レコル星の内部へ潜り始めてから、すでにかなりの距離を進んでいた。
鉱石地帯を抜けると周囲の景色は再び大きく変化し、気温も急激に上がっていく。今では周囲の温度は九百度近くまで達しており、岩石の一部は固体の形を保てず、水飴のようにゆっくりと流動していた。
「……暑くなってきたな」
実際には、暑いという言葉では済まない。
俺たちは全員、グルメウェアで全身を覆っている。顔の部分まで完全に閉じた状態で、はむまるにも同じように食欲の膜を纏わせていた。
「上部マントルくらいでこの温度……さすがに、この辺りが限界だな」
「ですね……」
ブラウスが周囲を確認しながら答える。
アールシは流れ続ける岩石を見つめながら、少し考えるように口を開いた。
「本来であれば、こんなところまで来ること自体が難しいでしょう。溶けた岩石で隙間なく満たされているはずですから」
「でも、実際は道がある」
「ええ。何かが吸い込み続けていることで、無理矢理流れが作られているように見えます。それに、先ほどより速度もかなり上がっています」
俺は足元を見る。地面そのものが、ゆっくりと前方へ流れている。
「つまり、吸い込んでる正体がもうすぐそこってことか」
「そうなります。気を引き締めていきましょう」
「ああ」
今、俺たちが乗っている場所自体が巨大な渦の中なのだろう。星の表面から草原を吸い、木々を吸い、岩を吸い、さらに星そのもののエネルギーまで引き込み続けている。
このまま流れに乗って正体を確認し、危険ならすぐに離脱する。
そう考えながら進んでいると、周囲の岩石の海に変化が起きた。
「……ん?」
濁っていた溶岩のような流れが少しずつ透明になり、水ではないはずの岩石がガラスのように澄み始めている。しかも流れはさらに速くなり、俺たちを前方へ引き込む力も強くなっていた。
「なんだこれ……どういう状態だ?」
「アマジン! このままだとまずい気がします!」
「ああ、俺もそう思う」
流れの先はもう見えないが、渦の外側、少し上の方にわずかな光が見える。
「渦の外に光がある。飛び出すぞ!」
「きゅ!」
「はむまる!」
俺は巨大化したはむまるの後方へ、大きな番重を一枚出現させた。
番重は出した瞬間だけ、その場へ強く固定される。そこへ足を乗せ、力いっぱい蹴り上げた。
「しっかり掴まってろよ!」
番重を足場にした反動で、はむまるごと俺たちの体が渦から飛び出す。
バシャアアアッ!!
透明な岩石の流れを突き破った次の瞬間、俺たちは異様なほど広い空間へ放り出された。
天井までの距離も分からない。
地下深くとは思えないほど巨大な空洞。
その中央には、巨大な白い何かが立っていた。
「……嘘だろ」
ゴーレムのような姿。
白い巨体。
その頭上では巨大な渦が回転し、上方から流れ込んできた岩石やエネルギーを絶え間なく吸収している。
「ホワイトディメンション……!?」
知識の海で見たものと同じだった。
「こんなところで、こいつに……!」
思わず身構える。
右腕を失った時の感覚が蘇ったが、よく見ると様子がおかしい。
「……待ってください」
ブラウスが声を潜める。
「動く気配がありません。それに……」
俺も改めて見る。
「パンパンに膨れ上がってるな」
知識の海で見た個体より遥かに大きい。白い霧もほとんどなく、輪郭は完全に実体化している。
アールシがその姿を確認しながら頷いた。
「ええ。これはすでに、攻撃を吸収し続けた後の状態に似ています」
「なら、とどめの一撃を入れれば倒せるってことか……!」
「ですが、アマジン。恐らく饗力を使わないと……」
「分かってる」
俺はホワイトディメンションを見据えたまま答えた。
「正直、戦いながら練るのはまだうまくできない。でも、相手が待ってくれるなら話は別だ」
その言葉に反応するように、精神の奥からグリドの声が響いた。
『せやけどアマジン! たらふく飯食ってから、もう結構時間経ってるで! どうやって合わせていくんや!』
今まで饗力に成功したのは、精神食卓で大量の料理を食べた直後ばかりだった。
食卓に飯が多く残っている状態で、俺とグリドが同じ料理を見る。同じものを食いたいと思い、そこへ意識を集中して二つの食欲を無理矢理一つへ近づける。
そうやって、なんとか饗力を練り上げてきた。
だが今、精神食卓に鮮明に残っているのは先ほど食べたジュエリークラブくらいで、それ以前の料理はすでに輪郭がぼやけている。
『どうすんねん?』
「グリド。俺、大事なこと忘れてたんだ」
『大事なこと?』
「トリコの戦いを見て、思い出した」
俺は目を閉じる。
食卓には、肉、魚、野菜、スープ、果物、菓子と、いくつもの料理が並んでいる。
どれから食うかは人それぞれだ。
「たくさん飯が並んでたら、どれを最初に食いたいかなんて人によって違う。俺たちは、そこを無理矢理合わせようとしてた」
『……せやな』
