千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

31 / 31
借威幻獣

「ビービーダンゴムシ、どんだけいけるんや?」

 

 グリドが、セーフゾーンの奥でごちゃごちゃした荷物の箱を漁りながら聞いてきた。

 箱というより、岩をくり抜いて作った収納棚に近い。

 中には乾燥食材、古びた道具、よく分からない骨、何かの皮、丸められた布、割れた器などが雑に詰め込まれている。

 九百年一人で暮らしていると、物が増えるのかもしれない。

 いや、九百年にしては少ない方なのか。

 基準が分からない。

 

「一個で五回くらいしかできない」

 

 俺は正直に答えた。

 

「ほお」

 

 グリドは振り返り、少しだけ目を丸くした。

 

「大したもんや。最初の一ヶ月は一回すらできへんで、普通」

 

「え、そうなのか?」

 

「そらそうや。ビービーダンゴムシはただの玉ちゃう。生きとるし、重さも跳ね方も気分で変わる。見てから対応しようとしても間に合わん」

 

「……それは、やってみて痛感してる」

 

 俺は手元のビービーダンゴムシを見下ろした。

 丸まった体。

 見た目は可愛い。

 だが、修行相手としてはかなり性格が悪い。

 

 急に重くなる。

 

 急に軽くなる。

 

 変な方向へ跳ねる。

 

 突然大きな音を出して集中を乱す。

 

 こいつを自在に扱うには、ただ反射神経がいいだけでは足りない。

 たぶん、体全体で感じなければならない。

 手で受けるのではなく、細胞で受ける。

 

 そういうことなのだろう。

 分かる。

 分かるが、できない。

 

「お、これや。ほれ」

 

 グリドが箱の奥から何かを取り出し、俺へ投げてきた。

 小さめの袋だった。

 布製で、首から下げられる紐がついている。

 手のひらより少し大きいくらいのサイズ。

 中には何かが入っているようで、軽く揺らすと小さな音がした。

 

「これは?」

 

「首からかけて、服の下に入れとけ。あと、まだ中身は見るなよ」

 

「なんでだよ」

 

「修行に使う。見るな言うたら見るな」

 

「分かった」

 

 グリドの言い方は雑だが、今は師匠だ。

 とりあえず指示に従うことにした。

 俺は小袋を首からかけ、グルメスモックの内側、服の下へ入れる。

 袋は胸元に収まった。

 中身は少し硬い。

 何かの小石か、食材か、道具か。

 気になるが、見るなと言われた以上は見ない。

 

「よし。まずは見るわ」

 

 グリドはどっかりと岩の椅子に腰を下ろした。

 

「お手玉、死ぬ気でやれ」

 

「死ぬ気でお手玉って、字面が変すぎるだろ」

 

「ええからやれ」

 

「はいはい」

 

 俺はビービーダンゴムシを手に取った。

 

 右手で上げる。

 

 左手で受ける。

 

 また右手へ。

 

 集中する。

 

 見てからでは間に合わない。

 それはトリコで見て十分に分かっていたつもりだ。

 ビービーダンゴムシの動きに合わせて、細胞全てを統一する。

 

 力の流れを感じる。

 

 重さの変化を受け流す。

 

 そう頭では理解している。

 

 だが、実際にやると本当に難しい。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 四回。

 

 五回――。

 

 手の中でビービーダンゴムシが急に軽くなった。

 

「あっ」

 

 勢い余って上に飛ばしすぎる。

 慌てて手を伸ばすが、ずれる。

 ぼとり。

 落ちた。

 

「くそ……」

 

「もう一回や」

 

 グリドが言う。

 俺は拾う。

 

 投げる。

 

 受ける。

 

 また投げる。

 今度は三回で落ちた。

 次は四回。

 次は二回。

 たまに五回までいく。

 

 だが、それ以上続かない。

 集中しているつもりなのに、どこかで必ず崩れる。

 

 手が遅れる。

 肩に力が入る。

 足が固まる。

 目だけで追ってしまう。

 

 そのたびに、ビービーダンゴムシは俺の意識の隙間を突くように落ちていく。

 

「……あー、だめだ」

 

 俺は汗を拭った。

 ただお手玉を本気でしているだけ。

 それなのに、疲労が激しい。

 汗も止まらない。

 

