捕獲レベルとは、本来、地球内における食材や生物の危険度、希少性、捕獲難易度を示す基準だった。
千年前の資料では、捕獲レベル一でもプロのハンター十人がかりでようやく捕獲できる、と説明されている。
その時代の人間にとっては、それが分かりやすかったのだろう。
どれほど危険か。
どれほど強いか。
どれほどの準備が必要か。
捕獲レベルは、そのまま命の危険度を表していた。
だが、今は違う。
人間が進化した。
地球の開拓が進んだ。
食材の人工飼育やビオトープ管理が一般化した。
そして何より、地球の外にある存在が知られるようになった。
現在の捕獲レベルは、地球内での珍しさと強さを計測する数値に改められている。
数値は希少性。
アルファベットは強さ。
その表記は、一見すると分かりやすい。
だが、昔の知識を持っている俺からすると、時々とんでもなく混乱する。
たとえば、ゴッド。
地球のフルコースのメイン。
かつて成体の捕獲レベルは、一万とされていた。
捕獲レベル一万。
数字だけで、前世の俺なら震えた。
それはもはや食材というより、地球の頂点。
生物の枠を超えた何か。
トリコたちが辿り着いた、究極の味の一つ。
だが、今の表記ではこうなる。
『捕獲レベル100・D』
希少性を表す百は理解できる。
地球最高峰の食材であることに変わりはない。
それでも、現在では完全な未発見食材ではない。
すでに人工飼育も研究されており、莫大なお金を出せば養殖個体を食べることもできる食材になっている。
もちろん、一般家庭が気軽に買えるようなものではない。
それこそ一生分の収入を全部注ぎ込んでも足りるか分からない。
だが、それでも「絶対に食べられない幻」ではなくなっている。
だから希少性百。
それは分かる。
だが、強さを示す記号がD。
D?
地球最強のゴッドが?
最初にそれを知った時、俺は端末の表示ミスを疑った。
Aではないのか。
せめてBではないのか。
いや、そもそもゴッドなら専用表記でもいいのではないか。
だが、理由は単純だった。
宇宙開拓期に入ってから、ゴッドを凌ぐ恐ろしいモンスターたちが何度も宇宙から飛来しているためだ。
地球の中では最強でも、宇宙全体で見ればさらに上がいる。
地球は広い。
グルメ界は果てしない。
けれど、宇宙はそれ以上だった。
千年前、トリコたちとネオ、そしてゴッドを巡る戦いがあった。
その戦い以降、地球は完全に平和になったわけではない。
むしろ、宇宙へ味の扉が開いたことで、地球は何度も外の脅威にさらされた。
歴史の授業で習った限りでも、地球はその後、二度滅びかけている。
一度目は、ネオとの戦いからわずか五十年後。
白い宇宙から飛来した、全てを飲み込むゴーレム。
ホワイトディメンション。
その名を聞くだけで、今でも多くの美食屋が顔をしかめるという。
食材を喰うのではない。
星を喰うのでもない。
存在するものを、空間ごと飲み込む。
そんな災害のような怪物だったらしい。
そして、その数年後。
ホワイトディメンションの気配を感知し、地球の存在を見つけたグリーンニトロの軍勢が飛来した。
地球のフルコース。
アカシア。
ネオ。
そして、そこに関わった人間たち。
それらの痕跡を求めて、宇宙のどこかからやってきた緑のニトロたちとの戦争。
それは今でも語り継がれている、地球の危機だ。
そして当然のように捕獲レベル1000・Aと記載されている。
宇宙由来だが地球に来た時点で地球内の生物換算なのだろう。
教科書には簡潔に書かれていた。
けれど、当時の映像資料や証言記録を見れば、どれほど絶望的な戦いだったか分かる。
海が割れ、空が裂け、グルメ界の大陸がいくつも形を変えた。
地球そのものが、食材として切り分けられかけた。
そして、その危機を救ったのは――。
言うまでもない。
伝説の美食屋と料理人たちだった。
トリコ。
小松。
ココ。
サニー。
ゼブラ。
そして、名を残した数多くの美食屋と料理人たち。
彼らがいなければ、今の地球は存在していない。
だからこそ、今の捕獲レベルではゴッドですらDになる。
地球の頂点は、宇宙ではまだ頂点ではない。
その事実が、俺の胸を熱くする。
怖い。
だが、それ以上に思ってしまう。
宇宙には、まだ俺の知らない味がある。
トリコたちが見ていた景色は、きっとそこに続いている。
・・・
そんなことを考えながら、俺は森の中を進んでいた。
大通りから外れて、まだそれほど時間は経っていない。
周囲には背の高い木々が生い茂り、足元には濃い緑の草が広がっている。