「だから並べる飯を減らした。同じ一皿だけを見るようにして、お互いの意識を合わせてた」
それでも難しかった。俺が肉を見ても、グリドがその横の魚に意識を取られることもあれば、同じ料理を見ていても食いたい場所が違うこともある。
「でも、絶対に合う場所があったんだ」
『……なんや?』
俺は静かに両手を合わせた。
「どんな飯が並んでても、食べる前に必ずやることがある」
何を最初に食べるかなんて関係ない。
どんな味を期待しているかも関係ない。
目の前に並んだ食材を食べたい。命をいただく。
その瞬間だけは、食卓についた者の意識が同じ場所を向いている。
精神食卓の中で、グリドがはっとした。
『……せやな、アマジン』
グリドも手を合わせる。
『その思いだけは、何人たりとも同じや』
「合わせるなら、もっと前だったんだ」
俺は目を開いた。
「――全ての食材に感謝を込めて、いただきます」
その瞬間、全身を何かが駆け抜けた。
俺の食欲と、グリドの食欲。
二つが混ざる。
今までのように、無理に形を寄せる感覚ではない。最初から一つだったかのように重なっていく。
今までとは比べものにならなかった。
『来たで、アマジン!!』
「ああ!」
黒い食欲が噴き上がる。
「グルメウェア――幻威!」
全身をグリドの威が包み込み、体が巨大化していく。
しかし今回は、そこで終わらない。
二つの食欲が完全に重なった地点から、さらに別の力が溢れ出した。
「饗力――ユナイト!!」
黒いグルメウェアが俺の体へ沈み込む。
俺の体は五メートルを超える大きさまで膨れ上がり、肌も装甲も境目が分からないほど全身が黒く染まっていく。
グルメウェアを着ているんじゃない。
俺自身が、幻威になっている。
「な……動けない……!」
後方でブラウスが声を漏らした。
アールシも、はむまるも硬直している。
俺が放っている食欲の圧力だけで、体が動かなくなっているらしい。
「悪い! ちょっとだけ我慢してくれ!」
右腕を構える。
巨大な拳を引き、同時にホワイトディメンションの背後へ何枚もの黒い番重を展開した。
一枚、十枚、百枚と重なった番重が、巨大な黒い壁を作る。
「逃げ場はねえぞ」
ホワイトディメンションは動かない。
「番重プレス――パンチ!!」
全力で踏み込み、拳を叩き込んだ。
ドォォォォォン!!
正面から巨大な拳。
背後から無数の番重。
その間に挟まれたホワイトディメンションの巨体が一瞬だけ歪み、次の瞬間には粉々に砕け散った。
「……!」
白い破片が宙へ舞う。
その光景を見た瞬間、俺は妙な感覚を覚えた。
知識の海で、トリコは言っていた。
――こいつは猛獣じゃねえな。
俺もそう思った。
だから、悪魔に支配された種族なのか、誰かに作られた機械のような存在なのか、そんなふうに考えていた。
でも違う。
今、直接壊したから分かった。
「これ……生き物じゃないどころじゃねえ」
『そう』
精神の中で、ミルカが呟いた。
『最初から、生き物じゃない』
「これって……食欲エネルギーで作られた、ただの技……?」
『うん』
ミルカが短く答える。
俺は砕けていく白い粒子を見ながら顔をしかめた。
「つまり、俺の番重とかと同じってことかよ。ホワイトディメンション自体が」
『そう』
「……考えたくもねえな」
こんなものを、技として作る存在。
星の奥深くに置き、何百年、何千年とエネルギーを吸わせ続ける存在。
その本体が、どこか別の場所にいる。
「アマジン! 渦が止まりました!」
ブラウスの声で意識を戻された。
「なに?」
見上げる。
ホワイトディメンションの頭上で回転し続けていた巨大な渦が、完全に停止していた。
しかも崩れ落ちることなく、そのまま固まっている。
「……なんだ、あれ」
渦の一番下。
尖った先端から、水滴が落ちていた。
ぽたり。
非常にゆっくりと落ちる透明な雫。
しかし、よく見ると水滴の表面から無数の文字のような模様が浮かび上がり、消えていく。
食材の名前。
誰かの記録。
見たことのない文字。
景色。
そんなものが、一瞬ずつ流れているように見えた。
アールシはその雫を見た瞬間、目を見開いた。
「アマジン!!」
「うおっ! アールシ急にどうした!?」
「これ! これですよ!!」
「何が!?」
「この雫です!」
アールシの声が震えている。
「宇宙のフルコースのスープ――《メモリア》です!!」
「なにぃ!!」
俺は反射的に叫んだ。
「ブラウス! なんか下に容器!」
「置きました!」
「さすがだ!」
すでに巨大な鍋が設置されている。
仕事が早すぎる。
ブラウスは上を見ながら渦の先端を観察した。
「先端をもう少し削れば、もっと勢いよく出てくると思います」
「やってくれ!」
ブラウスが包丁で固まった渦の先をほんの少し削ると、蛇口を軽く開いた程度の勢いで透明なスープが流れ始めた。
鍋へ落ちた瞬間、その匂いが広がる。
