――最上位ライセンス保持者向け極秘資料。
――一部抜粋。
グルメ細胞の悪魔。
その存在は、現代においてもなお不明瞭な部分が多い。
かつては、グルメ細胞の奥に潜む食欲の化身とされていた。
人間の食欲に呼応し、成長し、時に力を貸し、時に宿主を喰らう存在。
だが、宇宙食材研究が進んだ現在、その認識は完全ではなかったと考えられている。
グルメ細胞の悪魔とは、単なる人間の内側に潜む存在ではない。
星に宿るもの。
種族に宿るもの。
土地に宿るもの。
食材に宿るもの。
あるいは、宇宙のどこかから漂着した食欲そのもの。
その在り方は、あまりにも多様である。
中には、人間に対して明確な敵意を持つ悪魔もいる。
人間を宿主ではなく、単なる器、あるいは餌として見るもの。
星ごと食らい、種族ごと支配し、食欲をひとつの方向へ塗り潰すもの。
そういった存在がいる一方で、人間に対して友好的、あるいは契約可能な種も確認されている。
もちろん、友好的という言葉は慎重に扱うべきである。
人間にとって友好的であることと、人間と同じ倫理を持つことは別である。
悪魔にとって食事とは本能であり、存在理由であり、契約の前提である。
彼らは与えられたものを食う。
そして、その対価として力を貸す。
これを体系化した技術群の一つが、悪魔共食である。
・・・
悪魔共食。
その名は、ともに食卓につくことを意味する。
だが、実際には単純な共食ではない。
人間が食う。
悪魔も食う。
その食卓の上で、人間は自らの一部を差し出し、悪魔はその一部を喰らう。
その対価として、契約者は一時的に悪魔の力を借りる。
これが、現代における悪魔共食の基本構造である。
代表的な契約儀式として、以下の二例が確認されている。
黒き饗宴、ブラック・バンケット。
山神供宴、さんじんくえん。
これらは悪魔そのものの名ではない。
悪魔と共に食卓を開くための、技名であり、契約儀式名である。
悪魔そのものには別の真名が存在する。
しかし、悪魔の真名とは単なる音ではない。
それは食欲の匂いであり、存在の味であり、その悪魔へ通じる呼び水である。
軽々しく口にしてよいものではない。
名を呼ぶという行為は、食卓に招くことに等しい。
そして、こちらが招いたつもりでも、相手に見つかるという形になる場合がある。
ゆえに契約者は、真名ではなく、技名、儀式名を介して悪魔の力を借りる。
黒き饗宴の悪魔。
山神供宴の悪魔。
そう呼ばれることはある。
だがそれは、あくまで外部者が便宜上つけた呼称であり、真名ではない。
・・・
黒き饗宴、ブラック・バンケット。
IGO管理下に存在する、特殊契約型悪魔との契約儀式である。
この悪魔は極めて偏食である。
実体のある料理を好まず、主に食の記憶を喰らう。
味の記憶。
香りの記憶。
食卓の記憶。
誰かと食べた幸福。
初めて食材を口にした衝撃。
美食屋が命を賭けて得た一皿の記憶。
それらを燃料として喰わせることで、契約者は一時的に膨大な食欲エネルギーを引き出す。
力は絶大である。
だが、代償は軽くない。
喰われた記憶は戻らない。
ある料理を食べた事実は覚えていても、その味だけが分からなくなる。
誰と食卓を囲んだかは覚えていても、その時の香りだけが抜け落ちる。
記憶の欠損は、契約者の美食屋としての根幹を削る。
ゆえに、使用には厳格な制限が設けられている。
・・・
山神供宴、さんじんくえん。
天狗山に伝わる、古い契約儀式である。
契約対象は、天狗山に住むグルメ細胞の悪魔。
その悪魔は、実際の料理そのものを食べない。
料理から立ち上る香り。
湯気。
供物として捧げられた気配。
山へ向けられた感謝。
それらを喰らう。
契約者は悪魔に香りを差し出し、その対価として山と風の力を借りる。
発動時、契約者の背後には天狗山の悪魔の影が現れ、周囲の空気と香りを支配する。
敵の食欲の匂いを読み、風で攻撃をずらし、山そのものを味方にする。
天狗族の嗅覚、風術、山岳適応能力と極めて相性が良く、天狗族の中でも限られた者だけが扱える。
代償は嗅覚である。
発動後、契約者は一定期間、匂いを失う。
料理の香りが分からなくなる。
湯気の奥にある味を読めなくなる。