木の幹にはキノコのようなものがびっしりと生え、上を見れば、果実らしきものが房になってぶら下がっていた。
どれも美味そうに見える。
だが、簡易食材鑑定キットで確認すると、食用不可や要特殊調理と表示されるものが多い。
迂闊に食べれば腹を壊すどころでは済まない。
美味そうなものほど危ない。
これはグルメ時代の基本なのかもしれない。
俺はグルメスモックを纏ったまま、慎重に進んだ。
白い給食着のようなエネルギーが、枝葉に触れるたびに汚れや小さな虫を弾いてくれる。
毒を持つ花粉らしきものが漂ってきても、スモックの表面で淡く溶けるように消えた。
見た目はともかく、本当に便利だ。
ただし、腹は減る。
グルメスモックは常にカロリーを消費する。
早めに食材を確保しなければならない。
「何か、食べられるものは……」
俺は周囲を見回す。
その時だった。
森の奥から、低い唸り声が聞こえた。
空気が震える。
木々の間で、大きな影が動いた。
俺は反射的に身を低くする。
足音。
重い。
草を踏み潰し、地面を揺らしながら、それはゆっくりと姿を現した。
巨大なワニ。
硬そうな鱗。
太い尾。
鋭い牙。
長く伸びた口。
簡易食材鑑定キットを当てるまでもない。
「あいつは……」
喉が鳴った。
空腹ではない。
感動でだ。
「ガララワニ……!」
名前を口にした瞬間、全身に鳥肌が立った。
ガララワニ。
かつて、トリコと小松の始まりの食材ともいえる存在。
物語の始まりであり、美食屋と料理人の出会いを象徴する食材。
俺にとっては、ただの猛獣ではない。
憧れの入口。
あの世界に胸を焦がした原点の一つ。
目の前にいる。
本物が。
生きている。
俺の視界に、端末の自動解析が表示された。
『ガララワニ』
『捕獲レベル5・H』
捕獲レベル5。
強さはH。
今の時代基準では、決して手に負えない相手ではない。
正直、学園の実技訓練では、これ以上の強さのモンスターと戦ったことがある。
もちろん油断は禁物だ。
だが、冷静に考えれば、今の俺でも十分に対処できる相手。
現代の人間から見れば、大したことのないモンスター。
それでも――。
「野生のガララワニに会えるなんて……!」
胸が震えた。
飼育個体なら、食材市場で見たことがある。
加工肉なら、スーパーの高級コーナーに並んでいた。
ガララワニバーガーだって食べたことはある。
だが、違う。
これは野生だ。
ビオトープの森で生き、獲物を探し、唸り声を上げているガララワニ。
目の前のこいつは、商品棚に並んだ肉ではない。
まだ命を持った食材だ。
自分で向き合い、自分で仕留め、自分で食う相手だ。
俺の腹が鳴った。
ぐう、と。
その音に合わせるように、グルメ細胞が熱くなる。
「食いたい……!」
思わず口に出た。
その瞬間、ガララワニの動きが止まった。
黄色い目が、俺を見た。
そして次の瞬間。
ガララワニは、じり、と後ろへ下がった。
「……え?」
さらに一歩。
明らかに逃げ腰だった。
俺の食欲を感じ取ったのか。
それとも、グルメスモック姿の子供が怖かったのか。
ガララワニは大きな体を反転させ、森の奥へ逃げ出そうとした。
「俺から逃げるのかよ!」
思わず叫び、地面を蹴った。
グルメスモックが足元に力を流し込む。
体が軽い。
一瞬で距離を詰める。
逃げようとしたガララワニの太い尻尾を、両手で掴んだ。
「おおおっ!」
全身の筋肉に力を込める。
地面が抉れる。
ガララワニが暴れ、尾を振るう。
普通なら人間一人くらい吹き飛ばす力だろう。
だが、グルメスモックが衝撃を受け止め、俺の腕は離れなかった。
俺はそのまま体を捻る。
ガララワニの巨体が宙に浮いた。
木々の間を、巨大なワニが弧を描く。
そして、地面へ叩きつけるように投げ飛ばした。
どずん、と重い音。
土煙が舞う。
ガララワニが呻く。
まだ動く。
当然だ。
これくらいで終わる相手ではない。
俺は即座に飛びかかり、首の後ろに回り込んだ。
太い首を両腕で締めるように、羽交い絞めにする。
ガララワニが暴れる。
体を捻り、爪を立て、牙を鳴らす。
森の地面が削れ、草木が吹き飛ぶ。
怖くないと言えば嘘になる。
生きた猛獣の力は、訓練用の相手とは違う。
熱がある。
重さがある。
命が暴れている。
だが、不思議と心は静かだった。
食べたい。
その一点だけが、俺の中でまっすぐに燃えていた。
俺は右腕に意識を集中させる。
グルメスモックの白いエネルギーが、袖口から腕へ集まっていく。
食欲を刃にする。
挟む。
断つ。
料理の前の、最初の一手。
俺の腕に、鋭い二枚の刃のようなエネルギーが重なった。
「――キッチンバサミ!」
腕を振る。
