捕獲レベル1。
それは、プロのハンター十人がかりでようやく捕獲できるレベルの強さを意味していた。
――というのは、昔の話らしい。
千年後の現在、捕獲レベルの基準は大きく見直されている。
理由は単純だ。
人間が強くなりすぎたから。
グルメ細胞が一般化し、医療技術が進化し、環境適応能力も上がった。
かつては命懸けだった猛獣の捕獲も、今では学校の実技授業で扱うことすらある。
もちろん危険なものは危険だ。
だが、千年前の基準をそのまま使うには、あまりにも時代が変わりすぎていた。
そこで現在の捕獲レベルは、新しい表記に一新されている。
たとえば、捕獲レベル5・F。
この場合、数値の5は希少さを表す。
どれほど珍しいか。
どれほど手に入りにくいか。
自然界での個体数、流通量、管理難易度、繁殖条件などを総合して数値化したものだ。
そして、後ろにつくアルファベットが強さを表す。
ここで俺は、最初かなり混乱した。
きっかけは、子供向けモンスター図鑑だった。
そこに描かれていたのは、丸っこくて白い、餅みたいなウサギ。
名前は、うさだんご。
見た目は完全にマスコット。
耳はふわふわ。
目はつぶら。
危険そうな牙も爪もない。
説明文には『子供向けふれあいビオトープでも人気』と書かれていた。
そして、その横に表示されていた捕獲レベル。
『捕獲レベル1・S』
俺は思わず二度見した。
S?
こんな弱そうなのがS?
前世の感覚で言えば、Sランクは最上位だ。
最強。
最高。
選ばれし存在。
だから俺は、うさだんごが実はとんでもない怪物なのかと思った。
可愛い見た目で油断させ、近づいた瞬間に人間を丸呑みにするタイプなのかと本気で警戒した。
だが、違った。
この世界では、強さのアルファベットはAが最強。
そして、Zが最弱。
つまり、A、B、Cと下がっていき、最後がZになる。
Sは確かに弱くはないが、決して最上位ではない。
あくまで、AからZまである強さ区分の中間付近。
前世のゲーム脳が完全に邪魔をした瞬間だった。
ちなみに、うさだんごは本当に弱かった。
触ろうとすると跳ねて逃げるくらいで、攻撃性はほぼない。
ただし、逃げ足だけは妙に速い。
捕まえようとした子供たちが、逆に遊ばれて転びまくっていた。
あれを捕獲レベル1・Sとするなら、今の基準は確かに分かりやすいのかもしれない。
では、俺がこれから目指すエアはどうか。
エア。
地球のフルコースの一つ。
かつてはグルメ界でしか採取できなかった、伝説の食材。
千年前の時代であれば、その名を聞くだけで美食屋たちが息を呑んだはずの存在。
現在の捕獲レベルは――。
『捕獲レベル62・Z』
強さは、Z。
つまり最弱。
もちろん、食材そのものが襲ってくるわけではない。
エアは植物であり、実だ。
しかも、現在エア特別管理ビオトープで育てられているものは、スイカほどのサイズまで調整された保護管理種らしい。
採取方法も難しくない。
熟した実を専用器具で支え、茎の根元を切り離す。
それだけ。
収穫ができれば、ビオトープ内に常駐しているIGO認定料理人へ渡し、その場で調理してもらうこともできる。
説明だけ聞けば、完全に果物狩りである。
前世でいうなら、芋掘りか、いちご狩り。
家族で行って、写真を撮って、食べ放題コースにして、帰りにお土産を買うような雰囲気だ。
だが、もちろんそんな簡単な話ではない。
問題は、エアそのものではない。
エアが実る場所まで辿り着くことだ。
エアがあるのは、のろま雨の丘。
そして、そこへ向かうためには蜂の巣平野や毒雨草原などを抜けなければならない。
それは千年前と変わらない。
もちろん、ビオトープ化されている以上、昔とまったく同じ危険度ではないだろう。
環境は監視されている。
危険生物の活動範囲も管理されている。
緊急時の救助体制もある。
だが、蜂の巣平野は蜂の巣平野だ。
毒雨草原は毒雨草原だ。
名前からして、どう考えても安全ではない。
エアのビオトープへ行くまでの道中も、きっと危険な旅になるだろう。
初めての本格的な美食屋候補としての挑戦。
気を引き締めていかないとな……。
そう思いながら、俺は自室で荷物を確認していた。
追加で耐毒レインコートなどを入れていく。
準備をすればするほど、胸が高鳴る。
いよいよだ。
いよいよ、俺は本物の冒険に出る。
千年後とはいえ、地球のフルコースに挑むのだ。
まだ見ぬ危険。
未知の環境。
自分の足で食材へ向かう旅。
そうだ。
これこそ、俺が憧れたグルメ時代――。
「あ、アマジン」
背後から母さんの声がした。
振り向くと、母さんが洗濯物を畳みながら言った。
「エアのビオトープは、いつもの電車から二回乗り換えた後、一旦駅を出てキャンピングモンスターに乗るのよ」
「……え?」
「分からなければ駅員さんに聞きなさい。今は案内表示も出てるから、迷わないと思うけど」
