「はぁ……はぁ……」
俺は今、若干死にかけていた。
いや、若干ではないかもしれない。
かなり死にかけていた。
スリープシェルシェルター内の飽和潜水室。
水圧訓練用のカプセル。
そこで俺は、グルメスモックがどこまで水圧に耐えられるのか試していた。
最初は順調だった。
十気圧。
五十気圧。
百気圧。
グルメスモックはしっかり耐えてくれた。
体全体を薄く包み、外から押し潰す力を均等に受け止める。
番重の硬さと、スモックの柔らかさ。
その両方を混ぜる感覚。
それが思ったよりもうまくいった。
だから調子に乗った。
五百気圧。
これも耐えた。
骨が少し軋むような感覚はあったが、グルメスモックが圧力を散らしてくれた。
体の中のグルメ細胞も、圧力に合わせてじわじわ強くなっているような気がした。
千気圧。
さすがにきつかった。
全身を巨大な手で握られているような感覚。
息をするだけで肺が抵抗してくる。
それでも、耐えた。
俺は思った。
いける。
三千気圧は無理でも、二千なら少し試せるのではないか。
その判断が、大きな間違いだった。
「アマジンさん」
カプセルの外から、ブラウスの声が聞こえる。
いつもより低い。
かなり怒っている声だ。
「本当に、何を考えていたんですか?」
「ブラウス、そんなに怒らないでくれ……」
俺は床に寝転がったまま言った。
「なんというか、一瞬だったから対応が遅れた」
「一瞬で危ないから怒っているんです!」
「はい……」
本当に一瞬だった。
二千気圧に設定した瞬間。
耐えていると思っていたグルメスモックから、嫌な音がした。
ギギ、と。
錆びたネジを無理やり回したような音。
食欲エネルギーで作った服から、そんな音がするはずがない。
だが、確かに聞こえた。
次の瞬間。
グルメスモックが圧壊した。
弾けたのではない。
破れたのでもない。
潰れた。
白いスモックが、一瞬でひしゃげ、砕け、押し潰された。
そして、二千気圧。
約二トンの圧力が、俺の体を襲った。
正確にどういう計算なのかは分からない。
ただ、体感としては巨大な鉄の塊に全身を挟まれたようだった。
潰れる。
そう思った時には、もう両腕から嫌な音がしていた。
骨が折れる音。
いや、砕ける音。
視界が白くなった。
呼吸が止まった。
たぶん、俺の中のグルメ細胞が必死に耐えながら水圧を受け流してくれたのだろう。
それと、部屋が緊急停止したのも大きい。
カプセル内の圧力が急速に落とされ、危険判定で扉が開いた。
ブラウスがすぐに飛び込んできてくれた。
結果。
なんとか両腕複雑骨折で済んだ。
両腕粉砕骨折で済んだ、という言い方はおかしい。
普通なら大事故だ。
でも、二千気圧で一瞬潰されかけたことを考えると、たぶん済んだ方なのだ。
「なぁ、ブラウス……」
「何ですか」
「エア食べさせてくれない……? それですぐ治るからさ」
「だめです!」
即答だった。
「どうせまた入るでしょ、あの部屋に!」
「いや、さすがに今は……」
「今は、ということは後で入るつもりですね?」
「……」
「ほら!」
ブラウスは完全に怒っていた。
小さなはむまるを肩に乗せている。
はむまるも「きゅう」と鳴いていた。
心配してくれているのだろうか。
それとも、俺が怒られているのを見て怯えているのか。
たぶん両方だ。
「そのままおとなしく着くまで寝ていてください」
「はい……」
俺は素直に頷いた。
両腕が痛い。
食没で痛みを多少抑えられるとはいえ、普通に痛い。
グルメ細胞が暴れているような感覚がある。
治そうとしている。
食欲エネルギーが腕に集まり、折れた骨を繋ごうとしているのが分かる。
でも、すぐに全快とはいかない。
エアがあれば一気に治る。
だが、ブラウスはくれない。
正直、俺が逆の立場でも渡さない気がする。
俺はやらかした。
完全にやらかした。
「千気圧まではいけたんだけどな……」
「だからって二千に飛ぶ人がいますか」
「いるかなって」
「いません」
「はい……」
ブラウスが怖い。
父親のガウンとは違う怖さだ。
静かに怒っている。
