千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

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雲の道

 エリア3にそびえ立つ巨大な雲山。

 

 クラウドマウンテン。

 

 遠くからでも見えていたその山は、近づけば近づくほど現実感が薄れていった。

 山なのに、雲だ。

 雲なのに、山だ。

 白く、柔らかく、しかし巨大で、重い。

 その山の奥でかつて噴火が起きた。

 

 噴火の威力は世界随一。

 一度宇宙まで到達したマグマが、宇宙空間に漂うあらゆる有害物質を吸収し、再び地上へ落ちてきたもの。

 それが、地球のフルコースの一つ。

 

 アトム。

 

 原作で知った時は、意味が分からなかった。

 いや、今でも理解しきっていはいないが……。

 マグマが宇宙まで飛んで、有害物質を吸収して、地球へ戻ってきて、それが食材になる。

 冷静に考えてはいけない。

 

 ここはトリコの世界だ。

 

 本来であれば、アトムを目指すには雲草の森を越え、知恵熱橋という過酷な橋を渡らなければならなかった。

 原作ではそこまで多くは語られていない。

 だが、資料や現代の解説を見る限り、ここは「グルメ界一過酷な世界」と呼ばれるほど危険な場所だったらしい。

 

 グルメ界一過酷。

 

 それはもう、言葉だけで十分怖い。

 エアの毒雨草原。

 ペアへ向かう零山脈。

 そのどちらも危険だった。

 

 だが、アトムはそれとはまた別の方向に危険らしい。

 道そのものが信用できない。

 雲そのものが罠になる。

 正しい道を見つけられなければ、何もないように見える空間へ踏み出し、そのまま雲に飲まれ、落ちる。

 

 ただ、現代では橋が架かっている。

 観光区域も整備されている。

 クラウドマウンテンまでの道のりも、昔と比べれば安全なものとなった。

 結果的には、危険度は下がっているのだろう。

 

 それでも、俺たちがこれから向かうのは観光用の道ではない。

 アトムビオトープの危険区域。

 そして、グリーントロルの反応が出た場所だ。

 

「お前ら、ぴったりオレの後ろについて来いよ」

 

 ガウンが前を歩きながら言った。

 高級スーツ姿なのに、まるで山の案内人のように自然だ。

 足場は雲でできた道。

 柔らかいようで、踏めば反発がある。

 だが、油断すると足を取られる。

 ブラウスは慎重に歩いていた。

 俺もグルメスモックを薄く足元にまとわせ、滑らないようにして進む。

 

「クラウドマウンテンの中は迷路のように複雑になっている」

 

 ガウンが説明する。

 

「それだけやない。正しい道を進まなければ雲に飲まれ落ちてしまう」

 

「落ちるって……どこまでですか?」

 

 ブラウスが少し青い顔で聞いた。

 

「知らん。下に地面があるとは限らんしな」

 

「怖いこと言わないでくださいよ……」

 

「ほんまのことや」

 

 ガウンは笑っている。

 笑い事ではない。

 雲道は、見た目ではどこも同じに見える。

 

 白い道。

 

 白い壁。

 

 白い空気。

 

 だが、その中には正しい道と、踏んではいけない道があるらしい。

 それは、デザートラビリンスの蜃気楼のように、一見しても違いは分からない。

 俺には、ただの雲の道にしか見えなかった。

 

「アトムが危険と言われるのには理由があってな」

 

 ガウンが羽団扇を軽く振る。

 周囲の雲が少しだけ揺れ、細い道筋のようなものが一瞬だけ浮かび上がった。

 

「この正しい道っちゅうのが、美食物質を視認できるようにならんと見えへんのや」

 

「美食物質……」

 

 聞いたことはある。

 グルメマテリアル。

 それも美食物質の一種だ。

 ただ、グルメマテリアルは色々なものが混ざっているため、誰にでも見えるらしい。

 

 だが、ここにある美食物質は違う。

 

 普通の目では見えない。

 見える者にだけ、道として浮かび上がる。

 

「それはどうやって見えるようになるんですか?」

 

 ブラウスが聞いた。

 

「天然のアトムを飲まなあかん」

 

「え?」

 

 俺は思わず声を出した。

 

「アトムを安全に取りに行くためには、アトムを飲まないといけないってこと?」

 

「その通りや!」

 