「……なんだこれ」
濃厚。
芳醇。
香ばしい。
そんな言葉では表せない。
「匂いがさ……なんていうんだ? 鼻で嗅いでる感じじゃない」
頭の中に、直接何かが流れ込んでくる。
知らない料理なのに懐かしい。
食べたことがないのに味を知っている。
そんな感覚だった。
「脳に情報が直接入ってくるみたいだ……」
「ええ」
アールシが静かに頷く。
「メモリアは、忘れた味を思い出させるスープとも言われています」
「忘れた味を……」
「伝承では、一滴飲めば人類の知識を理解し、一口飲めば星を理解する。そして一杯飲めば宇宙を理解する、と」
「すごいな……!」
「もちろん比喩も含まれているとは思いますが、それほど膨大な情報を味として持つ食材なのでしょう」
「適温に温めました!」
ブラウスが器を並べる。
「早速飲もうぜ!」
「きゅい!」
俺たちは手を合わせた。
「いただきます!」
スプーンですくった透明なスープを、口へ運ぶ。
「――!!」
味が広がった。
いや、広がったなんてもんじゃない。
何千、何万、何億もの味、匂い、景色、声、知らない人間の食卓、知らない星の料理、初めて食べたもの、忘れていたもの、母さんの料理、ブラウスの料理、前世、今世。
全部が一気に押し寄せてくる。
「は……え……なんだ……?」
処理が追いつかない。
そう思ったところで、意識が途切れた。
・・・
・・
・
「……はっ!」
目を開ける。
目の前の器は空になっていたが、大鍋にはさらにメモリアが溜まっている。
「どうなった?」
アールシがこちらを見る。
「どうやら、情報量が多すぎて脳の処理が停止していたようですね」
「どれくらい?」
「数時間ほど」
「えええ!? 一口でこれか!?」
ブラウスも自分の器を見ながら苦笑する。
「ちょっと飲むのが怖いですね……!」
「でも、今になって徐々に理解してる感じがする」
俺は口の中を確かめる。
もうスープは残っていない。
それなのに。
「もう口にはないのに……めちゃくちゃ美味しい」
「僕もです。後から味が追いついてきています」
「なんとも不思議だな」
俺は思わず笑った。
「これから、こういう食材も増えるかもしれねーな!」
「こういう?」
「俺たちの方が、味に追いつけない食材だよ!」
ブラウスも笑う。
「ええ。楽しみですね」
俺は再びスープを口へ運び、そのたびに一時間から数時間ほど意識を止めることになった。
結局、宇宙のフルコースのスープを飲み切るまでには、数日を要した。
・・・
・・
・
・
――遠い宇宙。
場所すら分からない、白い空間。
そこには果てが見えないほど長い、純白の食卓があった。
その前に、一人の存在が座っている。
人の形をしており、白い長髪と美しい顔立ちを持っているが、男とも女とも断言できない。
背後では白い翼のようなものが静かに揺れ、頭上には円卓を思わせる白い輪が浮かんでいた。
その前には何百、何千という数え切れないほどの白い皿が並んでいる。
その中の一枚が、パキンと音を立てて割れた。
白い存在はゆっくりと顔を上げる。
「……一つ、消えた」
しばらく皿を見つめていたが、何かに気づいたように視線を遠くへ向ける。
「近くで……懐かしい匂いがする」
白い瞳が、わずかに細くなった。
「マザーグリード……まだ残っていたのか」
・・・
・・
・
・
・
精神食卓では、グリドが上機嫌でメモリアを飲んでいた。
『いやぁ、凄かったでアマジン! さっきのユナイト!』
「だろ?」
『あれなら今までよりずっと安定するで! いただきますの瞬間に合わせるんは盲点やったわ!』
ミルカも器を両手で持ちながら頷いている。
『あれなら、ミルカも合わせに行けそう』
「だよな! グリドだけじゃなく、ミルカともやってみようぜ!」
『うん』
「マザーも――」
そこで俺は、マザーグリードだけがスープに手をつけていないことに気づいた。
いつものように偉そうに座っているわけでもなく、小さな体を抱くようにして震えている。
「おい、どうしたんだよ?」
返事はない。
俺はメモリアの入った器を持ち上げる。
「お前も飲んでみろって。気に入るかもしれないぞ! 宇宙食材!」
マザーグリードは俯いたまま動かなかったが、しばらくして掠れた声を漏らした。
『……気づかれたのじゃ』
「え?」
グリドもミルカも、マザーへ視線を向ける。
「誰に?」
マザーグリードはゆっくり顔を上げた。
その表情には、俺がこれまで一度も見たことのないものが浮かんでいる。
恐怖。
『白卓の天使――ハクシア』
そして、マザーグリードは震える声で続けた。
『わが主だった悪魔に』
いつも見ていただきありがとうございます!
スピンオフと言って良いのか……
「千年後の再生屋」という、
千年後の再生屋にフォーカスした話も作り始めました!
こちらもよかったら見てください!
よろしくお願いします!