これは逆らってはいけないやつだ。
俺はカプセルから引きずり出され、居住スペースの寝台に寝かされた。
両腕は簡易固定されている。
ブラウスの手当ては丁寧だった。
料理人なのに、こういう応急処置もできるのはすごい。
俺は何度か謝り、そのたびにブラウスに睨まれた。
そして、気づけば眠っていた。
痛みと疲労。
それに、グルメ細胞の回復のために体が休息を求めたのだろう。
深く眠った。
黒い海の中。
スリープシェルシェルターは静かに沈み続けていた。
夢の中で、俺は水の底にいた。
体を押し潰す水圧。
でも、不思議と苦しくない。
体の中の細胞が、圧力を食べているような感覚。
水圧も食材。
恐怖も食材。
痛みも食材。
グリドが笑っている気がした。
お前、また無茶しとるな。
そんな声が聞こえた気がした。
そして――。
目を覚ますと、外はほとんど真っ黒だった。
「……着いた?」
「はい」
ブラウスの声がした。
「深海へ到達しました」
俺は体を起こそうとした。
両腕に痛みが走る。
だが、思ったより動く。
「あれ……」
驚くことに、エアを食べていないのに、少し腕が動くくらいまで回復していた。
完全ではない。
まだ痛い。
骨も完全には繋がっていない。
だが、さっきよりずっとましだ。
きっと食没のおかげだろう。
食欲エネルギーを無駄に使わず、体内で巡らせ、回復に集中させる。
それにペアで上がった基礎能力。
アトムで冴えた細胞。
全部が合わさって、自然回復力が上がっているのかもしれない。
「すごいな……俺の体」
「すごいですけど、だからといって無茶していい理由にはなりません」
「はい……」
ブラウスはまだ怒っていた。
ただ、さっきより少しだけ表情は柔らかい。
そして、荷物からエアを取り出した。
「どうぞ」
「いいのか?」
「もう着きましたから。今からまた訓練室に入る暇はありません」
「信用されてない……」
「信用できる行動をしてください」
「はい……」
俺はエアを受け取った。
地球のフルコース、エア。
少量でも体に染み渡る。
口に入れた瞬間、体中の細胞が一斉に呼吸した。
両腕の痛みが引いていく。
骨が繋がる。
筋肉が戻る。
血流が整う。
呼吸が深くなる。
全回復。
「はぁ……」
俺は腕を動かした。
問題ない。
完全に治っている。
やっぱりエアはすごい。
「ありがとう、ブラウス」
「次から本当に気をつけてくださいね」
「分かった。二千気圧はしばらくやめる」
「しばらくではなく、勝手にはやめてください」
「はい」
ブラウスはため息をついた。
はむまるが俺の膝に乗ってきた。
「きゅ」
「心配かけたな」
「きゅ!」
はむまるは俺の服を軽く噛んだ。
たぶん怒っている。
小さくても噛まれると少し痛い。
「さて」
ブラウスが操作盤の方へ向かった。
「ここからどうやってアナザを探しましょうか」
俺も窓の外を見た。
そこは、黒い海の底だった。
光はほとんどない。
だが完全な暗闇ではない。
遠くに、旨味の海流がゆっくりと流れている。
金色の筋。
黒い波。
深い紫の渦。
まるで、海そのものが巨大なスープになっているようだった。
このどこかに、アナザがいる。
金色に輝く神秘的な魚。
気に入らないものが近づけば、すぐに姿を消す食材。
「力ずくで探しても駄目だよな」
「たぶんそうですね」
「じゃあ、どうするか……」
俺は深く息を吸った。
水圧訓練は失敗した。
でも、ただの失敗ではない。
少なくとも、俺は自分の限界を少し知った。
そして、ここからは別の試練だ。
戦うのではない。
追いかけるのでもない。
出会う。
たぶん、アナザとはそういう食材なのだ。
俺たちは黒い海の底で、金色の魚を探す準備を始めた。
余談ですが……別枠でオリジナル作品の第1話を試験的に投稿しました。
「創る力」が尊ばれる世界で、「壊す力」しか持たない少年が旅をする話です。
もろばれかもしれませんが、とある作品の影響をめちゃくちゃ受けております。
ご興味があれば、作者ページから覗いていただけると嬉しいです。
※こちらの更新を優先する方針は変わりません。