 グルメスモックの内側がじっとりしている。

 

 ペアで体力が増えたはずなのに、細かい集中を続けるだけでごっそり削られている気がした。

 一人でやっていた時は、こうなる前に食料を補給していた。

 ビービーダンゴムシを練習して、腹が減ったら食べる。

 

 それでまた再開する。

 

 だが、今はグリドが見ている。

 ここで休むのは何となく悔しい。

 俺はもう一度構えた。

 グリドは俺をじっと見ていた。

 そして、うんうんと頷く。

 

「まぁ、こんなもんやろ。五回できる回数が少し増えてきてるな」

 

「増えてるか?」

 

「増えとる。最初はまぐれの五回やった。今はたまに狙って五回いけとる。大きな違いや」

 

「でも五回から伸びない」

 

「せやな。やっぱ、きっかけが必要やな」

 

「きっかけ?」

 

 俺が聞き返すと、グリドは立ち上がった。

 その瞬間、空気が少し変わった。

 さっきまで茶を飲み、飯を食い、ボケを挟んでいたグリーントロルではない。

 九百年前、部隊を率いて地球へ攻め込んだ総長。

 そんな気配が、少しだけ顔を出す。

 

「虎の威を借る狐、っちゅう言葉があるやろ」

 

 グリドは静かに言った。

 

「意味は知ってる。強いものの威を借りて、相手をビビらせるやつだろ」

 

「せや。ほな見とけ」

 

 グリドの周囲に、見えない何かの気配が膨れ上がる。

 それは実体ではない。

 力でもない。

 グリド自身が強くなったわけでもない。

 ただ、かつてグリドが見た猛獣の“威”だけを借りた虚ろな圧。

 姿は見えない。

 だが、そこに何かがいる。

 そう錯覚させるほどの気配。

 いや、錯覚というには濃すぎる。

 

 鼻の奥が冷える。

 

 背筋が固まる。

 

 心臓が嫌な音を立てる。

 

 零山脈の岩陰に潜んでいた小型の猛獣たちが、一斉に顔を上げた。

 

 彼らにも分かったのだ。

 ここにいてはいけない。

 そう本能が叫んでいる。

 

「借威幻獣――フェイク・プレデター」

 

 グリドがその名を口にした。

 次の瞬間、岩陰に潜んでいた猛獣たちが、一斉に逃げ出した。

 

 足音。

 

 爪が岩を掻く音。

 

 小さな悲鳴。

 

 セーフゾーンの外で、気配だけに怯えた生き物たちが散っていく。

 だが、俺はそれを見ている余裕がなかった。

 俺自身も、あまりの恐怖で動けなかった。

 

 怖い。

 

 理屈では分かっている。

 これは本物の猛獣ではない。

 グリドがどこかで見た猛獣の気配を借りているだけだ。

 

 実体はない。

 俺を襲うものは、ここにはいない。

 

 だが、体が信じない。

 

 細胞が信じない。

 

 全細胞が完全一致して恐怖している。

 

 逃げろ。

 

 死ぬ。

 

 食われる。

 

 潰される。

 

 消える。

 

 そんな感覚が、頭ではなく体中から湧き上がった。

 

 その瞬間。

 

 走馬灯が駆け巡った。

 

 この世界だけではない。

 

 ここに転生してからの記憶でもない。

 

 もっと前。

 

 この世界に来る前の記憶。

 ほとんど忘れていたはずのことを、思い出した。

 

 会社のテラスで、コーヒーを飲んでいた。

 

 仕事の合間だった。

 

 疲れていた。

 

 それでも、ほんの少しだけ空を見上げる余裕があった。

 

 窓の向こう。

 

 ビルの隙間。

 

 そこに、ありえないものが見えた。

 

 巨大な隕石のようなもの。

 

 空を覆うほどの、黒く、赤く、光る塊。

 最初は現実感がなかった。

 

 誰かの冗談か。

 

 映像か。

 

 何かの広告か。

 

 そう思うほど、巨大すぎた。

 それが本当に隕石だったのかは分からない。

 死の直前の俺に、確かめる余裕などなかった。

 

 ただ、空が落ちてきた。

 

 そう思った。

 