食材の熟成や腐敗の兆候も、通常の感覚では掴めなくなる。
美食屋にとって、料理人にとって、嗅覚の喪失は重大な損失である。
それでも契約者は、その代償を支払って力を借りる。
それが山神供宴である。
・・・
契約者の数に、明確な上限は確認されていない。
一体の契約型悪魔が、複数の人間と契約することは可能である。
ただし、誰でも契約できるわけではない。
悪魔には好みがある。
味の好み。
記憶の好み。
香りの好み。
食欲の質の好み。
契約者が差し出すものを、悪魔が食材として認めなければ契約は成立しない。
黒き饗宴の悪魔は、食の記憶を好む。
だが、誰の記憶でもよいわけではない。
薄い食事の記憶。
感謝のない食事の記憶。
ただ空腹を満たしただけの記憶。
そういったものには興味を示さない。
山神供宴の悪魔は、香りと供物の気配を好む。
だが、ただ香りが強ければよいわけではない。
山に捧げる意志。
食材への敬意。
風に乗るだけの格。
そういったものがなければ、悪魔は食卓につかない。
悪魔共食とは、単なる強化技ではない。
契約者の美食屋としての本質を、悪魔に試される儀式でもある。
・・・
ここで、かつて伝説の美食屋と呼ばれた者たちについて触れねばならない。
記録によれば、彼らは一人で一体の悪魔をグルメ細胞に宿していたという。
宿す。
契約するのではない。
外部の悪魔へ供物を捧げるのでもない。
自らのグルメ細胞の中に、悪魔を住まわせ、共に成長し、共に食べていた。
この記述が事実であるならば、それは現代の知識ではほとんど説明がつかない。
一人の人間が、一体の悪魔を宿す。
それも、単なる断片ではなく、明確な自我を持つ悪魔を。
現代の基準で考えれば、本当にあり得ないことである。
人間の体はそこまで強くない。
グルメ細胞はそこまで広くない。
通常であれば、悪魔の食欲に耐えられず、内側から喰われる。
あるいは、宿主の自我が悪魔の食欲に塗り潰される。
だからこそ、現代の美食屋たちは契約という形式を選ぶ。
外部の悪魔と食卓を開き、代償を払い、一時的に力を借りる。
それが限界であり、それが安全圏であり、それが現代の技術である。
だが、伝説の美食屋たちは違ったという。
彼らはいったい、どれほど素晴らしいグルメ細胞を持っていたのか。
どれほど強靭で、どれほど強大で、どれほど深い食欲を持っていたのか。
数値では表すことができない何かがあったはずだ。
捕獲レベル。
希少性。
強さ。
食歴。
細胞活性値。
現代には多くの指標がある。
だが、それらのどれを用いても、彼らの異常性は説明しきれない。
地球を開拓するための、食の神に選ばれた者たち。
そんな非科学的な結論が、もっとも腑に落ちてしまう。
もちろん、公式資料としてそのような表現を採用することはできない。
しかし、研究者の多くが内心で同じ疑問を抱いている。
あの時代の美食屋たちは、本当に同じ人間だったのか。
・・・
現代に生きる美食屋たちは、そういうわけにはいかない。
伝説の時代と同じ肉体はない。
同じ環境もない。
同じ飢えもない。
同じ危機もない。
地球は開拓され、フルコースは管理され、多くの食材は安全に流通するようになった。
それは人類の勝利である。
飢えからの解放である。
だが同時に、現代の美食屋たちは、伝説の美食屋たちが持っていた何かを失っているのかもしれない。
だからこそ、現代の美食屋たちは別の形であがく。
契約する。
差し出す。
失う。
それでも力を借りる。
黒き饗宴。
山神供宴。
その他、いまだ公表されていない複数の契約儀式。
それらはすべて、現代の美食屋たちが必死にあがいた末に辿り着いた技である。
伝説にはなれない。
だが、伝説の残した世界を守らねばならない。
地球の外から来る食欲に対抗するために。
人間が、今もなお食べる側であり続けるために。
悪魔共食は生まれた。
それは美しい技ではない。
完全な技でもない。
代償を伴う、不完全な食卓である。
だが、不完全だからこそ人間の技である。
現代の美食屋たちは、神に選ばれてはいない。
だからこそ、悪魔と食卓を囲む。
差し出せるものを差し出し、喰われながらも、喰らい返すために。