生命の音はしない。
風に揺れる草の音だけが聞こえる静かな草原を、巨大化したはむまるがひたすら疾走していた。
背中にはブラウスとアールシが座り、俺は最後尾で立ったまま前方を見つめている。
「しかし、こんな状況で……宇宙のフルコースのスープなんて本当にあるのか?」
地表からは少しずつカロリーが吸われ、星そのものも過去より小さくなっているらしい。少なくとも、豊かな食材が眠っていそうな雰囲気ではなかった。
「正直、分かりません……」
アールシも珍しく歯切れが悪い。
「記録上、この星に存在していた可能性は高いのですが、今も残っているかどうかまでは――」
「きゅっ!」
「うおっ!?」
突然、はむまるが急ブレーキをかけた。
俺は前につんのめりそうになり、慌てて背中の毛を掴む。ブラウスとアールシもサドルにしがみつき、どうにか落下を免れた。
「どうした、はむまる?」
「きゅ!」
はむまるが前方を指すように鼻先を向ける。
「……なんだここ」
そこには、見たことのない光景が広がっていた。
草原が唐突に途切れ、その先に巨大な丸い穴が開いている。
隕石が落ちてできたクレーターとも違う。爆発で吹き飛ばされた形でもなく、穴の縁から中心へ向かって地形そのものが引き延ばされていた。
「なんというか……星の内側から、そのまま地面を引っ張っていったみたいだな」
「同感です」
アールシが穴の縁を確認しながら答える。
俺は番重を展開し、その上に乗って穴の少し内側まで進んでみた。
「……なんだこれ」
下を覗き込んで、思わず声が漏れる。
本来なら地表に存在していたはずの景色が、まるで地層のように穴の奥へ続いている。
草原。
木々。
岩場。
さらにその下には、山の一部と思われる巨大な岩盤まで入り込んでいた。
「表面にあったはずの木とか山が……この穴に引っ張り込まれてるのか?」
「そう見えますね」
ブラウスが目を細めると、穴の奥へ向けて掌を伸ばした。
「それに、先ほどよりはっきり分かります。エネルギーがどんどんこの穴へ吸われています」
「やっぱりここか」
大地から奪われていたカロリーの流れ。
それが集まっている場所は、どうやらこの巨大な穴で間違いないらしい。
「入ってみるしかねーか……」
「そうですね。恐らく、この星に今起きていることの答えが中にあると思います」
「よし、はむまる! 飛び込むぞ!」
「きゅ!」
はむまるは迷うことなく穴へ足を踏み入れた。
いきなり垂直に落下するわけではなく、内部は非常に急な傾斜になっている。はむまるは四本の足で地面へしがみつきながら、滑らないようゆっくりと下っていった。
しばらく進むと、景色も変わってくる。
最初は草原だったものが、やがて大岩や大木の入り混じる異様な空間へ変わった。
根ごと引き抜かれた巨大な木。
横倒しになった岩山。
土に埋もれた植物。
どれも本来ここにあったものではなく、地表から引きずり込まれてきたように見える。
「やっぱり地面ごと吸われてるな……」
「かなり長い年月をかけて起きている現象でしょうね」
「前の障害物は俺が取り除いていく」
俺は番重を何枚か展開し、進行方向を塞いでいた大岩を横へ押し退けていく。
それからさらに進むと、地上から届いていた光も徐々に消え、周囲には暗闇が広がり始めた。
「はむまる。発光!」
「きゅ!」
俺が声をかけると、はむまるの全身が淡い光に包まれた。
「ええ!?」
ブラウスが驚いた声を上げる。
「はむまるって光るんですか!?」
「光る食べ物をたくさん食べたからな! 頬袋に入ってる分が全部なくなれば光らなくなるけど、当分は大丈夫だ」
「そんな使い方までできるんですね……!」
「きゅい!」
褒められて嬉しいのか、はむまるの光が少しだけ強くなった気がした。
そのまま下へ下へと進んでいく。
だが、どれくらい経った頃だろう。
俺はふと妙なことに気づいた。
「あれ……?」
「どうしました?」
「重力が……」