「……」
「あと、乗り換え駅で売ってるグルメ界まんじゅうは高いから買いすぎないようにね」
俺は荷物を持ったまま固まった。
電車。
二回乗り換え。
駅員さん。
案内表示。
グルメ界まんじゅう。
「……電車で行けるのかよ!」
思わず叫んだ。
母さんは不思議そうに首を傾げる。
「そりゃあ行けるわよ。特別管理ビオトープなんだから」
違う。
そうじゃない。
俺の中では、もっとこう、荒野を越えて、猛獣を避けて、危険地帯に足を踏み入れ、命からがら目的地に辿り着くイメージだった。
なのに、電車。
最初の冒険が、まさかの公共交通機関。
いや、便利なのはありがたい。
未成年が一人で行くには、その方が絶対に安全だ。
現代社会としては正しい。
正しすぎる。
だが、俺の中の美食屋への憧れが、何とも言えない顔をしていた。
・・・
・・
・
そして――。
「たった半日で着いたぞ……」
俺はエア特別管理ビオトープ前の駅で、ぽつりと呟いた。
本当に着いてしまった。
朝に家を出て、電車を乗り継ぎ、特別連絡線に乗り換え、最後はキャンピングモンスターのオクトちゃんに乗った。
オクトちゃん。
その名の通り、巨大なタコ型のキャンピングモンスターだ。
丸い頭部の中が客室になっていて、八本の足で地形を選ばず移動する。
外見は愛嬌があり、車内は驚くほど快適。
座席は柔らかく、窓からは旧グルメ界の壮大な景色が見えた。
正直、オクトちゃんに乗れたのはかなり嬉しかった。
巨大な生物の体内に作られた移動客室。
これぞグルメ時代という感じがする。
だが、そこまでだった。
危険な猛獣に襲われることもない。
道に迷うこともない。
空腹で倒れることもない。
乗り換えアプリの表示通りに進んだら、普通に着いた。
拍子抜けにもほどがある。
俺は駅前に立ち、周囲を見渡した。
そこには、想像していたような未開の荒野はなかった。
整備された広場。
大きな案内板。
売店。
記念撮影用の巨大なエア模型。
家族連れ。
観光客。
遠足らしき学生たち。
そして、遠くにそびえる巨大なゲート。
『エア特別管理ビオトープへようこそ』
でかでかと書かれた文字が、爽やかに来場者を迎えていた。
テーマパークか。
いや、実際、半分はそうなのだろう。
ビオトープの外周には観光エリアが整備されていて、危険区域に入らなくてもエア関連の料理や展示を楽しめるらしい。
ゲート前には二つの入場門があった。
一つは、長蛇の列。
家族連れやカップル、観光客がずらりと並んでいる。
もう一つは、人がまばらだった。
だが、並んでいる人間の雰囲気がまるで違う。
厚い筋肉。
傷だらけの腕。
背中に巨大な捕獲道具。
どう見ても、ただの観光客ではない。
俺は近くの案内表示を見る。
『一般レストラン・展示エリア入口』
長蛇の列は、エアビオトープの食材を使った料理が食べられるレストランの待ち列だった。
そして、人がまばらな方にはこう書かれていた。
『危険区入場受付』
俺が行くべきなのは、当然そちらだ。
だが、並んでいるのは屈強な男たちばかりだった。
たまに女性もいるが、どの人も明らかに鍛えられている。
身長二メートルを超えていそうな大男。
全身に虫除け用の特殊装備をまとったハンター。
巨大な調理包丁を背負った料理人らしき人。
肩に小型の猛獣を乗せている人までいる。
俺みたいな子供は、完全に場違いだった。
視線が痛い。
いや、実際にはそこまで見られていないのかもしれない。
だが、自分だけ制服に近い軽装備で、どう見ても初心者なのだから、場違い感がすごい。
それでも、ここで引き返すわけにはいかない。
俺は深呼吸をして、危険区入場列の最後尾に並んだ。
・・・
しばらく待っていると、順番が来た。
受付の係員は、俺を見ても驚かなかった。
子供だからといって止めようともしない。
さすがに慣れているのだろう。
「仮美食屋候補登録、確認します。グルメIDをこちらへ」
「はい」
俺は首の後ろに埋め込まれているグルメIDを端末に同期させた。
係員の画面に、俺の情報が表示される。
「アマジン・グラントさん。未成年。保護者承認あり。事前講習仮予約済み。学園総合テスト一位……おお、優秀ですね」
「あ、ありがとうございます」
「ただし、危険区への入場は自己責任となります。こちらの誓約書を確認してください」
そう言って、係員は薄い電子ペーパーを差し出した。
俺は受け取り、ざっと読み始める。
危険区内での行動規定。
緊急時の脱出手順。
同行者なしでの深部侵入制限。
毒雨対策。
蜂の巣平野での走行禁止。
のろま雨の丘における長時間滞在の危険性。
死亡事故に関する免責事項。
さらっと怖いことが書いてある。
だが、それは覚悟していた。
問題は、その少し下だった。
『天然エアを収穫し、持ち帰る場合、一玉につき二千万円の管理費用が発生します』
「……」
ん?
