家の近くまで戻ってきた。
三か月。
たった三か月と言えば、たった三か月だ。
けれど、俺にはずいぶん久しぶりに感じられた。
エアビオトープへ行き、ブラウスと出会い、ペアビオトープへ向かい、零山脈を越え、ペアを飲み、グリドと出会い、猿武の修行をした。
たった三か月の間に、色々ありすぎた。
そのせいか、見慣れたはずの道も少し違って見える。
家の近くの通り。
小さな店。
いつもの街路樹。
通学路だった道。
全部変わっていないはずなのに、俺の方が少し変わってしまったのかもしれない。
そして、何より。
隣には、はむまるがいた。
「きゅ」
蔵頬ハムスター、はむまる。
俺とブラウスが二人で乗れそうなくらいの大きさの巨大ハムスターだ。
ぽてぽてと隣を歩く姿は、見ているだけならかなり可愛い。
だが、近所の人たちはめちゃくちゃ見ている。
そりゃそうだ。
道を歩いていたら、子供が巨大なハムスターを連れて帰ってきたのだ。
俺でも見る。
「はむまる、これからも俺についてきてくれよ!」
「きゅ!」
「ただ、両親には紹介するからな」
「きゅ!」
分かっているのか分かっていないのか、はむまるは元気よく鳴いた。
まあ、悪い奴ではない。
たぶん。
勝手に荷物を食べなければ。
頬袋に変なものを溜め込まなければ。
大丈夫なはずだ。
俺は少しだけ緊張しながら、自宅の前に立った。
帰ってきた。
自分の家だ。
たったそれだけで、胸の奥が少し温かくなる。
俺は扉を開けた。
「ただいま!」
「おかえり、アマジ――」
母さんの声が途中で止まった。
視線は俺ではなく、その後ろに向いている。
はむまるだ。
黒い丸目。
ふくらんだ頬袋。
立派な前歯。
そして、玄関の外に収まりきらない丸い体。
「……」
「……」
「きゅ?」
はむまるが首を傾げる。
次の瞬間、母さんは倒れそうになった。
「母さん!?」
俺は慌てて支える。
母さんは俺の腕を掴みながら、震える指ではむまるを指した。
「あんた! ハムスターっていうから、そ、そんなおっきい子とは思わないじゃない!」
「ごめん……ちっさいハムスターもいるんだね……」
「ちっさいのしか見たことないわよ!」
母さんは叫んだ。
完全に正論だった。
俺の感覚がグルメ界寄りにずれていた。
考えてみれば、普通のハムスターは手のひらに乗るくらいだ。
俺とブラウスが二人で乗れそうなハムスターは、たぶん普通ではない。
「買ったヒマワリの種十袋がもう一瞬でないわよ!」
「あ、それは……うん。たぶん一瞬だね」
「たぶんじゃないわよ!」
「ま、まぁ大丈夫。一緒に連れて行くからさ」
「連れて行くって、この子を?」
「うん。はむまるは俺の相棒だから」
「きゅ!」
はむまるは誇らしげに鳴いた。
相棒という言葉を理解したのかもしれない。
いや、単に声に反応しただけかもしれない。
「それに、今日はおみやげがあるよ」
「おみやげ?」
「はむまる、出して」
「きゅ」
俺が言うと、はむまるは頬袋をもごもご動かした。
そして、口元からいろいろな食材を吐き出していく。
岩茸。
乾燥サンドリコ。
グリドが持たせてくれた干し肉。
零山脈で採った硬い実。
香りの強い根菜。
謎の丸い種。
ぽろぽろ。
ぽろぽろ。
次々と食材が出てくる。
母さんは、最初は驚いていたが、すぐに主婦の顔になった。
「あら……これ、すごく良い香りね」
「グリドっていう人……いや、人じゃないけど、料理がうまい奴が持たせてくれたんだ」
「そうなの」
「うん。これで夕食作れる?」
「もちろんよ」
母さんは食材を見て、少し嬉しそうに笑った。
やはり母さんも、食材を見ると目が変わる。
俺の食い意地は、たぶん母さん譲りだ。
「あ、おい!」
俺は吐き出された食材を確認して、思わず声を上げた。
「また半分くらい減ってる……」
「きゅ?」
はむまるはとぼけた顔をした。
「お前、道中で食ったな?」
「きゅ」
「今の『食べたけど何か?』みたいな鳴き方やめろ」
母さんは少し笑っていた。
最初の衝撃は大きかったようだが、もう少し慣れたらしい。
その時、玄関の向こうから声が聞こえた。
「ただいま……」
父さんが帰ってきた。
扉を開け、靴を脱ごうとして、動きを止める。
目の前には、はむまるの大きなお尻があった。
丸い。
ふかふか。
玄関の半分以上を占拠している。
父さんはしばらく無言だった。
「……」
「おかえり、父さん」
「……ただいま、アマジン」
父さんはゆっくり視線を上げた。
「これは?」
「ハムスター」
「……ハムスター」
「蔵頬ハムスターの、はむまる」
「きゅ!」
はむまるは振り返って鳴いた。
父さんは数秒考えた後、なぜか納得したように頷いた。
「すごいね。よく懐いてる」
「そこ!?」
母さんが叫んだ。
俺も同じことを思った。
父さんはこういう時、変に落ち着いている。
大物なのか、ただ驚きの回路が少し違うのか分からない。
「まあ、アマジンが連れて帰ってきたなら、何か理由があるんだろう」
「あるよ。色々と」
