千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

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第2章 二つ目の一皿・ペア
間話 グルメインフレーション


 グルメインフレーション。

 それは、グルメビッグバンによる食欲の誕生以来、うまみが常に膨張し続けている現象を指す。

 

 食欲は止まらない。

 

 味は止まらない。

 

 生物は食い、食われ、進化し、より強く、より旨くなる。

 その流れは地球上でも確認されており、特にグルメ界の野生生物たちは、現在もなお変化を続けている。

 

 昨日より強く。

 

 去年より旨く。

 

 百年前より危険に。

 千年前より深い味へ。

 

 これがグルメインフレーションである。

 この現象を理解していない者は、しばしば過去の記録をそのまま現在に当てはめようとする。

 

 たとえば、かつて捕獲レベル一とされた猛獣。

 

 あるいは、百年前に低危険度と分類された食材。

 

 それらが、現在でも同じ強さであるとは限らない。

 昔から存在する、同じ名前の猛獣でも、強さは以前と比べ物にならなくなっている可能性がある。

 

 種としての名前は同じ。

 

 姿も似ている。

 

 だが、味も、生命力も、危険度も、確実に変化している。

 それがグルメ界の常識だ。

 ゆえに、捕獲レベルは定期的に見直される。

 

 現地調査。

 

 生態観測。

 

 捕獲記録。

 

 食材としての希少性。

 

 戦闘能力。

 

 繁殖状況。

 

 流通量。

 さらに、外宇宙から流入した食材や生物との比較。

 それらをもとに、捕獲レベルは更新され、食材鑑定キットへ反映される。

 

 若い美食屋候補の中には、食材鑑定キットの数字を絶対だと思い込む者がいる。

 

 それは間違いだ。

 

 鑑定キットは便利な道具である。

 だが、表示される数字は過去の観測結果に基づく目安にすぎない。

 

 目の前の個体が、その数値通りとは限らない。

 

 同じ捕獲レベルでも、飢えている個体、繁殖期の個体、外宇宙食材を摂取した個体、特殊な環境に適応した個体では危険度が変わる。

 数字を信じるな、とは言わない。

 だが、数字だけを信じる者は、いずれ食われる。

 

 食材鑑定キットは、目の代わりではない。

 判断の補助である。

 

 美食屋を目指す者は、必ず自分の目で見ろ。

 

 自分の鼻で嗅げ。

 

 自分の細胞で感じろ。

 

 現在、地球のフルコースの一つであるゴッドは、捕獲レベル100・Dと表記されている。

 かつて成体の捕獲レベルは一万とされた食材だ。

 

 この数字だけを見て、ゴッドが弱くなったと考える者がいる。

 それも間違いだ。

 ゴッドがDにいるのは、昔からではない。

 

 地球外から来た生物。

 

 宇宙開拓期以降に確認された怪物。

 

 グルメインフレーションによって成長し続ける八王。

 

 その他、グルメ界の猛獣たち。

 

 それらが、相対的にゴッドのランクを後退させていったのである。

 ゴッドは今なお、地球最高峰の食材の一つだ。

 

 その価値は揺るがない。

 

 だが、地球内の基準だけで頂点を語れる時代は終わった。

 

 宇宙が開かれた以上、比較対象は地球だけではない。

 

 外宇宙には、ゴッドを凌ぐ生命力を持つ生物がいる。

 

 星そのものを食卓にする種族がいる。

 

 空間を飲み込む存在がいる。

 

 味という概念すら異なる食材がある。

 

 その中で、捕獲レベルは常に再定義され続ける。

 ただし、ここで一つ重要な点がある。

 

 地球のフルコースの成長は、すでにほぼ終えている。

 

 ゴッドを含め、地球のフルコースはこれ以上大きく強さを上げることはないと考えられている。

 理由はいくつかある。

 

 第一に、地球のフルコースは星の成熟と深く結びついている。

 

 それらは単なる生物や食材ではなく、地球という星そのものの味の結晶である。

 

