裏の世界。
それは、地球のフルコースの一つであるニュースを食べた者が開眼するとされる極意である。
表の世界とは異なる、魂の世界。
時間と空間の流れが歪み、通常の物理法則がそのままでは通用しない場所。
かつて、裏の世界は限られた者だけが到達できる、極めて特殊な領域だと考えられていた。
ニュースを食べた者。
あるいは、食霊に導かれた者。
さらに、類まれなる食運を持つ者。
そうしたごく一部の存在だけが、裏の世界へ触れることができた。
その後、グルメ時代の発展と共に、裏の世界は少しずつ研究されていった。
中でも代表的な技術が、ワープキッチンとワープロードである。
ワープキッチン。
ニュースを食べることで人工的に作り出せる裏の世界。
主に調理のための技術であり、自身とその周囲を裏の世界で包み込む。
通常の裏の世界と比べて時空の歪みは弱く、時間も少しずつ経過していく。
そのため、生身でも入ることが可能である。
食材の劣化を遅らせる。
調理工程を安定させる。
外部からの干渉を遮る。
そして、通常空間では扱いきれない食材を処理する。
ワープキッチンは、料理人にとって極めて重要な技術として発展していった。
特に、宇宙食材の調理において、その価値は計り知れない。
宇宙食材の中には、時間の流れに敏感なものがある。
切った瞬間に数百年分熟成する肉。
火にかけた瞬間に過去の味へ戻ろうとする野菜。
見た目は果実でも、調理中だけ別の次元へ逃げようとする食材。
そうしたものを扱うには、通常の厨房では足りない。
食材に合わせた空間そのものが必要になる。
そこで生まれたのが、現代のワープキッチン技術である。
一方で、ワープロードは移動のための技術である。
これもまた、ニュースを食べることで人工的に作り出せる裏の世界の一種。
裏の世界を道のように展開し、そこを通ることで長距離を短時間で移動できる。
地上の道を進むのではない。
空を飛ぶのでもない。
表の世界の距離を、裏の世界から折りたたむようにして進む。
そのため、ワープロードを使いこなせる者は、通常では考えられない速度で移動できる。
大陸を越える。
海を越える。
危険地帯を回避する。
戦場へ即座に駆けつける。
かつて、この技術を完全に使いこなせる者ならば、宇宙を制することができるとさえ考えられていた。
裏の世界を道として扱えるなら、距離の壁は消える。
時間の壁も薄くなる。
星から星へ。
銀河から銀河へ。
ワープロードを繋げていけば、人類の宇宙開拓は一気に進む。
そう思われていた。
だが、現実はそう単純ではなかった。
本格的な宇宙開拓が始まった初期の段階で、ある事実が判明した。
魂の世界。
裏の世界と呼ばれる場所は、星ごとにまったく別の次元に存在している。
地球には、地球の裏の世界がある。
別の星には、その星の裏の世界がある。
それらは似ているようで、根本的には別物だった。
地球のニュースを食べ、地球の裏の世界へ触れられるようになったとしても、それだけで他の星の裏の世界へ自由に入れるわけではない。
星ごとにフルコースがある。
星ごとに味の記憶がある。
星ごとに魂の通り道がある。
地球の時と同じように、別の星でワープロードやワープキッチンを使用したいのであれば、その星のフルコースを食べなければならない。
つまり、地球のフルコースは、地球における鍵である。
万能の鍵ではない。
地球という星の扉を開くための鍵なのだ。
これは、人類の宇宙開拓において大きな壁となった。
宇宙食材は無数にある。
生命の星も存在する。
だが、星のフルコースを揃えることは極めて難しい。
まず、その星のフルコースが何であるかを知らなければならない。
次に、それらを全て見つけなければならない。
さらに、食べなければならない。
当然ながら、地球のフルコースと同じように、星のフルコースはその星の最深部に存在する食材であることが多い。
捕獲難度は高い。
調理難度も高い。
そもそも人類の体に適合するかどうかすら分からない。
その星のフルコースを全て食べるということは、その星の味を受け入れるということである。
それは、単なる食事ではない。
星そのものと向き合う行為だ。
もし、複数の星でフルコースを食べることができたならば。
その人物は、星と星を繋ぐことができると言われている。
地球の裏の世界。
別の星の裏の世界。
それぞれの魂の道を知る者は、それらを結び、ワープロードを星間規模へ拡張できる可能性がある。
ある星のワープキッチンで調理した食材を、別の星の食卓へ届ける。
ある星の戦場から、別の星の危機へ即座に駆けつける。
星のフルコースを複数食べた者は、宇宙における真の旅人となる。
そんな仮説がある。
だが、詳しいことは分かっていない。
なぜなら、まだ人類は他の星でフルコースを揃えた者がいないとされているからだ。
本格的に宇宙開拓が始まって、およそ七百年。
宇宙探査隊は幾度も星へ向かった。
宇宙食材を持ち帰った。
新たな航路を見つけた。
未知の猛獣と戦った。
グルメメモリに記された情報を頼りに、多くの食材を発見した。
だが、それでも。
人類はまだ、そのステージに立てていない。
他の星のフルコースを全て見つけ、食べ、星間ワープロードを確立する。
その境地には、まだ到達していない。
宇宙は広い。
味は深い。
地球のフルコースを食べ尽くした人類でさえ、宇宙の食卓においては、まだ席に着いたばかりなのかもしれない。
ただし、古い記録には奇妙な断片が残されている。
九百年前。
グリーントロルが再び地球へ襲来した時、宇宙へ旅立ったはずの伝説の美食屋が、地球に姿を現したという未確認記録がある。
その人物は、ワープロードに酷似した裏の道を通り、遠い宇宙から地球へ戻ったとされる。
記録は曖昧で、映像も残っていない。
当時の証言も少なく、正式な史料としては扱われていない。
しかし、もしそれが事実ならば。
その者は、地球以外の星のフルコースをすでに食べていた可能性がある。
星と星を繋ぐ領域。
人類がいまだ辿り着けていないとされるステージ。
そこへ、伝説の美食屋たちはすでに立っていたのかもしれない。
だが、それを確かめる術はない。
彼らは宇宙のどこかへ旅立ったまま、今も帰ってこない。
現在の人類にできることは、ただ一つ。
食べ続けること。
星の味を知ること。
裏の世界の扉を一つずつ開くこと。
ワープロードは、万能の道ではない。
だが、食べた者にだけ開かれる道である。
そしていつか。
誰かが複数の星のフルコースを食べ、星と星を繋ぐ時。
人類の宇宙開拓は、次の段階へ進むだろう。
――『美食屋を目指す者たちへ』
著:メリスタ