千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

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毒雨草原

 ガララワニの肉を食べた後、俺の腹はかなり満たされていた。

 だが、完全ではない。

 グルメスモックを纏って森を歩き回れば、当然カロリーは消費する。

 さらに、この先には毒雨草原が待っている。

 そこでは防御のためにグルメスモックを常時発動する必要があるだろう。

 できるだけ多くのカロリーを体内に蓄えておきたい。

 そう考えて、俺は森の中で食材探しを続けた。

 

 結果から言えば――。

 

「ここは楽園か?」

 

 思わず、そんな言葉が出た。

 ガララワニから始まり、ホワイトアップル、アイスマッシュルーム、胡椒ぜんまい。

 探せば探すほど、食材が出てくる。

 ホワイトアップルは、白磁のように透き通った皮を持つリンゴだった。

 簡易食材鑑定キットによると、皮ごと食べられる上、体内の熱を穏やかに整える効果があるらしい。

 噛むと、しゃくりと軽い音がした。

 

 甘い。

 

 ただ甘いだけではなく、喉を通る時に微かに冷たさが広がる。

 森の湿った空気で火照った体が、内側からすっと整っていく。

 

 アイスマッシュルームは、青白い傘を持つキノコだった。

 

 触ると冷たい。

 

 そのまま食べるには少し癖があるが、携帯用調理ナイフの加熱機能で軽く炙ると、表面だけが香ばしく焼け、中はひんやりとしたまま残る。

 口に入れると、冷たいクリームのような食感と、キノコ特有の旨味が同時に広がった。

 

 何だこれ。

 

 温かいのに冷たい。

 

 前世の料理ではまず味わえない感覚だ。

 

 胡椒ぜんまいは、見た目こそただの山菜に近い。

 

 だが、茎を折ると中から黒い粒がこぼれ、それがそのまま胡椒のような香りを放つ。

 ガララワニの残り肉に振りかけて焼くと、信じられないほど味が引き締まった。

 

 野生の肉。

 

 冷たいキノコ。

 

 甘い果実。

 

 香辛料になる山菜。

 

 食材が勝手にコースを組んでくれているようだった。

 森の中を少し歩くだけで、次々と味が見つかる。

 これがグルメ界のビオトープ。

 これが、地球のフルコースへ続く場所。

 観光エリアや店で食べる料理も美味い。

 

 それは間違いない。

 

 だが、こうして自分で探し、鑑定し、調理し、食べる味はまるで違う。

 腹だけではない。

 心まで満たされていく。

 

 俺は食没でカロリーを蓄えながら、食べられるものを少しずつ口にした。

 食べすぎれば動きが鈍る。

 

 食材によっては、相性の問題もある。

 学園で習った知識を思い出しながら、無理のない範囲で補給を続ける。

 その結果、完全ではないが、腹はほぼ満たされた。

 

 体の奥に熱がある。

 グルメ細胞が、しっかりと燃料を受け取っているのが分かる。

 

「……よし」

 

 俺は森の出口に立った。

 ここから先が、本番だ。

 いよいよ、毒雨草原に入る時だった。

 

・・・

 

 進むにつれて、景色は少しずつ変わっていった。

 最初は濃い緑だった森が、次第に色を失っていく。

 葉の先が灰色に変わる。

 幹の表面が乾いたようにひび割れる。

 足元の草も、青々とした色から鈍い灰へと変わっていった。

 さらに進むと、木々の数が減り始める。

 枝は細く、葉は少ない。

 地面には毒を含んだ水たまりのようなものが点在し、その周囲の土は紫黒く染まっていた。

 

 そして、ついに森は途切れた。

 

 目の前に広がっていたのは、紫に染まった草原だった。

 風が吹くたびに、背の低い草が波のように揺れる。

 その色は鮮やかというより、不気味だった。

 

 紫。

 

 灰色。

 

 黒。

 

 生命があるのに、どこか死に近い色をしている。

 遠くを見る。

 草原の先は、黒い霧に覆われていた。

 

