アトムビオトープへ到着した。
ペアビオトープと比べると、明らかに観光地感が増している。
まず景色がすごい。
一面に広がる白い雲草。
雲のような葉が風に揺れ、ふわふわと光を反射している。
遠くに見えるクラウドマウンテンは、山というより巨大な雲の城だ。
白く、淡く、ところどころ虹色に光って見える。
道は綺麗に整備されていて、観光客向けの案内板も多い。
展望台。
雲草カフェ。
アトム資料館。
クラウドマウンテン記念ショップ。
記念撮影スポット。
そして、やたらカップルが多い。
どうやらアトムビオトープは、デートスポットとしても上位にいるらしい。
雲草が綺麗だからだろう。
確かに、この景色の中を並んで歩けばかなり雰囲気はいい。
俺には関係ないことだが。
……いや、本当に関係ない。
俺は美食屋を目指しているのだ。
デートスポットとか、そういうのは今は関係ない。
たぶん。
「きゅ」
隣では、はむまるが雲草をじっと見ていた。
「食うなよ」
「きゅ……」
少し残念そうにするな。
雲草はたぶん勝手に食べたら怒られる。
いや、絶対怒られる。
ペアビオトープの受付の人が言っていた。
少し前からビオトープは入場禁止になっている、と。
ここもそうなのだろうか。
でも、目の前には観光客が多い。
施設も動いている。
少なくとも観光エリアは普通に稼働しているように見える。
「まだ時間はあるし、少しのぞいてみようかな」
二日後のちょうど昼に、IGO第二宇宙研究所へ行く必要がある。
とはいえ、到着したのは少し早めだ。
まずはアトムビオトープの様子を見ておきたい。
そう思って、俺はアトムビオトープへの入場口へ向かった。
そして、すぐに足を止めた。
「うわ! なんだこれ、めちゃくちゃ混んでる!?」
入口付近は長蛇の列だった。
本当に長い。
ずらっと人が並んでいる。
観光客らしき人。
家族連れ。
カップル。
食材マニアっぽい人。
中には高そうな服を着た人もいる。
列は入口付近からずっと伸び、広場の端まで続いていた。
「入場規制ってのは、やっぱり違ったのか?」
いや、でもおかしい。
ここまで混んでいるのは、おそらく観光用の入口だ。
俺が目指すのは危険区域の入口。
地球のフルコース、アトムへ向かうための管理ゲートだ。
観光客が並ぶ場所とは別のはず。
そう思って列を避け、受付の方へ向かおうとした。
だが、そこで違和感に気づく。
「あれ、この列、入口から逸れてる……?」
列は入場口に続いていなかった。
途中で大きく曲がり、広場の一角へ向かっている。
では、これは何の列だ?
観光施設の受付でもない。
入場ゲートでもない。
何かのイベントか?
そう思って列の先を覗きに行くと――。
とても美味しそうな匂いが漂ってきた。
「……屋台?」
香ばしい匂い。
少し癖のある、けれど食欲を刺激する香り。
油の跳ねる音。
鉄板の上で何かが焼ける音。
客たちの楽しそうな声。
どうやら何かの屋台に並んでいるらしい。
屋台といっても、簡単なものではない。
しっかりとした調理台。
冷蔵食材ケース。
高級そうな鉄板。
看板も出ている。
そこにはこう書かれていた。
【妖食界名物 猫又しっぽの目玉炒め 一皿五万円】
「五万円……!」
なかなか高い。
いや、普通に高い。
屋台で一皿五万円。
俺の金銭感覚ではかなり高い。
だが、並んでいる客たちは誰も帰らない。
むしろ期待に満ちた顔で待っている。
ということは、それだけの価値がある料理なのだろう。
猫又しっぽの目玉炒め。
名前だけ聞くとかなり怪しい。
でも匂いはうまそうだ。
妖食界名物ということは、ブラウスの天狗族とも関係があるのだろうか。
そんなことを考えながら屋台の中を覗いた。
てきぱきと調理する人物がいた。
白い髪。
少し赤みのある肌。
小柄な体。
そして、見覚えのある包丁さばき。
メッセージを送っても、一切返事をくれなかった奴。
「ブラウス!!」
思わず叫んだ。
屋台の中で調理していた少年が、こちらを向く。
「あ! アマジンさん!」
ブラウスだった。
久しぶりに見る顔だ。
ペアビオトープで別れて以来だから、三か月ぶりになる。
相変わらず白い髪で、相変わらず少し疲れた目をしている。
だが、包丁を握る姿は以前よりさらに自然になっていた。
「こんなところで何を……?」
「何って、屋台ですよ!」
ブラウスは鉄板の上で食材を返しながら答えた。
「もうずっとやってます……さすがにそろそろ休みたいです……」
「ああ……」
メッセージの返事ができなかった理由を察した。
忙しすぎたのだ。
そりゃ返せない。
目の前の列を見るだけで分かる。
この数をさばいていたら、端末を見る余裕などない。
しかも料理の値段が五万円。
つまり、ただの屋台ではなく、高級料理を即席で提供しているようなものだ。
疲れるに決まっている。
「ブラウス! もう食材ないわ! 今ある分でしまいや!」