 その瞬間、世界が白くなった。

 

 音が消えた。

 

 いや、音が大きすぎて、音として認識できなかったのかもしれない。

 

 遠くのビルが崩れた。

 

 地面が波打った。

 

 窓ガラスが砕け、熱と衝撃が押し寄せる。

 

 津波のように、土砂と熱が迫ってきた。

 

 人の声。

 

 悲鳴。

 

 誰かが走る足音。

 

 俺は動けなかった。

 

 コーヒーのカップが手から落ちる。

 

 割れる。

 

 黒い液体が床に広がる。

 

 そして――俺は死んだ。

 

 いや、俺だけではない。

 

 あの日、たぶん人類のほとんどが終わった。

 

 そう思うほどの何かが、世界を呑み込んだ。

 

「ぐっ……!」

 

 気づくと、俺は膝をついていた。

 両手を地面につき、荒い息を吐く。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 汗が止まらない。

 

 胸が痛い。

 

 体の奥が震えている。

 

 前世の記憶。

 

 あの日、空から落ちてきた何か。

 

 俺が死んだ瞬間。

 

 世界が終わったとしか思えなかった光景。

 

 それを、今さらのように思い出してしまった。

 

 俺は転生した。

 この世界で生まれ直した。

 トリコの世界だと知って、興奮した。

 美食屋を目指した。

 

 だが、その前に俺は死んでいた。

 俺のいた世界は、あの日、何かに呑み込まれた。

 

 忘れていたわけではない。

 

 でも、心のどこかで見ないようにしていた。

 それが、恐怖に引きずられて一気に浮かび上がった。

 

「どや?」

 

 グリドの声が聞こえた。

 気配はもう消えている。

 借威幻獣の圧はなくなっていた。

 俺はゆっくり顔を上げる。

 

「思い出したくないものまで思い出しちゃったよ……」

 

「そうか。走馬灯でも見たか!」

 

「軽いな……」

 

「でも、よう耐えた」

 

 グリドは真面目な顔で言った。

 

「普通なら腰抜かしてしばらく動けへん。お前はちゃんと戻ってきた」

 

「戻ってきた……」

 

 俺は自分の手を見た。

 まだ震えている。

 でも、確かに俺はここにいる。

 恐怖に飲まれきってはいない。

 

 そして――。

 

「でも、なんだろう……全細胞が一致する感覚を掴めた気がする」

 

 恐怖だった。

 どうしようもない恐怖。

 だが、その瞬間だけは、体中の細胞が同じ方向を向いていた。

 

 逃げろ。

 

 死ぬな。

 

 生きろ。

 

 全細胞が完全に一致していた。

 トリコも、きっかけはこれだった。

 

 猿王の一瞬のブチギレ。

 

 全細胞が恐怖で完全一致する感覚。

 

 それを掴んだから、猿武の入口に立てた。

 俺も今、ほんの少しだけ分かった気がする。

 細胞を統一するとはどういうことか。

 意識で命令するのではない。

 体全てが、同じものを見て、同じ方向へ反応する。

 恐怖は、その最も強いきっかけになる。

 

「この感覚を忘れないうちにやる」

 

 俺は立ち上がった。

 まだ足は少し震えている。

 だが、手にビービーダンゴムシを乗せる。

 グリドがにやりと笑った。

 

「その勢いや。まぁ、忘れたらまたビビらせたるわ」

 

「できれば勘弁してほしい」

 

「贅沢言うな。ええ修行やろ」

 

「あの日のことを思い出す修行は重すぎるんだよ」

 

「あの日?」

 

「あ、いや……こっちの話」

 

 俺はごまかすようにビービーダンゴムシを軽く投げた。

 右手で受ける。

 今までとは少し違う。

 目で追うだけではない。

 手だけで受けるのでもない。

 

 ビービーダンゴムシの重さ。

 

 跳ねる気配。

 

 手のひらへ落ちる前の空気の揺れ。

 

 体がそれを感じようとしている。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 四回。

 

 五回。

 

 ビービーダンゴムシが急に重くなる。

 今までなら手首だけで受けようとして崩れていた。

 だが、今は違う。

 

 肩。

 

 腰。

 

 膝。

 

 足裏。

 