 視界が悪い。

 

 霧の向こうに何があるのか、ここからでは分からない。

 だが、資料によれば、その先にのろま雨の丘があるはずだ。

 エアが実る場所。

 

 俺の第一目標。

 

 だが、草原は広い。

 目測だけでも、相当な距離がある。

 

 グルメスモックを纏っていなければ、トップスピードで駆け抜けたいところだ。

 今の俺なら、短時間であればかなりの速度が出せる。

 

 学園の実技測定では、瞬間的な移動速度なら自分でも少し引くくらいの数値が出た。

 だが、ここは毒雨草原。

 速度だけを考えればいい場所ではない。

 

 呼吸。

 

 毒。

 

 雨。

 

 地形。

 

 消耗。

 

 全てを考えなければならない。

 

「最大でも、時速六十キロが限界だろうな」

 

 自動車と同じスピードだと思うかもしれない。

 前世の感覚なら、人間が時速六十キロで走るなど完全に化け物だ。

 だが、ここでは頑張ればそのくらい行ける。

 

 グルメ細胞を持つ現代人にとって、身体能力の基準は前世とは違いすぎる。

 それでも、この草原を一日で抜けるのは無理だ。

 

 直線距離だけならともかく、毒の濃い区域を避け、地形を確認し、雨の状態も見ながら進まなければならない。

 おそらく、毒雨草原で何日か過ごすことになる。

 

 俺は自分のグルメスモックを見下ろした。

 

 森での活動と食材探しで、白かったスモックはところどころ摩耗している。

 汚れは防いでくれているが、表面のエネルギーが薄くなっている部分があった。

 このまま毒雨草原に入るのは危険だ。

 

「一回、着替えるか」

 

 俺はグルメスモックを解除した。

 白い給食着のようなエネルギーが、ふわりとほどけて消える。

 その瞬間、外気が肌に触れた。

 森の出口とはいえ、空気がぴりりと痛い。

 

 長くは無防備でいたくない。

 俺はすぐに腹の奥へ意識を落とし、食欲のエネルギーを練り直す。

 

「グルメスモック」

 

 再び白いエネルギーが全身を包んだ。

 袖が生まれ、胸元が重なり、頭に給食帽のような形が乗る。

 見た目は相変わらず給食当番だ。

 だが、性能は一新された。

 新しく纏い直したグルメスモックは、表面の密度が明らかに違う。

 

 汚れも毒も受け止める、新品の作業着。

 

 ただし、纏い直すと当然カロリーを消耗する。

 

 着替えるたびに腹が減るというのは、何とも面倒な技だ。

 それでも、定期的に着替えなければ危険だ。

 摩耗したまま毒を受ければ、内部まで浸透するかもしれない。

 毒雨草原では、グルメスモックの状態管理が命に直結する。

 

「気を引き締めろ」

 

 俺は自分に言い聞かせた。

 そして、一歩を踏み出す。

 毒雨草原に足を踏み入れた。

 

 最初の一歩で、肺が反応した。

 

「っ……!」

 

 思わず咳き込みそうになる。

 空気が重い。

 ただ湿っているだけではない。

 長年の毒の影響か、空気そのものに微かな毒性が混ざっている。

 

 吸った瞬間、喉の奥がひりついた。

 肺が、この空気は危険だと訴えてくる。

 ずっと吸っていたらやばい。

 

 グルメ細胞のおかげで、ある程度の毒には耐性がある。

 だが、耐えられることと、平気なことは違う。

 

 このまま進めば、じわじわと体力を削られる。

 俺はグルメスモックの応用で、口元にエネルギーを集中させた。

 

 薄い膜を作る。

 空気を通し、毒を受け止める形。

 

 イメージするのは、マスク。

 食欲のエネルギーが口元を覆い、白い布のような形になる。

 

 完成したそれは、見た目だけなら完全に布マスクだった。

 

 白いスモック。

 

