千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

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グリドの話

「わいはな。約九百年前に地球を侵攻したグリーントロルの生き残りや」

 

「やっぱり悪いやつか!」

 

 俺は即座に立ち上がった。

 手元の茶器を置き、グルメスモックを発動しかける。

 だが、グリドは慌てて両手を振った。

 

「いや、話は聞け最後まで!」

 

「侵攻したって自分で言っただろ!」

 

「言った! 言ったけど、そこだけ切り取ったらあかんやろ!」

 

 グリドは大きな体を小さく見せるように、石の椅子に座り直した。

 俺は警戒したまま、再び座る。

 

「分かった。聞く。でも変な動きしたら番重落とすからな」

 

「番重? なんやそれ。まあええわ」

 

 グリドはサンドリコ茶を一口飲み、ふうと息を吐いた。

 

「めちゃくちゃ簡単に言うとな。わいらの種族は、一つの悪魔に食われたんや」

 

「は……?」

 

 思わず間の抜けた声が出た。

 一つの悪魔に食われた。

 

 種族が。

 

 意味が分からない。

 

 いや、意味が分かりそうで分からない。

 グリーントロルはグルメ細胞の悪魔そのものではないのか。

 エアビオトープで出会ったあの個体も、悪魔そのもののような圧を持っていた。

 だが、グリドの言い方だと違う。

 もともと別の種族がいて、それを悪魔が食ったということになる。

 

「気になるやろ?」

 

「気になるに決まってるだろ」

 

「でもそこ掘り下げたら話が進まん」

 

「掘り下げろよ!」

 

「後でな。とにかく、わいは結果的にその悪魔の呪縛から逃れられた。超つよいやつと戦ったおかげやな」

 

「超つよいやつ……?」

 

 俺は身を乗り出した。

 グリドは少し遠い目をした。

 九百年前を思い出しているのだろうか。

 セーフゾーンの中は静かだ。

 外の零山脈も静かだが、ここには茶の香りと、グリドの低い声がある。

 

「せや。わいはこう見えても、グリーントロルを束ねる総長やってん」

 

「総長!?」

 

「驚くとこそこか?」

 

「いや、だいぶ驚くだろ!」

 

 俺は目の前のグリーントロルを見た。

 確かに体は大きい。

 圧もある。

 だが、関西弁で茶を淹れてくれる総長。

 情報が渋滞している。

 

「わいらは地球のあちこちに部隊を送った。わいが任されたんは、ゴッドがいた場所や。大部隊で攻めたわ」

 

 グリドの目が少し鋭くなる。

 

「正直、地球の制圧は目前やった。地球の生き物は確かに強かった。人間も、八王も、色々おった。でも、わいらも強かった。悪魔に食われた代わりに、とんでもない力を与えられとったからな」

 

「……」

 

「せやけどな」

 

 グリドは声を低くした。

 

「……あいつが現れるまではな」

 

 俺は自然と息を呑んだ。

 あいつ。

 超つよいやつ。

 九百年前に地球へ現れ、グリーントロルの総長だったグリドを叩き飛ばした存在。

 胸の奥がざわつく。

 

「その時な、わいらはゴッドの跡地を制圧しとった。部下どもは騒いどるし、わいも勝った気でおった。そしたら突然、空間が開いたんや」

 

「空間?」

 

「ワープロードや」

 

 グリドは指で空中に線を引いた。

 

「この場所も変わらないな」

 

 グリドは低く、誰かの声を真似るように言った。

 

「そんなこと言って、急にワープロードでそいつは現れた」

 

「ワープロード……」

 

「あ、ワープロードってのは裏の世界の道や。長距離を短時間で移動できる」

 

「知ってる。いや、詳しくは知らないけど」

 

 裏の世界。

 ペアを飲むことで触れる準備ができるとされる世界。

 食霊たちがいる世界。

 そこを通る道。

 

 ワープロード。

 

 つまり、その人物は裏の世界を利用して地球へ戻ってきたということになる。

 俺の心臓が大きく跳ねた。

 

「そいつを見た瞬間、鳥肌が立った」

 

 グリドは自分の腕をさすった。

 

「体中の細胞が叫んどった。逃げろってな。けど、逃げられんかった。次の瞬間、わいらは料理され、食われるイメージを見た」

 

「イメージ?」

 

「せや。あいつが包丁を握ったわけでもない。火を起こしたわけでもない。ただ、見られただけや」

 

 グリドの声に、わずかに震えが混じった。

 

「見られただけで、わいらの半数がやられた」

 

「……」

 

 俺は言葉を失った。

 料理され、食われるイメージ。

 それだけで半数が倒れる。

 

 食欲の圧。

 

 いや、食材として認識された恐怖か。

 美食屋としての格が違いすぎる。

 

