!」
「きゅい!」
部屋を飛び出し、廊下を駆け抜ける。
ワープロードを抜けると広い発着場に巨大な船が停まっていた。
宇宙探索大型戦艦。
それは、ただ大きいだけの船ではなかった。
地球の技術。
グルディアの航行補助技術。
IGO宇宙戦艦団の防衛機構。
ブラウスがこだわった調理区画。
俺がどうしても入れたかった食材保管庫。
はむまる用の巨大頬袋連動型倉庫。
いろんなものを詰め込んだ、俺たちの船だ。
「でか……」
俺は思わず呟いた。
「当たり前です。アマジンが途中で仕様を増やしすぎたんですよ」
「だって宇宙だぞ? 何があるか分からないだろ」
「それはそうですが、厨房を三つも増やす必要はありましたか?」
「ある!」
「即答ですか」
「宇宙でうまいもの見つけたら、すぐ食いたいだろ!」
「ふふ。そうですね」
ブラウスは少し笑った。
船の下では、何人もの整備員が最後の確認をしている。
ガウンさんもいた。
メリスタ会長もいる。
岩剛さんも腕を組んで船を見上げていた。
少し離れた場所には、フワ爺、トキサダ、アールシの姿もある。
みんな、今日この日を待っていた。
「本当に行くんだな」
メリスタ会長が言った。
「はい!」
「地球を出れば、今まで以上に何が起きるか分からない」
「分かってます」
「分かっていない顔だな」
「え?」
「楽しみすぎる顔をしている」
「それは……はい!」
正直、楽しみだ。
怖くないわけじゃない。
でも、それ以上に腹が減っている。
宇宙には、まだ食ったことのないものが山ほどある。
知らない星。
知らない食材。
知らない料理。
知らない食卓。
それを考えるだけで、体の奥から食欲が湧いてくる。
「アマジン」
ブラウスが隣に立つ。
「資金、最後まで半分は自分で出しましたね」
「当たり前だろ」
「僕は全部出してもよかったんですよ」
「それは分かってる。でも、この船は俺の夢だからな。ちゃんと自分でも払いたかったんだ」
「そういうところ、本当に変わりませんね」
「変わらない方がいいところもあるだろ?」
「はい」
ブラウスは頷いた。
「そこは、変わらないでください」
「おう!」
「きゅ!」
はむまるも胸を張る。
いや、お前は何も払ってないだろ。
でも、船名には一番関わっている。
俺は船を見上げた。
「名前は決まってる」
「……本当に変えなくていいんですか?」
ブラウスが聞く。
「いいに決まってるだろ」
「本当に?」
「ああ!」
俺ははむまるを持ち上げた。
「はむまるが船長だからな!」
「きゅい!!」
「船長なんですか!?」
「今決めた!」
「今!?」
ブラウスが目を丸くする。
アールシは静かにグルメデバシーへ記録していた。
「正式名称、宇宙探索大型戦艦、はむまる号」
「記録するの早くないか!?」
「重要な記録です」
「そうかな!?」
トキサダが小さく笑った。
「名とは案外、その程度でよいのである」
「そうなのか?」
「歩むうちに、名に意味が宿る」
「なるほどな!」
フワ爺も頷く。
「ええ名前じゃのぉ。はむまる号。腹が減りそうな名じゃ」
「それは船名として正しいのか?」
「きゅ!」
はむまるはかなり満足そうだった。
その時、アールシがこちらへ歩いてきた。
いつものように静かで、どこか遠くを見ているような目をしている。
「アマジン」
「ん?」
「出発前に、決めなければならないことがあります」
「決めること?」
「最初に、どの星へ行くかです」
俺は思わず笑った。
「そんなの、うまそうな星からでいいんじゃないか?」
「それでも構いません。しかし、君には三つの大きな選択肢があります」
「三つ?」
アールシは頷いた。
フワ爺、トキサダ、そしてアールシ自身を見る。
「最初にどの終末の食客の星へ向かうか。それによって、君の旅の軌跡は大きく変わります」
空気が少しだけ変わった。
メリスタ会長も、ガウンさんも、岩剛さんも黙って聞いている。
アールシは続けた。
「フワ爺の星へ向かえば、すでに先へ行く伝説の美食屋に会える可能性があります」
「伝説の美食屋……」
俺の心臓が跳ねた。
「それって……」
前世で読んだ物語。
俺がこの世界を知るきっかけになった美食屋。
地球を何度も救い、宇宙へ向かった伝説。
会えるかもしれない。
そう思った瞬間、全身に熱が走った。
会いたい。
そりゃ会いたいに決まっている。
トリコだけじゃない。
小松だって。
あの時代の伝説たちに、本当に会えるかもしれない。
そんな可能性を聞いて、心が揺れないわけがない。
だが、アールシは次の選択肢を告げた。
「私の星へ向かえば、君の中にいる者たちと、現実の食卓を囲める可能性があります」
「……え?」
俺は思わず聞き返した。
「俺の中にいる者たちって……グリドたちか?」
「はい」
アールシは静かに頷く。
「グリド、ミルカ、マザーグリード。彼らは今、君の内側の食卓にいます。だが、私の星には、失われた食の記録を外へ写すための手がかりが残っている可能性があります」