「なら、夕食を食べながら聞こう」
父さんはそう言って、はむまるの横を通ろうとした。
だが、通れない。
はむまるが大きすぎる。
「……少し横に動いてもらえるかな」
「きゅ」
はむまるがぽてっと横へずれた。
父さんはようやく家に入れた。
その日の夕食は、はむまるの頬袋に入っていた食材で作られた。
グリドと一緒に食べたものと同じ食材。
だが、母さんが作るとまた違う味になる。
干し肉と根菜の煮込み。
岩茸の炒め物。
乾燥サンドリコを香りづけに使ったスープ。
硬い実を砕いてまぶした焼き団子。
グリドの料理は豪快で、体の芯に沈む味だった。
母さんの料理は優しい。
同じ食材なのに、家に帰ってきた味がする。
「おいしい……」
俺は思わず呟いた。
「そう? よかった」
母さんが微笑む。
はむまるは庭で別皿を食べている。
さすがに家の中には入りきらないので、窓の近くで食事中だ。
時々「きゅ」と満足そうな声が聞こえる。
父さんと母さんには、三か月のことを話した。
ペアを飲んだこと。
ブラウスと別れたこと。
零山脈で修行したこと。
グリドという存在と出会ったことは、少しぼかした。
全部を話すには重すぎるし、グリーントロルのことを詳しく話せば心配させる。
だから、すげえ技を知っている変わった師匠に出会った、とだけ話した。
父さんは深く聞かなかった。
母さんも、聞きたいことは山ほどありそうだったが、今は飲み込んでくれた。
食後、母さんが聞いた。
「次はいつ行くの?」
「また、明日には行くよ」
「そんなに焦らなくてもいいんじゃない?」
母さんの声には心配が混じっていた。
それでも、以前のように引き止める強さはない。
「いや、何だか分からないけど、アトムビオトープにある第二宇宙研究所に呼ばれてるんだ」
「宇宙研究所……」
父さんの表情が少し真面目になった。
「IGO第二宇宙研究所のことかい?」
「うん」
「一般人、まして子供が入れる場所って認識はないんだけど……」
「いや、俺もそうだよ。でも呼ばれてる。特急券ももらったし、行かなきゃ」
俺はペアビオトープでもらったキャンピングモンスター乗り放題の特急券を見せた。
父さんはそれを見て、少し驚いたように眉を上げた。
「これは……かなり正式な招待だね」
「そうなの?」
「ああ。少なくとも、ただの見学ではないと思う」
「だよな……」
何の用なのかは分からない。
だが、きっと軽い話ではない。
宇宙食材。
グリーントロル。
グリドのこと。
それらが頭の中で繋がりそうで、まだ繋がらない。
「気を付けて行くのよ」
母さんが言った。
「次はいつ戻るの?」
「分からない」
俺は正直に答えた。
「なんだか、また長い旅になりそうな予感はしてる」
「そう……」
母さんは少しだけ寂しそうに笑った。
その表情を見て、胸が痛む。
俺はまだ子供だ。
両親にとっては、心配するなという方が無理だろう。
でも、行きたい。
食べたい。
知りたい。
そして、強くなりたい。
父さんが静かに言った。
「アマジン」
「うん」
「今までみたいに毎日連絡しろとは言わない。ただ、定期的に連絡はしてくれ」
その言葉に、俺は頷いた。
「分かった。必ず連絡する」
「それならいい」
父さんは微笑んだ。
母さんも、小さく頷いた。
その夜。
はむまるは俺の部屋には入れなかった。
当然だった。
廊下で詰まる。
階段は無理。
部屋に入ろうとしたら、入口で引っかかる。
はむまるは悲しそうに「きゅう」と鳴いた。
「ごめんな。さすがに無理だ」
「きゅ……」
仕方ないので、一緒に庭で寝ることにした。
母さんが大きな毛布を用意してくれた。
俺ははむまるの横に寝転がる。
ふかふかだった。
零山脈の岩場とは比べものにならない。
はむまるの体温が温かい。
「明日からまた旅だな」
「きゅ」
「ちゃんとついてきてくれよ」
「きゅ!」
はむまるは元気に鳴いた。
その声を聞きながら、俺は眠った。
翌日。
朝食を食べ、荷物を整える。
はむまるの荷具も確認する。
母さんは弁当を持たせてくれた。
父さんは特急券の使い方を一緒に確認してくれた。
玄関の前で、俺は二人に向き直った。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ。気を付けてね」
「無理はしすぎないように」
「分かってる」
母さんは心配そうだった。
でも、以前よりその心配は少し薄くなっている気がする。
止めたい。
でも、止めない。
そんな顔だった。
少しだけでも、認めてくれたのかもしれない。
俺が美食屋を目指すことを。
俺が食べに行くことを。
俺が、この世界を進んでいくことを。
「行くぞ、はむまる」
「きゅ!」
はむまるが元気に鳴く。
俺は両親に手を振り、家を出た。
次の目的地は、アトムビオトープ。
そして、IGO第二宇宙研究所。
何が待っているのかは分からない。
だが、俺はもう一人ではない。
丸くて大きな相棒と一緒に、次の一皿へ向かう。