 ガウンが豪快に笑った。

 

「ほんま、最初にたどり着いた奴はすごいで。相当な覚悟がいったやろな」

 

「それ、攻略条件がおかしくないですか?」

 

「地球のフルコースなんぞ、だいたいおかしいやろ」

 

 確かに。

 

 エアもそうだ。

 

 ペアもそうだ。

 

 まともな条件で手に入る食材など、ほとんどない。

 それでも、最初にそこへ辿り着いた者たちがいた。

 食べ方を見つけた者たちがいた。

 命を賭けて、最初の一口を取った者たちがいた。

 そう考えると、今の時代の俺たちはどれだけ恵まれているのだろう。

 

 養殖の地球のフルコースは、子供の頃にワクチンや教育の一環で摂取している。

 俺も、ブラウスも、天然ほどではないにせよ、アトム由来の何かは体に入っているはずだ。

 

 だから以前よりは、この美食物質の道も見えているらしい。

 ガウンほどではないが、じっと目を凝らすと、白い雲の中に微かな光の筋が見える気がする。

 

「そういえば……ココとタイランがコンビで行ってたよな」

 

 俺は小さく呟いた。

 原作では、アトムはココとタイランが向かったはずだ。

 あの時点で、ココはアトムを飲んでいなかったはず。

 それでもしっかり捕獲してくるあたり、さすが四天王だ。

 

 いや、本当にさすがだ。

 

 今、自分がこの道を歩いているからこそ分かる。

 見えない道を進む恐怖。

 空間そのものが罠になる感覚。

 

 これを突破したのだから、やはり化け物だ。

 しばらく歩いて、俺はふと気がついた。

 

「そういえば、全然猛獣出てこないですね」

 

 エアビオトープでは毒雨の中で猛獣が出た。

 ペアビオトープでは巨大な森や零山脈で何度も危険に遭った。

 だが、ここではまだ何も出てこない。

 雲の中から何かが襲ってきてもおかしくないのに。

 

「ほんまやったら、この周囲の雲から奇襲してくるんやけどな」

 

 ガウンは鼻を鳴らした。

 

「まあ、オレにびびって出てこーへんのやろ」

 

「なるほど……」

 

 やはりガウンもただ者ではない。

 最上位ライセンス美食屋。

 怪奇食天狗フーズコーポレーションの社長。

 

 そして、天狗族の悪魔と契約しているらしい男。

 その気配だけで猛獣が出てこないのなら、本当に相当な強さだ。

 

「まあ、それだけやないやろうけどな」

 

 ガウンが少しだけ声を落とした。

 

「それだけじゃない?」

 

「匂いが薄い」

 

「匂い?」

 

「猛獣の匂いや。食欲の匂いも、縄張りの匂いも、いつもより薄い。何かに散らされとる」

 

 グリーントロル。

 俺はそう思った。

 ガウンもそれを分かっているのだろう。

 ただ、今は余計なことを言わず、先へ進む。

 俺たちは複雑な雲道を突き進んでいった。

 

 右へ曲がる。

 

 左へ曲がる。

 

 真っ直ぐ進んだと思えば、また戻るように曲がる。

 ガウンの後ろを歩いていなければ、今どこにいるのかすら分からない。

 

 白い世界。

 

 柔らかい足場。

 

 見えない崖。

 

 そして、時折遠くで響くクラウドマウンテンの低い音。

 しばらくして、ガウンが立ち止まった。

 

「一回ここで休憩しよか」

 

 そう言って、少し開けた場所へと入る。

 そこだけは雲が平らに広がり、まるで巨大なテーブルのようになっていた。

 

「クラウドテーブルっちゅう比較的安全な場所や」

 

「ふう……」

 

 ブラウスが息を吐いた。

 

「雲道、足が取られて歩きにくいせいか、いつもより疲れましたね」

 

「分かる」

 

 俺も頷いた。

 ただ歩いているだけなのに、体力を使う。

 普通の道と違って、足場を信用しきれない。

 常に微妙なバランスを取らされる。

 猿武の修行をしていなければ、もっと疲れていたかもしれない。

 

「ここらで補給しときたいとこやな」

 

 ガウンは周囲を見渡した。

 それから、俺を見た。

 

「アマジン」

 

「はい」

 

「あっちに道が見えるやろ」

 