大きな声が響いた。
屋台の裏から、一人の男が出てくる。
真っ赤な肌。
長い鼻。
がっしりとした体格。
そして、その体にぴたりと合った高級そうなスーツ。
ただのスーツではない。
生地も仕立ても明らかに高級品だ。
会社の重役、いや社長が着るような服。
だが、顔は天狗。
筋肉質な天狗が、高級スーツを着ている。
絵面が強い。
その人物は列をざっと数えた。
そして、大きな声で客たちへ呼びかける。
「お客さん! すまん! ここまでの人分しか食材ないわ!」
列の後ろの方から、えー! という声が上がった。
当然だ。
ここまで並んで食べられないのはつらい。
だが、男は慣れた様子で手を上げた。
「代わりにこれ、うちのレストランで使えるクーポンや! 同じ味は店でも堪能できるで! ぜひ来てくれ!」
すぐにスタッフらしき人たちが動き出す。
高級感のあるクーポン券を列の客に配っていく。
「今並んでる人みんなに配るで! 安心せい!」
客たちの不満が一気に収まっていく。
むしろ、クーポンをもらえることに喜んでいる人までいる。
すごい。
対応が早い。
そして、商売がうまい。
ただの豪快な人ではない。
人の流れと空気を読むのが異常にうまい。
俺はブラウスに小声で聞いた。
「なぁ、今の人って……」
「ええ。父のガウンです」
「まじかよ……」
あれがガウン。
ブラウスの父親。
そして、俺が名前だけは知っている超大物。
美食屋を目指す者なら、一度は目にする人物だ。
妖食の味を地上界の中心へ。
そんなキャッチコピーで知られる、怪奇食天狗フーズコーポレーションの社長。
妖食界や天狗族に伝わる特殊な食文化を、一般向けの料理や商品へと展開した巨大企業。
そのトップ。
さらに、最上位ライセンスの美食屋でもある男。
ガウン。
ブラウスが高価なグルメデバシーを持っていた理由。
エアやペアへ放り込まれても装備が整っていた理由。
父親の金銭感覚がおかしい理由。
今、全部理解できた。
そりゃそうだ。
金持ちどころではない。
大企業の社長であり、最上位ライセンス美食屋。
そんな人が父親なら、ブラウスの環境は普通ではない。
「ブラウス! 何話しながら接客してんねん! どつくぞ!」
「あ、はい! すみません!」
ブラウスが反射的に背筋を伸ばす。
ガウンはそのままこちらを見た。
「お、お前なんや?」
「あ、えっと……アマジンと言います」
「アマジン?」
ガウンの目がぎらりと光った。
そして、次の瞬間。
「おお! お前がアマジンか!!」
声がでかい。
近い。
ガウンは一瞬で俺の前に来た。
そして、じろじろと見てくる。
顔。
腕。
足。
体つき。
俺の周囲の食欲エネルギーまで見ているような視線だった。
はむまるが後ろで「きゅ」と鳴く。
ガウンは一瞬はむまるにも視線を向けたが、すぐ俺へ戻した。
「お前……ほんまにフルコースまだ二品目か……?」
「え? はい。エアとペアです」
俺は少し戸惑いながら答えた。
「ブラウス君に本当に助けられました」
これは本心だ。
エアもペアも、ブラウスがいなければ相当危なかった。
特にエアの調理は、ブラウスがいなければどうにもならなかった。
ペアも道中ずいぶん助けられた。
だからそう言ったのだが、ガウンは大きく笑った。
「何言うとんねん! 助けられたのはこっちや」
「え?」
「ブラウスは食材調達が嫌いや。料理しかしたがらん。けどお前と一緒やと、ちゃんと危険地帯を進んで帰ってきよる」
ガウンは俺の肩をがしっと掴んだ。
力が強い。
普通に痛い。
「つまり、お前はブラウスを外へ連れ出すええ刺激になっとる」
「そ、そうなんですか」
「そうや!」
ガウンは豪快に頷いた。
ブラウスは屋台の奥で、少し恥ずかしそうに目を逸らしている。
それから、ガウンは屋台へ視線を戻した。
「ブラウスは客捌くまで動けん。お前、オレと飯でも食って待とか」
「え、でも俺、この後、第二宇宙研究所に――」
「知っとる知っとる! どうせ行く先は同じや!」
「同じ?」
「ええから来い!」
ガウンは俺の腕を掴んだ。
あ、これはだめだ。
抵抗できない。
力が強いとかそういう問題ではない。
人を巻き込む圧がすごい。
「ブラウス! アマジン借りてくで!」
「えっ、あ、はい!」
「ちょ、俺の意思は!?」
「飯食わせたる言うとるんや。遠慮すんな!」
「遠慮じゃなくて説明を――」
言い終わる前に、俺はガウンに引きずられていった。
はむまるが慌てて後をついてくる。
「きゅ! きゅ!」
「はむまる、ついてきて! 俺もどこ行くか分からないけど!」
屋台の前では、ブラウスが苦笑しながら手を振っていた。
三か月ぶりの再会。
もっと落ち着いて話したかった。
だが、そんな余裕はないらしい。
アトムビオトープ。
第二宇宙研究所。
ブラウスの父、ガウン。
そして、怪奇食天狗フーズコーポレーション。
また、予想外の方向へ話が転がり始めていた。