最初は、急な傾斜に沿って落ちないよう進んでいた。
ところが今は違う。
俺たちは普通に、はむまるの背中の上で立ったり座ったりできている。
進行方向そのものは確実に地下へ向かっているはずなのに、感覚としては平坦な道を進んでいるようだった。
「重力もおかしくなっているのでしょうか」
アールシが周囲を見る。
「てか、先が全然見えないぞ。これ、どこまで下に行けるんだ?」
「私は割と長旅になる可能性を感じています」
「そ、そうなのか!?」
「恐らく、この先は星の中心近くまで向かっているでしょう。仮に外殻近くまで続いているとしても、この星の規模なら数千キロ……およそ四千キロほどは覚悟した方がいいかもしれません」
「四千!?」
「本来なら落下して進めれば早かったのですが、重力そのものが乱れている以上、無理に飛び降りる方が危険です」
「まぁ、とはいえ数日で着くだろ。はむまるは結構速いからな!」
「きゅい!」
「本人もやる気ですね」
そのまま進み続けると、地表から引き込まれた木々や大岩は少しずつ減り、代わりに土や岩盤の層が目立つようになってきた。
さらにその先。
「おお……」
景色が一変した。
巨大な水晶。
紫色に輝くアメジスト。
青、緑、金、赤。
見たことのない巨大な鉱物結晶が、洞窟一帯を埋め尽くしている。
「綺麗ですね……!」
ブラウスが思わず声を漏らす。
「なんの鉱石だろうな。知らないやつも多いぞ」
いくつかの鉱石は自ら強い光を放っており、そのおかげで周囲は思った以上に明るかった。
俺はその一つをじっと見る。
「……番重が光れば便利だよな」
「嫌な予感しかしませんけど」
「味覚が開花してからは、正直食えないものなんてほとんどないしな」
「やっぱり食べるんですね」
俺は淡く黄色に光っている鉱石へ近づき、表面を軽く舐めた。
「おお……塩味と酸味が同時に来る感じだな」
「食材判定、出ていますね」
アールシが鑑定機器を見る。
「《酸晶石》。鉱物系調味食材です」
「やっぱり食えるじゃん!」
「アマジン、それ食べるなら調理しますよ?」
「おお、それはありがたい!」
ブラウスは周囲を見回したあと、少し考えるように言った。
「でも鉱石だけというのも味気ないですね。せっかくですし、ここで休憩がてらご飯にしましょう」
「賛成!!」
俺は即答する。
「なら、ちょっと周辺を探索してみる。何かいるかもしれないしな」
「分かりました。僕はここで準備しておきます」
俺ははむまると一緒に鉱石地帯を歩き回った。
生命の気配そのものは地表より薄い。
それでも完全に何もいないわけではないらしく、岩陰や結晶の隙間には小さな生物の痕跡があった。
そして、ひときわ大きな水晶の裏へ回った時だった。
「これは……!」
赤い宝石が動いた。
いや、違う。
カニだ。
甲羅全体が深い赤色の宝石のように輝いている。
「ルビークラブか!?」
原作で見たことがある。
だが、その横から黄色いカニ。
さらに青。
緑。
紫。
「いろんな色がいるじゃん! 全部捕まえるぞ……!」
「きゅい!」
鑑定キットによれば、宝石の甲羅を持つルビークラブと、その近縁種をまとめて《ジュエリークラブ》と呼ぶらしい。
赤いルビークラブ。
黄色のトパーズクラブ。
青いサファイアクラブ。
ほかにも、エメラルドやアメジストのような色合いを持つ個体がいる。
俺とはむまるは、それらを大量に捕獲してブラウスの元へ戻った。
「おお、いいですね!」
「いろんなカニがいたぞ!」
「美しい彩りですね。これは料理しがいがあります」
ブラウスはすぐに調理を始めた。
まず大鍋へ水を入れる。
「この水は向こうで湧き出ていました。鑑定によると《宝鉱水》というそうです」
鉱物層を長い年月かけて通り抜けた水らしく、ほんのりと甘い香りがある。
そこへ少量の塩を振り、昆布に似た海藻を入れて出汁を取る。
「これはルビークラブのカニしゃぶ用です」
「もううまそうだな……」