 白い帽子。

 

 白い布マスク。

 

 給食当番感が、さらに際立つ。

 

 俺は一瞬、自分の姿を想像して落ち込んだ。

 毒の草原に立つ、給食当番の少年。

 絵面が弱すぎる。

 

 だが、性能は十分だった。

 

 呼吸をする。

 

 さっきまでの喉を刺すような感覚が、明らかに和らいでいる。

 空気はしっかり吸える。

 

 完全に無害化できているわけではないだろうが、活動には問題なさそうだ。

 ただし、マスクを維持する分のカロリー消費が増えた。

 グルメスモック本体に加え、毒対応マスク。

 長時間の使用はかなり腹にくるはずだ。

 

「マスク分の消費も計算しないとな」

 

 俺はグルメID同期端末で簡易的な体内エネルギー残量を確認した。

 まだ余裕はある。

 森でしっかり食べておいて正解だった。

 

 俺は速度を抑え、草原を進み始めた。

 紫の草が足首に絡む。

 

 踏むたびに、ぬちゃりと嫌な音がする。

 地面はところどころ湿っており、毒を含んだ泥のようなものが靴底にまとわりついた。

 

 グルメスモックが足元まで覆っているおかげで直接触れずに済んでいるが、油断はできない。

 視界の端では、紫の草むらが不自然に揺れることがあった。

 

 何かがいる。

 毒に適応した虫か、小型の獣か。

 

 今のところ近づいてくる様子はないが、敵意がないとは限らない。

 毒雨草原。

 名前通り、ここは森とはまるで違う場所だった。

 

 

「ん?」

 

 しばらく進んだところで、頬に何かが当たった。

 水滴。

 いや、水ではない。

 

 空を見上げる。

 

 灰色の雲が、いつの間にか頭上を覆っていた。

 次の瞬間、ぽつ、ぽつ、と雨が降り始める。

 

 紫色の雨だった。

 粘り気がある。

 

 普通の水滴のように流れ落ちず、空気を引きずるように落ちてくる。

 地面に当たると、草がじゅっと小さな音を立てた。

 

 毒だ。

 緊張が走る。

 

 俺は反射的にグルメスモックの密度を上げた。

 雨粒が肩に当たる。

 

 じわりと重い感覚。

 表面で毒が弾け、白いエネルギーがわずかに紫へ染まる。

 

 だが、中までは通らない。

 グルメスモックは、しっかりと毒雨を受け止めてくれていた。

 

「よし……いける」

 

 安心しかけた瞬間、腹の奥が少しだけ熱を失った。

 消耗している。

 毒雨を受け止めるたび、グルメスモックがカロリーを消費しているのだ。

 ただ歩くだけでも消耗する。

 

 呼吸を守るマスクでも消耗する。

 

 さらに雨を受け止めれば、消耗は加速する。

 これは思っていた以上に厳しい。

 

 俺は速度を少し落とした。

 急いで抜けたい気持ちはある。

 

 だが、ここで無理をすれば途中でエネルギー切れになる。

 毒雨草原で倒れるわけにはいかない。

 

 雨の中を、慎重に進む。

 視界が悪い。

 紫の雨が降るたび、遠くの景色がにじむ。

 

 グルメスモックの帽子部分が雨を弾いてくれるが、耳元には毒雨が落ちる鈍い音が続いていた。

 その時だった。

 前方に、何か大きな影が見えた。

 

 最初は岩かと思った。

 だが、近づくにつれて、それが人間だと分かる。

 

 屈強そうな男が、草原の中に倒れていた。

 

 装備からして、危険区に入っていたハンターの一人だろう。

 俺よりずっと体格がいい。

 だが、今は地面に膝をつき、片腕で体を支えるのがやっとという様子だった。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 俺は駆け寄った。

 男が苦しそうに顔を上げる。

 紫の雨に打たれ、頬が青黒く変色していた。

 防毒装備らしき服も、ところどころ破れている。

 