 地球が一定の成熟を終えた以上、その味もまた一つの完成点に達している。

 

 第二に、現在では地球のフルコースの多くが厳重に管理されている。

 

 特別管理ビオトープ。

 

 人工飼育。

 

 保護区域。

 

 環境制御。

 

 これらにより、食材としての安定性は増した。

 だが、野生の極限環境で際限なく進化し続ける状態ではなくなった。

 管理は味を守る。

 同時に、暴走的な成長を抑える。

 それは必要なことでもあり、避けられないことでもある。

 

 第三に、地球のフルコースは現在、人類の食文化の根幹として扱われている。

 

 無秩序な進化や変異を許せば、食材としての価値だけでなく、地球環境そのものへ影響が出る。

 ゆえに、地球のフルコースは守られている。

 育てられている。

 同時に、制御されている。

 

 ここに、現代の美食屋が向き合うべき矛盾がある。

 かつてのグルメ時代は、未知への時代だった。

 命を懸けて食材を探し、食材と戦い、味を切り開いた。

 

 現代は違う。

 

 多くの食材が管理され、流通し、誰もが美味を享受できる。

 それは素晴らしい進歩だ。

 

 飢えは減った。

 

 病は減った。

 

 人間は強くなった。

 

 だが、グルメインフレーションは止まっていない。

 人間の社会が安定を選んでも、グルメ界の奥地では生物が進化し続けている。

 宇宙では、さらに未知の味が膨張し続けている。

 食欲は、人間の都合など待ってはくれない。

 

 かつて、人間はこの波に大半の者がついていけなかった。

 

 グルメ界の環境。

 猛獣の進化。

 食材の危険性。

 

 それらに人間の肉体は耐えられなかった。

 ごく一部の才能ある者、鍛え抜いた者、食運を持つ者だけが、時代の先へ進むことを許された。

 だが、それはグルメ細胞を持つことで解消された。

 

 生まれた時からグルメ細胞ワクチンを接種し、環境適応力を得る。

 食べることで細胞を育てる。

 美味いものを食えば食うほど、体は進化する。

 

 現代の人間は、かつてよりはるかにグルメインフレーションの波に乗りやすくなった。

 しかし、勘違いしてはならない。

 グルメ細胞を持っているだけでは意味がない。

 

 細胞は可能性だ。

 

 才能ではない。

 

 器であり、道具であり、種である。

 

 水を与えなければ芽は出ない。

 

 陽に当てなければ育たない。

 

 土が悪ければ腐る。

 

 同じように、グルメ細胞も鍛えなければ眠ったままだ。

 

 常に鍛錬しろ。

 

 常に旨いものを食え。

 

 常に食材と向き合え。

 

 常に自分の食欲を疑え。

 

 何を食べたいのか。

 

 なぜ食べたいのか。

 

 その味をどう受け止めるのか。

 

 その答えを持たない者は、どれほど強いグルメ細胞を持っていても、いずれ食欲に飲まれる。

 美食屋を目指すのであれば、常に鍛錬し続けろ。

 

 グルメインフレーションの波に乗れ。

 

 それが最低条件だ。

 

 波に乗れぬ者は、いずれ後ろへ流される。

 

 味の進化から取り残される。

 

 そして、取り残された者は、自分より新しい味を持つ何かに食われるだろう。

 

 これは脅しではない。

 グルメ時代の摂理である。

 

 美食屋とは、ただ食材を捕る者ではない。

 

 美味いものを食べ歩く者でもない。

 

 膨張し続ける味の宇宙に、自らの食欲で挑む者だ。

 

 地球の上で満足するな。

 

 過去の伝説に甘えるな。

 

 食歴に胡坐をかくな。

 

 今日食べた味を、明日の自分に刻め。

 

 明日食べる味で、今日の自分を超えろ。

 

 そうして初めて、美食屋はグルメインフレーションの波に立つことができる。

 

 ――『美食屋を目指す者たちへ』

 著:メリスタ

 

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