次にブラウスは黄色いトパーズクラブへ包丁を入れ、バナナの葉に似た大きな葉で包んで蒸し器へ入れた。
青いサファイアクラブは大胆にそのまま焼いていく。
同じジュエリークラブでも、種類によって最も美味しくなる調理法が違うらしい。
「しかし……地球を出たっていうのに、すでに名前のある食材ばっかりだな」
「そうですね。宇宙食材鑑定キットは本当に優秀です」
ブラウスはカニを焼きながら笑う。
「とりあえず、これに登録されてない未知の食材も見つけたいな」
「いずれ見つかるでしょう。まだ宇宙へ出たばかりですから」
「それもそうか!」
調理が進み、やがて食卓には色とりどりのカニ料理が並んだ。
「う、うまそう……!」
「きゅい!」
まずはルビークラブのしゃぶしゃぶ。
見た目だけなら、殻は宝石そのものだ。
噛めば歯が折れそうに見える。
だが、ブラウスが手を入れた殻はキャンディーのように軽く割れ、その中からぎっしり詰まった身が姿を現した。
俺はその身を箸で取り、宝鉱水の出汁へさっとくぐらせる。
「いただきます!」
口へ入れた瞬間、思わず声が漏れた。
「うま……!」
身の繊維一本一本が驚くほど細いのに、それがぎっしりと集まっている。出汁が隙間までしっかり絡み、噛むたびに濃厚な蟹の甘みが広がった。
ただ甘いだけではない。
旨味が重い。
舌に残る。
「アマジン、この光る石も使えますよ」
ブラウスが小皿を差し出した。
「酸晶石か?」
「はい。砕いて粉末にしました」
淡く光る粉へ蟹の身をつけて食べる。
「おお!」
酸味が一気に加わった。
「まるで酢につけたみたいだな! めちゃくちゃ合うぞ……!」
濃厚な蟹の甘みが酸味で引き締まり、次の一口がすぐ欲しくなる。
続いて、トパーズクラブ。
ブラウスが葉を開くと、白い蒸気が一気に立ち上った。
中には、ふっくらと蒸し上がった黄色い蟹。
甲羅を外すと、中の身は繊維がほどけ、見るからに柔らかそうになっている。
「なるほど……こうなるから、先に包丁を入れてから蒸したのか」
「その通りです。アマジンも分かってきましたね!」
「じゃあ食う!」
「そこからが早いですね」
身を一口。
「……なんだこれ」
ふわふわだ。
綿あめのように軽い。
だが味は薄くない。
噛むたびに蟹汁がじわじわと染み出し、口の中へ甘みと旨味が広がっていく。
「うますぎるだろ……」
飲み込むのがもったいない。
するめのように、噛めば噛むほど味が続く。
「ずっと噛んでたいぞ、これ」
「きゅい!」
はむまるも同意するように、頬袋いっぱいに詰め込んでいる。
最後はサファイアクラブの焼きガニ。
火を通した青い甲羅は、焼く前よりさらに鮮やかな光を放っていた。
「サファイアクラブは殻ごと食べられますよ」
「マジかよ!」
言われた通り、そのままかぶりつく。
パリッ。
「おお!」
殻は薄い煎餅のような食感に変わっていた。
パリパリとした殻の中から、熱々で柔らかい蟹の身が溢れてくる。
「面白い食感だな!」
香ばしい殻。
柔らかな身。
噛むたびに二つの食感が混ざり合う。
「これも当たりだ!」
「良かったです」
ブラウスも満足そうに笑い、アールシも静かに料理を口へ運んでいる。
地上では生命の音すら感じなかったレコル星。
その奥深く。
星の内部へ続く奇妙な穴の中でも、こうして食べられるものは存在している。
「やっぱり来てよかったな」
「まだ何も解決してませんけどね」
「腹が満たされれば考えやすくなるだろ!」
「それは否定しません」
「きゅい!」
俺たちはしばらくの間、光り輝く鉱石に囲まれながら、色とりどりのジュエリークラブを楽しんだ。
この先に何が待っているのかは分からない。
だが、星のエネルギーが流れていく方向は変わっていない。
食事を終えれば、またさらに深くへ進む。
レコル星の中心へ。
この星から、すべてを吸い続けている何かの元へ。
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