 体全体で沈む。

 重さを受け止めるのではなく、下へ流す。

 

 六回。

 

「お」

 

 グリドの声が聞こえた。

 俺は集中を切らさない。

 

 七回。

 

 八回。

 

 ビービーダンゴムシが突然大きな音を出す。

 体がびくりと反応しそうになる。

 だが、さっきの恐怖に比べれば小さい。

 音を受け流す。

 

 九回。

 

 十回。

 

 そこで落ちた。

 ぼとり。

 静かな音がした。

 俺はしばらく動けなかった。

 

 十回。

 

 今まで五回が限界だった。

 それが、十回。

 

「……できた」

 

「せやな」

 

 グリドは満足そうに頷いた。

 

「今のを忘れるな。細胞を一つにする感覚や。怖かったやろ?」

 

「怖かった」

 

「なら、それを食え」

 

「食う?」

 

「恐怖も経験も、全部食材や。逃げるだけやと身にならん。味わって、腹に沈めて、次に使え」

 

 俺はその言葉を胸に刻んだ。

 

 恐怖も食材。

 

 経験も食材。

 

 なら、あの日の記憶も。

 

 空から落ちてきた何かも。

 

 世界が終わったとしか思えなかった光景も。

 

 いつか、俺の中にある味になるのだろうか。

 まだ、そう思えるほど簡単ではない。

 だが、今は少しだけ分かる。

 見ないふりをしていた記憶も、俺を動かす力になるかもしれない。

 俺はビービーダンゴムシを拾い上げた。

 

「もう一回やる」

 

「ええ顔や」

 

 グリドは腕を組んで笑った。

 

「ほな、続けるで」

 

 そうして、修行は続いた。

 零山脈の静寂の中。

 セーフゾーンの片隅で。

 俺は、失われた猿武の入口へ、ようやく一歩踏み出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

その美食屋、転生者につき(作者:苦笑いの妖精)(原作:トリコ)

トリコの世界を便利な3つのチートと共に生きていく。▼息抜きに書いた習作です。


総合評価:6789/評価:6.68/短編:14話/更新日時:2026年06月04日(木) 22:26 小説情報

【七色弓箭】で征くポックルに転生した男のハンター道(作者:レインボウ)(原作:HUNTER×HUNTER)

唐突に前世の記憶を思い出したポックル。溢れ出した原作知識は無垢な少年を絶望に落とす。迫り来る不運の絶頂、キメラ=アント、ザザンとパイクに作中最強格のネフェルピトーの脳くちゅ、前世の記憶と原作知識を駆使して走り出す少年は今、ハンターの道を選ぶ!▼アンチヘイトは念の為です。


総合評価:5951/評価:8.25/短編:2話/更新日時:2026年03月22日(日) 02:56 小説情報

ヒカ碁の世界で緒方精次となったからには、打倒saiを掲げたい。(作者:くま子)(原作:ヒカルの碁)

週刊碁で、桑原本因坊と塔矢九段の総譜を見つけた時、ようやく理解した。▼ここが『ヒカルの碁』の世界なのだと。▼なるほど。同姓同名とばかり思っていたが、この幼い身体は、緒方精次その人らしい。▼神は囲碁に没頭できる第二の人生を与えてくれただけでなく、佐為と──本因坊秀策と打てる機会すら、用意してくれているようだ。▼ならば、目指すしかないな。▼ネット最強の棋士、sa…


総合評価:5432/評価:8.81/連載:7話/更新日時:2026年06月10日(水) 21:00 小説情報

転生ハンターがダンまちをモンハン世界だと間違っているまま黒竜を狩る話(作者:シャリ)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

さてはミラボレアスだなオメー


総合評価:7647/評価:8.7/連載:4話/更新日時:2026年06月10日(水) 19:10 小説情報

うす汚ねェクルタ族の血を増やしてやるし!(作者:黒岩)(原作:HUNTER×HUNTER)

なんか~あーしが旅出てたらなんか故郷滅んでてマジヤバイんだけど~……ウケない。とりま故郷再興っしょ!▼クルタ族のギャルでグルメハンターが適当に過ごします。


総合評価:6887/評価:8.36/連載:17話/更新日時:2026年06月01日(月) 18:10 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>