「君は……入口にいた少年……」

 

 掠れた声。

 呼吸が荒い。

 かなり毒が回っている。

 

「うう……毒を浴びすぎてしまったようだ。血清の浄化が間に合わない」

 

「緊急転送ビーコンは?」

 

「鞄に……入っているのだが……動けなくてな……」

 

 男の指先が、倒れた体の横にある鞄を示した。

 ほんの少し手を伸ばせば届きそうな距離。

 だが、今の男にはそれすらできないらしい。

 毒雨草原の毒は、体を麻痺させるのかもしれない。

 俺は頷いた。

 

「分かった。俺が作動してやるよ」

 

 鞄を開く。

 中には、俺が持っているものより少し大きな緊急転送ビーコンが入っていた。

 本人認証式。

 他人が勝手に使えないようになっているが、緊急時には所有者の体に接触させた状態で起動できる。

 俺はビーコンを作動させ、男の腹の上に置いた。

 

「これでいいか?」

 

「ああ……助かる……」

 

 男は苦しそうに笑った。

 

「君も……無理をするなよ……」

 

「分かってる」

 

 本当は、分かっているとは言い切れない。

 俺も初心者だ。

 いくら学園で一位でも、実戦経験はほとんどない。

 だが、ここで不安そうな顔をするわけにはいかなかった。

 ビーコンが光り始める。

 男の体を、淡い青白い光が包んだ。

 

 空間が歪む。

 

 数秒後、転送が開始され、男はその場から消えた。

 後に残されたのは、服と装備だけ。

 

 紫の雨に打たれながら、男の防毒ウェアと鞄が草原に横たわっている。

 

 緊急転送ビーコンは、自分自身しか転送できない。

 

 装備や荷物は基本的に置き去りだ。

 つまり、戻った先では全裸で、何も持っていない状況になる。

 初めてその仕様を聞いた時は笑った。

 

 だが、今は笑えない。

 

 命を守るためには、それくらい割り切った仕組みが必要なのだろう。

 装備ごと転送しようとすれば、重量や危険物の判定に時間がかかる。

 毒や寄生生物を安全区域に持ち込むリスクもある。

 

 だから、本人だけを即座に転送する。

 

 理屈は分かる。

 分かるが、できれば使う羽目にはなりたくない。

 全裸で帰還するのも嫌だし、装備を全部失うのも痛すぎる。

 

「極力、使わないようにしないとな……」

 

 俺は男の残した荷物を見下ろした。

 このまま放置すれば、毒雨でダメになるか、草原の生き物に持っていかれるだろう。

 とはいえ、俺が持っていくことはできない。

 ポシェットには入らないし、余計な荷物を持てば動きが鈍る。

 だから、せめて目立たないようにする。

 俺は周囲の毒草を慎重に引き寄せ、男の装備の上にかぶせた。

 グルメスモック越しでも、草に触れるたびにじわじわと毒が染み込もうとする感覚がある。

 

 危ない。

 長く触れてはいけない。

 手早く草をかけ、鞄と服を隠す。

 

「帰りにまだあれば、持って帰ってやるよ」

 

 誰もいない草原に向かって、俺は小さく言った。

 男には聞こえていないだろう。

 それでも、そう言わずにはいられなかった。

 

 俺は立ち上がる。

 

 グルメスモックの袖が、毒雨で少しずつ紫に染まっている。

 まだ大丈夫。

 だが、長居はできない。

 

 助けた男の姿は、俺に毒雨草原の現実を突きつけた。

 屈強な大人でも倒れる。

 装備を整えた美食屋でも、判断を間違えれば動けなくなる。

 

 ここは観光地ではない。

 ここは危険区だ。

 

 俺は呼吸を整え、マスク越しに前を見た。

 黒い霧はまだ遠い。

 

 のろま雨の丘も、エアも、まだ見えない。

 それでも、進むしかない。

 

「行くぞ」

 

 そうして俺は、再び毒雨草原を進み始めた。

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