 ガウンが指差す。

 白い雲の奥に、細い道が伸びていた。

 じっと目を凝らすと、確かにうっすらと光の筋が見える。

 

「うん」

 

「あっちはクラウドパントリーって空間が広がっとる」

 

「クラウドパントリー……」

 

「雲の食料庫みたいな場所や。そこにDとかEの猛獣がおるから、旨そうなやつ取ってこい」

 

「D!? ゴッドと同じ……!」

 

 思わず声が裏返った。

 強さDの猛獣。

 それはつまり、ゴッドと同じ強さだ。

 

 ゴッド。

 

 地球のフルコースのメイン。

 かつてトリコが相手にした最強の生物。

 あのゴッド並みの強さ。

 

 俺に倒せるのか?

 

 いや、ペア後に強くなった。

 グリドとの修行で猿武の基礎も身につけた。

 グルメスモックも強くなった。

 

 番重落としも、キッチンハサミも改善している。

 

 でも、ゴッドと同格。

 そう思うと、体が少し固くなる。

 

「なんでそこまでゴッドにびびるんや?」

 

 ガウンが不思議そうに言った。

 

「ほかにもDなんてわんさかおるで」

 

「いや、何というか……フルコースのメインだし、特別だ」

 

 俺にとってゴッドは、ただの捕獲レベルでは測れない存在だ。

 原作の最後に出てくる、全ての中心のような食材。

 

 ゴッドという名前。

 

 神。

 

 それだけで特別に感じる。

 

「まあ、かつては最強やったな、ゴッドは」

 

 ガウンは腕を組んだ。

 

「死ぬほど強かったという原種。オレも見てみたかったわ」

 

「原種……?」

 

「いうて今は管理されとるしな。今のゴッドは昔と比べてサイズもめちゃくちゃ小さい」

 

「サイズが……」

 

 俺は、トリコで見た最強生物のゴッドを想像していた。

 惑星規模の戦い。

 

 八王。

 

 アカシア。

 

 ネオ。

 

 その中心にあった食材。

 だが、現代に生きているゴッドは、その時よりも弱いのか。

 

 いや。

 

 考えるまでもない。

 間違いなく弱体化はしているのだろう。

 管理され、養殖され、成長を抑えられ、人類が安全に扱える範囲に調整されている。

 

 それは正しい。

 

 飽食時代としては正しい。

 多くの人が食べられるようになったのだから。

 

 でも、なんとなく残念な思いもあった。

 

 俺が見たかったゴッドは、きっともういない。

 かつての美食屋たちが命を懸けて追いかけた、あの怪物は。

 

 今は管理された食材になっている。

 それが千年後の世界。

 地球のフルコースが人類のものになった時代。

 

 俺はその恩恵を受けている。

 だから文句を言う資格などない。

 それでも、胸の奥に少しだけ寂しさが残った。

 

「とりあえず、はよ行ってこいアマジン!」

 

「あ、分かった!」

 

 ガウンの声で我に返る。

 

「僕はここで待機ですか?」

 

 ブラウスが聞くと、ガウンは頷いた。

 

「お前はここで調理準備や。アマジンが持ってきた食材をすぐ捌けるようにしとけ」

 

「はい!」

 

 ブラウスはすぐに道具を取り出し始めた。

 さすが料理人。

 動きに迷いがない。

 俺はクラウドパントリーへ続く道を見た。

 

 DかEの猛獣。

 ゴッドと同格かもしれない獲物。

 

 怖い。

 

 でも、今の俺がどこまでやれるのか知りたい。

 グリドとの三か月が、どれだけ自分に残っているのか。

 それを試すには、ちょうどいいのかもしれない。

 

「行ってくる」

 

「無理はするなよ」

 

 ガウンが言った。

 

「うん。旨そうなやつ取ってくる」

 

 俺はグルメスモックを薄くまとい、雲の道へ足を踏み出した。

 クラウドパントリー。

 

 雲の食料庫。

 

 そこへ向かって、俺は一人で進んでいった。




いつも感想やご指摘ありがとうございます!

文章自体は何年も前に作成しているもので修正し投稿していってるのですが、
最近ちょっと修正があまかったかもしれません。

今後も違和感がでたりしたら申し訳ないです。
修正できる部分はしていきます。
よろしくお願いいたします!
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