俺は目をこすった。
もう一度見る。
『一玉につき二千万円』
「……二千万円!?」
思わず声が裏返った。
受付の係員が、にこやかに頷く。
「はい。二千万円です」
「に、二千万って……」
「そうです。さらに調理費用も込みです」
「込み……?」
「ええ。IGO認定料理人による標準調理、細胞活性補助、食後観察、記録登録まで含めて二千万円。普通に購入するだけなら八千万円はしますから、破格ですよ」
破格。
破格とは。
俺は震える手で自分の端末を開いた。
所持金を確認する。
『残高 二〇〇,〇〇〇円』
二十万円。
もう一度見る。
二十万円。
何度見ても変わらない。
桁が二つ足りないどころではない。
俺の全財産を百倍しても届かない。
いや、百倍なら二千万円か。
届くのか。
届かないけど。
「……ちょっと、考えます」
俺は誓約書を持ったまま、一旦列を離れた。
後ろの屈強な男が、なぜか優しい目で俺を見送ってくれた。
たぶん、彼も最初は同じ絶望を味わったのだろう。
・・・
ゲート横のベンチに座り、俺は真剣に考えた。
要は、持ち帰れば金が発生する。
ならば、手に入れたらその場で食えばいいのではないか。
いや、さすがに未調理のまま食うのは無理だ。
エアは特殊な調理が必要な食材だ。
下手に扱えば、せっかくの味を台無しにするどころか、グルメ細胞に悪影響が出る可能性もある。
かといって、俺には料理の知識がない。
前世でできた料理といえば、カップ麺にお湯を入れることと、卵かけご飯くらいだ。
この世界に来てからも、食べることに夢中で、料理そのものは母さん任せだった。
美食屋を目指すなら、料理の知識も必要だ。
そんな当たり前のことに、今さら気づく。
トリコには小松がいた。
食材を最高の一皿に変えてくれる料理人がいた。
だが、俺にはいない。
俺は今、一人だ。
食材に辿り着くだけでは足りない。
食べるためには、料理する者が必要なのだ。
「……どうする」
俺はベンチに座ったまま、エアの巨大模型を見上げた。
丸くて、透き通るような実。
中に空気そのものが詰まっているような、不思議な造形。
あれを食べたい。
絶対に食べたい。
だが、二千万円はない。
調理もできない。
持ち帰れない。
現実があまりにも強い。
危険な猛獣より、料金表の方が俺の心を折りにきている。
しばらく悩んだ。
かなり悩んだ。
端末で奨学制度や美食屋候補支援金まで調べた。
だが、今すぐ使えるものはほとんどない。
親に頼む?
無理だ。
母さんが倒れる。
父さんもたぶん遠い目をする。
なら、どうする。
考えた末に、俺は立ち上がった。
「……まぁ、とった後のことは後で考えるか!」
我ながら雑な結論だった。
だが、今の俺にできることは限られている。
まずは辿り着く。
エアの実る、のろま雨の丘まで。
それが最初の目標だ。
収穫できるかどうか。
食べられるかどうか。
お金をどうするか。
それは、その後に考えればいい。
そもそも、辿り着けなければ何も始まらないのだ。
俺は再び受付へ向かった。
係員が少し笑う。
「決まりましたか?」
「はい。行きます」
「では、誓約書にサインを」
俺は電子ペンを握り、誓約書に目を落とした。
細かい規約が並んでいる。
要約すれば、こうだ。
死んでも知りません。
いや、実際にはもっと丁寧に書かれている。
救助体制はある。
安全管理もされている。
だが、危険区での行動には本人の責任が伴う。
当然だ。
美食屋を目指すなら、自分の腹と命くらい自分で背負う必要がある。
俺は深呼吸した。
そして、自分の名前を書く。
『アマジン・グラント』
サインが認証され、グルメIDに一時入場権限が付与された。
ゲートの奥で、重厚な扉がゆっくりと開く。
観光エリアの賑やかな声が、背後に遠ざかっていく。
その向こうから流れてきた空気は、街のものとはまるで違っていた。
湿っていて、甘くて、どこか重い。
土と草と毒と蜜の匂いが混ざっている。
俺のグルメ細胞が、ぞわりと震えた。
ここから先は、ただの観光ではない。
ここから先は、危険区。
エアへ続く道。
「よし……」
俺は冒険記ノートを鞄の奥に押し込み、前を向いた。
千年後の飽食時代。
電車で来られるグルメ界。
二千万円の現実。
拍子抜けするほど整備された入口。
それでも、ゲートの向こうには確かに未知があった。
俺は一歩を踏み出す。
目指すは、のろま雨の丘。
第一目標。
エアに辿り着くこと。
そしてできれば――。
「二千万円をどうにかすること……だな」
小さく呟いた俺の声は、ビオトープの濃い空気に飲み込まれていった。