「外へ写す……」
「確約ではありません」
アールシははっきりと言った。
「ですが、君が望むなら、君の中の食卓を現実へ近づける道になるかもしれません」
俺は胸に手を当てた。
中から、グリドの声が聞こえた気がした。
『なんや、面白そうな話やんけ』
ミルカの声も続く。
『現実の食卓。ミルカも食べられる?』
俺は息を呑んだ。
グリドたちは、俺の中にいる。
それは救いでもある。
だが同時に、外では一緒に飯を食えない。
父さんや母さんと同じ食卓に座ることもできない。
ブラウスの料理を、現実の皿で食べることもできない。
でも、その可能性がある。
もし本当に叶うなら。
グリドが、ミルカが、マザーグリードが、父さんや母さんやブラウスたちと同じ食卓に座る。
同じ料理を食う。
同じ味を美味いと言う。
そんな未来があるかもしれない。
アールシは最後に、トキサダを見た。
「トキサダの星へ向かえば、君がなぜ終末の食客としてこの時代に来たのか、その理由に近づける可能性があります」
「俺が、この時代に来た理由……」
それも知りたい。
俺は前世で死んだ。
そして、この世界へ転生した。
終末の食客と呼ばれた。
偶然なのか。
意味があるのか。
ずっと分からないままだ。
トキサダは静かに俺を見た。
「いずれ知る時は来る。だが、最初の一歩は、後の百歩を変えるものである」
「……」
三つの選択肢。
フワ爺の星へ行けば、伝説の美食屋に会えるかもしれない。
アールシの星へ行けば、俺の中にいる仲間たちと現実の食卓を囲めるかもしれない。
トキサダの星へ行けば、俺がこの時代に来た理由に近づけるかもしれない。
どれも魅力的だ。
どれも重要だ。
でも。
答えは、もう決まっていた。
「アールシ」
「はい」
「最初の星は、アールシの故郷だ」
ブラウスが少しだけ驚いた顔をした。
「いいんですか、アマジン」
「いい」
「伝説の美食屋に会える可能性もあるんですよ」
「ああ」
俺は頷いた。
「会いたい。そりゃ会いたいに決まってる」
前世から知っている。
憧れていた。
この世界で生きる理由の一つになった存在だ。
でも。
「でも、グリドたちと外で飯が食えるかもしれないなら、俺はそっちへ行く」
俺は胸に手を当てる。
「伝説の美食屋には、いつか会えたら嬉しい。でも、今の俺が最初に選びたいのは、こいつらと同じ食卓で飯を食う道だ」
アールシは静かに俺を見た。
トキサダが口を開く。
「本当に良いのであるか」
「ああ」
「宇宙は広い。一度離れた軌跡は、二度と交わらぬこともある」
「かまわない」
俺は迷わず答えた。
「俺は、俺の食卓を選ぶ」
胸の奥で、誰かが笑った気がした。
グリドか。
ミルカか。
マザーグリードか。
たぶん、全員だ。
ブラウスは少し黙ってから、笑った。
「アマジンらしいですね」
「そうか?」
「はい。とても」
「なら良かった」
アールシは小さく頷いた。
「では、最初の目的地は、私の故郷。レコル星です」
「レコル星……」
「食が記録から消えた星。そして、宇宙のフルコース、そのスープが眠る可能性のある星です」
「スープ!」
俺の腹が鳴った。
かなり大きく。
周囲が一瞬静かになる。
「……いや、ちょうど腹減ってたんだよ」
「相変わらずですね」
ブラウスが笑う。
はむまるも元気よく鳴いた。
「きゅ!」
「よし!」
俺ははむまる号を見上げた。
ついに行く。
地球の外へ。
宇宙へ。
トリコに会える道ではないかもしれない。
自分の転生の理由を知る道でも、今すぐはないかもしれない。
でも、俺はこの道を選ぶ。
俺の中にいる仲間たちと、いつか現実の食卓を囲むために。
そして、宇宙のスープを食うために。
「ブラウス!」
「はい!」
「飯の準備は?」
「もちろんできています。宇宙初航行用の出発定食です」
「最高だな!」
「出発前に食べますか?」
「食べる!」
「やっぱり」
メリスタ会長が呆れたように笑う。
ガウンさんが大きく頷く。
「腹が減っとるなら食うてから行け。宇宙に出る前の飯は大事や」
「はい!」
岩剛さんは腕を組んだまま言った。
「宇宙は戦場でもある。だが、お前なら食卓に変えるのだろう」
「もちろんです!」
俺は笑った。
船へ続くタラップが下りる。
はむまるが俺の肩に飛び乗る。
ブラウスが隣に立つ。
フワ爺、トキサダ、アールシも続く。
俺たちは、はむまる号へ向かった。
地球の空は青い。
その向こうに、宇宙がある。
数年待った。
いや、前世からずっと待っていたのかもしれない。
腹が減った。
最高だ。
俺たちは……最初の一歩を踏み出した。
いつも読んでいただきありがとうございます!
最近はオリジナル作品の方も少しずつ読んでいただけるようになっていて、
そちらも含めて執筆の励みになっています。
引き続き『千年後のグルメ時代』もよろしくお願いします!
次回から宇宙行きます!
19話くらいまでは投稿早い予定です。