「その後は、もう一方的や。まるで次元を斬るような斬撃が飛んできてな。あっという間に、わいだけになった」

 

「次元を斬るような斬撃……」

 

「わいらが用意していた特製のまな板も、一撃で粉々や」

 

「まな板?」

 

「地球の食材を処理するための戦略級調理台や。まあ、それも意味なかったけどな」

 

 グリドは苦笑した。

 

「地球に、こんな化け物がおるなんて思ってなかった。それでも、一矢報いたろう思ったんや。総長やったしな。部下も全部やられた。ここで退いたら、何のために来たか分からん」

 

 グリドは拳を握った。

 

 巨大な拳。

 

 その拳が、当時はどれほどの力を持っていたのか。

 想像するだけで恐ろしい。

 だが、その相手はもっと恐ろしい存在だった。

 

「わいは全力で突っ込んだ。そしたら、そいつが構えた」

 

 グリドは目を細める。

 

「ほんでな」

 

 彼はゆっくりと言った。

 

「――パンチ!!!」

 

「パンチ?」

 

「よく聞き取れんかった。なんとかパンチや。とにかく、わいはその技で吹き飛ばされた」

 

「なんとかパンチって……!」

 

「しゃあないやろ! 吹き飛ばされとる最中に技名なんか聞き取れるか!」

 

 グリドがむっとする。

 

「わいはそのまま、零山脈の奥深くまで突き刺さった。岩を何十も何百もぶち抜いて、このセーフゾーンの近くまで飛ばされたんや。多分殺す気はなかったんやろな。でなきゃわいはこの世におらん」

 

 彼は自分の胸を叩いた。

 

「そんで、おもろいのはそっからや!!」

 

「いや、もう十分だよ! ありがとう!」

 

「なんでやねん! こっからわいの話やろが!」

 

 グリドが机を叩いた。

 茶器が少し跳ねる。

 だが俺の頭は、もう別のことでいっぱいだった。

 間違いない。

 絶対にそうだ。

 

 こいつの話す超つよいやつ。

 

 トリコに違いない。

 

 胸が高鳴る。

 

 ワープロードで突然現れた。

 地球の様子を見に来たような口ぶり。

 グリーントロルの大部隊を一瞬で料理されるイメージだけで崩し、次元を斬るような斬撃で切り裂いた。

 

 ナイフだ。

 

 次元を斬る斬撃。

 

 何それ。

 

 めちゃくちゃ見たい。

 

 そして、最後のパンチ。

 

 聞き取れなかったって、ちゃんと聞いとけよ!

 なんてパンチだったんだよ!

 釘パンチの進化系か?

 ジェットパンチの先か?

 無限釘パンチみたいなやつか?

 

 いや、もっと別次元の技になっている可能性もある。

 ワクワクが止まらない。

 トリコは宇宙へ旅立った後も、地球を助けに来ていたんだ。

 千年前の伝説ではなく、九百年前にも確かに地球にいた。

 

 地球を守った。

 

 俺の中で、トリコという存在がまた少し近づいた気がした。

 

「――でな、わいはそこで初めて、自分の頭の中が静かになっとることに気づいたんや」

 

「へえ……」

 

「それまでずっと、遠くから腹の音みたいなもんが聞こえとった。食え、進め、支配しろ、捧げろってな。それが消えた。体はボロボロやったけど、頭は初めて自分のもんになった気がした」

 

「なるほど……」

 

「お前、聞いてたか……?」

 

「え!? もちろん。大変だったんだね」

 

「だったちゃうわ! 今もなんも食われへんし、ほんま最悪やで!」

 

「え? なんで?」

 

「やっぱ聞いてへんやないか……」

 

 グリドは深いため息をついた。

 申し訳ないとは思う。

 だが、トリコらしき人物の話が衝撃的すぎて、その後の話がほとんど頭に入っていなかった。

 グリドは呆れた顔で俺を見る。

 

「ええか。わいはな、何も食えへんのや。ぎりいけるのはこのお茶だけ」

 

「何も?」

 

「せや。もう何百年と食事をしてへん」

 

 その言葉に、俺は固まった。

 何百年も食事をしていない。

 そんなことがあり得るのか。

 いや、目の前にいるグリーントロルは九百年前の生き残りだ。

 普通の生き物の常識では測れないのだろう。

 だが、それでも。

 

「なんで食べないんだよ」

 

「自分の中にいる悪魔の断片が復活するかもしれんからや」

 

 グリドは自分の胸に手を当てた。

 

「わいらの種族を食った悪魔。その断片が、まだわいの中に残っとる可能性がある。あいつに支配されとった時、わいらは自分の食欲を自分で持てへんかった。食えば食うほど、遠くの宇宙にいる本体へ繋がる。味も、力も、記憶も、全部吸われる」

 

「遠くの宇宙にいる本体……」

 