まるで巨大なハサミで断ち切るように、食欲のエネルギーがガララワニの急所を切り裂いた。
抵抗が一瞬だけ強くなる。
そして、すぐに消えた。
ガララワニの巨体が、ずしりと地面に沈む。
森に静けさが戻った。
俺はしばらく、その場で息を整えた。
初めて、自分一人で野生の食材を仕留めた。
学園の訓練ではない。
管理された模擬戦でもない。
本物のビオトープで。
本物のガララワニを。
「……いただきます」
自然と、その言葉が出た。
キッチンバサミ。
これも俺のオリジナル技だ。
グルメスモックをまとった状態で、腕にさらに食欲のエネルギーを込める。
その鋭さは、まるでキッチンバサミのように対象を真っ二つにする。
名前はやっぱりかっこよくない。
だが、実用性は高い。
もともとは、食材の硬い殻や繊維を切るために考えた技だ。
エアの茎も、これで切る予定だった。
まさか最初に使う相手がガララワニになるとは思わなかったが、切れ味は十分だ。
俺は携帯用調理ナイフを取り出し、必要な部位を丁寧に切り分けた。
素人なりに、学園で習った解体手順を思い出す。
食べられる部分。
危険な部位。
保存できる部位。
残すべきではない部位。
美食屋を目指すなら、命を奪って終わりではない。
食べるところまでが責任だ。
森の中で火を使うには許可が必要だが、危険区用の携帯調理ナイフには小型の加熱機能がついている。
俺は鑑定キットで肉質を確認し、食用に問題ない部位を薄く切った。
それから、加熱プレートを展開する。
じゅう、と音がした。
ガララワニの肉が焼ける。
脂が溶け、香りが立ち上る。
濃厚で、野性的で、力強い匂い。
それだけで腹の奥が熱くなった。
塩もタレもない。
最低限の加熱だけ。
料理と呼ぶにはあまりにも雑だ。
小松が見たら、きっともっと最高の一皿にしてくれるのだろう。
だが、今の俺にはこれが精一杯だった。
焼けた肉を、ナイフの先で持ち上げる。
湯気が立つ。
俺はもう一度、小さく手を合わせた。
「いただきます」
口に入れた瞬間、全身が震えた。
噛む。
肉汁が弾ける。
硬すぎず、柔らかすぎず、噛むほどに旨味が出てくる。
野生の力が、そのまま肉になったような味。
脂は濃いのに、しつこくない。
喉を通った瞬間、胃が喜ぶ。
グルメ細胞が、はっきりと反応した。
うまい。
これ以上の高級料理は、今までにも何度も食べている。
この時代では、金さえ払えば驚くほど美味いものが食べられる。
養殖ゴッドの加工品。
高級レストランのフルコース。
学園行事で出た特別メニュー。
どれも確かに美味かった。
味の完成度だけで言えば、今食べているガララワニの素焼きより上のものはいくらでもある。
それでも。
そのどれよりも、うまく感じた。
自分で見つけた。
自分で向き合った。
自分で仕留めた。
自分で焼いた。
そして、自分で食べている。
たったそれだけで、味が変わる。
食材は、皿の上だけにあるんじゃない。
そこに辿り着くまでの時間も、緊張も、恐怖も、感動も、全部が味になる。
「……これだ」
俺は呟いた。
これが、俺の欲しかったものだ。
飽食時代の料理は美味い。
それは間違いない。
だが、俺が憧れた美食屋の味は、きっとこういうものなのだ。
腹を空かせ、食材と向き合い、命をいただく。
その一口に、冒険が詰まっている。
俺は夢中でガララワニの肉を食べた。
食没で体内にカロリーを蓄える。
グルメスモックで消費した分が補われていく。
体が温まる。
力が戻る。
いや、戻るどころか、前より強くなった気がする。
グルメ細胞が喜んでいる。
もっと食え。
もっと進め。
もっと未知へ向かえ。
そう言われているようだった。
食べ終えた俺は、冒険ノートを取り出した。
少し脂のついた指を拭き、ページを開く。
そして、今日の記録を書いた。
『初捕獲食材――ガララワニ』
『捕獲レベル五・H』
『味――今までで一番うまい』
それだけ書いて、俺は少し笑った。
文章としては拙い。
美食屋の記録としては、あまりにも感想が単純だ。
だが、今の俺にはそれ以上の言葉が見つからなかった。
空を見上げる。
森の枝葉の隙間から、薄い光が差し込んでいる。
目指すエアは、まだ遠い。
毒雨草原にも、蜂の巣平野にも辿り着いていない。
お金の問題も解決していない。
けれど、俺は確かに一歩進んだ。
ただの消費者から。
ほんの少しだけ、美食屋に近づいた。
「よし」
俺は立ち上がる。
グルメスモックを整え、ポシェットを確認し、ガララワニにもう一度手を合わせた。
そして、森の奥へ歩き出す。
腹は満ちた。
でも、心はまだ空腹だ。
次は、エアだ。