 俺はその言葉を繰り返した。

 意味が分かるようで、分からない。

 グルメ細胞の悪魔は、宿主の中にいるものだと思っていた。

 人間の中に潜み、食欲と共に育ち、いずれ宿主を食って復活しようとする存在。

 少なくとも、俺が知っている知識ではそうだった。

 

 だが、グリドの話は違う。

 

 一人に一体ではない。

 

 一つの悪魔が、種族ごと食っている。

 

 遠い宇宙にいる本体が、グリーントロルたちをまとめて支配している。

 想像するだけで、背筋が冷えた。

 

「そんなことが……あるのか?」

 

「あるんや。宇宙では、むしろそっちの方が珍しくないらしい」

 

「珍しくない……?」

 

「せや。わいらも、食われるまでは知らんかったけどな」

 

 グリドは苦々しく笑った。

 

「一つの悪魔が、種族を丸ごと支配する。星を丸ごと食卓にする。そこの生き物は、悪魔の力を分け与えられる代わりに、自分の食欲を失う。わいらは、そうなった」

 

 俺は何も言えなかった。

 グリーントロル。

 地球を襲った敵。

 

 人間を食い、フルコースを狙った侵略者。

 その認識は間違っていない。

 だが、目の前のグリドは、ただの加害者ではないのかもしれない。

 種族ごと悪魔に食われ、自分の食欲を奪われた存在。

 そんなもの、想像もできない。

 

「その悪魔には……名前があるのか?」

 

 俺が聞くと、グリドは一瞬だけ黙った。

 それから、露骨に嫌そうな顔をする。

 

「ある。けど、今は言わん」

 

「なんでだ?」

 

「名前っちゅうのはな、食欲の匂いや。特に悪魔の名は、下手に口にすると向こうに気づかれることがある」

 

「名前を呼ぶだけで?」

 

「可能性の話や。けど、わいは九百年もここに隠れとる。念には念を入れたい」

 

 グリドは茶器を両手で包み込むように持った。

 その大きな手が、わずかに震えているように見えた。

 

「わいの中に残っとる断片は、もう消滅しとる可能性もある。あの化け物みたいな人間に吹っ飛ばされて、支配の線は切れた。九百年もこのセーフゾーンで何も食わずにおったんや。普通なら残っとらんかもしれん」

 

「なら、確かめればいいんじゃないのか?」

 

「確かめるには、食うしかない」

 

 グリドは苦笑した。

 

「でも、食ってもし断片が生きていた場合……また正気を失う。遠い宇宙から支配されるんや」

 

「……」

 

 俺は言葉を失った。

 想像もできない話だ。

 食べることで、遠い宇宙の悪魔に繋がる。

 自分の食欲を奪われる。

 自分の意思を失う。

 グリドはそれが怖くて、何百年も食事をしていない。

 俺には耐えられない。

 食べられない。

 それは、死ぬよりつらいかもしれない。

 

 このグルメ時代で。

 

 うまいものにあふれた地球で。

 何百年も、何も食えない。

 俺はグリドを見る目が少し変わった。

 敵であるはずのグリーントロル。

 だが、目の前にいる彼は、食欲を奪われた被害者でもある。

 しばらく考えて、ふと思った。

 

「なんだか想像もできない話だ……でもさ」

 

「なんや」

 

「このセーフゾーンで食えば、情報は漏れないんじゃない?」

 

「……は?」

 

 グリドが固まった。

 

「いや、だってここ、グルメ細胞が興味を示さない場所なんだろ? 外からも見えないし、気配も遮断されてる。だから九百年も隠れていられたんだよな?」

 

「せや」

 

「なら、ここで食べれば、もし悪魔の断片が反応しても、遠い宇宙の本体までは届かないんじゃないか? 少なくとも、外で食うよりは安全じゃない?」

 

 グリドはしばらく黙った。

 目を見開いて俺を見ている。

 そして――。

 

「いや、お前……」

 

 グリドの巨大な口元が震えた。

 

「その通りや!! もっとはよ言わんかい!」

 

「結構早かったでしょ……」

 

「九百年やぞ! 九百年悩んどったんやぞ!」

 

「俺、会ってまだ一時間くらいだぞ」

 

「それでもや!」

 

 無茶苦茶だ。

 だが、グリドの表情は本当に明るくなっていた。

 何百年も閉じ込めていた食欲が、ようやく出口を見つけたような顔だった。

 

「食ってあかんかったら、ここから出なければええだけ! いい作戦や!」

 

「いや、もし暴走したら俺が危ないんだけど」

 

「大丈夫や! たぶん!」

 

「たぶんで済ませるな!」

 

「よっしゃ食うぞ! めし!」

 

 グリドは勢いよく立ち上がった。

 そして、奥にある小さなキッチンのような場所へ向かっていく。

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